森とカラスと陰キャ魔術師(中編)
森の中の開拓村が見えてきたのはそれからしばらくのち、陽が西の地平にだいぶ近づいた頃だった。
人口百人にも満たない小さな集落である。もちろん商店など存在しない。目立つ容姿のアミティを森に残して買い出しに出向いた俺は、面識のある村人を探して交渉し、旅の必需品を手に入れた。携帯食料、水袋、衣服、外套、冒険用の背負い鞄、地図とコンパス、手持ちランタンと燃料油……そんな感じの品々だ。けっこうな量ではあったが、預かった札束の半分も使わずに調達できた。
アミティの元へ戻り、大樹を間に挟んで二人で旅装に着替える。
着慣れぬ構造の衣服だったからだろう。大樹の向こうからアミティが姿を現したのは、俺が着替え終えてからだいぶ経った頃だった。
「お待たせしましたわ」
と、律儀にお辞儀をしてきたアミティが身に纏っているのは安っぽろい農家衣装。カーキ色の膝下までのスカートに白いブラウスと前開きの袖なし胴衣を合わせた質素な衣服だ。さっきまで着ていたドレスと同様に胸元が大きく開いているのは、そのほうが例の【体内収納】の勇者特権を使うのに都合がいいだろうと思って俺が選んだからだ。
断じて下心からではない。
「ほー、庶民のおさがりにしちゃなかなか似合ってるじゃねえか、王女様」
上から下までじっくり眺めてから俺が褒めると、アミティは素直に受け取ったらしくニッコリと微笑んだ。
「ありがとうございますわ。ロートくんもとってもお似合いですわよ」
「ま、俺は実質庶民だからな」
照れくさくなって頭を掻く。
俺が着替えたのも地味な農民服。さっきまでは寝間着代わりにしている中等学校時代のジャージだった。アミティのドレスほどではないにせよ、明らかに目立つので変えたのだ。ついでに登山靴も買えたので履いていた。……あんな風に家を出たものだから、さっきまでは裸足だった。
本当ならここらで一泊したかった。だが、追手がこの辺の集落をしらみつぶしにするのは明らかだ。
やや疲労を感じ始めた体に鞭を打ち、陽が傾いて赤く染まり始めた森をさらに南下する。
道中、ふとアミティがたずねてきた。
「これからの戦略を練るためにお聞きしたいのですけど。あなたが【血液操作】で出したあの赤い剣……あれの追加効果を教えてくださいます?」
「あんま言いたくねーなー。『奥の手と策さえあれば格上にも勝てる』ってのが俺の信条だからな。手札は極力公開したくねえ」
「そこをなんとか」
「しゃーねーなー。……ま、我がまま言える場面でもねえしな」
吸血鬼が【血液操作】で出す武器には特殊な効果が付与されている物が多い。俺のあの剣にも、もちろんついている。
しかし俺のは事前に知っていれば簡単に対策できる類の効果である。それもあって、あまり他人に教えたくないのだ。
「ありがちだけどよ。斬り付けた時に発動するタイプだよ。発動さえすりゃ、どんな相手だろうと無力化できる」
「凄いですわね!」
「ふふふ。いや、そうでもねーんだわ。お前の胸のアレと一緒で条件が厳しくてな。けっこう不便なんだ」
詳細は言わない。知ってる人間が増えれば、それだけ漏洩のリスクが上がるし、そもそもこの会話だって追手に聞かれていない保証はない。
「ロートくん、他に吸血鬼の固有能力は?」
「ない。いや、使えたとしても教えねえよ。……そうだ。こっちも戦略練るためだけどよ。さっきお前が使ってたあの短刀、じっくり見せてくれよ」
「いいですわよ」
アミティはひょいと胸の谷間から短刀を取り出す。
受け取り、目を皿のようにして観察する。
やはり材質は銀だ。しかし、ただの銀ではない。この独特の光沢とうっすらまとった純白のオーラ。
始祖勇者の血によって聖別された特別な銀――『聖銀』だろう。
アミティが誇らしげに胸を張る。
「『リースの護り』。この国を建国した聖母が身に着けていたとされる護身刀ですわ。言わずもがな国宝ですわよ」
「国宝で拇印させんじゃねーよ! ……つーか指切られた時、死ぬほど痛かったぞ。ショック死しかけるくらいな」
「ああ、ロートくんは魔族ですものね」
あっけらかんとアミティがポンと手を打つ。
非難めいた気持ちで睨みつけるが、無論この女にはスルーされる。
『始祖勇者』の血には魔を討つための特別な力があった。その力をコイツのような子孫連中――“勇者”たちは受け継いでいるわけだが、聖銀にも同じ力が宿っている。ようするに真なる魔王の末裔である魔族たちに対し、特効があるのだ。
たぶん俺はこの短刀で斬りつけられると、割とあっさり死ぬ。ホントにあっさり死ぬ。勘弁してほしい。
そんなこんなの間に陽が沈み、辺りはにわかに暗くなる。
今日は雲一つない好天。欠けの少ない月たちや星が出ているので、元々暗視がある俺たち二人の歩調は緩まない。とはいえ、夜の森をピクニックするのは楽しいものではない。昼と比べて暑さは多少和らいだが、湿度は相変わらずだ。
額に浮かんだじっとりとした汗を袖で拭い、たずねる。
「おい、アミティ。ひょっとして、このまま森林地帯を突っ切る気か?」
「もちろん」
「もちろんってお前な……」
背負い鞄からさっき買った地図を取り出し、歩きながら眺める。
この魔法王国は大陸南西に伸びる巨人半島の南端に位置する大国だ。西には果てのない“大西海”が広がっており、東は大陸の内海である三日月海に面している。そして南には大海峡を挟んで黒の国がある。国土はおおむね縦長の長方形である。
俺たちがいたのは国の北方の大都市アランダシル。目指している王都は国の南西の海沿いにある。アダンダシルと王都を結ぶのが“賢者の街道”であり、俺たちが歩いている森林地帯はその街道の西側に広がっている。
ここを徒歩で突っ切る場合、どれくらいの時間を要するか。考えたことはないし、考えたところで分からない。開拓村が点在するこの辺まではまだ道らしきものがあるが、この先はそれすらないだろう。
「腹減ったなぁ。すんげー走って疲れたし、眠いし」
「お昼に寝てたじゃありませんの」
「最悪な形で起こされたけどな」
歩きながら、さきほどの集落で手に入れた干し肉をかじる。硬いし、しょっぱい。美味しくない。
「それで思い出した。うちのドア、蹴破る必要あったか?」
「急いでましたので」
「呼び鈴って文明の利器があるんだが」
「気づきませんでしたわ」
「待てよ? そもそもあのとき、風通しよくするために少しドア開けてたぞ? お前、鍵もかかってないドアを無駄に蹴破ったことになるぞ?」
「細けえこたぁいいじゃないですの。どうせ、ラナの《火球》で粉々になってたでしょうし」
「そうだけどよぉ。なんだかなぁ」
釈然としないものを覚える。だが言い返したところで無駄だろう。さすがに学習した。
嘆息をして――ふと気配を感じて、空を見上げる。
先に気づいたのか、アミティはすでに空を見ていた。
樹々の枝葉の向こう、空の一番高いところで煌々と輝く大きな“進軍月”。その白い光の中を無数の黒い影が横切る。何かが空の高いところを飛んでいるのだ。それも縦横きっちり編隊を組んで。
「ラナが創り出した使い魔のカラスですわね。あの子の得意技ですわ」
「あんな無茶苦茶な量の使い魔、使役できるわけねーだろ」
「できますわよ。ラナは大賢者様の直弟子で、魔力制御のエキスパートですから」
「はぁ?」
文句が口から出かけた。が、時間がない。
空を埋め尽くすカラスの群れ。少なく見積もっても数百はいるそれらが、ふいに軌道を変え、雪崩のようにこちらへ向かってくる。
見つかった!
「走りますわよ!」
アミティが即座に駆けだす。
一瞬遅れて俺もそれに続く。
使い魔――小動物や昆虫、あるいは疑似生命体を魔力によって使役する術だ。基礎的な魔術ではあるが、制御そのものは難しい。使い魔と術者は五感を共有するからだ。普通の魔術師が使えるのは一体だけ、手練れでも数体操作するのが関の山のはず。
「大賢者の弟子だと!? 全然たいしたことないって話はどこいったんだよ!」
「本人曰く、『同門の中では落ちこぼれ』らしいので」
「十分すぎるほどヤバいわ、くそったれ!」
吐き捨てながら、懸命に駆ける。
しかしこれで俺のワンルームだけをキレイに爆破した手腕も納得がいった。魔力制御のエキスパート。確かに他のタイプの魔術師と比べれば戦闘面では劣るかもしれないが、追手としては最悪な部類だ。
アミティは俺と並走しながら、息も切らせずにほくそ笑む。
「これはチャンスですわ」
「どこが!?」
「いくらラナでも、この数の使い魔をアランダシルの街から飛ばすのは不可能ですわ。必ず近くに本人がいるはず。使い魔で足止めしてる間にメルヴィルを呼ぶつもりなのでしょう。ラナ一人だけの今なら叩けますわ」
「なるほどな!?」
理屈は通っている。早期解決を狙っている以上、相手は手分けをして俺たちを探していた可能性が高い。戦力で劣るこちらとしては、各個撃破できるこの機会を逃したくはない。
問題は、この見通しの効かない森の中でそのラナって女をどうやって見つけ出すかだが。
「空から探せりゃ良かったんだけどな」
走りながら、再び空を見上げる。
森の木々は密集しているわけではないし、樹高もそれほどはない。俺の身長の二、三倍程度だ。それより高い場所からなら見つけられる可能性はある。
「ロートくん、魔族なんですし魔術使えませんの? 《飛行》ですとか」
「わりーが、そっちはからっきしだ。習おうと思ったことはあるけど、私塾の教師に才能がないって断言されたから諦めた」
できないことについて考えても仕方がない。知恵を絞る。
「ラナって奴の背格好は?」
「こちらをご覧くださいまし」
アミティは胸の谷間から一枚の擬似投影紙を取りだし見せてくる。
どうやらプライベートな一枚らしい。大豪邸の庭らしきところで、私服姿のコイツが満面の笑みでピースサインを作っている。
そんなアミティに肩を組まれているのは、前髪で顔の半分が隠れた陰気な少女だった。ぎこちない笑顔を浮かべて、これまたぎこちないピースサインを作っている。
たぶん俺たちと同年代だろう。個性的なやつでよかった。こんな森の奥に他の人間がいるとは思えないが、たとえいたとしても、これなら見間違えはしまい。
「コイツは夜目効かねーよな?」
「ええ、人類原種ですから。……なにか名案がありそうな顔ですわね?」
アミティが嬉しそうにニヤリと笑う。
俺は笑えない。むしろ渋面を作らざるを得ない。
「一人胴上げ作戦だ」
「あら、面白そうですわね」
「これっぽっちも面白くはねえよ。少なくとも俺はな」
なんで俺がこんなに体を張らなきゃならんのか。正直分からん。
だが思いついてしまったからには、やらずにはいられない。俺はそういう性分なのだ。
我ながら難儀なものだと嘆息し、走りながらアミティに策を説明した。