君の願いは(後編)
「君たちも感じたと思うけど、フォルマール王子はなかなかの傑物でね。だからこそ炎帝くんも“陰謀”を使ってまで護ろうとしたわけだけど、やはり一番に優先すべきは本人の意思だからね。この国に残れとは言えないよねェ、やっぱり」
この国の人間だけが残った部屋の中で、大賢者は自分の焼いたカヌレを一つ、手に取った。
「こういうのも魔術で出せなくもないんだけど、昔っから食べ物だけはどうもうまく創造できなくてねェ。だから完全にワタシの手作りなんだけど……お味はどうかな」
大賢者に断りを入れて、俺も一つ手に取り、口に入れる。若干粉っぽい上に焼きムラがある。カヌレに重要な表面のカリカリ感も弱い。正直いまいちである。
だが、それを素直に伝えるほど子供ではない。作り笑顔を浮かべて、感想を言う。
「美味しいです」
「いまいちですわね」
「おいコラ! カヌレって難しいんだぞ!」
ストレートすぎる感想を漏らしたアミティに思わず声を荒げてしまう。
ハッとして大賢者を見るが、彼女は自身の作ったカヌレを頬張りながら、くすくすと笑っていた。
「いやぁ、いいんだよ、ロート少年。フォローありがとね。たしかにいまいちだなぁ。レシピ通り作ったんだけどなぁ」
「人間誰しも苦手なことはありますわ。大賢者さまが作ってくれたお菓子というだけで、わたくしは充分嬉しいですわよ」
海辺の洞窟を発つ前にけっこう食べたのに、アミティはパクパクとカヌレを口に運んでいた。一応俺も二つ食べたが、結局残りはすべてアミティが平らげた。
「じゃ、本題に入ろっか」
ふうふうと息で冷ましながら紅茶をちびちび啜っていた大賢者が切り出す。魔術で温度調節すればいいのではと思うが、そういうのはできないのだろうか。
「まずは、そうだね。さっきの石橋でのやりとりは聞いてたけど、念のため。ロート少年、ワタシに叶えて欲しい願いごとはあるかな?」
「アンリが執事たちにお仕置きするのをやめさせてください。金輪際」
「ふむふむ。リィちゃんも驚いてたけど、本当に他人のために請願権を使っちゃうんだねェ、君は」
大賢者は感心したようにニッコリ笑顔を作り、そのまま言葉を続ける。
「じゃあ却下です」
「はぁ!?」
めっちゃ失礼なリアクションをしてしまったが、大賢者は微塵も気にした様子を見せなかった。むしろ逆に俺に謝るように両手を合わせ、片目を閉じる。試してすまなかったとでも言うように。
「安心して。請願なしでもワタシが責任もってあの子に指導するってことだよ。あの子は政治的にもけっこうな役職に就いてるから、内政不干渉の誓約的に今まで口出ししづらかったんだけど、ワタシも考えを改めたよ。
……でもたぶんリィちゃんは、今回の件で執事たちをお仕置きはしないんじゃないかな」
そうだろうか。そんな気もする。憑き物が落ちたような最後のアンリの表情を思い出し、俺は頷いた。
「じゃあ、それ以外で叶えて欲しい願いは?」
「ありません」
「おや、そう? どんなことでも願うだけならばタダだよ。さっきみたいに却下されるだけで、請願権は消えないから。例えばそう、現在はイース辺境伯領の一部になっている旧フリートラント領を相続させてくれ、とかね」
試すようにウィンクをする大賢者。
なるほど。なんとなく、この人のことが理解できてきた気がする。
答えは決まっていた。
「フリートラント伯爵家の再興を“大賢者への請願”でするつもりはないです。領地も領民も家臣も全部自力でどうにかします。自力ってーのは……俺一人の力で、ってことじゃあねえけど」
話しながら隣に視線を送る。
アミティは嬉しそうに口元をほころばせ、肩が触れるくらいの距離までズイッと寄ってきた。
それを見て、大賢者が微笑ましそうに目を細める。
「分かった。ワタシも影ながら応援してるよ」
建国から二百五十年。この人は数えきれないほどの願いを叶え、そうでないときも請願者の背中を押してきたのだろう。俺は百人の味方を得たような気分だった。
大賢者はソファに背中を深く預け、視線を横に移動させる。
「それじゃあ真打ちへ行こっか。……ミィちゃん。いや、アーミティア王女。君の願いはなんですか?」
いよいよこの時だ。このやりとりをするために、俺たちは苦難に満ちた長い旅をしてきたのだ。
アミティはふんすと鼻息を荒くすると、俺の手を握った。お互いの指を絡める、いわゆる恋人つなぎで。
その手を持ち上げて大賢者に見せ、アミティが吠える。
「決まってますわ! わたくしと! このロートくんを! 今すぐ結婚させてくださいまし!」
「ふむふむ、婚姻かぁ」
言うまでもなく、大賢者はアミティの請願の内容を知ってたはずだ。にも拘わらず、わざとらしく確認してるのはたぶん楽しんでいるのだろう、このシチュエーションを。
大賢者は両目を閉じて得意げに人差し指を振る。
「二人ともまだ十五歳。この国の法では結婚できない歳だけど――でもそれくらいなら法を曲げて承認するのはやぶさかでも」
「さらに!」
「え、さらに?」
「わたくしたちがフリートラント家を再興させた暁には! 伯爵家から公爵家に格上げしてくださいまし! 公爵家にふさわしいところまで再興できるまでは、貴族として承認してくださらなくてけっこう!」
大賢者が目を丸くする。ついでに言えば俺も『えっ』って顔で隣の女を見てしまった。
「おいおいおいおい! ハードル上げんなよ!」
「ロートくん。七番目とはいえ、わたくし王女ですのよ? 王女の嫁ぎ先が伯爵家というのは前例がないわけではないですけど、だいぶレアですわ。お父様も公爵家なら渋々認めてくれるかもしれないですけど、伯爵家では絶対許してくれませんわ」
「そ、そうかもしれんけど! 公爵になれなきゃ伯爵にもならねえって条件はいらねえだろ!?」
「ロートくん、そんな保険を掛けるような考え方では、大願成就は不可能ですわよ。それにロートくんのご両親だって、ロートくんがご自身たちと同じ伯爵位で満足せず、それより先へ行ってくれたら、きっと喜ぶんじゃないですの?」
「それは……まぁ、そうだとは思うけどよ」
「ロートくんはなりたくありませんの? 公爵」
「なりたいけどよぉ! ……けどよぉ!」
やめさせるべきだ。やめさせるべきなんだが、反論の言葉が出てこない。意外にも俺の心は“公爵”というワードにぐらっと動かされてしまったらしい。
別に地位や名誉を求めてのことではない。目指しがいがある、より大きな目標という意味でだ。抗いがたい誘惑に、俺は気づけば口元を緩めていた。
見ると、さすがの大賢者も面食らった様子で、ソファからずり落ちかけていた。
「な、なるほど、そう来たか。……それは本当に読めなかったなぁ。いやはや、さすがリースちゃんの子孫というべきか」
震える手でティーカップを持ち上げる大賢者。たぶん、普段はこんな簡単に動揺する人ではないのだろう。今回は相手が悪い。悪すぎる。
「元々この請願制度はリースちゃんの発案なんだ。年がら年中殺しあってた人たちを強引にまとめて作った国だから当然不満は出るだろうし、そのガス抜きが必要だろうってことでね。
ワタシは彼女からその運営を一任されてる。国の内政に口を出さないっていう誓約も請願制度には不適応。だからワタシ一人の権限で公爵家への格上げを承認することは可能ではある。……けどねェ」
苦笑しながら大賢者が目を向けたのは部屋の壁。正確にはそこに飾ってある一枚の肖像画。
そこには玉座に座り、ぎこちない笑顔を浮かべている少女が描かれている。王冠を被った少女――戴冠直後の聖母リースだ。リースもまさか自分の子孫がこんな請願をするとは思ってもいなかったに違いない。
大賢者はようやくまともに飲める温度になったティーカップから紅茶をすすってから、俺たちの方に視線を戻す。
「たまに小さい子供が『自分を王様にしてくれ』って請願しにくることがあるんだ。そんなのまで全部叶えてたら国がめちゃくちゃになっちゃうから、もちろん却下してるけどね。
君たちの願いはそれに近いけど、それを言っているのが王女と伯爵家継承権持ちとなると、非現実的とまでは言えない。公爵に封ぜられるに値する実績が前提であるなら、なおさらね。
ここまで判断が難しい願いは久しぶりだよ。……さぁて、どうしたものかな」
大賢者はまた試すような眼差しを俺たちに向けた。
アミティも俺も口をつぐんだまま、ただじっと視線を返す。
しばしの沈黙。
ふっと息を吐いて先に根負けしたのは大賢者の方だった。
「うん、決意は固そうだね。ワタシが承認しなくても、自力で成し遂げるって顔してる。……そうだね。こういう時は承認するでも、却下するでもなく、第三の道を示すのがいい。
――こういうのはいかがだろう」
大賢者が指揮棒のように指を振るう。テーブルの上に羊皮紙が現れ、そこに黒いインクで長い文章が綴られていく。
それを読んで俺は顔をしかめ、アミティは瞳を輝かせた。




