君の願いは(前編)
大陸最高峰の魔術の学舎にして、この国の叡智の結晶――"梟の塔"。
その正門を最も頭の悪い方法で突破した俺たちを迎えてくれたのは、今日一日の業務を終えたはずの受付係の女性だった。奥の休憩室らしき部屋から出てきたその人はアミティがぶち壊した金属製の扉をしかめっ面で見ていたが、俺たちが大賢者との面会を希望すると拍子抜けするほど簡単に許可してくれた。
「きっと、わたくしたちが今日来ることくらいお見通しだったのでしょう。大賢者さまは」
塔の中心をぶち抜く魔導昇降機の中で、アミティが訳知り顔でそう言った。
「ってこたぁ、大賢者はまだ起きて待っててくれてるってわけかよ。もういい歳のはずだろ?」
「三百歳ちょっとですわね。でも、ここ三百年は一度も眠ったことがないそうですわよ。始祖勇者からもらった叡智の聖印の恩恵だとか」
「ほーん? そっか、お前は会ったことあんのか。そりゃそうだわな。王女と宮廷魔術師だし」
「大きな催し事には出席しなくてはならない立場でしたからね、お互いに。でもここ数年はお目にかかっていませんわ。お茶目な、いい方ですわよ」
アミティは軽く語るが、俺はだいぶ緊張してきた。
大賢者は始祖勇者と共に真なる魔王と戦った聖戦十六将の一人であり、数少ない存命の聖印保持者だ。勇者側勢力の最重鎮でもあり、大陸の住人でその名を知らぬ者はいない。しかし肖像画や擬似投影紙の類は出回っておらず、非常に謎の多い人物である。
塔の最上階に到着して魔導昇降機の扉が開く。円形の塔なので魔導昇降機の周囲にはドーナツ状に通路が伸びている。さらにそれを囲うようにして外周部にいくつかの部屋があるようだ。
塔の主人の住まいなだけあって、目当ての部屋は真正面だった。
「マインハルト現王が第七王女、アーミティア・マナオラスタ。入室いたしますわ」
アミティがそう宣言すると、扉は一人でに開かれた。
その先には応接室らしき部屋があり、二つのソファがローテーブルを挟んで向かい合っていた。その片方に俺たちと同じくらいの歳の美形の青年が一人、足組みをして新聞を読みながら座っていた。
大賢者ではない。大賢者は女性である。その弟子の誰かだろうかとも考えたが、そういう雰囲気でもない。
しかし、ただ者ではない。青年は俺でも分かるほどの圧倒的な存在感をまとっていた。それこそ、あのアンリに勝るとも劣らない存在感を。
「やぁ」
俺たちの入室に気づいた青年は新聞を置き、気さくに手を挙げながら立ち上がる。
アミティがピクリと眉を上げた。
「あら、こちらにいらしたのですね。この度はご迷惑をおかけしましたわ」
「そこはお互い様だ。そちらもだいたい事情は察しているようだが」
青年が白い歯を見せて笑う。アミティも苦笑のようなものを返した。
それで思い出す。というかすぐに分からなかったことの方がおかしい。擬似投影紙でこの青年の姿を見たのはついさっきだ。
燃えるような赤い髪の美形。海辺の洞窟でアミティが俺に見せた釣書の人物。
「あんた、火の国の――」
「フォルマールだ。長ったらしい名前はあるけど、忘れてくれていい」
フォルマールうんたら――実際、フルネームは覚えていなかったが――大陸東部の大国の第三王子は微笑むと、向かいのソファを手で薦めてくれた。
おそるおそる、そこへ腰かける。思わず『あんた』と言ってしまったが、失礼に思われなかっただろうか。
アミティは特に緊張した様子も見せず、俺より奥側に座った。
「フォルマール殿下はいつ王都にいらっしゃいましたの?」
「五日前だ。その前はアランダシルにいた。貴女が見合いから逃げたと王立ホテルで聞いて……ふふ。失礼ながら、大笑いさせてもらったよ」
そのときのことを思い出したのか、フォルマールは口元に手をあてて愉快そうに目を細めた。
今の話には何か引っかかるものがあった。が、それを考えるより先に、肝心なことを聞くべきだろう。
「あのぉ、王子殿。……大賢者さまはどちらに?」
「君たちの到着に合わせてカヌレを焼くとかおっしゃってたね」
俺の問いに、フォルマール王子は部屋の奥の扉を手で示して答えた。言われてみるとそちらから焼けた砂糖やバターの甘い香りがしている。
噂をすればなんとやらではなかろうが、タイミングよくその扉が開き、妙齢の女性が現れた。灰色がかった髪をウルフカットにしており、ややサイズの大きい白衣を纏っている。その下には首まで覆う黒いタートルネック。ファッションモデル並みにスタイルがよく、大きな平皿を右手の上に乗せた姿はレストランの女給を想起させた。
すぐさまアミティとフォルマールが立ち上がる。ということはこの人がそうなのかと思いながら俺も急いで腰を上げる。齢三百超えとは思えぬ容姿だが、別にまぁ老婆を想像していたわけでもない。強力な魔力行使者は加齢が止まるというのは有名な話だ。
そこで気づいた。平皿は女性の右手に乗っていなかった。上に向けた手のひらの上で、ほんの僅かに浮いている。
ソファのそばまで来た女性から、フォルマールが大皿を受け取り、ローテーブルの上に置く。皿には話のとおり、焼きたてのカヌレが八つほど乗せられていた。
「お久しぶりですわ、大賢者さま」
「うんうん、久しぶりだね、可愛いミィちゃん。よく来たねェ」
アミティが深々とお辞儀をすると、その女性――大賢者は遊びに来た孫でも迎えるかのように両手を広げた。アミティがその懐に飛び込み、二人はひしと抱擁を交わす。奥側に座ったのはこのためだったらしい。
「大きくなったねェ。アランダシルへ行く前はあんなに小さかったのに」
「大賢者さまはなんだか雰囲気が変わられました」
「そうかい? そうかもしれない。なにせ数年ぶりだからね」
悪戯っぽく笑って、大賢者はアミティを解放した。それから今度は俺の方に視線を向けてきた。
動揺する。心の準備は全然できてなかった。
「あー、俺……いや、私は」
「俺でいいよ、ロート・フリートラントくん。フリートラント伯爵家のただ一人の継承候補者。よく来てくれたねェ。……うんうん、クラウスとブリギッテの面影がある」
俺の両親の名前を出して、大賢者が手を伸ばしてくる。
意図が分からず、俺は硬直してしまった。頬に大賢者の指が優しく触れる。どうやらついてた砂を掃ってくれたらしい。
反射的に頭を下げて感謝を示す。大賢者はやはり孫でも見るような目を俺に向けていた。
考えてみれば当たり前か。アンリは継承した二百五十年の記憶で異常な母性と包容力を獲得していたが、この人はそもそも普通に三百年生きてるのだ。同じようにはなるだろう。それに俺のご先祖様であるレオナルト・フォルツのおしめも替えていたそうだし。
「そうそう、話をする前に」
大賢者は両手を合わせ、俺たちの頭の先から足元まで視線を往復させた。
「二人のその衣装、王都へ来る前はきっと綺麗だったよねェ?」
「え? はい、まぁ」
俺がとりあえず首肯すると、大賢者はパチンと指を鳴らした。
切り刻まれて無残な姿になっていたアミティの花嫁衣裳が、瞬きする間もなく新品同様に戻る。俺の着ている黒のタキシードも同じだ。投げ捨てた蝶ネクタイや上着まで戻ってきた。
満足そうに頷いて、大賢者がアミティの頭を撫でる。
「うんうん、素敵な花嫁衣裳だねェ、ミィちゃん。とってもきれいだよ」
大賢者は一頻りアミティを褒めた後、俺たちの向かい、フォルマールの隣に座った。ローテーブルの上にはいつの間にか、湯気が上り立つ紅茶入りのティーカップが四つ出現している。これも大賢者の仕業なんだろうが、そこを聞いてたら話が進まない。
この中で一番身分が低いのは俺だが、気になってしょうがないので無礼を承知で切り出す。
「あの、大賢者さまは俺たちが来るのをご存じだったみたいですが、いったいどこまで今回の件を?」
「だいたいは把握してるよ。君たちの旅路は《覗き見》の魔術でここから見てたからね。プライバシー的に問題があるとは思ったけど、緊急事態だったから、どうか許してほしいな」
「はぁ。それは別にいいですけど」
大賢者は両手を合わせて俺たちに頭を下げると、ティーカップに口をつけ、顔をしかめてすぐ離した。思いのほか熱かったらしい。猫舌なのだろうか。
「これはこの国を作ったときからなんだけどね。この“梟の塔”の自治権を認めてもらうのと引き換えに、ワタシも内政には口出ししない契約なんだ。宮廷魔術師だから、求められれば助言くらいはするけどね。
で、五日前。君たちがアランダシルを出た頃に、リィちゃん――アンリがここへ来て、ワタシに事情を説明して不干渉を求めてきたんだ。あの子がやったのは結局、見合いを一つセッティングして、そこから逃げる王女に追手を差し向けただけだから、論理的には筋が通っててワタシも動きづらくてねェ。それでずっとここで成り行きを見守ってたわけさ。《瞬間転移》でアランダシルから連れてきたフォルマール王子と一緒にね」
大賢者が横目を向けると、王子がそれを肯定するように頷く。
ああ、さっきの引っかかりの正体が分かった。五日前にアランダシルにいた王子がその日のうちに王都に来たというなら、そりゃ魔術か魔法を使ったに決まってる。王子はたぶん、そのときにこちらの国の事情を大賢者から説明されたのだろう。
「心情的には君たちの手助けをしてあげたかったんだけどねェ……。君たち二人はできる限りは自力で道を歩みたい子たちだろう? 勝手に手出しされるのも嫌がるかと思って」
アミティと視線を交差する。大賢者の配慮に納得している顔のように見える。たぶん、俺も同じだ。
フォルマールが先ほど読んでた新聞をこちらへ向ける。
「君たちは人里離れたところを旅してきたから初耳だと思うが、大賢者さまが私を迎えにきた理由はこれなんだ」
昨日の日付の夕刊である。その一面の大見出しを見て、俺とアミティは揃って驚愕の声を上げ、腰を浮かした。
フォルマールがその一面の要約を淡々と口に出す。
「我が国――火の国が黒の国から大侵攻を受けた。魔法王国が受けた第六次大侵攻をも上回る規模のものをだ」
「だっ……大事件じゃないですか!」
「ああ、我が国が受けた大侵攻の中でも過去一番の規模のものらしい。なにぶん遠いから、この新聞もけっこう古い情報でね。さっき届いた最新報によると、国の南部はだいぶ切り取られたそうだ。はっきり言って形勢はかなり悪い」
フォルマールが新聞を手の甲で軽く叩く。
「大賢者さまによると、どうも父上は近々そういう侵攻が起こると予見していたらしくてね。万が一の場合にも王家の血を繋ぐために、一番下の王子である私をこうして大陸の反対まで避難させたというわけだ。大国の王女との見合いという、私が絶対に断れない名目をつけてね。
『直接会った上で気に入らなければ断ってもよい。だが会わないのは許さん』。……父上の態度がおかしかった時点で勘づくべきだったと今では思うよ。
ま、ともかく。今回、私と君たちが巻き込まれたのは、こちらの国の執事長殿と我が父との間で利害が一致して企てられた陰謀だったというわけだ」
「……わたくしが見合いを断る前提でアンリが動いている以上、そちらの国も婚姻が成立しないでいいと考えているだろうとは思ってましたけど」
アミティが目を丸くしていた。ざっくりとした推理は当たっていたようだが、ここまでの大事件が裏に潜んでいようとは、さすがのコイツも思っていなかったようだ。
大賢者が話を引き継ぐ。
「そんなわけでこの王都もここ数日大騒ぎでねェ。王城に大同盟参加国の駐在大使を招集して、朝から晩まで対策協議だよ。ワタシとフォルマール王子も宮廷魔術師と当事者の国の代表として参加した。
結論を言うとね。各国は迅速に援軍を出すことで合意した。もちろん、この魔法王国からもね。リィちゃんはずっとその編成の仕事をしてたんだ。悪だくみばかりしてるってわけじゃないんだよ、あの子もね」
大賢者は窓の外、王都の東の港の方を指さす。そちらへ目をやると、とんでもない数の灯りが宵闇の中で輝いていた。尋常ではない数の船が集結しているのだ。火の国へ援軍を送り届けるための船団だろう。
「援軍の第一陣出立は今夜なんだ。フォルマール王子はそれに同行して国に帰るつもりなんだって」
「え!」
驚いてフォルマールを見る。戦場と化した母国へと、帰ろうと言うのか、この人は。
「父上の意思に反することにはなる。だが、故国が戦火に飲まれているときに一人だけ異国の地で安穏と過ごすなんて、私には耐えられない。父上も私がそういう人間だと知っているから、事情を隠して派遣したんだろう。
そういうわけで本当に時間的にギリギリだったんだ。帰る前にどうしても君たちに挨拶をしておきたくてね」
フォルマールはすっくと立ちあがり、ふいに俺に真剣な眼差しを向けた。それからローテーブル越しに手を差し出してくる。
「フリートラント殿。貴殿の事情は大賢者さまからうかがってる。家の再興を目指す君の姿勢には感銘を受けた」
俺は王子の手をまじまじと見てしまった。ややあってから意味を理解し、慌ててその手を握る。フォルマール王子は俺の目を見て、強く握り返してきた。
「火の国と魔法王国は大陸の端と端。とはいえ、黒の国を挟んだ国同士だ。貴殿が大願を果たすならば、いつか肩を並べて戦う日がくるかもしれない。貴殿の道の先が栄光あふれるものであることを祈っている」
フォルマールは次いでアミティと、最後に大賢者と握手をした。
「お世話になりました、大賢者さま。カヌレは一ついただいていきますね」
「うん。炎帝くんのこと、どうか頼むよ」
フォルマールは深々と頭を下げ、ソファを離れる。そのまま部屋を出て行くかと思いきや、扉の手前でふいに足を止め、俺の方を振り返った。
「『己の正義に背くべからず』。……いい言葉だ。私も胸に刻んだよ」
そして王子は帰っていった。その先に待ち受ける運命を知る者は、もちろんいない。
結果的にこの旅の発端となった青年。その未来が栄光にあふれるものであることを、俺は心の中で祈った。




