最後に立ちはだかる者は(6)
気づいたとき、俺はアンリと鼻先がぶつかるくらいの距離で顔を突き付けあっていた。
五感は回復している。全身の激痛と魂を切り裂かれるような感覚も戻っている。しかし、それらに構ってる余裕はなかった。今のイカれた体験で極度の混乱に陥っていたからだ。
空を見上げる。月たちの位置は動いていない。流入した記憶の量は膨大だったが、経過した実時間はほんの一瞬だったようだ。
しかしその間に、俺は滝のような汗を全身に掻いていた。アンリも額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
先ほどの俺の攻撃で切り裂かれたアンリのワンピースの胸元。そこから見える少女の右胸の上に、ドス黒い入れ墨のようなものがあった。聖母リースの右胸にもあった、あの割れたガラスのような形状の刻印が。
目と目があう。アンリの少女らしい無垢な碧の瞳が俺を射抜く。
先ほどの体験をこの少女も共有していたのだと直感する。
「ぐえっ」
苦悶の声を漏らしたのは、肩に刺さっていた湾刀の刃を引き抜かれ、ついでに突き飛ばされたからである。
もう何度目かなので転がるのも慣れた。ついでなので十分離れたところまで転がってから立ち上がり、肩からの出血で赤い直剣を作り直す。
アンリは恥辱にまみれた顔で、わなわなと体を震わせていた。まるで沐浴でも覗かれたかのように。
「し、ししし信じられません! このアンリと同じ精神干渉系の――それも魂にまで至る力! 先ほどのお姉さまの言葉が世迷言ではなかったなんて!」
「俺も驚きだぜ。まさか自分がこんなもん使えるなんてな」
さっきはできて当然と思いながら使用したが、今となってはどう使ったのかも分からない。同じことをもう一度やれと言われても絶対にできない。
ただ間違いなく、俺の中に眠っていた俺自身の力である。
「でも……そうか。腑に落ちたぜ」
空いてる方の手を開いたり閉じたりして体の調子を試しながら、独りごちる。
この旅の中でアミティと俺の夢が混線した、あの現象。あれは俺のこの能力が無意識に発動していたのだ。詳細な発動条件は分からないが、鍵の一つは肉体が至近距離にあることかもしれない。
ガキの頃に聞いたことはあった。最高位の吸血鬼のみが至るという一門の奥義を。
「【魂喰い】、だったかな。忘れてたわけじゃねーけどよ。まさか自分がそこに到達するなんてな。……ハハハ」
乾いた笑いが湧いてくる。
アミティが信じていた俺の潜在能力。この旅であいつがあれだけ自信満々だった最大の理由。俺自身は欠片も信じられなかった自分自身のこと。
すべてあいつが正しかった。
「わりーな、アンリ。どうやら俺、天才だったみてーだ」
別に特別強くなったわけではない。だが完全に風向きが変わった感覚がある。
アンリもそう感じているのだろう。追い詰められた顔をしている。目の前の化け物の力は何一つ変わっちゃいないのに、ごく平凡な十二歳の少女に戻ったかのようにさえ思える。
「ロートくん、素敵ですわぁ!」
「ふふふ、よせやい」
背後から届いた黄色い歓声に、振り向いて手を振って答える。
そしてアンリの方に向き直り、赤い剣を構える。
「さーて、そんじゃアミティの仇を――あん?」
もう一度後方を振り返る。
そこでは倒れて動かなくなったはずの少女が、普通に立ってこちらを見ていた。
「……アミティ?」
「なんですの?」
可愛らしい仕草で小首を傾げるアミティ。
思わず俺は目をこすり、花嫁衣裳の胸のあたりを見た。そこは血で赤く染まっているが、思ったほどの出血量ではない。
自力で再生したのだろうか。『もうダメだ』という弱音は何だったのだろうか。意味が分からない。
ついでに言えば、アミティが水をすくうような感じで両手を前に出し、その手のひらの上に何かを大事そうに乗せているのもよく分からない。何十もの細かく寸断された紙片、紙吹雪のようなものだ。
なんだ、あれ?
目を凝らす。ずいぶん上等な紙のようだ。印刷された線やら文字やらが見える。黒いインクで書かれた文字もいくらか。よーく見ると赤いインクらしきものも僅かに混じっている。
見覚えがある。この旅の最初――アランダシルの俺の家にコイツが突っ込んできたときの記憶がフラッシュバックする。
先ほどのアンリの言葉を思い出す。『それにそんなに思い入れがあるとは』。
「それって、婚姻届のことかよ!!!」
「そうでございますが……。何のことだとお思いになられていたのですか、ロートさま?」
アンリの困惑した声が背中の方からした。
先ほど頭に上った血が同じ勢いで引いていくのが分かる。
「い、いや、あれは【体内収納】の中にあったはずだろ!? アミティにしか触れないはずじゃなかったか!?」
「いいえ? そんなことは一言も言ってませんわよ?」
何をそんなに驚いているのだろうかという顔でアミティが答える。
「嘘つけ! 閃光鮫の肉を入れた時に確かに言ってた!」
「あの時わたくし、なんて説明したかしら。覚えてませんけど、嘘はついてませんわよ?」
俺は覚えてる。腐りかけの食いもんを出し入れすれば無菌化できるのかと聞いたときの話だ。確かあの時、アミティはこう説明した。『収納場所には【体内収納】の勇者特権を持たない生物は侵入不可能』と。
……あの説明、裏返せば『【体内収納】の勇者特権を持つ者ならば別の人間の【体内収納】に介入できる』とも解釈できるな。
「わ、分かった! そこは俺の勘違いだ! でもお前、確かに胸から血ぃ流してたろ!? 刺されたんだろ!?」
「いえ、ですから、それもアレですわよ。中に入れてた婚姻届が斬られたときに、中でアレが巻き添えになったので……。わたくし自身は一切傷つけられていませんわよ?」
考える。【体内収納】の中に複数のものを入れるとどうなるかはよく知らん。しかし巻き添えになったというなら、別の何かが婚姻届と一緒に斬られたということ。それもあれと同じくらい細切れにされたのだろう。俺が目を離したあの僅かな時間でよくまぁあれだけ斬れたものだと感心するが。
こいつが胸の谷間に出し入れした数々の物品を思い出す。”血”というワードに関連するのは、それこそ今、俺自身が話に出した物しかない。
不味くて売り物にならない、閃光鮫の肉だ。収納場所の中で鮮度が保たれているというのならば、細切れにすればそりゃいくらかの血液は出るだろう。……そういやあの時だけ、アンリが念入りに湾刀についた血をハンカチで拭いてた。生臭かったのだろう。
考えてみれば、アンリがアミティのことをそれだなんて言うはずがなかった。狂人ではあっても悪人ではないからだ。冷静に考えれば――いや、冷静じゃなかろうと分かりそうなものだ。
顔が真っ赤になるのを感じる。勘違いをしたこと自体も恥ずかしいが、アミティがやられたと思いこんだことで我を忘れるほどに激怒してしまった自分が恥ずかしい。
「感激しましたわぁ。まさかロートくんがわたくしのためにそこまで怒ってくださいますなんて」
「う、うるせぇ!」
「わたくしを助けるために、アンリを倒して“梟の塔”へ行こうとしたのでしょう? そんな、らしからぬ判断ミスをするくらい冷静さを欠いていたなんて、ああ、嬉しいですわ」
「判断ミスだと? じゃあ、どうすりゃよかったってんだよ!」
「わたくしとご自分に《帰還》を掛けて王城の中庭まで戻ればいいじゃないのですの。《治癒魔法》を使えるガスチーニがいるんですから」
「……あ」
そりゃそうだ。ぐうの音も出ないほどの正論である。羞恥心が限界にきて、もう何も言えなくなってしまった。
目を閉じ、深呼吸を繰り返して平常心を取り戻そうとする。
――と。
アミティが鼻をすする音が聞こえた。びっくりして目を開ける。
アミティは婚姻届の無残な残骸を大事そうに持ったまま、さめざめと涙を流していた。俺が激怒したことに対して喜んだのと同じくらい――いや、それでは相殺しきれないほどの悲しみがその表情から見て取れる。
そういやそうだ。体にはまるでダメージがないのに倒れこみ、ピクリともしないほどだったのだから。それくらい心にダメージを負ったということだ。
「いや、その、なんだ? そう落ち込むなよ。さすがにそこまで切り刻まれたら、もう使えねえとは思うけどよ。どっちゃしろ法的には無効な書類だろ。俺たちまだ婚姻可能な年齢じゃねーんだし」
「そうですけれど……」
アミティは赤く泣きはらした目で、両手の上の紙切れの山を名残惜しそうに見下ろす。
「わたくしに取っては宝物でしたの。本当に本当に大切な、かけがえのない……ああ……」
アミティはまたしくしくと涙をこぼし始めた。普段の姿とのギャップに混乱しそうになる。
かける言葉が見つからない。
ああ、そうか。アンリが信じていた明確な勝ち筋。俺たちが気づいていない勝利の場面。それがこれか。
この旅でアミティにできた最大の弱点。
アミティがどうしても失いたくなかった物。
ずっと信じられなかった。コイツを従順にする方法なんて、ホントに存在するのかと。
コイツの心を折ればあるいはとは言った。しかし、どんな手段を使ってもコイツの心が折れるとは正直思えなかった。
だが今、コイツの心は確かに折れかけている。あの紙切れ一枚で、二度と癒えないほどの傷をコイツは背負ってしまった。
考えてみれば当たり前だ。この世界に心の折れない人間なんているはずがない。つまるところ、俺はコイツを、アーミティア・マナオラスタという少女のことを理解などしていなかったのだ。どんなことにもくじけぬ無敵メンタルの持ち主だと、勝手にそう決めつけていた。
……なんだか無性にムカついてきた。
めそめそとしているアミティにではない。アミティをこんな目に合わせたアンリに対してでもない。
その気になればこの状況をどうとでもできるのに、この期に及んでなお、自身の気持ちを直視しない自分に対してである。
結局、俺はこの少女をどうしたいのか。
このムカつきこそが、その明白な答えではないか。
「あのなぁ!!」
苛立ちに身を任せて、アミティの右手を掴む。両手の上に乗せていた紙切れが風に吹かれて宵闇の向こうへと飛んでいく。アミティはショックを受けたような顔でそちらへ目を向けた。未練たらしく。
アミティが非難めいた目で見てくる。
その目に負けぬように睨み返し、腹から叫ぶ。これが俺の本心であると。
「あんなもん、俺がこの先何枚でも、何十枚でも、何百枚でも、何千枚でも書いてやるよ! だからもう泣くんじゃねえ!」
絶望に沈んでいたアミティの美しい顔が、花開くように輝き始める。
希望に満ちた大きな瞳。活力に溢れた柔らかそうな頬。波打つ白銀の長い髪。
今はそのどれもが愛おしい。
「はい!」
これまた愛おしい声で、元気に返事をしてくれたアミティ。
その目元に残った涙を指で優しくぬぐってやる。
サービスだ。ついでに耳元で囁いてやる。
「笑ってる方が可愛いぜ」
リクエストに応え、アミティがにっこり微笑む。
心臓が、ドクンと高鳴るのを感じる。
コイツの笑顔は山ほど見てきたが、そのどれよりも断然、魅力的に見えた。
アミティがそっと目を閉じた。ほんのわずかに唇を突き出している。
今、俺は再び【魂喰い】の力を使えていた。どうやったかは知らないが、俺とアミティの魂はつながっていた。だが、そんなもんなくてもアミティが今、何を期待しているかは手に取るように分かった。
アミティの綺麗なラインの顎を持ち上げ、角度を調整する。
ほんの少しの勇気を出して、顔を近づける。
瞼を閉じ、そっと口づけをする。アミティの唇のやわらかな感触は、どんな痛みも忘れさせてくれるくらい素敵なものだった。
向こうでアンリが短い悲鳴を上げるのが聞こえた。
うるせえなぁと瞼を開けて眼を向けると、アンリは両手で両目を覆っていた。しかし指の間を広げているし、目自体はガン開きなので、思いっきりこちらを凝視している。
十二歳の少女の反応としてはごく自然である。【回魂】の継承者たちから恋愛経験値は引き継いでないのだろうか。……教育に悪かったかもしれないなと少し反省する。
唇を離し、顔も離す。
案の定、アミティは顔を真っ赤にして俯いて黙り込んでしまった。
俺もたぶん負けず劣らず赤くなってることだろう。照れ隠しに後頭部を掻く。
「なんか……分かってきたな。他のやつのは知らねえが、少なくとも俺の【魂喰い】は洗脳に使えるような力じゃねえ。ただ魂と魂を直結させるだけだ。《心話》の上位互換みてえなもんだな」
アミティが頷く。
「そうですわ。ロートくんはその能力自体で人の心を動かしているわけではないですわ。能力で自身の心をさらけ出し、言葉に説得力を持たせることで人の心を動かしているのですわ。
つまり、ロートくんは誰よりも本気なのですわ。謀略と恐怖とで人を動かす貴女とは違う。誠意と本気で人を仲間につけるのですわ」
セリフの終盤はアンリに向けたものだった。
先ほど流入した膨大な記憶のすべてを消化できたわけではない。だが、一つだけ理解できたことがある。アンリに指を突き付け、指摘する。
「おう、アン公。お前最初に俺に『本心じゃ穏やかに生きたいんだろ?』とか言ってきたよな。ありゃお前のことじゃねーか。さっき、確かに視たぞ、”この国の守護者”とかいう重圧から逃れたいって気持ちが心の底にあるのをな。ま、それもイチかゼロじゃねーだろうし、今そうやって振舞ってる以上は”この国の守護者”として生きる気持ちの方が強いんだろうけどよ」
この少女のその欲求を指摘した者は今までいなかったようだ。アンリは明らかに動揺していた。
本当に可哀そうな少女だ。コイツの周りには信奉者か、アミティや執事たちのようにコイツを苦手とする者しかいない。たぶん大賢者くらいなものだろう。対等以上の立場から見てくれる人間は。
だったら、俺は――。
「同情してやる。たかだか十二のガキが国のすべてを背負おうとしてんじゃねえ。俺が少しだけ持ってやるよ。お前が果たそうとしてる役割をな」
「そんな――そんなことが」
できるのかと。
残りの言葉は紡げなかったが、アンリの表情は物語っていた。
「できるさ。ってか、もうできた。自分の魂を探ってみろ。お前も感じるはずだぜ、アン公。荷物がほんの少しだけ減ったって」
俺は自分の胸をトントンと叩いた。感じていた。アンリの魂に蔓のように巻き付いていた【回魂】の一端が、さっきの【魂喰い】で俺の魂に移動したことを。
アンリがハッと息を飲む。
アミティが俺の耳元で囁く。
「これはチャンスですわ」
「だな。今なら、決まる」
あとはどうやってもう一度俺の剣を当てるか、だが。
なんだか急に簡単な話に思えてきた。要はアンリの想像の上を行けばいいのだ。アンリのことを魂の底まで理解した今なら方法はいくらでも思いつく。
「アミティ、アレまだあるか?」
「一つだけ残ってますけど……アンリにはまず効きませんわよ?」
「いいんだ。『奥の手と策さえあれば格上にも勝てる』だ。アレをやるぞ、アレ」
「ふふ、はいな」
アミティは目を細めて、こっそりと俺の手にアレを握らせてくれる。
アンリに作戦がバレないように指示語ばかりだが、意図は伝わっている。
最後の作戦は単純だった。
アミティが俺を抱え上げ、お姫様抱っこの体勢を取る。一人胴上げ作戦である。
以心伝心で分かっているとは思うが、一応アミティに念押しする。
「いち、にの、さんで、頼むぞ? いち、にの、さん、だぞ?」
「大丈夫、大丈夫、お任せあれですわ。それじゃ行きますわよ。……そぉい!」
「は?」
最後の呆気に取られた声を出したのはアンリである。俺はもちろんこのエキセントリック王女が俺の指示を無視することなど読めていたので動揺はしてない。
ただ【誓約】によってアミティの身体能力が強化されている分は計算に入れてなかった。体にかかる凄まじい加速度。この星の重力を軽々と上回ったそれは、俺の体を遥か上空へと運んだ。
あ、思ったより飛んだな、これ。
「いったい何を……?」
アンリが怪訝そうに眉根を寄せ、俺の軌道を目だけで追いかける。地上のアミティへの警戒を怠らないのはさすがと言える。
軌道計算は簡単だっただろう。俺の着地――というか、着弾予想地点はアンリのずっと向こう側である。海へ落ちる心配はなさそうだ。力加減を除けば、アミティのコントロールは完璧だった。
アンリの頭の中では様々な読みが交錯しているだろう。俺だけ先に“梟の塔”に駆け込む気か、あるいはこの石橋の上で挟撃するのが狙いか。
ここまでが、一瞬の出来事。
俺の体が描く放物線はアンリの頭上辺りで頂点になる。その寸前、先ほどアミティから受け取ったアレを後方へ放り投げる。
すでにお馴染み、赤い宝石のはまった、あのブローチを。
体をひねり、ブローチに背を向ける。
かつてないほどの至近距離で、《火球》の爆発が巻き起こる。
爆音で両方の鼓膜が破ける。同時にすさまじい熱風と衝撃波が俺を襲う。
背中から強烈に押される形になった結果、俺の軌道が変わった。
アンリの元へ、一直線に降下する軌道へと。
「そん――」
そんなバカなと言いたかったのだと思う。鼓膜が破けて聞き取れないから想像だ。絶句したアンリは目を引んむいていた。
地上ではその隙を突いてアミティが動いていた。アンリとの距離を一気に詰め、聖銀の短刀で突きを放つ。
これまでの左右からの攻撃とは違い、今度は正面と頭上からだ。
ただしアミティの方が僅かに早い。タイミングがズレたのをこちらのミスと判断したのか、アンリは余裕を取り戻した顔でアミティの攻撃を湾刀ではじいた。
勝利を確信して口角を上げる――アミティと俺が。
花嫁衣裳の長いスカートで隠れたアミティの右足が、アンリの足の甲を踏みぬいた。骨が折れただろう。間違いなく。
初めてまともに攻撃を喰らったアンリが苦痛に顔を歪ませる。移動を封じたアミティは間髪入れずに湾刀を持つアンリの腕にしがみつき、次の攻撃を封じる。
遥か格上であるアンリから、たった一度の勝利をもぎ取るためにアミティが仕込んできたすべてが、奥の手となって結実した。長年かけて大振りな攻撃が好みだとアンリに思い込ませたのも、花嫁衣裳を着てくる理由を誤認させたのも、すべてはこの瞬間、この一回の小技のため。――いや、花嫁衣裳を選んだのは単純に着たかったのもあると思うが。
「最強無敵の勇者様には想像もできなかったでしょう? わたくしたちのような弱者の作戦はね」
戦いの最初に指導されたのをやり返すように、ご満悦な様子でアミティが煽る。鼓膜はもう再生していた。
「今度からは弱者の思考も計算に入れて、陰謀を練りなさいな」
歯ぎしりをしたアンリがアミティを振り払うために腕に力を入れ――すぐに観念したようにその力を抜いた。
アミティを振り払えたところで、もう間に合わない。
最後の瞬間、アンリはどこか満足げな様子で微笑んで、俺の方を見上げていた。
『ああ……。お姉さまがあなたを選んだ理由が分かった気がいたします』
耳にではなく魂に、そんな言葉が伝わってきた。
落下の勢いをすべて乗せ、アンリへと赤い剣を振り下ろす。
刃が皮膚に触れた瞬間、剣の効果が発動し、アンリの体がかき消える。
勝った。
が、落下が止まってくれるわけではない。
勝利の喜びを嚙みしめる間もなく、硬い石橋に肩から落下する。頭だけはどうにか庇えたが、他はまぁ散々だった。
激痛と全身で骨が折れる音。これももう何度目かだ。慣れたわけではないが、そもそもそれ以前から痛覚は最大値を叩き続けているので、全然耐えられた。
背中に至近距離から爆発を受けた分も含め、マジで瀕死に近い。今日一日でこれまでの人生全部より痛い目にあったなと振り返る。しかし、うん。死んでないから安いものだ。
「ロートくん!」
アミティが歓喜の声を上げ、倒れたままの俺に抱き着いてくる。
「やりましたわぁ! 信じてましたわぁ! ロートくん!」
「ああ、うん……とりあえず離れてくれねえか。全身でいくつ骨折してるかも分かんねえんだ。少なくとも力の限り抱きしめるのはやめろ」
ボキボキと自分の体から音がするのは折れた骨が鳴らしているのか、まだ折れてなかった骨が現在進行形で折れているのか。二度の【吸血】の効果で再生力はとんでもなく高まってはいるが、動けるようになるまではさすがに少し時間がかかりそうだった。
結局アミティは気が済むまで俺を力いっぱい抱きしめた後、上半身を起こし、ようやく解放してくれた。
それから目をじっと見つめてきて、はっきり言った。
「好きですわ」
不意打ちである。また心臓がドクンと跳ねる。
堂々と言った割に、やはりその後にアミティは照れた。視線を外して言い訳めいたものを始める。
「いえ、その、好きなことがバレた、とかそういう風には言ってましたけど、今思えばきちんとロートくんに言葉で伝えたことがなかった気がして。だから、その、今言ってみたわけですわ。……あああ、恥ずかしい!」
顔を両手で覆い、髪を振り乱すアミティ。
自分でも驚くくらい、小さな、小さな声が口から洩れた。
「俺も」
「……え? 『俺も』? ……なんですの?」
「あーもー! だからな! 一度しか言わねえからよく聞けよ!」
両手を顔から外し、まったく見当がつかない様子で目をぱちくりさせているアミティ。人のことをニブチンだがニブニブチンチンだとか言ってくれたが、ここまで言って分からないとは、それこそコイツの方がニブチンである。
「俺も……その……好きだってことだよ、お前のことが。好きになったってこと!」
固まったままのアミティ
その口が開いていく。
先ほどに勝るとも劣らない笑顔。やはりこいつの笑顔は、花が咲くような、という表現が似合う。
アミティがもう一度抱き着いてくる。すでに骨はおおむね治っていたが、やはり全力で抱きしめられるとすごく痛い。すごく痛いが、今はそれが心地いい。
アミティの頭を撫でながら、今の自分の言葉を振り返る。
「マジ恥ずかしいな、これ」
「わたくしの気持ち、分かりました?」
「分かった分かった。ほんとにハズい。もう二度と言わん」
「えー! また言ってほしいですわ! 月一! 週一! 毎日! 毎秒!」
「ぜっっっったいに言わん!」
立ち上がり、なおも腕に引っ付いたままのアミティを引きずりながら、石橋を進む。
“梟の塔”が想像以上にデカかったせいだろうが、石橋自体も想像よりも長かった。アミティというデカい荷物を引きずりながらなので、そこそこ時間をかけて、ようやく石橋の終端までたどり着く。
遠目では気づかなかったが、“梟の塔”の入り口である両開きの大扉は完全に閉まっていた。
嫌な予感を覚えながら、ノックをする。
しばし待つが、返事はない。
今度は大きな声で中に呼びかけながら、全力で扉を叩く。
しかし返事はない。
扉に大きな取っ手がついているので思い切り引いてみるがもちろん開かない。閂か何かが掛けられているのだろう。魔術で閉められているというわけではないと思う。たぶん。
「ああ、“梟の塔”の受付は日付が変わるまででしたわね。アンリと戦ってる間に日付が変わったみたいですわ。次に開くのは陽が昇ってからですわよ」
あっけらかんとアミティが言う。
振り返る。アンリを飛ばした先は王城の中。すぐそこだ。今すぐに戻ってきてもおかしくはない。
「ど、どうすんだよ!?」
「そんなのロートくんのお家へお伺いしたときと同じに決まっていますわ。――お邪魔しますわぁあ!!」
聞き覚えのあるセリフを叫びながら前蹴りを放つアミティ。
重厚な金属製の扉が『く』の字に軋んで、吹っ飛んでいく。安アパートである俺の家の薄っぺらいドアとはわけが違うのだが、これも【誓約】による強化の賜物だろうか。
幸い、扉の向こうに人はいなかった。いや、さすがにコイツも扉の向こうの気配くらい確認してからやったんだろうと信じたい。
「お前! また公共インフラぶっ壊しやがって!」
「こまけぇこたぁいいんですわ。正義に犠牲はつきものですわ」
一片たりとも後ろめたさを感じさせずに笑い、アミティは俺の手を引く。
こうして俺たちは“梟の塔”、この旅のゴール地点へと二人揃って入場し、勝利条件を満たした。




