最後に立ちはだかる者は(3)
“梟の塔”へと続くこの石橋は二人並んで戦える程度には幅が広い。しかし遥か格上の敵の横をすり抜けて進めるほど広くはない。
メルヴィルと戦った時と同じように、俺とアミティは左右からタイミングを合わせて斬りかかった。
その遥か格上の敵――魔法王国最強の一角とされている十二歳の少女――黒髪のアンリは湾刀を片手でぶらさげて棒立ちのままだった。かつてメルヴィルがしたような、こちらのタイミングをズラすための踏み込みさえしない。左右から同時に迫る俺たちの刃を防ぐすべはないかに思われた。
――しかし。
「お二人とも、アンリは小手調べから入っていいような相手ではございませんよ」
涼やかな敵の声。
アミティの聖銀の短刀は湾刀で軽々と受け止められ、俺の赤い長剣は空いている手の指二本で刃を挟んで止められていた。
剣の握りに力を込めて押し込もうとする。しかし刃は万力で挟まれたようでピクリとも動かない。先ほど丸太を手ではじいたのを見たときから覚悟はしてたが、この少女はアミティ以上の筋力を備えている。この華奢な体のいったいどこにそれだけの力があるのかと、文句も言いたくなるが。
「ロートさまはいささか鍛錬不足でございますね」
じゃれつく子供に母親がするようにアンリが笑いかけてくる。そんな少女の横顔にアミティの上段回し蹴りが迫る。
「お姉さまは昔から大振りな攻撃を好みすぎでございます」
指導をしながら僅かに屈み、蹴りをやすやすとかわしたアンリ。次の瞬間、その手に持つ湾刀が突然消失し、視界に白い光の筋が無数にきらめいた。
その正体は、目で追うことすら困難な高速の斬撃である。
僅かに遅れて俺の全身にいくつもの裂傷が開き、勢いよく血が噴き出す。刃物による鋭い痛みと、それを遥かに上回る“魂”が寸断されるような激痛が襲ってくる。アミティの短刀で指を切られたときの比ではない。本当に意識が飛びかけた。
悲鳴を上げる余裕すらない。石橋を転がってどうにかアンリから距離を取る。
アミティも俺の横まで一旦下がってきた。這いつくばったまま見上げると、アミティの花嫁衣裳も無残に切り裂かれており、手や肩や脚――あちこちに鮮血がにじんでいた。しかし俺ほどの怪我ではない。アミティはあんなイカれた攻撃にもいくらか対応できたらしい。
「コレで魔族の方を斬る機会はあまりないのですが……やはりロートさまには効果てきめんのようでございますね」
アンリが聖銀の湾刀を振るい、刃に付着した血液を払い落とす。
「“聖剣ヤスミネ”。この剣はどれだけ敵を傷つけようが、絶対に致命傷を与えることはない――そんな祝福を付与された“殺せない剣”なのです。建国王、聖母リースはこの剣を振るい、この地の諸勢力を平定していったそうです。誰一人、殺すことなく」
「知ってんよ。だからついたあだ名が”不殺の虐殺者”だろ? ふざけやがって、それも国宝じゃねえか。なんで歴史の授業で習った剣で斬られにゃならねえんだ?」
愚痴りながら息を整える。案の定、アンリはこちらを舐め切っているので追撃はしてこない。
圧倒的な基礎能力、【回魂】による膨大な戦闘経験値。なるほど、化け物だ。
こちらの傷が癒えるまで待ってくれるとは思うが、黙り込んだままなのも雰囲気が悪い。適当に向こう好みの話を考える。陰謀家が最も好むのは、すでに露呈した陰謀の解説だろう。
「なぁ、アン公。一個聞きてえんだが、アミティを手駒にしてどうすんだ?」
「その……先ほどのお姉さまの話もそうですが、その点は誤解でございます。アンリは誰のことも手駒にしようだなんて思ったことはございません。非常に心外でございます」
アンリが眉を八の字にして、口をとがらせる。
どうやらこれも本気で思っているらしい。たぶん執事たちや現王のことも、本人は手駒とは思っていないのだろう。その実態がどうであれ、だ。
「じゃあ質問を変えるけどよ。今回の件も含めた、お前がアミティにしてきた嫌がらせのアレコレ――いや、これもお前は嫌がらせのつもりはねえんだろうけど――その目的はなんなんだよ」
「それは簡単でございます。アンリはただ、お姉さまを“正しき道”へ導きたいだけでございます」
「……そりゃ『心を折って従順にする』の言い換えか? あ、待った。今のなし」
また不機嫌になられるんじゃないかと慌てたが、アンリは声も表情も穏やかなままだった。
「“正しき道”というのはお姉さまを更生させるとかそういう意味ではございません。お姉さまが本来歩むべき道――つまりは“覇道”のことを指しております。“覇道”へ導くためにアンリは身を粉にしてお姉さまに仕えてきたのです」
「あん?」
さっぱり意味が分からない。覇道というのはアミティも前に使ったワードだが、別のものを指していると思う。
アンリは照れ臭そうに微笑んで、両手の五本の指を合わせる。何かとても素敵な発表でもするかのように。
「お姉さまには、この国の王になっていただきます」
「……は?」
話の飛躍についていけず、一瞬、頭がフリーズした。
無意識に視線をアミティへ向ける。
予想通りアミティも唖然とした顔をしており、俺の視線に気づくと首を横にぶんぶんと振った。
「し、知りませんでしたわ」
「……だよな」
知ってりゃ俺に教えてくれていないはずがない。
話の飛躍は凄かったが、冷静に考えればそれほどおかしなことを言ってるわけではない。ついつい忘れかけるが、コイツはこの国の現王の娘。素行不良の第七王女とかいう不名誉なあだ名があるにせよ、王位継承権を保持しているのは間違いない。上の王女の中には他国に嫁いで継承権を喪失している者もいるし、コイツが次の王位に就くというのも、あながちなくはない話ではある。
とはいえ、だ。
「現王の次の傀儡にするつもりか? なんでよりにもよってコイツなんだ? 王女の中でも一番向いてねえだろ、コイツ」
「ロートさま、アンリはマインハルトおじさまを傀儡などとは」
「ああ、もう、じゃあ傀儡とかじゃないってことでいいからよ! なんでわざわざ第七王女のコイツを王にすんのか教えろよ!」
「ふふ、それはですね」
アンリは王城の方へを目を向けた。それほど距離があるわけでもないが、遠くを見るようなまなざしである。今の王城ではなく、何か別のものへと目を向けているように思える。
「幼き日にアンリは幻視したのです。遠き未来、この国の王として即位したお姉さまが、至上の幸福に包まれて微笑む姿を。そしてその出来事こそがこの国――魔法王国と国民たちの未来を守護することにつながるのだと。【天の瞳】はアンリにそう教えてくれたのです。
今回の件を起こしたのは、その未来へつなげるための必要場面を数ヵ月前にようやく幻視したからでございます」
「……マジかよ」
アミティは王位を望むような女だろうか? 否である。
アミティが王になることで、この国や国民の未来が護られるだろうか? それも否だろう。そんなもの、誰が王位に就いたところで大きく変わるものではない。
本当にそんなものが理想の未来なのだろうか。俺にはとてもそうは思えない。アミティにとっても、この国の民にとってもだ。で、あるならば、“この国の守護者”であるアンリにとっても理想の未来とは言えないだろう。
しかしこの少女はその幼き日の幻視が理想であると信じ切っている。
理由はなんだ? 俺に秘密の力があるとか言ってたさっきのアミティもそうだが、リースの一族は妄信癖でもあるのか?
だいぶ貧血気味ではあるが、体の負傷はだいたい癒えたので立ち上がる。
アミティの方も勇者の再生力でおおむね回復したようだ。鼻で笑いながら、アンリを睨みつける。
「バカバカしい。わたくしは王になんてなりません。特に貴女に用意してもらった玉座に座るなんてまっぴらごめんですわ」
「ええ、今のお姉さまならそうおっしゃるでしょう」
「今だけじゃなくて、未来のわたくしもそうですわ。貴女は【天の瞳】の指示に従ってさえいれば、そんな未来が訪れると信じているんでしょうけどね。そんな不確かな能力に頼っているところこそが、貴女の最大の隙ですわよ」
アミティは辟易としたように吐き捨てて舌を出し、アンリに向かって中指を立てた。たぶん俺のマネだろう。王女様がしていいジェスチャーではない。
「だいたい能力なんてなくたって、少し頭を働かせれば未来のことは予想できるでしょう。わたくしはこの石橋で貴女と戦うことになることくらい、アランダシルにいた頃から分かっていましたわよ。だから当然、ここで勝つための仕込みもしてきましたわ。……『奥の手と策さえあれば格上にも勝てる』ですわよ」
アミティは語りながら祈るように両手を組む。妙に既視感のある姿だった。
「貴女はわたくしの遥か格上ですけれど、上位互換ではない。……【誓約】。この勇者特権は貴女も所持していませんでしたわね?」
思い出す。そう、この旅に出た直後に目にしたのだ。アランダシルの街を出た直後。あの時やけに大仰な仕草で丁寧に言うものだから、印象に残っていたのだ。
あの時、このポーズでコイツが言ったのは確か――。
「『四日後の日付が変わる前までにわたくしたちは王都まで行きます』。ギリギリでしたけど無事に成就できましたわね。【誓約】は誓いを達成したときに、すべての能力を向上させてくれる強化系の勇者特権。当然、達成困難な誓いほど見返りは大きい。……今回のこれは、ああ、過去一かも」
恍惚とした声を出し、不敵に笑うアミティ。その全身から突如として、純白のオーラが蒸気のように上り立つ。勇者の力の源たる勇者特権。それが高密度となり、可視化されたのだ。
強烈なプレッシャーで肌がヒリつくのを感じる。コイツが味方でよかったと心底思う。
俺も最後の奥の手を解禁しよう。解禁というか、これまで使うタイミングがなかっただけだが。
俺とアミティは再びタイミングを合わせて、左右からアンリに襲い掛かった。
アンリは警戒を示すように、わずかに目を細めた。だが対応は先ほどと同じ。湾刀を構えもせずに棒立ちでいる。
アミティの右手の短刀が白い光の筋となり、アンリを襲う。遅れて俺も全力で斬りかかる。
表面上の結果は先ほどと同じ。アミティの聖銀の短刀は湾刀で受けられ、俺の長剣は指二本で刃を挟んで止められた。
しかし違いはある。
「これ……は……!」
アンリが目を見開く。その手で握る湾刀が震えている。筋力が拮抗しているのだ。
アミティは獣のように笑って、さらに短刀に力を込める。受けるアンリの体が沈み込み、足元に大きな亀裂が走る。二人の勇者の力比べに、この堅牢な石橋が悲鳴を上げているのだ。
俺は完全に蚊帳の外だった。しかし望むところだ。
アンリに摘ままれてピクリとも動かせない俺の長剣。その刃で自分の親指を切る。
視界が歪み、数秒前に自分がいた場所に転移する。つまりは数歩だけ後方に。もちろん、手にしていた長剣も一緒だ。
押さえていた物がなくなり、アンリが僅かに重心を崩す。そこを狙い、渾身の突きを放つ。
アンリが飛び退く。赤い剣の刃がその肩を掠める。《帰還》の効果は発動しなかったが、確かに皮膚は切り裂いた。
勇者二人が驚愕の眼差しを俺に向ける。
口元がニヤリと緩むのを自覚する。
「取るに足らないと思ってた相手に傷つけられた気分はどうだ?」
その挑発で腹を立てたわけでもなかろうが、アンリから先ほどと同じ高速の斬撃が飛んでくる。相変わらずほぼ見えない。しかし来るタイミングと射程はもう覚えた。喰らう寸前に親指を切り、再び後ろに転移する。
アンリの白刃が俺の前髪を何本か持っていった。だが、それだけだ。
自分に《帰還》を掛けて敵の間合いを出入りするこの戦術は、格上に勝つために俺が編み出した奥の手だ。これに初見で対応できたやつはいない。二百五十年に及ぶ戦闘経験値を持つこの少女も明らかに戸惑っていた。
その戸惑いに乗じて前に出て、アミティと連携して攻め立てる。単純戦闘力の増したアミティは力押しで、俺は固有能力を生かしたトリッキーな戦術で。
俺たちの攻撃を捌きながら、石橋の上をアンリが後退していく。明らかに押せている。二人掛かりとは言え、この国最強の一角を、だ。
だが、追い詰めているわけではない。こちらの攻撃に慣れはじめると、アンリはまた余裕の表情へと戻った。それどころか、俺たちを愛おしそうな目で見つめ、喜びで頬をほころばせすらした。
「あぁ……感嘆いたしました。これがお二人の全力なのですね。強き子に育ってくれて、アンリは嬉しゅうございます」
『お前の方が年下だろうが!』と、言葉が喉から出かける。が、鳥肌が立つほどの禍々しさがそれを押しとどめた。何が起こるかも分からぬまま、防御姿勢を取る。
少女が囁く。
「ではアンリも全力を。いえ、全開をお見せしますね」
瞬間、爆発的な突風が襲ってきた。俺とアミティは揃って吹っ飛ばされ、石橋の上を転がった。
また這いつくばったまま、顔を上げる。アンリの全身からアミティのそれを遥かに凌駕する量の純白のオーラが上り立っていた。
大気が震え、石橋が鳴動している。
……これがアミティが言ってた本物の勇者か。
今のは攻撃ですらなかったのだろう。力を解放した。ただそれだけ。
身震いしながらアミティと共に立ち上がる。アンリは自身のオーラが起こす風で黒髪をなびかせながら、やはり優しく微笑んで俺たちを見守っていた。
「お二人が先ほど披露してくださった推理はとてもいい線を行っていました。しかしアンリは正解だとは言っておりません。
『中庭でお二人が執事たちに捕縛される場面』が『お姉さまが即位する』未来への必要場面とおっしゃった点。それは違います。
……疑問に思いませんでしたか?」
アンリが悪戯っぽく片目を閉じて、唇に人差し指をつける。
「もしそうだとしたら、アランダシルからの道中であんな風に追手を差し向けるわけがないではありませんか。途中で捕まえてしまっては、『中庭で捕まえる』場面は再現できないのですから」
「それは……」
俺はアミティと視線を交差させた。アミティもまた困惑した顔をしていた。
「道中に試練を作り、それを乗り越えさせることでアミティの希望をより強固にするためとかじゃねえのか? ぶち壊す前に、まず強い希望を抱かせる必要があるから――」
「もちろんそういう効果は期待できるでしょう。しかし王城に来る前に捕まえてしまうリスクと見合っているでしょうか?」
「そりゃ……見合ってると思ったからそうしたんだろ? 途中で捕まえられるのなら、それはそれでいいと考えていたとか。……他に理由があるか?」
自分でも無理があると思いながら、論理をひねり出す。
アンリの今の表情はそういうことではないと雄弁に語っていた。
「そのリスクはないとアンリは知っていたのですよ。ええ、もう答え合わせをしてしまいましょう。
連鎖予知は二つあったのです。『お姉さまが即位する』未来の予知と、その必要場面を再現するための、また別の予知。
その予知も数ヵ月前に幻視しました。『中庭でお二人が執事たちに囲まれている場面』が理想の未来で、『お姉さまが見合いを厭い、馬車から逃げる姿』がその必要場面です。必要場面がすでに達成されているわけですから、道中で追手を差し向けても二人は必ず王都までたどり着くとアンリは確信していたわけです。
ロートさまが予想していた『中庭で捕縛される場面』は理想の未来でも、必要場面でもなかったわけですから、連鎖予知の破綻は起きていないのです」
語りながらアンリが初めて湾刀を構えた。
切っ先を前に突き出した、攻撃的な構えだ。
「途中経過はアンリの予想とはズレてしまいましたが、さしたる問題ではございません。こうしてこの石橋にお二人は来たのですから。『お姉さまが即位する』未来へ導くための必要場面はここからでも再現できます。
……ロート様の言う通り、荒療治になります。どうか、ことが終わってもアンリを嫌いにならないでくださいましね、お姉さま」
言い終わるや否や、アンリの足元で石橋が爆ぜた。駆け出す少女のつま先が石橋を砕いたのだ。
闇夜に降る流星のような恐ろしい速さで少女が迫る。
満足に武器を構える時間すらない――その刹那に俺は思考していた。
アンリには何か明確な勝ち筋がある。俺たちが予想できていない、勝利の場面を幻視している。
単純に俺たちをここで叩きのめす場面ではないだろう。アミティを従順にさせるような決定的な何かがあり、俺たちはそれを見落としている。
――俺か?
アンリが先に狙ってきたのは俺だった。一瞬で間合いを詰めてきて、湾刀を振るおうとしている。
俺を再起不能にして手元に置き、人質にする。それならば確かに、アミティを従順にすることも可能かもしれない。アランダシルから始まったこの旅のすべては、俺という明確な弱点をアミティに作るためのものだったのではないか。
ここまでの思考を俺は一瞬でした。死の寸前に見るという走馬灯の代わりだったのかもしれない。
アンリの攻撃はもう見えないどころではない。来るタイミングさえ分からない。勘だけで長剣を持ち上げ、盾にする。
アンリが放ったのは横薙ぎだった――というのは喰らってから理解した。片手での攻撃とは思えぬふざけた威力。再び吹き飛ばされた俺は石橋の欄干に強かに叩きつけられて頭を打った。
意識が遠のき、視界が暗くなる。首と心臓を腕でかばったのはほとんど反射的な行動だった。しかし追撃はこない。
ゆっくりと視界に光が戻る。
耳にアンリの声が届く。
「ごめんなさい、お姉さま」
謝罪は後方から聞こえた。
振り返る。
アンリの湾刀――聖剣ヤスミネ。その刃に胸の中心を刺し貫かれたアミティと、この旅でただの一度も見せなかった彼女の絶望の表情が、夜の闇の中に見えた。
湾刀の刃を伝った赤い血液が、石橋の上にポタリと落ちた。




