王都への道(4)
「そぉい!」
と、いつもの掛け声でアミティが雑に転がした洞窟奥の大岩は、軽く見積もっても大の男二十人分は重量があろうものだった。
露わになったのは奥へと続く小さな通路。この洞窟自体は波浪による侵食で形成されたものだが、こちらの通路は人の手で岩盤を掘って作られたもののようだ。
手持ちランタンの明かりを投げかけて、奥をのぞき込む。天井は頭をぶつけそうなほど低く、横幅も二人並んで歩くのは困難なほど狭い。
「どこに繋がってんだコレ」
「王城の中庭ですわ」
「はぁ? ……ひょっとして、王族しか知らない秘密の抜け道とかか?」
「いえ。わたくし、十歳の時に城を抜け出して西海岸都市群まで行ったと言ったでしょう? その時に王城側から掘ったものですわ」
「うっそだろ!? こっから王都までまだけっこう距離あるぞ!? ガキが一人で掘れるわけねえだろ!」
「そう言われましても、実際できましたもの。丸一年掛かりましたけどね。夜な夜な寝床を抜け出してツルハシで掘り進めたのですけど、正直掘ることよりも出てきた石を処分する方が面倒でしたわ」
アミティはくすくすと笑いながら、食事で出たゴミをハンバーガーチェーンの紙袋の中にひょいひょい放り込み始める。
俺はしばし開いた口がふさがらなかった。
船旅の果てにこの洞窟にたどり着いたのは偶然ではなかったわけだ。こいつは最初から十歳時の家出のコースを逆にたどるつもりだったのだろう。
しかし硬い岩盤を掘りぬいたものとはいえ、素人が何年も前に作った隧道を使えるものだろうか。不安を覚えた俺は、もう一度奥をのぞき込んだ。
「これ、空気大丈夫なのか? 変なガスとかたまってねえか?」
「ご安心くださいませ。これ、ご存じでしょう?」
アミティが胸元から取り出して見せたのは風車を模した金属製のペンダント。《空気循環》の魔術を発動させる魔力付与の品だ。洞窟系ダンジョンを探索するのに便利なものだが、一個で一軒家が建つくらい高価なものなので、所持しているのは手練れの冒険者に限られる。
「いいもん持ってんなぁ、おい」
「これもラナに作ってもらいましたの。わたくし、脱出するために王城のあちこちに隧道を掘ったので、とても重宝しましたわ」
「……王城の地下は抜け道だらけってことかよ。セキュリティ面、大丈夫か?」
と、口には出したが、今の俺が心配すべきは別の点だと気づく。
「ここ、執事連中には知られてないんだよな?」
「モチのロンですわ。他の隧道はほとんどが見つかって埋められてしまいましたけど、ここは出口が出口ですので絶対に大丈夫ですわ」
「なら王城まではたどり着けるかもしれんけどよ。そっから先の策は? どうやって執事連中の手をかいくぐって“梟の塔”に入るんだ?」
「ふふふ、それはこちらですわ」
アミティは冒険用の背負い鞄から大きな紙袋を取り出し、俺に渡してきた。
その中身を見て、俺は思わず顔をしかめた。想像もつかないものが入っていた。
「これも、そこの港街で買ってきたのか?」
「ええ。ロートくんにサイズが合うといいのですけれど」
「……閃光鮫のフカヒレ売って作った金で買ったのか。そこそこ値が張るもの。なるほどなぁ」
「さすがロートくん。以心伝心ですわね」
ご満悦な表情のアミティはもう一つの紙袋を抱えていた。あれの中身は俺が受け取ったものとは別だろう。たぶんあっちの方が値は張るはず。
まったく、とんでもないことを考える女である。こいつといるとつくづく退屈しない。
それから俺たちは少し離れて、この旅で最後となる着替えを行った。
☆
「あら! あらあらあら! 素敵ですわよ、ロートくん!」
と、アミティが喜色満面で褒めてくれたのは、結婚式で新郎が着る黒のタキシード。こいつが目算で買ってきたにしてはピッタリなサイズだったが、きちんと着れている自信はない。
一方、アミティは純白の花嫁衣裳を堂々と着こなしていた。いかにも王族らしく優雅に、それでいてお淑やかにたたずむその姿を一目見て、俺は雷にでも打たれたかのように固まってしまっていた。
全身に鳥肌が立っている。魂が震えた気さえしていた。
そんな俺の様子には気づかずに、アミティはニコニコしながら腰を折って下からのぞき込んでくる。
「ロートくん? なにか言ってくださいまし?」
「…………」
「ロートくん?」
「あ、ああ。……綺麗だな」
「ふふふ。もっと言ってくださいまし」
「本当に綺麗だ。見惚れるくらい。……俺、たぶん今日のこと一生忘れない気がする」
「ほ、褒めすぎですわよ、もう」
アミティは体をくねくねさせながら上気した頬に両手を当てる。好きだのなんだの言うの以外でも照れることがあるのだなと妙な感慨にふける。
洞窟の入り口から差し込む月明りが幻想的にアミティを照らしている。それを見て、確信する。
「お前が五日で王都へ行くのにこだわってた理由、ようやく分かったぜ。ようするに『竜の巣を通るなら竜の子になれ』だろ」
アミティは笑顔のまま俺の言葉の続きを待つ。
手早く考えをまとめて、解答する。
魔法王国の王城には広大な中庭があり、その大部分は国民に開放されている。そこに存在するのは万神殿と呼ばれる建築物群だ。国内有数の観光スポットなのだが、その目玉的な建物が女神ラデカの総本山――“祝福の教会”である。
ラデカは夜と恋人と呪いを司る女神。真夜中にその教会で祝福を受けた新婚夫婦は幸せに添い遂げられるという言い伝えがある。言わずもがな、総本山である“祝福の教会”はそれを受ける場所として最も人気が高く、結婚したばかりの男女が国内外から毎日大勢押し掛けるという。
そして今夜は満月。女神ラデカの力が最大となる時であり、祝福を受けるのに最も適したタイミングでもある。ゆえに今から向かうとちょうど、王城中庭が最もにぎわう時間帯となるわけだ。
「で、こういう新婚風な格好をしてりゃ、そこに紛れ込めるってわけだ。死ぬほど目立つお前の白銀の髪も、ベールのおかげで目立たねえしな」
アミティの表情は緩んだまま動かない。正解とも不正解ともつかない顔である。
解答に一抹の不安を覚える。
「まさかお前、花嫁衣裳を着てみたかっただけじゃねえだろうな?」
「はて、なんのことやら。ところでロートくん、王都についてずいぶんお詳しいですけど、ひょっとして行ったことありますの?」
「ガキの頃に一年くれー住んでたよ。第六次大侵攻が起こってフリートラント領から逃げてきた後、親戚のところに世話になってたんだ。……まさかこんな形で戻ってくることになるとはな」
あまりいい思い出のある街ではないが、懐かしい気持ちは沸いてくる。夢の中で追手たちが眺めていた立派な城壁。あれはもう、ここからそう遠いものではない。
それから俺たちは用済みとなった荷物をその場に放置して洞窟奥の通路へ入った。十歳の時のコイツが掘っただけあってめちゃくちゃ狭いが、歩けないこともない。
先を行くアミティが着ている花嫁衣裳は地面につきそうなほどに裾が長いが、まったく汚すことなく、すいすいと進んでいく。まるで手品のようだが、足がまるで見えないのでどんな歩法を用いているのかは分からない。
「王都といや、船では結局聞きそびれたけどよ」
ほとんど白一色のアミティの背中へ問いかける。
「アランダシルに島流しされたのは家出のせいじゃないってお前言ってただろ。じゃあなにが理由なんだよ」
素行不良の第七王女。コイツはアランダシルの住民からそう揶揄されているが、実際なぜコイツが王都から飛ばされてきたのかは、誰も知らないのだ。
アミティは前を向いたまま。返事まではやや間があった。答えるか悩んでいるというより、どう説明したらいいか悩んでいる風だった。
「数年前、お父様がわたくしの脱出や趣味のことで頭を悩ませてた頃の話ですけど」
「うん」
「ある日、呼び出されて王城の裏庭へ行ってみたら、お父様が木刀を二本持って待ってまして。稽古をつけてやるとかで、その片方をわたくしによこしてきまして。おおかた父の威厳を見せつけて、わたくしの性格を矯正しようとしたのでしょうけど」
「それで?」
「ちょっとこう、手加減を忘れてボッコボコにしてしまいまして」
一瞬こちらを振り返ったアミティはとぼけるようにペロリと舌を出した。
コイツの無茶苦茶ぶりには、とっくに慣れた。これくらいでは驚かないが、呆れはする。
「ティーンエイジャーになったかならないかの娘にボッコボコにされたら、そりゃショックも受けるわな。それで再教育のつもりで、変な連中を執事につけて国の端まで飛ばしたわけか」
アミティはまた前を向いて答えない。こいつもこんな形で王都へ帰ることになるとは思っていなかっただろう。
「マインハルト幸運王か」
この国の現国王にしてコイツの親父。四十年前に起きた黒の国の第五次大侵攻を唯一生き延びた、前王の子。
第六次大侵攻をどうにか退けた件もあり、国民からの支持は上々と言ったところだ。しかしあだ名の示すとおり、その功績のほとんどが“偶然”の産物とされているため、名君とは評価されていない。
「お前にボコボコにされるってこたぁ、あんま強くねえのか? 幸運王って」
「ぜんぜん大したことないですわ。そうですわね、ロートくんと大差ないくらいです」
「お前、いま間接的に俺のことも大したことないって言ったな?」
「ロートくんには強さ以外に素晴らしい長所がありますわよ。それはもうたくさん」
「ぜんぜん言い訳になってねえんだが?」
白いベールをなびかせて振り返るアミティ。その顔に悪びれた様子はまったくない。
「そもそも今の宗家には、戦闘面で秀でている人はいないんですの。お父様の血なんでしょうけど、便利系の勇者特権ばかり発現して、戦闘ではからっきし」
「いや、お前がいるだろ」
「国軍の要職を占めてるのも分家の方たちですしね。マギー姉さまに代わるような才能も分家の方で生まれましたし」
「いや、だから、お前がいるだろ」
「……わたくしなんてのはね、ロートくん。マギー姉さまのような本物の勇者と比べたら、赤子のようなものですのよ」
無視されるかと思ったが、珍しくアミティはきちんと会話のキャッチボールをしてくれた。
マルガレーテ黒王女。その二つ名のとおり、珍しい黒髪の勇者だったらしい。並外れた強さであると、ガキの俺でも噂には聞いてた。
アミティが天を仰ぐ。見えるのは数年前に自身で掘った岩だけだろうが。
「心優しく、気高く、美しく。まさにこの魔法王国の守護者のような方でしたわ。結果まさしくこの国を護って命を落としたのですが――大賢者さま曰く、適正さえ合っていればウィズランド島の円卓騎士団にも入れたレベルだそうですわよ」
アミティの声に含まれていたのは誇らしさと憧憬。囁くような口ぶりだったが、狭い通路の中でそれはよく届いた。
「本当に理想のような姉であり、娘であり、勇者であり、女性でした。お父様もマギー姉様を溺愛していましたわ。だから実のところを言えば、残ったわたくしたちに過保護になったお父様の気持ちも分からなくはないのですの」
「……大切なものを失った反動か」
「そう」
「別に嫌ってるわけじゃねえんだな、国王を」
「もちろん。お父様がしょっちゅう送ってくる手紙にも、気が向いたときには返事を書きますし、送るように言われているアランダシルでの生活の擬似投影紙もたまには撮って同封してますし」
「執事どもを写したあれって国王に送る用だったのかよ。妙なところで伏線が回収されたな、おい」
「正確には写りとかの問題でボツにしたやつですわね。ま、ともかく、あの人がわたくしを持て余しているだけで、仲が悪いわけではないのですわ。――ああ、先ほどの話で一つだけ誤解が」
アミティの声に緊張感が混じる。
「わたくしを国の端まで飛ばしたのはお父様のアイディアではありませんわ。わたくしにボコボコにされて気を落としたお父様に、アンリが申し出たのですわ。『わたしが執事になって、あの人を矯正してみせる。環境を変えればなんとでもなる』とね」
「……国王はそれに乗ったと?」
「お父様はアンリに心酔しているから、完全に言いなりですわ。そもそもアンリに逆らえる人間はこの国にいないのですけどね。大賢者さまやわたくしみたいな例外を除けばですけれど」
執事長のアンリ。この旅の最初から名前が出ている、今回の件の黒幕。
慎重派、リスクは避ける性格、手駒を使って状況を操るタイプ……色々情報は出てきているが、いまいちその姿は想像できない。
「あの執事連中がビビり倒すくらいだ。強いんだろ?」
「それは、ええ。この国で最強の一角なのは間違いないですわ。単純戦闘特化だったマギー姉さまと違って、アンリは絡め手に特化したタイプですけれどね。……そうですわね。そろそろ説明しておいた方がいいでしょう。これをご覧くださいまし」
アミティは花嫁衣裳の胸元から一枚の擬似投影紙を取り出し、最後の敵について話し始めた。
☆
しばし歩いた後――アミティがピタリと足を止めた。それから俺の方を振り返り、緊張した面持ちで目くばせをしてくる。
俺は何も感じていない。魔術的素養がないからだろう。だが執事長の領域に入ったのは理解できた。
アミティが俺に抱き着くような形で背中に手を回す。花嫁衣裳から露出した白い首と肩が俺の目の前に来る。抗いがたい魅力と破滅の予感を覚えながら、その柔肌に歯を立てる。
この旅、三回目の【吸血】。
消化器官のすべてが焼ける痛みが俺を襲う。それからすぐにそれらが再生し、全身に力が漲るのを感じる。
俺がこくんと頷くと、アミティは狭い通路を走り始めた。頭を天井にぶつけないよう気を付けながら、懸命にその背中を追う。
ここからは電撃戦だ。俺たちが地下を進んでいることはすでに執事長にバレている。ニルダがその指示を受けて土精霊を大量に放ち、俺たちの具体的な居場所を探り当てるのも時間の問題。
そうなる前に俺たちは王都の真下を一気に駆けた。道は徐々に登り坂になる。そしてついにこの通路の王城側の出口へとたどり着く。
そこは金属製の蓋のようなもので閉じられていた。アミティがそれに両手をつけ、全力で押し上げる。
「行きますわよ! ……そぉい!」
相当な重量物が倒れる轟音がして出口が開く。アミティが勢いよく外へ飛び出していく。
躊躇することなく俺もそれに続いた。目に飛び込んできたのは夜空とそこにきらめく無数の星々。それと等間隔に鎮座する満ち足りた月たち――。
いったい何をどけて出てきたのだろうかと振り返る。
倒れた銅像があった。若い男の像である。
その台座に刻まれた文字を読む。肺がキュッと委縮した気がした。
「国王の銅像じゃねーか!」
「盲点でしょう?」
「そうだけど! 不敬にもほどがあんだろ!」
「後で直せば大丈夫ですわよ。親子なんですから」
当たり前のようにアミティは言うと、俺の手を握って駆け出した。
引きずられないように俺も懸命に足を動かす。
脳裏をよぎったのはこの旅の冒頭、アランダシルの街をこの女と逃げた時のこと。
思えば、ここ五日間はこの女と走ってばかりだ。
――しかしそれも、もうすぐ終わる。どのような結末を迎えるにせよ。




