王都への道(3)
頬をくすぐられる感触で目が覚めた。
瞼を開ける。目の前には悪戯っぽく笑うアミティの顔。
同じ毛布の下で、俺の上にのしかかるようにしてこいつが寝てるのはもう慣れたので、まぁいい。だがこいつが自分の髪を筆のようにして俺の頬を撫でているのはどういう了見か。
非難の視線を向けてみたが、アミティはただ楽しそうに目を細めるばかりだった。
「おはようございますわ」
「……おはよう」
「ぐっすり眠ってるところ悪いとは思ったのですよ? けど、そろそろ出ないと間に合わなくなりますわ」
俺をくすぐって起こした理由はそれらしい。しかし俺がこうして目覚めた後もそれを続けているのは、ただ楽しいからだろう。
悪戯を続けるアミティの向こう――むき出しの岩肌の天井を見て、自分の置かれた状況を思い出す。
ここは海辺の洞窟。王都の手前の港街のそばだ。西海岸都市群から小さな手漕ぎ船で出航した俺たちは丸一日近く漕ぎ続けて“魔神の岩礁”を抜け、たどり着いたこの洞窟で倒れこむようにして眠りについたのだ。
あれが確か昼ごろ。見やると、入り口から差し込む月明りで洞窟の壁が照らされている。
「今、何時ごろだ?」
「日付が変わるまで、あと一刻くらいですわ。この旅始まって以来ですわね、こんなまともに眠ったの」
「俺は黒の隧道でもけっこう寝たけどな。お前は……そうか、初めてか」
アミティは誇らしそうに、こくんと頷く。
そのきれいな顔をまじまじと見る。
「今回は【疲労吸収】使ってねーよな?」
「もちろん。この後、最終決戦が控えているのですから、わたくしも体調を万全に整えましたわ」
アミティは俺の頬をくすぐるのをやめて、ぐっと親指を立ててみせる。この洞窟にたどり着いたとき、こいつは目の下にひどい隈を作っていたが、今は最初に俺の家に現れたときと同じ、元気はつらつとした顔をしている。
「俺はともかく、お前はここまでほとんど寝てねえし、寝てても俺の疲労を肩代わりしてたし……正直、船漕いでる間にぶっ倒れてもおかしくねえと思ってたんだが――っていうか、ぶっ倒れてなきゃ絶対におかしいんだが――よくこの睡眠時間で万全まで戻したな」
「わたくし、タフですので」
「前にも聞いたぞ、それ」
軽く力を入れて全身の調子を確かめる。疲労はもちろん眠気も残っていない。丸一日以上の強行軍の後の睡眠としては時間が充分とは言えなかったと思うが、俺の体もこの無茶苦茶な旅に順応してきたようだ。【同衾加護】の効果も出ているようで、体に普段以上の力が漲っているのを感じる。
「……ん?」
そこでようやく違和感に気づいた。俺にのしかかっているアミティの肢体。その感触が過去二回の同衾時と比べて妙に密着感がある。というか、やわらかい。こいつの体の熱や線がダイレクトに伝わってくる感じだ。
しばし考え、思い至る。
そういや西海岸都市群から出航したときの格好のままだ。
「若い男女が水着で同衾はまずいだろ!」
叫びながら毛布から飛び出し、洞窟の壁まで退避する。
毛布が剥がれて白のビキニ姿を晒したアミティは、呆れたように嘆息した。
「いいじゃないですの。どうせもうすぐ結婚するんですし」
「まだ婚姻に同意したつもりはねえ!」
「はぁ、相変わらず頑固ですわねぇ。まぁそのあたりの話は大賢者さまのところについてからしましょう。とりあえず腹ごしらえですわ」
話しながらアミティはちょこんと正座をして、見慣れた紙袋から食料を取り出す。包み紙に入ったハンバーガー、付け合わせのフライドポテト、紙コップに入ったドリンク……そういったものがざっと五人前。大陸中にある有名チェーン店のものである。
「待て、おい、その飯どこから調達してきた?」
「ロートくんがすやすや寝ている間に、そこの港街で買ってきましたわよ」
「その水着でか?」
「まさか。ニルダからパクった女中服に着替えて行きましたわよ」
「じゃあなんで水着に戻って同衾してたんだよ!」
「その方がロートくんが喜ぶと思いまして」
「喜んだよ! でも喜ぶより先にビビったわ! 勘弁してくれ!」
俺の苦情を華麗に聞き流したアミティは、朝飯なんだか昼飯なんだか夕飯なんだか分からない飯をさも美味そうに食べ始める。
腹はべらぼうに空いていた。苦情を言うのは諦め、俺もアミティのそばで胡坐をかき、適当に選んだハンバーガーを口に運ぶ。この旅の道中で食べてきた携帯食料とは違い、新鮮な野菜や肉がふんだんに使われているので、とても美味く感じた。
とはいえ、あくまで庶民向けのファストフードだ。王族のお口に合いそうなものではない。
「お姫様もハンバーガーなんて食べるんだな」
「幼い頃にラナが連れていってくれたのですわ。以来、ここのハンバーガーが大好物ですの。勝つにせよ負けるにせよ、この旅で最後のお食事ですから、ロートくんと一緒に美味しいものを食べたいと思いまして」
「ふーん。ま、庶民的なところがあんのは好感が持てるな。……そういや飯といえばだけどよ」
連想で思い出し、食事の手を止める。
「さっき、また【天啓夢】視たな。あいつら、のんきに昼飯食ってやがったけど、今頃は全員王都に到着して俺たちを待ち構えてるよな」
「でしょうね」
「はなから織り込み済みではあるけどよ。またあの化け物どもと対峙しなきゃならねえと考えると憂鬱だぜ。しかも今回は四対二、いや、執事長とかいうのを入れると五対二だからな」
これ見よがしにため息をついてから、冒険用の背負い鞄から広域地図を出して地面に広げる。
王都ウルトは魔法王国の西に広がる“大西海”を背にした半円形の大都市であり、海側はすべて切り立った崖になっている。王城はその都市の海側の中央――つまりは半円の“点ゼロ”の位置にある。そして大賢者のいる“梟の塔”はその西――海の上にそびえており、王城とは石橋で繋がれている。これは有名な話だが、“梟の塔”にはその石橋からしか入れない。海側には大賢者が張った結界があるためだ。
「あの四人は倒さなくていい。とにかく梟の塔に駆け込めば勝ち……で、いいんだよな?」
「ええ。あの塔は自治権が認められていますから、執事たちはもちろん、お父様でも手を出せませんわ」
「と、するとあいつらが捕まえに来るとすれば、石橋……いや、王城か? 俺たちが絶対に通る石橋で待ちたいだろうが、そこまで近づかれたら強引に突破される危険性もあるからな」
「同意見ですわ。アンリは無駄なリスクは極力避ける性格ですから、追手の四人はまず王城に配置するでしょう」
追手――今はもう追いかけてきているわけではないので、その呼び方は相応しくない気もするが、この際それはどうでもいいだろう。
「夢ん中で、あいつら色々気になること言ってたな。お前の見合いの相手が遠国の貴族だとかなんとか」
「らしいですわね」
「らしいって。そんなことも聞いてなかったのかよ」
当然だと言わんばかりにアミティは大きく頷く。
「あの日は夏休み初日でしたから、お昼前まで館で惰眠を貪っていましたの。そしたらメルヴィルにたたき起こされて、訳も分からずドレスに着替えさせられて、王立ホテルへ馬車で向かわされましたの。見合いだと聞かされたのはその車中でしたわ。直後にドアを蹴破って馬車から飛び降りましたので相手のことは聞いてませんわ」
「さらっと言うなよ、走行中の馬車から飛び降りたことを」
「あ、でもこれをメルヴィルから渡されてましたわね」
アミティは俺のツッコミを完全に無視すると、胸元からしっかり装丁された二つ折りの台紙を取り出した。見合い用の擬似投影紙だろう。
興味なさげな顔のアミティは片手で食事を続けながら、もう片方の手でその台紙を開いた。かと思うと、目をわずかに見開く。
「ははぁ、なるほど。そういうことだったのですね」
「なにが?」
「謎は解けた、ですわ。メルヴィルも言ってましたけどね」
「だから、なにが?」
「ロートくんも御覧になります?」
相変わらず会話のキャッチボールをする気のない女である。アミティがよこしてきた台紙を受け取って開く。中にはやはり擬似投影紙が二枚――正装した青年のバストアップと全身像が張り付けられていた。燃えるような赤い髪の美形である。夢の中でメルヴィルも言ってたが、確かにさわやかな好青年だ。
これはいわゆる釣書とか身上書とかいうやつも兼ねているらしく、擬似投影紙の下には簡単なプロフィールがつづられていた。
『フォルマール・ヴェリトラ・バルトルディ』。
いかにも貴族らしい大仰なその名の下に、生年、身長、体重、現住所、学歴、趣味、特技、信仰といったものが並んでおり、最後に肩書きらしきものが一段階大きなフォントで書かれていた。
平たく言うと、こうである。
火の国の現王――通称“炎帝”の第三王子。
食べかけのハンバーガーを口から吹き出し、思わず叫んだ。
「おい待て! ふざけんな! 火の国って大陸東の大国じゃねーか! そこの王族をすっぽかしたなんて、外交問題になりかねねーぞ!」
「大丈夫ですわよ、対黒の国大同盟の参加国同士ですもの。そんな大ごとにはなりませんわ。心配性ですわね、ロートくん」
アミティはあっけらかんと笑った後、ふいにゾっとするほと冷静な目になる。
「それにたぶん、この第三王子も今回の見合いには乗り気ではなかったはずですから」
「……なんでそう言い切れる?」
「やはり“陰謀”でしたもの。今回のコレは」
アミティは夢の中のメルヴィルと同じ言葉を口にしながら、俺から台紙を回収して胸の谷間にしまった。
よく分からん。よく分からんが、アミティの瞳には確信めいた自信の光が宿っていた。
いずれにしても、すでに俺は完璧な共犯者だ。もうその辺の話をしても遅い。
「ガスチーニのやつが必勝法がどうとか言ってたのについては? お前、想像つく?」
「ええ。わたくしたちに絶対に負けない方法がガスチーニたちにはありますわね」
「ずいぶん断言するじゃねーか」
「ガスチーニは執事たちの中では一番わたくしと思考法が近いですから、考えが読みやすいのですわ。逆にわたくしの考えも読まれやすいということでもありますけど」
アミティは自分のこめかみのあたりをトントンと指で叩く。
「でもガスチーニの“策”については、ロートくんは知らない方がいいと思いますわ」
「なんで?」
「なんでも、ですわ」
有無を言わせぬアミティの口調。会話のキャッチボールをやめる気なのはもう分かる。
こいつが説明を省くときには必ず理由がある。それはその時々によってさまざまだろうが、俺を試しているという点では恐らく共通している。つまりコイツは『自分の考えくらい、常にお見通しでいてくれ』と、俺に無茶ぶりしているのだ。
別にこいつの期待に応えなければと思ってはない。だが一種の挑発を受けて、すぐに降参するのも癪である。
この旅の最後の晩餐を黙々と口に運びながら、考え続ける。
どの謎もヒントはある。
答えが出そうでもある。
しかしもう少し時間が欲しい――。
と、考えこんでいるうちに、食事はおおむね終わった。
これはさすがに答えてくれるだろうと、地面に広げた地図を指さす。
「で、こっからどうやって王都に入るんだ?」
「あそこからですわ」
フライドポテトの最後の一本を咥えながら、アミティは洞窟の奥の大岩を指さした。




