クラスメイトと行く逃避行(後編)
「そこの御学友くんが婚姻に合意するかはさておき……。お嬢様のその作戦にはもう一つ大きな穴がありますね。大賢者がいる王都まで行かなければ実現不可能という点です」
呆れた様子で口を挟む狐目の執事、メルヴィル。その右手にはいつの間にか片手剣が握られていた。俺でも視認できるほど強力な魔力を帯びた剣だ。
それをだらりとぶら下げて、メルヴィルは素人丸出しの無警戒な足取りでこちらへ近づいてくる。
「甚だ不本意ですが、力づくでもお戻りいただきます」
「いや、なに穏便に済ます気でいたみたいな顔してやがる。もう俺の部屋に《火球》かましてるだろーが」
指摘を受けて、メルヴィルはぴくりと片眉を上げた。
が、歩みは止めない。
迫る敵。場所は袋小路。
追われているのは――少なくとも見かけは――可憐な、か弱き少女。
選択は案外簡単だった。
アミティを庇うように前に立ち、大きく息を吸って叫ぶ。
幼き頃、両親から耳にタコができるほど聞かされた言葉を。
「フリートラント家、家訓――『己の正義に背くべからず』! ……俺は弱いものいじめが嫌いなんでな。コイツに加勢させてもらうぜ!」
派手に啖呵を切って、右手を前に伸ばす。体内の血をそこへ集めるようなイメージをして、強く念じる。
先ほどアミティに切られた親指の腹。そこから血液が滲みだし、勢いよく噴出する。それは空中で凝固し、鍔のない長剣の形を取った。
その剣の柄を掴み、両手持ちで構える。
血を吸い、魂を喰らう魔族の一門――吸血鬼。その一部の者が持つ固有能力【血液操作】だ。
体外に流出させた自身の血液を形状変化させる能力なのだが、俺の場合、必ずこの剣の形を取る。その辺の理由は知らんが、カッコイイので気に入っている。
「こちとらバイト代わりに冒険者業やってんだ。そこらの執事ごとき、何人いようが敵じゃねー。苦学生を舐めんなよ!」
と、剣を構えたまま中指を立てて執事へ向ける。
どうやらアミティも俺のこの能力がお気に召したらしい。後ろから黄色い声が飛んでくる。
「ロートくん、素敵ですわぁ!」
「ふふ、よせよ」
前を向いたまま手を振って応える。褒められると照れてしまうタチである。
メルヴィルは俺の能力を見ても動じなかったが、代わりに別のところに反応した。
「フリートラント家? あのですか?」
「お、知ってんのか、執事さん。あの、だ」
ちょっと嬉しくなって、口元がほころぶ。
メルヴィルは目を僅かに見開いた。
「驚きました。あの家は断絶したものとばかり」
「まー、実質的には断絶してるようなもんだ。領地はねーし、家臣もいねー、完全な名ばかり貴族だからな。俺がぜってー再興すっけど」
「ほう、再興。それはいい。頑張ってください」
メルヴィルは細い目をさらに細めて頷くと、また散歩でもするかのように歩き出した。
近接戦闘の間合いまで、あと少し。
「しかし残念です、フリートラントくん。君とは仲良くなれそうな気がしたんですが」
「俺もそんな気はしたけどよ。こちとら《火球》で消し飛ばされた部屋の恨みもあるからよ」
「部屋のことなら、あとで国費で補填されると思いますよ。いくらか多めに申請しても通るかと」
「それはありがたいな、マジで!」
思わず喜色をあらわにしてしまったが、コホンと咳払いをして、すぐに真顔に戻る。
「……いや、でも立ち位置は変えねーぞ」
「では仕方ない。お嬢様ともども、少々痛い目にあっていただきましょう」
その言葉を宣戦布告と受け取った俺は、メルヴィルの虚を突くべく駆け出した。
先手必勝。一気に距離を詰めて赤い長剣を振り下ろす。
もらった!
――と、確かに思った俺の剣は、メルヴィルが片手で何気なく上げた小剣に防がれた。
運がいい。ならばと次は下から斬り上げる。
再び響く、金属と金属がぶつかる高音。
今度はメルヴィルが無造作に降ろした小剣で逸らされた。
「うん?」
激しい違和感を覚える。
メルヴィルは狐目のまま。半ば笑っているようでもある――。
「うおおお!!」
焦りを覚えた俺は咆哮と共に踏み込み、本気で剣を振り下ろした。
その気合を馬鹿にするようなカキンという軽い金属音。絶妙な角度をつけたメルヴィルの小剣に力を受け流されて、つんのめる。
致命的な隙を晒した。
しかし、反撃は来ない。
頭に血が上るのを自覚しつつ、体勢を立て直し、無我夢中で連撃を繰り出す。
メルヴィルは小剣を片手でひょいひょい動かすだけで、それらを簡単に捌いた。
メルヴィルの所作は決して早くはない。まるで先読みしてるかの如く剣を動かすから、俺の攻撃に間に合うのだ。
息が上がる。肩を大きく上下する。
そして気づいた。
メルヴィルは最初の位置から一歩も動いていない。
――ひょっとしてだが。
こいつ、俺より遥かに格上だったりする?
「メルヴィルは、うちの執事になる前はですわね」
後ろから若干呆れた感じのアミティの声がする。
「黒の国の第三師団で大隊長をやってた男ですわよ」
「先言え! 勝てるか、そんなん!」
八つ当たりのように叫びながら、後方に飛び退く。
メルヴィルはまただらりと小剣をぶら下げただけで、追ってはこなかった。
「ってか、なんでそんなヤベーやつ雇ってんだよ!」
「わたくしの教育のためですわ。多種多様な人材に触れるのが一番の帝王学だというのが、お父様の信条ですので」
「ああ、そうかい。ご立派なお父様だなぁ」
犯罪スレスレの軽口を叩いてから、考える。
黒の国の大隊長。つまりは千人規模の兵団の長だ。あそこは完全実力主義だから、千人の職業軍人の中でトップの実力だったことになる。
レベルはいくつだ? 百か? 二百か?
いずれにしても、普通にやったら万に一つも勝てはしまい。
「フリートラントくん、筋は悪くありませんが、間合いの管理がイマイチですねぇ」
偉そうにダメだししてツカツカと歩いてくるメルヴィル。
さっきは素人丸出しに見えたコイツの歩法だが、強さを知ってからだとまるで別物に見えてくる。ようするに、こいつからしたら俺たちは臨戦態勢に入るまでもない相手だったわけだ。
ここは袋小路。三方の壁は無駄に高く、道はメルヴィルの横をすりぬけられそうなほど広くはない。
逃げ場はない。猶予もない。
で、あるにも関わらず、隣のお嬢様は涼しい顔をしている。
「おい、アミティ。ひょっとして、お前もめちゃくちゃ強いのか?」
「勇者ですから、それなりに。でも、あなたとわたくしの二人がかりでも百に一つくらいしか勝てませんわよ。メルヴィルはわたくしの護身術の師ですから、実力はよく知ってますわ」
「じゃ、どうすんだよ!」
「逃げますわ」
「逃げ道ねーだろが!」
「道がなければ、作ればいいのですわ」
アミティは自身の豊満な胸の谷間に手を突っ込み、そこから手品のように何かを取り出した。
赤い宝石のついたブローチである。
それを見て、メルヴィルが初めて焦りの表情を浮かべた。
「お嬢様……!」
回れ右して、一目散に駆けだすメルヴィル。
その背中に向けて、アミティがブローチを投げつける。
瞬間、閃光が視界を埋めつくした。僅かに遅れて強烈な熱線が肌を刺し、爆発音が耳をつんざく。
俺にかろうじてできたのは顔の前で両腕を交差することだけ。
叩きつけるような爆風に全身を押され、尻餅をつく。
黒煙が辺りを覆いつくす。
あのブローチは《火球》の魔術を発動させるマジックアイテムだったのだ。
そう気づいた時には、俺は腕をアミティにがっしりと掴まれていた。
「行きますわよ」
「どこに!?」
「わたくしたちの栄光ある覇道に、ですわ。……そぉい!!!」
アミティはドレスの裾を片手で摘まんでたくし上げ、ぶっきらぼうに奥の壁を蹴りつけた。
辺りに響く、鈍くてデカい衝撃音。
嘘みたいに粉砕されて、ガラガラと崩れ落ちる大量の焼きレンガ。
その破壊を成したアミティの白い太ももは、たくましいと言えばたくましかった。
だが、あくまで普通の少女のそれだった。少なくとも、見かけ上は。
始祖勇者の血を継ぐ者たちが持つ、魔を討つための特別な力――勇者特権。その一種である【筋力強化】の恩恵で、筋繊維の質と密度が常軌を逸しているのだ。
先ほど俺を窓の外へ易々と蹴りだせた理由も、これだ。
黒煙の向こうから市民の悲鳴や衛兵を呼ぶ叫び声が聞こえる。
その中には『王女』がどうのとかいう声もある。
そりゃそうだ。さっき大通りで見た者も多いだろう。こいつと俺が、この袋小路に駆けこんでいくのを。
「おい、アミティ! お前、仮にもこの国の王女だろ! 公共インフラぶっ壊すなよ!」
「こまけぇこたぁいいんですわ。正義に犠牲はつきものですわ」
アミティの言葉には一片たりとも後ろめたさがない。
数年前にこいつが王都からこの街に移り住んできた時には、様々な噂が街中に飛び交った。
その中でもっともまことしやかに囁かれたのは、こいつが王都で何かをやらかして、懲罰として飛ばされてきたという噂。
素行不良の第七王女。
アミティは強引に作り出した逃走経路――崩壊した壁の瓦礫の向こうへ俺を引きずっていきながら、まだ黒煙の立ち込める後方を振り返り、勝ち誇った。
「おーほっほ! メルヴィル、ごめんあそばせ!」
こうして俺たちの旅は始まった。
覇道じゃなくて逃避行じゃないかとは思ったが。