王都への道(1)
鉱山都市ユングヴァルトの廃墟を後にした俺たちは、昇り始めた太陽を背にして、第一魚鱗街道をひたすら西へ進んだ。
この道が放棄されたのは十年も前。以来まったく整備されていないため、街道と呼ぶには荒れ果てすぎている。だが、これまで踏破してきた森林や荒地と比べれば遥かにマシであり、隣を歩くアミティの足取りも実に軽快であった。
そしてその日も予想通り、ほどんと休みを取らない強行軍だった。普通ならニ、三日はかかる距離を進み、ひとまずの目的地にたどり着いたのは陽が沈む直前。
最後に大きな丘を登った。その一番高いところに立つと、この国の西端――すなわち、大陸の西端が見えた。
「おー、あれがそうか」
手をかざし、眼前に現れた絶景を眺める。夕日に染まる大海原。その手前に、海辺に沿ってどこまでも続く港湾都市――西海岸都市群の街並みが見えた。
「すげえな! 思ってたより遥かにでけえや。魔法王国四大都市は伊達じゃねえな」
「ロートくん、ここは初めてですの?」
「まぁな。お前はちげえの?」
「アランダシルに移住する前に一度だけ来たことがありますわ。その頃はここまで大きな都市ではなかったですけど」
感慨深げに俺の隣に立つアミティ。
その顔をちらりと横目で見てから、もう一度街へと目を向ける。
ここは第六次大侵攻の際に、第六呪術師団の上陸地点になった街だ。強襲だった上に、常駐騎士団のほとんどが南部救援に出払っていたので、ほとんど抵抗もできずに占領されたという。本格的な戦闘が発生せず街の被害が軽微だった点は不幸中の幸いだったと言えるだろう。
だが結局この街はその後、大きな不幸を被ることになった。モリト会戦で敗北した第六呪術師団が撤退していく際、デカい置き土産を残していったからだ。鉱山都市ユングヴァルドに“穢れ”を残したのと同様である。
アミティが水平線の辺りをスッと指さす。
「アレ、ご覧になれます?」
「なれねえよ。お前とラナにメガネぶっ壊されて裸眼だからな。だがまぁ何があるかは分かる。中等学校の地理の授業で習うアレだろ?」
荷物から地図を取り出し、地面に広げる。俺たちが今いる西海岸都市群の沖合に、大小様々な岩に囲まれた、おどろおどろしい小島が描かれている。アミティが指さしているのはそこだろう。
“魔神の岩礁”。
これも第六師団の師団長である“暗き穢れのコーディリア”が大規模呪術で生成したものだ。西海岸都市群と王都の間には大型帆船の定期航路が昔からあり、この街の富の源泉でもあったのだが、この岩礁が出現してからは迂回の必要が生じて、一日半で済んでいた旅程が丸四日かかるようになった。おかげで西海岸都市群の経済はいまだに全盛期ほどには回復していない。
「で、お前が言ってた期日までに王都につく秘策ってのは? 明日の日付が変わるまでだろ? 通常航路じゃ当然間に合わないわけだが」
「とりあえず手漕ぎの小舟を買いますわ」
「……それで?」
「こんな感じで進みますわ」
アミティは得意げな顔で、地図をするりと指で撫でる。西海岸都市群と王都の間の沿岸を沿うように南下するコースだ。言うまでもなく王都までは最短距離である。
いや、しかし。
「ここ、“魔神の岩礁”の範囲内だぞ。小舟ならそりゃ岩礁自体は避けて通れるかもだけどよ。アレはただの岩の集まりじゃなくて、“黒の隧道”みてーに高レベルの危険種が湧くんだ。ダンジョンじゃねーから格付けされてねーけど、危険度はあそことどっこいどっこいらしいぞ」
「もちろん存じていますわ。でも“黒の隧道”も入口付近はたいした危険種は出なかったでしょう? “魔神の岩礁”も中心である魔神島の周囲を避ければ通行可能ですわ」
アミティが地図上の小島をトントンと叩く。
頭痛がしてきた。
「どう考えても無謀だろ。過去に通ったやついんのか、こんなコース」
「十歳の時にわたくしが通りましたわよ。一人でね」
地図から顔を上げる。
得意満面のアミティと視線が合う。
俺もそろそろコイツに慣れてきたかもしれない。これしきのことでは驚きもしなくなっていた。
「それじゃ、まずは買い物に行きますわよ。船の他にも買うものがありますから」
手を引かれて丘を降りる。
初めて来た街だというのに、どうやら観光している暇はなさそうだった。
☆
夜。陽が沈んでひと気がなくなった海岸で、俺は海パン一丁で一人、暗い海を眺めていた。
この西海岸都市群には貿易港や漁港としての側面の他に、リゾート地の顔もある。この浜辺も昼までは観光客で賑わっていたはずだが、今はビーチパラソルがいくつか残っているだけで、誰もいない。
「おまたせいたしましたわ」
やがて岩場の影から現れたアミティは、先に商店で調達した白いビキニを着用していた。特別きわどいものではないが、コイツが着るとだいぶ刺激的である。というか、あらためて思うが、胸だけでなく上から下まで十五歳のプロポーションじゃないな、コイツ。
「どうですの、ロートくん?」
自信ありげにくるりと回って見せるアミティ。
波打つ白銀の長い髪に色白な肌、白のビキニ。さながら、この夜の闇の中で輝く月のようである。
「可愛いよアミティ、可愛いよ」
「ふふふ、ありがとうございますわ」
満足したのかアミティは砂浜に置いてある小舟へと向かう。これも先ほど地元の漁師と交渉して購入したものだ。二人乗るのがやっとの木製の手漕ぎ船で、たぶん近海漁業用だろう。遠洋に出るタイプではない。
「……本当に大丈夫なのか、これ。危険種の攻撃どころか、悪天候でも沈みそうだぞ」
「ご安心あれですわ。わたくしが十歳の時に使った船はこれより貧相でしたもの。ああ、懐かしいですわ、わたくしが自作した聖マルガレーテ号」
話しながらアミティは持ち前の怪力で、小舟を一人で海へ押し出した。慌てて荷物を担ぎ、それを追いかけて、船に乗りこむ。
離岸流に乗ったのか、船はすぐに沖合へ進みだした。
「船を自作した? いったいなにがあったら、自作の船でこっから王都まで行くことになるんだ? たかだが十歳のガキがよ」
「語弊がありましたわね。前回は王都からこちらへ来たのですわ。逆のコースですけど、難易度は同じですわよね」
俺と向かいあうように座ったアミティは二つの櫂を握り、後ろを向いて漕ぎ始める。構図だけ見れば湖でデートしてるみたいだ。
しかし怪力のコイツが漕ぐと相当なスピードになる。順風を受けた帆船くらいの速度まではあっさりと達した。出発した西海岸都市群の海岸はすぐに夜の闇の向こうに消えて、見えなくなる。
それほど沖合に出ているわけではないので波は弱い。しかし一応、振り落とされないように船のヘリを両手で掴む。
大小様々な岩礁の間を縫うように、アミティは器用に船を進める。
なるほど、経験者の動きだ。
進行方向――背中の方に首をめぐらせたまま、アミティが口を開く。
「第六次大侵攻のモリト会戦で、マギー姉様が亡くなったのは御存じ?」
「あ? ……ああ、マルガレーテ黒王女のことか。もちろん知ってんよ。“暗き穢れのコーディリア”と刺し違えるような形だったんだろ? コーディリアは死んでねーけど」
「マギー姉様が亡くなってから、お父様は残ったわたくしたち姉妹に過保護になったのですの。あれはするな、これはするなって口酸っぱく言うようになりましてね」
向こうを向いているのでアミティの表情は窺いにくい。ただ少し、いつもより声のトーンが低いようにも思える。
「そういうお父様からの干渉が、こう、うざったくなりまして。それで十歳の時に限界が来て、わたくしは王城を抜け出し、逃避行に出たのですわ」
「何かと思ったら、さっきの質問の答えかよ。会話のキャッチボールの緩急がおかしいんだよ、お前」
呆れて指摘するが、それはやはりアミティの耳をすり抜けた。
「よーするに少し早い反抗期ってことな。家出して王都からこの辺まで逃げて来たってわけだ。どっちゃしろ十歳のやることじゃねーな」
「家出じゃなくて逃避行ですわ」
「どっちでもいいわ、そんなん。……で、執事連中は知ってるのか? お前がこの海岸沿いを一度踏破したってこと」
「古株連中はわたくしが西海岸都市群まで逃げたことがあるのは知ってますわ。あの時わたくしを連れ戻したのはメルヴィルとガスチーニですしね。ただあの二人も、わたくしがこのコースを使ったことまでは知らないはずですわよ」
「ふーん。なら、逆に盲点かもな」
空を見上げる。昼に続いて雲一つない空模様であり、いくつかの輝く月と星々が俺たちを照らしている。明日が満月なので、かなり明るい。魔法や魔術でラナやニルダが飛んでればすぐに分かるだろうが、そんな姿は見当たらない。
ふと思いつく。
「ひょっとして、お前がアランダシルに島流しされたのって、その家出のせいか?」
「あまり関係ないと思いますわよ。そもそもわたくしはそれ以前にも何十回も城から逃げてますもの。王都の外まで逃げたのは、その逃避行の時が初めてでしたけど」
「……多すぎだろ。そんなに反抗するほど嫌なもんか、過保護な親って」
「まー、過保護であること自体も嫌だったのですけれど」
アミティは俺の方をちらりと見て、言いよどむ。幼い頃に両親をなくした俺には言いづらい内容なのかと思ったが。
「実はわたくし、趣味がありまして」
「ほう」
「それをお父様が許してくれなくてですね。それでしばしば王城を勝手に出て、城下町で趣味に興じていたわけですわ」
「ふーん。なんだよ、趣味って」
「ギャンブルですわ」
「ダメに決まってるじゃねーか!」
アミティは斜め上に視線をやってとぼけて見せる。叱られるのは承知の上だとでもいうように。
魔法王国では賭博は合法だ。しかし十歳の子供にやらせる親はいない。
もちろん俺はやらない。フリートラント家再興に人生を捧げているからだ。バイト代わりの冒険者業で賭場に出入りすることはたまにあるが、絶対に賭けはしない。
「どんなギャンブルするんだ、お前」
「そうですわねぇ。バカラやポーカー、色々たしなんでいますけど、一番好きなのは競馬ですわね。大穴に一点掛けするのが好きで、好きで」
「……まさか、【天啓夢】使ってどの馬が勝つかカンニングしてねえだろうな? 違法だろ、勇者特権のそういう使い方」
「それこそまさかですわ。前も言いましたけど、わたくしのアレは寝ているその時の映像しか見れませんの。競馬に活用するにしたって参考になる程度ですわね。……もっと強力な勇者であれば未来を見たり、どういう行動をすれば未来が変わるかまで分かるそうですけど、それで馬券を的中させても面白くないですしね。ギャンブルは外れることもあってこそ、ですわよ」
熱のこもった語りでどうでもいい持論を展開するアミティ。
それで気づく。気づきたくもなかったが。
「さてはお前、俺のことを好きだのなんだの言ってるのって、その辺が理由か? 完全没落状態の伯爵家の嫡男なんて大穴以外の何物でもないもんな」
「あ、ロートくん、お魚さんが跳ねましたわよ。月明りが反射してきれいですわねぇ」
「……話のそらし方下手すぎんだろ、お前」
呆れながらも、一応アミティが顔を向けてる方を見る。
驚いたことに本当に遠くの水面で魚らしきものが跳ねていた。らしきものというか、魚なのは間違いない。しかしこの小舟より大きなそのサイズと独特なフォルムは一般的にイメージする魚ではない。
鮫である。しかもただの鮫ではない。
閃光鮫――口から収束熱光線を放つことで有名な回遊性水棲危険種だ。
「やっぱ危険種に出くわすじゃねーか、ここも!」
背びれだけを水面から覗かせて、閃光鮫はぐんぐん近づいてくる。明らかに狙われている。この手の危険種が山ほどいるから、この“魔神の岩礁”は通行不能の難所と呼ばれているのだ。
「これはチャンスですわ。ロートくん」
「はぁ?」
「ちょっと船をお願いしますわよ」
嬉しそうに目をキラキラさせたアミティは俺に櫂を押し付けると、返事も待たずに海へと飛び込んだ。ぞしてそのままきれいなフォームで閃光鮫の方へ爆速で泳いでいく。
潜ったのか閃光鮫の背びれが水面から見えなくなる。アミティも潜ったらしく、水上から姿を消した。
水面下は暗く、何が起きているかは分からない。
それからしばらく。突然、海の中から半分にちぎれた閃光鮫の胴体が俺の目の前に投げ込まれた。衝撃で小船が揺れる。危うく転覆するところだった。
「うおぉい!!」
「ただいまですわ、ロートくん」
遅れてずぶ濡れのアミティが船に上がってきて、聖銀の短刀を使い、慣れた手つきで閃光鮫の解体を始めた。
「これ、肉は臭いがきつくて美味しくないのですけど、こちらは美味ですの」
「ああ、フカヒレか……」
アミティは肯定するようにニッコリ笑うと、けっこうなデカさのある尾びれと背びれを胸の谷間にしまった。ついでに美味くはないというヒレ以外の部分も適度なサイズまでカットして収納していく。生臭そうだがあの胸の収容スペースだと腐ったりしないのだろうか。
俺の心配を察したのか、アミティは手についたサメの赤い血を海水で落としてから、自分の胸の谷間を指さす。
「大丈夫ですわよ。この中は亜空間化されているので、【体内収納】の勇者特権を持たない生物は侵入不可能なんですの。もちろん細菌もですから、絶対に腐ったりしませんわ」
「え、じゃあ、腐りかけの食いもん出し入れして無菌化するって使い方もできるのか?」
「やったことないですけど、たぶんできますわね」
「便利すぎんだろ」
勇者特権の話を聞いてここまで羨ましいと思ったのは初めてだ。冒険者のバイトで長期間出かけるときとかに、ぜひ使いたい能力である。
「前にここを通った時もこのフカヒレで金策したんですのよ。次の街でも値が張るものを買う予定なのですけど、手持ちが心許なくなってきてたので本当にラッキーでしたわ」
「ああ、そうかい。できたら何やるか事前に教えてくれねえかな、死ぬほどビビるから」
櫂をにぎったついでに漕ぐのを変わる。ここにいると血の匂いに惹かれて、別の鮫が来かねない。
「お、思ったよりしんどいな、これ!」
「ファイトですわよー、ロートくん」
アミティは漕ぐ俺を見ながらニコニコしている。何がそんなに面白いのか。
「こうしてるとなんだか、デートしてるみたいですわね」
「こんな魔境で! 命がけのデートは! したくねえよ!」
叫びながらも、必死に櫂を漕ぐ。しかしやはり、アミティが漕いでた時の半分も速度は出なかった。
それからアミティと俺は交代で櫂を漕ぎ続け、実に十二度に渡る水棲危険種との敵性遭遇を経て、丸一日近く後――翌日の昼ごろに、王都の手前の港街が見えるところまでたどり着いた。
そして近くの岩場にあった洞窟へ入り、その奥で二人揃って倒れ、泥のように眠った。