昏き穢れの廃墟にて(前編)
純白の雪を戴く、雄大なるユングヴァルト山脈。その裾野に広がる緩やかな傾斜地を登っていくと、突如として俺たちの前に石畳で舗装された街道が現れた。
大型馬車が楽々すれ違えるくらい幅の広い道だ。それが俺たちの進路と直交するように、東と西へ一直線に伸びている。
「“第二魚鱗街道”ですわね。何度か通ったことがありますわ」
前を歩くアミティはそれだけ言うと、振り返りもせずに街道を横切っていく。
俺もそれに倣う。
“第二魚鱗街道”。西海岸都市群と国の中央平原を結ぶこの街道は、俺も何度か利用したことがある。“賢者の街道”と並ぶ、国の大動脈だ。
追手の連中は当然ここもマークしているだろう。だから、この街道を使わないのはいいのだが。
「おい、アミティ。この後、どうすんだ?」
「というと?」
「王都までどのルートで行くかだよ。いくつかあんだろ、選択肢が」
背負い鞄から地図を出して広げながら、問いかける。
大雑把に分けると、ここから取れるルートは二つ。
一つは東にある“賢者の街道”付近まで出て、そこを南下するルート。
もう一つは西にある西海岸都市群に出て、船で海を進むルート。
前者は追手に見つかる危険が高い。後者は国内随一の難所である“魔神の岩礁”を迂回する必要があるので、タイム的にロスになる。
一長一短。正直悩みどころだ。
一応、このまま直進して山脈を越えるルートや、山中にある“黒の隧道”を通過するルートもあるにはある。だが、どちらも踏破難度が高すぎる。百パーセント不可能と断言できるほどだ。さすがにアミティも選ばないだろう。
タイムリミットはあと二日半。すでに半分消費したことになるが、馬鹿げた強行軍で来たおかげで、距離的にも全行程の半分近くは消化している。当初は無謀と思えた五日という時間制限だが、大きなアクシデントがなければ、あるいは達成可能かもしれないと俺は考え始めていた。
……そもそもアミティが勝手に言い出しただけの目標だし、達成する必要は特にないという点は考えないようにしている。
「とりあえず、もっと先まで行きますわ」
アミティは前を見据えたまま告げた。
ルートはすでに決めている。そんな感じの顔である。ついでに言えば、まだしばらく大休止をするつもりのない顔でもあった。
それからまた俺たちはろくに言葉も交わさず、徐々に傾斜がきつくなる斜面を歩いた。
そのうち陽が傾いて、日差しが弱まった。標高が高くなったのも相まって気温が下がり、歩きやすくなってくる。
そして西の空が真っ赤に染まり始めた頃、視界の奥に異様な物が見えてきた。
山の傾斜にへばりつくように造られた大都市。正確にはその残骸。あるいは成れの果て。実のところ、それほど古いものではないのだが。
「鉱山都市ユングヴァルト……だよな」
「ですわね」
「歴史の教科書で見たな、あれ」
山脈と同じ名を持つ大都市。その廃墟の姿に圧倒されて、俺は自然と足を止めていた。
一方、アミティは歩いたままだった。しかし僅かに進路を変えている。理由は知らんが、あの廃墟へ向かっている。
俺にも好奇心というものはある。黙ってそれについていく。
「ああ、そうそう。この辺りはもう“穢れ”の範囲内ですわね。お気をつけて」
アミティはふと思い出したように首をこちらへ巡らせて、警告を発した。
ハッとして周囲を見渡す。これまで歩いてきた景色と何か違いがあるわけではない。少なくとも、魔力を感じ取れない俺には何の違いも見つけられない。だが、ここはもう第二種立ち入り禁止区域の中のはずだ。
この先でどんな目に遭おうと、すべては自己責任。国は助けてくれないし、補償もしてくれない。
「“昏き穢れのコーディリア”……か」
夕日に染められた遠き廃墟に目を向け、独り言ちる。
かつてこの地で起きた惨劇。それに思いを馳せながら。
☆
黒の国の第六次大侵攻。十年前に起きたそれは、過去五度と同様に魔法王国南端から始まった。
大海峡を海賊艦隊と飛竜群で越えてきたのは黒の国の第三師団と第七師団。総勢二十万の両師団は魔法王国の南部五領を強襲した。
五領は大いに健闘した。そもそも地理的、歴史的に五領には黒の国の侵略に対する防波堤の役割がある。ゆえに充分な備えと充分な戦力と充分な覚悟がそこにはあった。
両師団の猛攻は過去五度の大侵攻に勝るとも劣らなかったが、五領は魔法王国の他地域が援軍を編成し終えるまで、敵を南に押し留めた。
今回もなんとか凌げるだろう。
五領が、王が、国民がそう安堵しかけた。
誤算は二つ。
相手の戦力は今見えているものですべてと思い込んだこと。
それと南以外から攻めてくるなど考えもしなかったこと。
黒の国は地上世界における最大勢力だ。だが、その内部では十の師団が独立国家のように振る舞い、牽制しあっており、そうそう協力体制は取らない。二つの師団が連携して攻めてくること自体が稀なのだ。
だから第三、第七師団の南部攻撃と平行して、もう一つの師団――第六師団が動いていることに、誰も気づかなかった。
魔法王国の西に広がる大西海。第六師団はそこを海魔に曳航させた船団で密かに北上していた。
上陸地点となったのは西海岸都市群。常駐戦力のほとんどを南部救援に出していた都市群は完全に不意を突かれ、その日の内に陥落した。
橋頭保を得た第六師団は電光石火の勢いで東進。次に狙われたのは、俺たちがいま目指している廃墟――その元の姿である鉱山都市ユングヴァルト。
当時ユングヴァルトには周辺地域から南部五領へ向かう援軍が集結していた。その数は第六師団の半分であるおよそ五万。
彼らは死力を尽くして戦った。しかし数日中にほぼ全滅。戦場となったユングヴァルトの街も壊滅した。
王都は大混乱に陥った。
当然だ。山脈を迂回する必要があるとはいえ、三日の距離に敵を抱えたのだ。喉元にナイフを突きつけられているのに等しい。
そんな苦境の中で、王は一つの決断を下した。
すなわち、南部へ派遣予定だった周辺の戦力をすべて、可能な限り迅速に王都へ集結させる決断を。
南部五領を切り捨てるのかと、当時は散々非難されたらしい。
だが結果的に――完全に結果論だが――王の決断は最善だった。もし戦力をほんの一部でも南部へ振り分けていたら、王都はそのまま陥落していただろう。
なぜなら魔法王国側のすべての予想を裏切り、第六師団は山脈を魔術でぶち抜き、王都の北へ直接現れたからだ。
そして王都北の平原で行われたのが、大陸戦史に残るあのモリト会戦。
獅子将ローウェルとマルガレーテ黒王女の奮闘もあり、魔法王国はこの激戦にかろうじて勝利。九死に一生を得た。
半壊した第六師団は来た道をそのまま戻るように敗走。ユングヴァルト山脈内の“黒の隧道”を抜け、西海岸都市群から大西海へ出て自国へ撤退した。
二度目の惨劇はその道中で起きた。
黒の国第六師団、師団長――“昏き穢れのコーディリア”。かの悪名高き呪術師が、敗北の腹いせに置き土産を残していったのだ。
それは捕虜数千人を生け贄とした大規模呪術だった。
今では単に“穢れ”と呼ばれているこの呪術により、ユングヴァルトは根源に至るほど深く土地を汚染され、絶えず無数の危険種が発生し続ける死の大地へと変貌した。
それから十年。冒険者たちによる危険種の掃討や、王立神官団による呪いの浄化は少しずつだが行われている。しかし復興できた土地は全体の一割にも満たない。
ゆえに今もこの地は第二種立ち入り禁止区域に指定されたままだ。
第六次大侵攻で命を落とした数十万の無辜の民。その弔いすら、この国はできていない。
☆
鉱山都市ユングヴァルト。その廃墟にたどり着いたのは、陽が西の地平に沈み切る寸前だった。
アミティはどうだか知らないが、俺はここには初めて来た。ここが廃墟になる前はまだ子供だったし、国の南方のフリートラント伯爵領で生活してたのだから当たり前である。
しかし、そんな子供の頃の俺ですら、ここが魔法王国四大都市の一つに数えられていることは知っていた。すべては、そう、過去のことであるが。
「しかし、ひでーな」
廃墟の様子を見て、独り言ちる。ここまで来て分かったが、ユングヴァルトで行われた“破壊”の酷さは想像以上だった。
街を囲んでいた城壁はすべて瓦礫の山になっており、見る影もない。検問所があったであろう正門のあたりも同様だ。
街に踏み込む俺たちを遮るものは何もなかった。
かつては行き交う人々であふれていたであろう大通り。その中央をアミティと並んで歩いていく。
市街地には原型を留めている建物は一つもなかった。大規模な火災があったらしく、あちこちに炭化した建材の痕跡がある。石造りの壁は崩れずに残っているものもそれなりにあり、見晴らしはよくない。いずれにしても、どこもかしこも煤だらけだ。
やがて街の中心だったと思われる円形広場の跡地にたどり着いた。苔すら残らぬ噴水跡、半ばで折れた時計塔、灰と化した教会――そういったものが目についた。
俺たちが歩いてきた北からのものも含めて、四方に大きな道が伸びている。特に東西のものが幅が広い。
膝をついて、その道に触れる。
「これが第一魚鱗街道……というか、元の魚鱗街道か」
「ですわね」
アミティは頷くと、街道の状態を確かめるように東西へ首を巡らせた。
この地が“穢れ”て使えなくなった後に、北に作り直されたのがさっき横切った第二魚鱗街道だ。言わずもがな、この元の街道もアレと同じく東は国の中央平原へ、西は西海岸都市群へと続いている。
「これを使って進みますわ」
「はーん? なるほど? 悪くねえな」
大戦争に巻き込まれた上に十年も整備されてない道ではあるが、何もない荒地を行くよりかは遥かにマシだ。移動速度は上がるだろう。“穢れ”の中なので危険種は出るかもしれないが逃げりゃいいし、意外と追手の盲点かもしれない。
「んじゃ、行くか」
と、東へ向かって歩き出そうとしたところで、ふいに俺の鼓膜が奇妙な音を捉えた。
アミティを手で制して、耳をそばだてる。
かすかな人の声だ。
こんな廃墟に人などいるはずがない――と決めつけかけたが、冷静に考えればそうでもない。確かここは駆け出し冒険者の腕試しの場になっていると聞いたことがある。そういう連中に出くわしてもおかしくはない。
気がかりなのは、聞こえる声がどこか苦し気な点だ。
危険種と戦い、重傷を負った冒険者が助けを求めて呻いている。
そんなありきたりなあらすじが頭に浮かぶ。
もしそうなら、助けなければ。
声がするのは南、山脈に穿たれた大坑道の入り口が見える方角だ。
そちらへ慎重に足を運ぶ。その人を襲った危険種も、まだいるかもしれない。
声の出どころは、比較的しっかり残っている石壁の裏だった。
「千三百八十九……千三百九十……千三百九十一……」
今度はさっきよりはっきりと聞こえた。男の声だ。何かを数えるその声は、やはりどこか苦し気である。
アランダシルの冒険者ギルドで聞いた怪談を思い出す。
第六次大侵攻の時にこの地で息絶えた戦士が、“穢れ”によって骨戦士化し、地面に散らばった自分の骨を拾いながら、その数を数えているという怪談を。
身震いする。
実は俺はその手の話が大の苦手だ。というか苦手だと知られたから、冒険者ギルドの連中に怪談でからかわれたのだ。
正直もう帰りたい。だが、俺の信条的にここで逃げだすわけにもいかない。
緊張で鼓動が高鳴る。
深呼吸を繰り返し、覚悟を決める。
恐る恐る、石壁から顔を出す。
そこは大きな館の跡地だった。規模からして豪商か貴族のものだろう。
地面に広がるのは灰と泥。そこに使い物にならなくなった剣や鎧、折れた矢、そして無数の人骨が散乱している。それらはここで行われた激しい戦いを俺に想起させた。
声の主はその空間の中央にいた。
腰布だけをまとった半裸の巨漢。筋肉技芸者のような見栄えのいい筋肉を全身に備えた大男だ。短く刈り上げた金髪が汗でしっとり濡れている。
たぶん年齢は三十代だろう。それが数を数えながら、屈伸を繰り返していた。
屈伸――というか、誰でも知ってる基礎的な筋力トレーニング――いわゆるスクワットだが。
やけにキレイなフォームなのが気にかかる。
いや、そもそも数えてる数がホントなら、やってる回数も異常だ。
いやいや、それよりなにより、こんな場所で筋トレしてる理由が分からない。
百パーセント理解不能の状況に陥ると、人間は逆に冷静になるものだ。
一心不乱に筋トレを続ける巨漢は、壁から顔を出している俺に気づいていない。
スルーしよう。そうしよう。
脳はたしかにそう冷静な判断をした。
だが気づいたら、質問が口から出てた。
「何してんだ、アンタ」
「む? どなたですかな?」
こちらを向く巨漢。スクワットはまったく同じ速度で継続したままであり、その顔面にはムカツクくらいさわやかな笑みが張り付いている。
見覚えがある。昼にアミティに見せてもらった擬似投影紙。あれにニルダと一緒に写っていた執事――そう、ガスチーニとかいう[達人]だ。たしか、ニルダの拳法の師だとかなんとか。
それがどうしてこんな廃墟で筋トレしているのかは、やはりさっぱり分からなかったが。