薔薇の王である赤薔薇の誇り
満月の、祝福を湛えた月光が窓硝子を通っててワインのグラスを輝かせる。
そこに注がれた赤ワインは、月光の光で美しく見える。
美貌の男性は目を細め、ワインを飲むことなく掲げてただ月光の光を蓄え続けている。
ゆったりとした刻が流れる空間を絶やすように、この空間に唯一繋がる飴色の結晶化した扉が勢いよく開く。
「薔薇の王よ!」
「やあ、よく来たね」
「……薔薇の王よ、白薔薇族の為に死んでくれ」
銀髪の乱入者が扉の前で構え、手にしているものは矛だった。
その矛は妖精殺しと言われる武器の一つで掠っただけで妖精の魂を絡みとり、粉々にしてしまうものだ。
武器を見ても、薔薇の王は美しく笑みを浮かべるばかり。
「いいとも。今の私は、君達白薔薇には敵わないからね」
(ただ、私を殺そうが、君達に王の称号が来ることはない)
その事に永遠に気が付かないであろう白薔薇達を嘲笑いそうになるのを必死に堪える。
それまで掲げ続けていたワインを一気に飲み干し、薔薇の王はさらに美しくわらうのだ。
「赤薔薇は永遠に!」
赤薔薇族である王は最後、赤薔薇族の勝利に酔う。
◇◆◇
薔薇の妖精は、色毎にさらに分けられる。
薔薇の王を輩出するのは赤薔薇族で、赤薔薇族が1番階位が高く、次点が白薔薇族だ。
アドリューが王位を受け継ぐ時がやってきた。
今、大変珍しいことに白薔薇の方が赤薔薇よりも力が強い。
『白の王子と赤の王』という物語が世界中の流行して、その中の主人公である王子を象徴である白は多く使用され、白を保有する者は階位を上げ、悪役である王の象徴である赤はあまり使用されず、赤を保有する者は階位を下げた。
この時代に王になるアドリューを可哀想だと涙する者がいれば、愚かだと蔑む者もいる。
赤薔薇の力が弱まっていることなど、アドリューが王位を望まない理由にはならなかった。
アドリューは薔薇の王に憧れを抱いているのだ。
栄誉ある誇り高い、薔薇の頂点。
アドリューは薔薇の王に次期王に指名されたとき、歓喜した。
その時を優に越した歓喜が胸を締めるだろうと思っていた。
薔薇の王が死に、次期王のアドリューが薔薇の王となった瞬間、アドリューは涙を流した。
涙にはその者の魔力が宿っている為、皆通常人前では涙を流さない。
それなのにも関わらず静かに魔力の雫を次々と落としてゆくアドリューを見て、人々はそれ程までに嬉しいのだと勘違いして祝福を寿ぐ。
「ああ、おめでとうございます!」
「新しい薔薇の王に幸あれ!」
「喜ばしゅうございますね」
本来なら言葉を返す気力も残っていないアドリューは、薔薇の王としての見栄だけで言葉を紡ぐ。
「……ああ、ありがとう」
アドリューは自室に戻ると、防音結界を念入りに張った。
「あああああ!!っ、う、ぐ、んふうっ!」
アドリューの涙は止まらない。
(私が今まで信じてきたものは……なんだったのだろうかっ…………)
薔薇の王を継いだことにより初めて知る薔薇の王の真実にアドリューは絶望したのだ。
初代だけが世界に選ばれた者なのだ。
その後の薔薇の王は、その代の薔薇の王が次代を選び、そうすることで継いできたのだ。
赤薔薇達のなんと浅ましいことか。
全体として言うならば赤薔薇の方が強かったが、個で見るならば当時の赤薔薇より強い薔薇もいたのだ。
そうした場合、その者に王位を継いでもらった方が、薔薇族としては安泰だった。
しかし歴代の赤薔薇達は、そうしなかった。
アドリューの中の、思慕していた薔薇の王は何処にもいないのではないかと思え、そうなるとこれまでの自分はなんだったのかと心が震える。
足場が崩壊してゆく感覚に耐えきれず、咄嗟に縋ったものは、今代ーーいや、先代薔薇の王が自ら刺繍し、アドリューに送ってくれたハンカチだった。
「あ…………。ふっ、うぅ、おうさまぁ」
(貴方はどんな気持ちで王位に就き、どのような気持ちで過ごし、どのような気持ちで次代を指名したのですか……?)
ハンカチに刺繍された見事な赤薔薇にそっと指を這わせる。
どれほどの間だっただろうか。
とうに日は沈み、月光だけが部屋の光源だ。
もう何も考えたくなくてただぼんやりとハンカチを眺め続けていた。
そして、はっと急に頭が回転を始めた。
薔薇の王という称号自体は誇れるものではない。
しかしその王達がしてきたことを否定することはできないし、アドリューが憧れたのは、称号に対してではないのではないか。
少なくとも、先代のことをアドリューは尊敬していた。
(王位は、綺麗な、憧れのものではなかった。でも、王だから憧れたのだと思っていたけど、そうじゃなかった。濁った玉座だろうと、尊敬の念は消えないんだよね……)
はあぁ、と溜息を吐き、疲労を癒す為に寝ようとベッドに体を投げ、一息ついたと同時に遠慮がちに扉を叩かれ、不満が胸をくすぐる。
「誰?」
「アルナです」
「あ~~~!」
「え!?」
「いや、なんでもないよ。気にしないで」
「え、え?……はい」
(次はアルナにしようと思ってたけど、どうしよう。あの子は昔の私のような目をしてるからなぁ、私と同じように苦しみそうだな……)
というか薔薇の王は必要なのだろうかと八つ当たり気味に思った。
(でも王っていうのは、やっぱり色取り取りである薔薇の妖精を纏めるにはいるしなぁ。…………まあ、この子も乗り越えられるよね)
◇◆◇
アドリューの治世の中、予想外の出来事が起きた。
『白の王子と赤の王』の人気が熱すぎて、アドリューが王位を継ぐ直前よりもさらに白薔薇は力を上げたのだ。
そして白薔薇族はアドリューに求婚を断られた雪竜の王、当時の王子を味方に野望を抱いた。
雪竜と薔薇の妖精は、薔薇が負ける方向で相性が悪い、最悪の相手だ。
王子ならまだしも、王相手となると手が出ない。
自分のせいでと嘆いたアドリューに、赤薔薇達は励ましの言葉を送る。
「赤薔薇は、王さえいてくだされば他が生き残らなくともよいのです」
「そうです!王さえおられれば、赤薔薇は勝ちですよ!!」
「それでは駄目だよ!?」
「何故です?」
皆本気で言っているのだと知っている。
「………………はぁ。私の運命は皆と共に。だけど、赤薔薇を絶やすことはしたくない。次期王アルナを逃すからね」
満月の、祝福を湛えた月光が窓硝子を通っててワインのグラスを輝かせる。
そこに注がれた赤ワインは、月光の光で美しく見える。
アドリューは目を細め、ワインを飲むことなく掲げてただ月光の光を蓄え続けている。
ゆったりとした刻が流れる空間を絶やすように、この空間に唯一繋がる飴色の結晶化した扉が勢いよく開く。
「薔薇の王よ!」
「やあ、よく来たね」
「……薔薇の王よ、白薔薇族の為に死んでくれ」
銀髪の乱入者が扉の前で構え、手にしているものは雪竜の宝である矛だった。
その矛は妖精殺しと言われる武器の一つであり、掠っただけで妖精の魂を絡みとり、粉々にしてしまうものだ。
武器を見ても、アドリューは美しく笑みを浮かべるばかり。
「いいとも。今の私は、君達白薔薇には敵わないからね」
(ただ、私を殺そうが、君達に王の称号が来ることはない)
その事に永遠に気が付かないであろう白薔薇達を嘲笑いそうになるのを必死に堪える。
(アルナ、玉座に惑わされずに私達を憶いなさい。そうすれば、君も誇りを持ち続けられるだろうから。大事なのはね、称号ではないんだよ)
それまで掲げ続けていたワインを一気に飲み干し、薔薇の王はさらに美しくわらうのだ。
「赤薔薇は永遠に!」