第6話
帰宅した俺は着替えもそっちのけで小説を手に取った。
話は返事が来ないことを心配した男が再度文通を送るところからだった。
『何か気に障ったなら謝ります、どうかお返事をください』
しかしそれに対しても返事は送られてこなかった。
そんな時、男は見合い相手が勝手に自室に入っているのを目にし激高する。そして呆然とする見合い相手に対し今まで抑えていた感情を爆発させる。罵詈雑言を並べ、最後に何故見合い相手が文通をしている女性ではなく、君のようなおてんばな娘なんだと訴える。
それ以来二人は疎遠になり、見合いも破談となった。
男はそのことを文通相手に伝える。すると数週間ぶりに返事が届き、お会いできないか、という女性の言葉を信じて男は女性と待ち合わせをする。
待ち合わせの場所、そこには文通相手ではなく見合いの女性が立っていた。女性は文通相手は自分が乳母に助言を貰いながら書いていたことだと告白する。女性は文通相手である男に好意を抱き父に探してもらって、縁談を持ち込んだ。
『私は知っての通り世間知らずで、あなたが求めるような聡明さは持ち合わせていない。だが私はあなたと親しくなりたかった。ただそれだけなのです』
そして泣きながら謝罪する女性に男は戸惑ってしまう。男にとって文通相手は恋焦がれる存在だった。しかしそれは偽りの存在であり、真実はその反対の男が幻滅した女性であった。
そこで男は気付いた。自分は文通の女性とこの目の前の女性を比べて見ていた。文通相手とまったく異なる性格、男が女性を避けていたのはただその一点だけであったことに。
立ち去ろうとする女性を呼び止め、男は頭を下げる。
自分はあなたという個人を見ようとしていなかった。もう一度自分にチャンスをくれないか、と。
それ以降、二人は再び見合いの相手として付き合い始めることになった。
小説はそこで終わっていた。
この二人がその後どうなったか。夫婦になったのか、それとも再び相容れなく別れてしまうのか。そこについては何も書かれていなかった。
ハッピーエンドなのかどうなのか、調べてみるとネットでもそういった議論が展開されていた。
『ちゃんとお互いがお互いを意識すれば大丈夫!』
『見合い相手も反省してるし、今度はうまくいくはず』
『実際に生活しててイライラしてたんだからどうせ駄目じゃね?』
『ワンチャン生活を直したとしても、女の性格を変えなかったら無意味。本当の自分で勝負すべき』
ネットで行われたアンケートは五分五分くらいだ。少しネットを漁っていると、神姫からメールが来た。
『小説読み終わった~?』
「ちょうど今読み終わった。これって最後ハッピーエンドなの?」
『ハッピーかどうかは分からないね。ただ女性にはまだワンチャン残してある感じだから。これからの生活次第じゃん?』
「でも今まで生活してて無理だったんだから直る?」
返事はしばらく間が空いてから送られてきた。
『確かに女性の行動は結果として混乱させるだけになったかもしれないけど、それでも何かしたい。何かしなきゃって思っての行動は共感できる。文通が始まってから、女性としてはうれしい時もあったんだろうけど。だんだん虚しくなっていったんじゃないかな。きっと好意を抱いてくれている対象が自分でないことには気づいていたよ。でもやめられなかった。だって好きな人が自分のことを見てくれているんだもん。結果として後戻りできなくなって、やらなきゃよかったって後悔して、ちゃんと謝罪した。現実は変えられない。でも何かしようって行動に移せたのは偉いと思う。思いは伝えなきゃ伝わらない。だから女性にも立ち直るチャンスを与えなきゃダメなんだよね。私はそう思う。でもうまくいくかどうかは知らないよ』
読み終え、俺は深く息を吐いた。なんというか、発想の転換だ。
俺はどうしても男が立ち直るチャンスとしてこの小説を見ていた。男が見合い相手と文通相手をどのように受け止めるか。それらを同一人物として受け入れられるかだ。男はもう一度見合い相手との道を模索した。そこだけに焦点を絞っていた。
【思いは伝えなきゃ伝わらない。何かしようって行動に移す】
言葉にキュッと胸が痛む。これから先、俺にできることは何かあるだろうか。
過去は変えられない。
俺にも立ち直るチャンスは来るだろうか。
「好きな子が、別の男に告白された」
気づけば、俺の手は文章を打っていた。そこから流れるように起こった出来事を書き連ねていった。
「俺にもできることってあるかな?」
見合い相手が乳母に相談したのはこんな感じなのだろうか。本当は自分一人で考えなければならないようなことなのではないか。相談してしまう自分は弱いのだろうか。
『正直に話してくれてありがとう』
神姫からの返信はすぐに来た。
『さっきいろいろ言っておいてあれだけど、流れに身を任せることも一つの手だよ。きっとこれから先にできることが見つかるはず。そこを逃がすな!』
ただの根性論にしか読めなかったが、なぜか安心した言葉だった。
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教室前の廊下には昨日と同じように竹原の姿かあった。
「ちゃんと読んできた?」
「あぁ、全部読んだよ」
俺は本を差し出す。
「お前は俺に何をさせたいんだ?」
「本の感想は?」
竹原は本を受け取らない。答える気も無いというように質問を被せてきた。話の主導権を渡してくれそうにない。
「さぁな。恋愛小説なんて初めて読んだからなんて言えばいいか分からない」
「じゃあ主人公についてどう思う?」
聞かれ、少し考える。
主人公は今で言うところの現実とネットの狭間で葛藤していた。文通相手という空想に近い相手に恋をし、見合い相手という現実を嫌がった。
だがその二人が同一人物だということを受け入れ、見合い相手と再び歩む決断をした。自分を見つめ直したという点で、主人公に好感は持てる。
「嘘をつかれていたとしても、また相手を受け入れたのは良いと思うが」
「文通相手も、結局は見合い相手の一部として認めるということ?」
「まぁ別々に切り離して考える事はできないだろ」
「ふーん」
「なんか癪に障ったか?」
「いえ、ただ意外だったから」
一体こいつは俺にどんな印象を持っているんだか。
「さて、それじゃあ本題に入りましょうか、と言いたいところだけれど、もう授業が始まるわね。続きは昼休みでいい?」
竹原の言葉が合図かのように開始五分前のチャイムが鳴る。
「あぁ」
「なら広場のベンチで会いましょう」
「分かった」
「それじゃ」
そう言って竹原はまた本を受け取らずに去って行った。
俺は去っていく竹原の背中を見つめた。一体、何を話すつもりなのか。
『きっとこれから先にできることが見つかるはず。そこを逃がすな!』
神姫からのメールを思い出す。もしかしたらここが俺の頑張りどころなのかもしれない。