第一章<開始>
「今日からこのクラスで一緒に勉強することとなった山岡愛さんだ。山岡さん、挨拶を。」
私立水仙ヶ丘学園高等部2年生の教室では担任の佐田が隣に立つ女生徒に優しく声を掛ける。
山岡と言われる女生徒はサラリとしたロングの黒髪に制服をきちんと着て、緊張した面持ちである。
「は、はじめまして。親の転勤でこちらに引っ越してきました。山岡愛と申します。よろしくお願いいたします。」
女生徒は上擦った声でそう言うと、ぺこりとお辞儀をした。
30名程の生徒は山岡に拍手をする。佐田に言われた席についた女生徒は緊張のせいか髪を触りながら佐田の話を聞いている。
「……姉ちゃん大丈夫かな。」
そんな光景を地下室のモニターから見ていた陸人が呟く。
いつもの会議室には陸人の他に源五郎がおり、熱いお茶とおせんべいを嗜みながら静かに見守っている。
先程紹介された転校生である山岡の正体は玲奈であり、いつもの派手なメイクやネイルを封印して変装することで今回のミッションのために私立水仙ヶ丘学園に潜入しているのだ。
昨晩のうちに学園のあちこちに盗聴器やカメラを仕掛け、万全の体制で情報を収集している。ちなみに仕掛けをしたのは侵入が十八番の秋鷹だ。
「あの佐田ってやつが第一のターゲットか。」
源五郎が言う。
源五郎の先に映る佐田はスタイルが良くたれ目が特徴の甘いフェイスをしており、優しい気な雰囲気を醸し出している。
「うん、姉ちゃんのクラスの担任である佐田徳27歳、化学教師。見ての通り見た目も良いから生徒から人気が高い。性格も明るく授業も面白いから男女生徒ともに人気があるみたい。教師や保護者からの評価も高いね。」
陸人は玲奈が調べた情報をパソコンで見ながら言う。
「しかし、その顔には裏があると…」
「そうだね。あいつは大変な糞野郎で、A国最大勢力マフィア”青葉”の一員だ。」
源五郎の言葉に陸人が吐き捨てるように言った。
A国最大勢力のマフィアである青葉は危険な思想を持つ組織で、様々な裏の稼業を仕切っている。その思想は”以前の栄光をA国に取り戻す”というもので、今は衰退し他国に遅れを取っているA国の再興を目指している。
この民主主義が主流の時代に流れから逆光し、様々な国で歴史上確執のある国の転覆を狙っているのだ。
「僕達の住む国は昔A国との戦に勝って、A国を属国としていた時代があるからね。僕達の国のせいで国が衰退していると思っているらしい。」
陸人が言う。
「それにしても、転覆のために違法ドラッグを流行らすってのもまた古風な手法じゃの。」
「まぁね。将来の有望株が集う進学校で違法ドラッグを流行らし未来の可能性を潰して経済を衰退させるってやり方をこの時代にするのは凄い。でも、各国の協定があって簡単に戦争が出来ないこの世の中ではこの戦い方も有りだなとは思う。もちろん許しはしないけど。」
「そうじゃな…何の罪もない若者を食い物にしてるのは見過ごせん。で、秋鷹と凛子さんはどうなってるんじゃ?」
源五郎が尋ねると、陸人は頷きパソコンを操作し秋鷹と凛子のGPS座標を確認しする。そして、部屋のマイクをオンにすると二人に話しかけた。
「父さん、母さん聞こえる?そっちはどんな感じ?」
陸人が話しかけた先は潜入組が付けている骨伝導イヤフォンマイクだ。源五郎が作った骨伝導イヤフォンマイクは小さいながらも性能は高く、囁いた声ですら互いに聞こえるようになっている。
「おう、こっちは無事清掃員として潜入出来てるぞ。」
答えたのは秋鷹だ。
画面には秋鷹の服に取り付けてある小型カメラの映像が映し出される。画面には校内の風景と時折秋鷹の持つモップが映っていた。
秋鷹は現在水仙ヶ丘学園に清掃員として潜入し、見回りをしつつ足りていない部分の盗聴器設置をしている最中だ。
「何か問題はある?」
陸人が聞く。
「…肝心の化学準備室と進路指導室に侵入できねぇんだよ。たぶん青葉の連中だと思うだが、見張りがいるみたいだ。」
秋鷹は掃除をするフリをして、化学準備室の近くにいる男性を映し出す。その男性は警備員の格好をしており、校内の巡回をしているようだ。
「この警備員、巡回しているフリをしてるが、明らかに佐田がよく居る化学準備室と進路指導室の前をよく歩いている。」
「成程…怪しいね。佐田が室内に居る時も警備員は巡回してるの?」
「いや、それはねぇな。佐田が居るときは警備員は消えてる。」
「じゃあ佐田が在室してるときに呼び出して、その隙に父さんに侵入してもらうしかないか。」
陸人は腕を組んで言う。
「母さん、今の話聞いてた?」
陸人がマイクに向かって声を掛けると、すぐに凛子から返事が来る。
「はぁ~い、りっくん。聞こえてるよ~」
会議室に凛子の天真爛漫な声が響く。その様子は潜入しているとは思えない程だ。
「全く…そっちのはどうなの?」
呆れつつ尋ねる陸人。
「う~ん、なんとか大丈夫よ。保健室に来た生徒はなんとなく処置して帰してるわ。」
凛子の声を聞いた皆は凛子のその答えに不安が募ってしまう。
凛子はもしもの時のサポート役として学園に潜入しており、急遽休んでいる保健の先生の代わりとして勤めている。もちろん凛子には保健の知識はあまりないため、適当な対応しか出来ない。
「とにかく普通の人っぽくしててよ?それと、さっきの父さんの件だけど、母さんが室内にいる佐田をおびき出せるかな?」
陸人が尋ねる。
熊野家は寄せ集めの偽家族であるため、まだ付き合いは浅くお互いのことはよくわかっていない。今回のような協力作業を行うのも初めてであるため、お互い手探り状態だ。
「得意分野だから大丈夫よ~。」
凛子がほんわかとした声で答えた。
凛子は女性の諜報部員として長年働いてきた過去があるため、ターゲットとの接触はお手の物だ。
「じゃあ、任せるよ。母さんが佐田の気を引いているうちに父さんは化学準備室と進路指導室に侵入して設置作業をして。まずは化学準備室から、3限目に佐田は戻ってくるはず。」
陸人は佐田の担当授業時間表を見ながら指示を出す。
「了解」
「わかったわぁ~」
秋鷹と凛子が返事をした。