32、緊急時マニュアル
三日後、ルディは俺と入れ替わるために、こっそり執務室に来ていた。全身まるっと変化魔術で俺になっている。
「じゃぁ、これが緊急時マニュアルだ。これでもどうにもならない時は、魔力通話してくれ」
「かしこまりました。どうかお気をつけて」
「レオン様ー! ちょっと時間空いたから、早めにお茶に…………はぁ!? なん」
突然入ってきたベリアルを背後から抱き込み、手で口をふさいだ。はぐはぐ言ってるが気にしない。耳元で「静かに」と言ったら、ビクッとして大人しくなった。
まずは、これ以上バレないように鍵をかけて防音の結界をはる。
「ルディ」
「これは……困りましたね」
「仕方ないな。ベリアル、説明するから静かにできるか?」
ベリアルはコクコクと激しくうなずく。そっと手を外して離れると、はぁーっと大きく息を吐いていた。
「何でルディがレオン様に変化してるの?」
「実は……ブルトカールの奴隷商人がこっちに入り込んでるみたいで、ちょっと調べたいことがあってルディに頼んだんだ」
「そんなの、レオン様がやらなくてもいいじゃない」
「いや、そう言って、みんなに仕事が行くから、俺が使えない大魔王になってるんだよ」
「レオン様が……使えない? 誰がそんなこと言ったの……?」
ゆらりとベリアルの周りの空気がゆらめく。手のひらからは青い炎が静かに燃え上がっていた。誤解してると気づいて慌てて、ベリアルの手を握る。
「違う! 誰もそんなこと言ってない! 俺が! 俺が勝手にそう思っただけ!!」
「あ、ヤダ……そうなの? 勘違いしちゃった。けど、そんなことないから、気にしなくていいのに」
誤魔化すようにベリアルは微笑った。さすがは人外レベルの美女だ。ふわりとした笑顔には、半端ない威力がある。ルディはすっかり誤魔化されていた。俺は、ノエルで耐性がついているのか、平常どおりだ。
「とにかく、これからブルトカールに潜入するから、他のみんなには黙っててくれないか?」
「ブルトカールに潜入……? ブルトカールに……」
そう言って、ベリアルは思いつめた表情で考えてこんでしまった。ルディは心当たりがあるようだ。
「もしかして、ベリアル様の妹君の件ですか?」
「ルディ、何か知ってるの!?」
「これはお伝えしてよいのか……」
「何でもいいから! ロシエルのことなら教えて!」
俺以外にはクールなベリアルが珍しく必死になっていた。ロシエルという妹が、よっぽど大切な存在なんだとわかる。
「ロシエルに似た悪魔族が、ブルトカールのある貴族の屋敷にいたというのを、聞いたことがあります」
「なんていう貴族か、わかる?」
「レムス・ドルイトス伯爵……ヘビの獣人族です」
噛みしめるように、その名を心に刻むベリアルを見て思った。この話の流れだと、ベリアルは妹を探しているみたいだ。俺が探してもいいんだけど、知らないからなぁ……あ、そうか、もっと簡単な方法があるじゃん。
「……ベリアルも一緒に来るか?」
「「えっ……」」
「いいの!?」
「本気ですか!?」
見事なハモリだ。さすが教育担当してただけある。
「だって俺ロシエルってわかんないし、多分ベリアルは自分で探したいだろ?」
「そうだけど……レオン様、本当にいいの?」
「ルディ、いいよな? ベリアルの代わりは……サリーに頼めるか?」
「はぁ……まぁ、サリーならベリアル様の代わりでも問題ないでしょう。今呼び出します」
ルディはため息をひとつ吐いて、諦めたように妹のサリーを呼び出してくれた。あれ、やっぱり俺、ダメな大魔王なんじゃないだろうか?
「ベリアル様の代わりですか? いいですよー!」
軽っ! ノリ軽っ!! サリー、いいのか? それでいいんだな? ベリアルも「じゃ、お願い」って一言か!?
念のため二人にも魔力通話をつないでもらった。これは空間魔術が得意な、ルディたち一家しか使えないらしい。
ともかく、ルディには気配感知に備え、俺の聖神力を込めた角を渡してから、ブルトカールへと旅立った。
***
「お兄ちゃん、その緊急時マニュアルってなに? さっきから気になって仕方ないんだけどー!」
「あぁ、これか? レオン様がイレギュラー対応をまとめてくださったんだ。少し見ておかないとな」
オレはやけに薄い冊子を開いた。そして固まった。
☆緊急時マニュアル☆
①ベルゼブブの対応で困った時は、疲れたから寝るでOK!
②アスモデウスの対応で困った時は、パワードリンク一本くれでOK!
③ベリアルの対応で困った時は、風呂の準備を頼むでOK!
④グレシルの対応で困った時は、今日もマルチトリュフが食べたいでOK!
以上、よろしく!!
「…………………………」
「うわぁ……お兄ちゃん、ご愁傷様ー」
このクソマニュアルを作ったのは、本当にオレの主人なんだろうか? 満面の笑顔で渡していったけど、もしかしたら、別人に成り代わっていたのではないだろうか? そうか、それならば今すぐ粛清しなければならないな。我が主人に取り憑いて悪さを働く悪魔族など、この世に必要ないな。よし今すぐ殺ろう。これでもベリアル様に鍛えられて、だいぶ強くなったんだ。並みの悪魔族ならオレの敵ではないーーーー
ちょっと現実逃避でいろいろ考えていたら、ノックの音の後に、ベルゼブブ様が入ってきた。
「主人殿、この前話していたお湯の種類なんだが……」
やばい、早速緊急時じゃないか! そんなのオレにはさっぱりわからん! うぅ、胃がキリキリしてきた……!
「ごめん、ベルゼブブ、ちょっと疲れたから休んでいいか?」
「あぁ、そうなのか? 無理はするでないぞ。では、これは我の方で決めてしまおう。ゆっくり休むがよい。ベリアルも早く仕事に戻るのだぞ」
そう言って、あっさりと引き下がってくれた。いそいそとご自分の執務室に戻っていかれる。
「……さすがは、我らが主人、レオン様だな」
「本当にコレで何とかなった! ある意味すごいねー!」
クソだと思ったマニュアルは、意外と効果覿面だった。