魔術師とガイゼルダナン その5『盟約を交わす者達』
私は鉄面皮を崩さぬように、しかしながら確かな警戒を見せる。『魔翼』の存在は既にルーネリアや『微睡の矛』に晒してしまっている以上情報流出は免れないものであったが、それ故に見せびらかせもしない中での言及は勘繰らざるを得ない。そして、私と魔族との繋がりを貴族の中でも、公爵位を持つ者がどう考えるのか、事の機微は極めて難解であった。
「私は常々考えていた。ガイゼルダナン家が力を増す中でちらつく脅威、それも外的要因の存在についてだ」
シャルマ公爵は私の警戒を見て取り言葉を続けていた。それは支配者としての威厳か、それとも敵対者に対する慢心か、何を語るにせよ私は傾聴以外の選択肢を持ち合わせてはいなかった。
「私達、即ち人族は何故、四百年前に滅ぼされず、今日に至っているのか……。私はそこで考えた、そもそも魔族は我々を滅ぼす気がないのではないかと。そうした中で純粋な疑問が浮かぶ、果たしてそれは何故か、という点だ。それは教説通りでは理解が及ばない歴史の事実に目を向けなければならない。そう、過去の大戦は人族が魔族の領域を侵した事から始まった物だ。そしてそれは何も痛み分けに終わった訳ではない。人は負けたのだ、魔族という存在にな」
「聖典によって描かれる教説とは異なる内容をシャマル公爵閣下は仰るのですね」
「そうだ、何故ならば私がガイゼルダナンであるからだ。教説に無い歴史を紡ぐ者もいるということだよ。そう、ガイゼルダナンは七英雄、フォートレスト・ガイゼルダナンの直系の子孫なのだから」
「聖典には載る事の無い家名、ですか……」
「ラーントルク、トーレス、ガイゼルダナン、シュタインズグラード、アーラ、サウダース、そして名を失った一族。人々は今は知らぬ七英雄の血統だ。この事実を知るのは一族に名を連ねる者しかいない」
ラーントルク、トーレス、アーラ、サウダース。そのどれもが私の知る者達であった。トリポリ村に逃れた者達の家名がそうであることに私は不思議な感覚を覚えていた。
私を『魔翼』を持つ者として認識しても尚、自らの駒として動かそうとするの器量に私は僅かながらに惹かれる想いを抱いた。
「報酬は?」
「君個人への支援、そしてルーネリア嬢の救済というのはどうだね?」
「なるほど……そうすると、依頼の中に教皇派の抑止も入っているわけですか……。先兵として私達が動けば、ガイゼルダナンにとっても国王陛下に対して十分な恰好が付くと?」
「君がルーネリア嬢の護衛を引き受け続けるのであれば自然とそうならざるを得まい。そしてそれは、自ずと騎士団と魔法技術研究所に対して攻勢を掛ける事に繋がる」
「なるほど、シャルマ公爵は教皇派の裏に何者が暗躍しているのかをご存じであったという事ですね?」
シャルマ公爵は顎に手を当てながらほくそ笑んだ。それは肯定を意味しており、彼の描く筋書きが何等か存在している事を同時に意味していた。
「既に君たちが、かの廃城で行った戦闘後の状況は我々も確認済みという事だよ。ガイゼルダナンから高々数十キロ圏内での大規模な魔法術式を用いた戦闘を我々が単純に看過するわけもあるまい」
(魔法術式の感知……なるほど、何等か観測の手段が存在するという事か……)
私はガイゼルダナンの持つ力を甘く見ていたと言わざるを得ない。しかし、それであれば私とエルアゴールの戦闘がどれだけの規模であったのか、それをガイゼルダナン家は理解している事となる。
「なるほど……それは盲点でしたね。それ故に私をそこまで買ってくださるという事ですか」
「その通りだ。白銀の魔術師が持つ力の強大さに気付けば、自ずと君を欲しがる者と、その『魔翼』に対して忌避を抱く者も現れよう。私は前者として君に接するが、君が戦った者達はどうであったかな? そしてその核心となる者達の多くは王都にて牙を研ぎ続けている以上、教皇派と相対するのであれば、この先で衝突は免れまい」
私に対して忌避感を覚える者……、廃城で敵対する事となった元近衛騎士であったアルヴィダルド・イクティノスの激高は並々ならぬ物であった。それは私個人に対する明確な敵意であり、そこに分かり合いは存在しないと即座に理解できる程のものであった。
「私は戦争は好まない。特に民が犠牲になる戦争は特にね……。人的資源の無駄遣いだとは思わないかい? 今回の聖堂国教会の内紛について絵を描いている連中が狙うのは国王の権力の削ぎ落としだけではない、国民を巻き込んだ内戦そのもののように映る。故に私はそれを全力で阻止する義務がある。ルーネリア嬢を聖女として聖堂国教会に捧げ、尚且つ『魔翼』を持つ者の肩を担いだとしてもね」
「……それで、ルーネリアには父殺しを命じる訳ですか」
「本意では無いが、彼女もそれを見越しているだろう。それ故にサンデルス伯爵家を離れたのだろうよ。国教会の穏健派であるラキシスからも既にそのように話をしている筈だ」
手回しが早い。ガイゼルダナン家は明確に穏健派を立てる事を表明し、教皇派との対立を選んだということなのだろう。サンデルス伯爵家の人間を『聖女』として穏健派における柱として担ぎ上げることで対立構造を作り上げようというのだろう。しかし、それはあくまでも彼等の政治であり、『白銀』にとっては最終的には関係の無い話とも言えた。『魔翼』を持つ者に肩入れするということは、単純に教皇派と対立することにはならない。つまりは、教皇派の支援者である者達とも戦う意思をシャルマ公爵は見せているということになる。
「手練手管、流石と言うべきですか。しかし、私を縛るにはいささか足りませんね」
「……それでは何が望みかな?」
「掌で踊るにせよ、このままでは私はいつ切り捨てられるとも分からぬ道化に過ぎません。それ故に確たる協力の言葉が欲しいのです。三十年前に失われた、対話の再開に力をお貸しください」
これは一つの賭けであった。それが何を意味するのか知らぬ公爵ではないと見越しての依頼。そしてこの話を私が持ち出した以上、彼が私を見逃すせば、それ即ち明確な人族に対する叛意と捉えられてもおかしくはない諸刃の剣となる。魔族を滅ぼすという国教、政策において、真逆を行く魔王と国王の対話の再開。それがどれほどの価値を持つかはこの際どうでもいい。重要なのは私と魔族の間に接点があるというこの一点にある。それをシャルマ公爵がどう評価するのか、価値を見出すのかが鍵であった。
「興が乗って来たな。その言葉が何を意味するのか分からぬわけではあるまい? そんなことをして私に何の意味があると?」
「クライムモア魔石鉱山、この使用権。興味が無いとは言わせませんよ」
私は恐らく悪い顔をしているのだろう。クライムモア魔石鉱山の価値、それを分からない公爵ではない。そしてこの賭けは決して悪くはないという予感があった。話しながらにシャルマ公爵の性格を把握する中で、理解したことがあった。それはガイゼルダナンの繁栄に対して出し惜しみをしないという事にある。
「……ヴァンよ。キアラと共にラクロア君とこの場で立ち会ったとして、どれほどの時間が掛かる?」
シャルマ公爵の言葉は穏やかでは無かったが、どこか憂いを帯びた声音であった。それは私に勝てるかどうか、という意味合いであり、私を拘束する意志があるという事であった。その質問に対しヴァンは顔色一つ変えずに答えた。
「……三合、長めに見積もって六合と言ったところでしょうか」
キアラもまた、突如と始まった不穏当な会話を緊張した面持ちで眺め、いつでも動けるようにと魔力操作を開始していた。私はその構築される魔法が攻撃魔法では無く防御魔法の類であると察知しつつ、私自身もいつでも動けるように無詠唱魔法を構築し待機状態とした。
「ほう、それだけあればラクロア君を制圧出来るか。それでは……」
「旦那様……。旦那様は大きな誤解をなされております」
シャルマ公爵が命令を下そうとした直前でヴァンは先程までと同様、平坦な声で諭す様にシャルマ公爵へと告げた。
「ラクロア様を拘束するのは極めて難しいかと思われます。程度の差はあれ、六合あれば私はキアラ様共々、跡形も無くラクロア様によって消し飛ばされる事でしょう」
シャルマ公爵は驚いた様に瞳を見開き、聞き間違えかと改めてヴァンに尋ねた。
「……元辺境騎士のお前とキアラ、二人掛かりでもか?」
ヴァンが頷くと、キアラも同様に口を開いた。
「シャルマ様、恐れながらラクロア様は既に無詠唱魔法を構築され待機状態である様です。僅かな魔力の律動では御座いますが間違い無いかと……。私の防御魔法で何処までお守り出来るか分かりません。武力では無く可能であれば言葉による交渉によっての解決をお願い申し上げます」
二人からの諫言を聞いたシャルマ公爵は憑物が落ちた様に深い溜息をつき私に頭を下げた。
「ラクロア君、すまない。私としたことが幾分か冷静さを欠いてしまったようだ……しかし随分と値の張る買い物のようだ。それこそこの私の首を差しだすに等しい」
「私という個人の値段だけではありませんから。貴方のような方だからこそ胸襟を開きお話申し上げました。決して悪い話では無いと思いますが?」
「面白い……いいだろう。真にそれが可能であるのであれば、協力は吝かではない。しかしクライムモア連峰か、なるほど四百年に失われた魔石鉱山の復活は純粋に価値がある……しかし、魔翼を持つ者が、真に魔族と繋がりを持つか……」
「シャルマ閣下はクライムモアの採掘権、そして王都からの魔法技術の入手。そして内戦の引き金を引こうとする者達の阻害。これらを一挙に手にする事が出来るわけですから、決して悪い取り引きではないでしょう。そして私は今は一介の冒険者、それもルーネリアの護衛に過ぎません」
「互いの利益は一致している、か。ヴァン、キアラ、共にこの件については他言無用。魂の誓約を以て契りとする。ラクロア君、構わないね?」
「魔法術式による縛りですか。いいでしょう、それだけの意味がありますから」
ヴァリス達『微睡の矛』がアルバートの拉致を受けた際に教皇派に強制された魔法術式による情報の制限。秘密の漏洩を防ぐ手段としては極めて有用と言えた。
「キアラ、誓約の用意を頼む。ああ、茶も出さず失礼したね。ヴァン、幾つか見繕いを頼むよ。ラクロア君、それでは今しばらく歓談を楽しむとしよう」