魔術師とガイゼルダナン その4『シャルマ・フォン・ガイゼルダナン』
ヴァン、キアラの案内に従い屋敷の中央ホールから二階へと上がり、そのまま執務室まで通されると、そこは先ほど中庭から見て中央に位置していたテラスが設置された部屋となっていた。
部屋に設えられた中央の机には山積みの書類が散見し、壁際には様々な調度品と共に地質学、生物学、魔術、剣術、様々な書物が並べられている。その他、特に目立った物は見えず、室内は思いのほか簡素に纏められていた。
「よく来てくれた。中級冒険者『白銀』のラクロア君だったね。私はこのガイゼルダナンを治める領主、シャルマ・フォン・ガイゼルダナンだ。シュタインズクラード王国において公爵位を拝命している。態々ここまで足を運んでもらったのはキアラから説明があった通りだが、ご足労感謝申し上げよう」
シャルマについて、先ずは想像以上に若いというのが第一印象であった。黒髪に浅黒い肌、気品を感じる整った身なり、高い身長と藍色の瞳。切れ長の眉毛とオールバックにまとめられた髪型から受ける印象と城下街やこの館に感じる神経質な美しさとはやや正反対なものであった。
「初めましてシャルマ公爵。この度はご面談の機会を賜りありがとうございます」
シャルマは「良い」と言うと、繁々と私を眺め面白いこともあるものだと笑みをみせた。
「想像以上に若い……だが、それでいて泰然自若としている。ラクロア君、時に、きみはこのガイゼルダナンを見て何を思った?」
敢えて曖昧な質問を振る事で忌憚のない意見を求めているのだと思うと同時に、シャルマ公爵はガイゼルダナンにおける自信がありありと見えた。
「街の美しさ、東西の要所としての役割、衛生性の高さ、その他にも幾つか思う点はありますが……そうですね、やはりこの城に訪れてより一層感じたのは魔法技術の汎用性の高さ。そして、その割に市井においては利便性の追求を行う民間事業者が普及していないという違和感。恐らくは規制による魔法技術管理がなされている、というところでしょうか」
シャルマ公爵は意外に思ったようで「ほう」と私の言葉に考えを巡らせていた。ガイゼルダナンの都市の美しさや規模感と言ったものに対して賛美を受けるばかりと思っていたようであったが、それに反した魔法技術の普及の観点について私が言及した事に何等か思うところがあったらしい。
「いや、関心していたんだ。いいね、話が早くて助かると言うものだ。この都市は魔法術式を編み込んだ魔法術式陣と魔力供給源としての魔石によって発展を遂げた都市でありながらあくまでもそれは都市機能を保つ事に注力されており、それ以上の技術発展については政治上の規制によって管理されている。だが研究をしていない訳ではないのだ、魔術協会に、王立魔法研究所とその支部、そして伯爵以上の爵位を持つ貴族のみが独自に魔法技術における研究の許可を得ており、日々研鑽に励んでいるというのが魔法技術研究の実態だ。ここまで言えば私が君に何を期待しているかは判るだろう?」
「魔法技術の研究、そして発展。それも一般大衆向けの生活向上に関わる領域全般、でしょうか」
「そうだ。どうだろうか、君のように能力を持った人間は戦闘技術をこそ向上させるべきという思想が貴族においては多くあるのが事実であるが、一方でそうした俗世に通じる技術こそ後の世に残されるべきでは無いだろうかと私は考えているのだよ。君の手にある指輪などその最たるものではないかな。魔力効率の上昇は即ち魔石消費量の低下に直結する。現在は高価な資源であるが需給バランスが崩れればそれが平民の手元にも供給される日が来るやもしれぬ。こうした基礎研究こそが未来を支える礎となるのだ。私達ガイゼルダナン家はそうして森を拓き、都市を築き、人々の暮らしを支えて来た。是非、君にも将来はその一翼を担って欲しいと考えている」
このシャルマという男が恐らく貴族特権的な階級制度が蔓延る世の中において貴族としてそぐわないのだろうという事は容易に想像出来た。王でも無く、国でも無く、彼は人の為に魔法を活用しようと考えている。それは恐らく本来彼が求められている方向性とは真逆の物である筈であった。
今の話をキアラは目を輝かせて聞いていた。その様子から二人とも研究者肌とでも言うべき人種であるように見て取れた。しかし、私としてそう易々と承諾できる身でもない。王都での情報収集が終われば再びトリポリ村へと帰るのが役割であった。
「ありがたいお言葉痛み入ります。しかしながらこの場で即答出来ない事をお許し頂ければ幸いです。残念ながら未だ不肖の身にてこの目で見聞きするべき事柄が多く御座います故」
「ふふ、いやすまない。結論を急がせるつもりは無かったが、思わず本音が出てしまった。キアラに聞いたところ洞察力もさる事ながら魔術師としての腕も申し分無いと聞く。既にルーネリア嬢からの専任依頼をこなしているとの事であれば、サンデルス伯爵に対する手前もあるだろうからな。私の用向きは今し方伝えた通り。して、ラクロア君は私の勧誘を承知しながらも返答を保留にすると言う。それであれば私に会いに来た理由が他にもあるのだろう」
シャルマ公爵が何処まで情報を握っているかは判然としなかったが、城塞都市からの出入りについては常に検問により情報が筒抜けになっているとするので有れば、大凡の事態を掴んでいる可能性は十分にあると言えた。
「はい。有り体に言えば教皇派と名乗る者達にガイゼルダナンへ赴く道中で狙われました、敵の中には騎士と魔術師がおり、組織だった動きを見せているようです。詳細は控えさせて頂きますが交易都市であればこそ、シャルマ公爵が握られている情報があるのではと考えお伺いした次第です」
シャルマ公爵はふむ、教皇派という言葉を聞くと押し黙ったまま私を改めて見定めるように眺めていた。その反応が何を意味するのか、即座には判然とはしなかった。
「……君はこの叙任権闘争についてはどの程度まで知っている?」
「国王が持つ教皇権、この叙任を巡って、聖堂国教会が教皇の復権を目指して暗躍している可能性が有る、といった程度でしょうか」
「なるほど、それで君はその闘争に今後も身を投じるつもりかな?」
「いえ、降りかかる火の粉は払うまでです。残念ながら今後も襲われる可能性も十分にある以上、相手が何者であるのかを正確に把握する事が肝要かと考えております。現時点において私はルーネリアの護衛ですからね」
シャルマ公爵はそこまで聞くと、どうしたものかと逡巡した後に、意を決したように私に再び依頼を投げかけた。
「それであればこそ、私は君に依頼をしたい事がある。聞いてもらえるかな?」
「……伺いましょう」
「ガイゼルダナン家として君に依頼したいのは、王都における魔法技術、特に魔法術式を稼働させる動力に関する考察。可能であればその技術若しくは動力そのものが一つ欲しい」
私はシャルマ公爵の依頼の意図をはかりか目を細めると、公爵は気にした風でもなく説明を続けた。
「王都は魔法技術研究の粋を集め、都市機構を運営している。それはガイゼルダナンにおいても同じことではあるが、問題はその動力部分にあるのだ。この城の動力は魔石鉱山から採掘された巨大な魔石を基に運用が為されている。しかし、その消費量は如何に効率を高めたとしてもかなりのものとなる。それ故に、都市機能の中でも一部、特に生活基盤となる衣食住に限って運用を行わざるを得ないのが実情なのだよ」
資源の限界が結果として魔法技術の一般的な拡大を阻害している、要はそういう事なのだろう。魔石鉱山とて資源は無限にある訳ではない。それであれば、ある程度制限を設けなければ枯渇した時に都市運営に致命的なエラーが生まれる可能性が有ることを見越しているということだろう。
「大陸に出回っている魔石流通の約九十五パーセントをこのガイゼルダナン魔石鉱山が担っている。しかし、流通量に占める王都への輸出量は王都勤めの貴族連中の趣向品向けや一部の鍛冶職人への納品という極めて微々たる物量でしかない……この意味が君には分かるかな?」
「推論としては、王都が保有する魔石鉱山の存在、又は、超高効率化された魔石使用の為の術式の存在、若しくは魔石が必要とならない何らかの動力機構が存在している、という事ですね?」
シャルマ公爵は目を瞑り頷きながら肯定を見せた。
「話が早くて助かる。私はその調査を君に、ひいては『白銀』にお願いしたい。貴族連中は信用出来ない。そして技術を牛耳る魔法技術研究所も同様だ。君のような特殊な立場の者であればこそ信頼が出来るというもの」
シャルマ公爵の不可思議な物言いに私は疑問符を浮かべながら改めて公爵に問う。それは何故かと。
「私が信用出来る理由はなんですか? 所詮は一介の冒険者に過ぎませんよ?」
「その背に生える、『魔翼』こそが信頼の証さ」
シャルマ公爵の瞳は翡翠色に輝きを帯び、私を見つめていた。その瞳の色はこれまで幾度と無く目にした魔眼の輝きであり、彼が何等かの能力を有している事を裏付けるものに相違なかった。