ガイゼルダナンへの帰還
ガイゼルダナンの宿屋に戻る頃にはそろそろ夜も明けるかと言う時間ではあったが、ザンクは一睡もせずに一同を待ち詫びていた。私達の到着を見たザンクは安堵した様子で出迎えてくれたものの、ヴァリスの亡骸を見ると途端に態度を変化させた。
『微睡の矛』は衰弱しているアルバートの介抱と今後の方針を決める為に暫く時間が欲しいと一度、それぞれの部屋へと散る事となった。
気を失ったままのルーネリアに対しても同様に、キリシアが介抱を担当することになり、何れにしても今後の方針はアルバートとルーネリアが話せるようになってからであるとして、我々も休息をとる事となった。
私のオドは極めて消耗が激しかったようで、身体の調子を戻すのに若干の時間が必要で有る事を感じていた。エーテルを変換したマナの使用とは異なる精神的、肉体的な磨耗を初めて感じ、己の人間としての限界を改めて考えざるを得なかった。
(不思議なものだな……魔翼にどれほど頼っていたのか、そのツケがこれという訳か)
ヴァリスの死を目撃したミチクサ、スオウ、ザイの消沈具合は甚だしかった。言葉にせずともヴァリスを助ける事が出来なかった事を悔いているのは明白であり、死者に対して暫く祈りを捧げると、部屋に残り瞑想を行なうとのことであった。
「旦那も眠れないのでしたら、風呂にでも入って一度緊張を解して下せえ。戦場帰りってのは昂って仕方ないものですからね」
私はそういうザンクに促されるまま、宿屋に併設されていた浴場を貸し切り、溜まった汚れと疲れを洗い流す事とした。
切り出しの黒曜石が敷き詰められた床は美しい仕上がりを見せ、外気を上手く取り込むように設計されており天井も高く設計されていた。
浴槽も思いの外広く、二十人程度は同時に湯船に浸かる事が出来る設計となっていた。流し場も確りと用意されており、水を引き込む為の術式と、水を温める術式等、随所で魔法が用いられ、贅を尽くした作りとなっているようであった。
流石に湯の再利用迄は想定されておらず、あくまでも井戸水か河川の水を引き込み殺菌処理と異物除去を施している迄であった。
トリポリ村には湯浴みを行う為の公衆浴場が川縁に設置されていたが、毎日の様に入りに行っている人は少なかったように感じられた。どちらかと言うと一部の魔族が面白がって使用する事が多く、子供達は側の川で水浴びをする機会の方が多かったように思える。
衛生観念という面において。風呂の発展は感染症の蔓延にもつながるが、完全な下水道の完備と定期的な清掃が行われればその限りではない。疲労で回らない思考ではあったが、それでもこうした部分がやけに技術的に発展していることについては注目すべき点であった。魔法技術を用いたトリポリ村での農業然り、人族の生活基盤はこれでもかとばかりに確りと整えられていた。
しかし、そうした技術発達よりも前に、私が入手した情報量の精査に思考を回す必要が有る事にふと気が付き、我ながらその抜けっぷりに苦笑せざるを得なかった。
「ルーネリア、未来予知、教皇派、人造の獣、天族、天上の使徒、幾つかのキーワード。魔装を用いたアルヴィダルドの強さは、アイゼンヒルに匹敵するレベルと考えた方が良いか……。いや、アイゼンヒルの実力が辺境騎士を凌駕していると言うのが正しいかもしれんな……、冒険者組合や貴族の在り方から野に放たれたままの実力者の数は多くないと踏んでいたが、この辺りは再度確認する必要があるか……。何よりも問題は魔翼を見られた事だな……」
背中に生える魔力結晶体は私が持つオドによって普段は常時押さえつけられており、可能な限り体外へ出さぬ様に管理をしていたが、私のオドの弱まりと共に制御が弱まり、身体を動かす為の魔力を自動的に確保する為に微量のエーテルを吸い上げマナへと変換を続けていた。
魔翼をアイゼンヒルや『微睡の矛』に見られたのは想定外であったが、この辺りが今後どのように作用するのか、先を考える必要があった。ガイゼルダナンからは20㎞と離れた廃城であったが、何等かの都市機構が有する魔力検知網等があればそれに捕捉されている可能性も有り得、思考は纏まらず数多の可能性だけが脳裏を過ぎてゆく。
湯船に浸かりながら幾つか考えを纏めていると、脱衣所に人の気配が現れた。貸し切りにした筈であったが、躊躇無く中に踏み込む気配は見覚えのあるものであり「入るぜ」という声と共に現れたのはアイゼンヒルであった。
均整の取れた身体は頑強な筋肉によって包まれており、彼が着痩せするタイプであるのだと、男だてらに強く印象付けられる、そんな身体の鍛えられ方であった。彼も私同様に戦闘によって汚れた身体を洗い身嗜みを整える為に此方へやってきた様であった。
アイゼンヒルは素早く身体を洗うと、私の入る浴槽に躊躇無く足を踏み入れた。
「それが魔翼か」
開口一番が彼自身が持つ認識の確認であった。
「魔族が持つとされる魔力機構か……それこそ御伽噺の世界の話だと思ったぜ」
アイゼンヒルがいうのはこの人族の世界においては誰もが知る七英雄物語に描かれている『魔翼』を指しているようであった。
「確かに七英雄物語の中でその存在は語られていたね。『魔族の中でも力を持つ者は背中より美しき魔石に似た鉱物を模した翼を生やし、その力は山を穿ち、川を干上がらせる程であった』第一章、ローレル・ベルクランドの戦いで描写されたものだったかな」
「ガキの頃に良く読んだが、今や誰もその虚実を知る者はいない。だが、俺達が魔族を倒す為に先祖代々、技術を磨いてきたのは事実だ」
アイゼンヒルの言いたい事は明白であった。お前は魔族に連なる者なのか、その一点に質問は絞られていた。
「ふふ、僕が魔族に見えるかい?」
アイゼンヒルは僕の質問に対して即座に明朗な回答は返さなかった。暫く間を置いてから言葉を寄越した。
「人間の皮を被った魔族が居るとするならば、お前をそう言うんだろうぜ。その見た目に近衛魔術師すら竦み上がる魔力量、常人と定義するのには無理がある」
「……人造の獣、奴等は僕に対してそう言っていたけれど、アイゼンヒルはこの意味が分かるかい?」
私の質問に対して、アイゼンヒルは目を細めながらに答えた。
「さあな、少なくとも俺には検討がつかない」
「彼等曰く、天上に仇為す獣らしい。どう言う意味だろうね?」
アイゼンヒルは問答を続ける私に業を煮やし直接的な質問を投げ掛けた。
「てめえは何が目的なんだ」
「この世の破滅、とでも言えば様になるかな?」
「てめえ」
アイゼンヒルは立ち上がると凄まじい剣気を放ち私を威圧していた。
その素直さに思わず私は笑いを堪えることが出来なかった。アイゼンヒルには冗談が効かない訳では無いが、焦らされるのは好きではないということなのだろう。
「ははは、冗談だよ。此方としても迷惑な話さ。まあ少なくとも今日のやり取りで教皇派に与する者ではないと言うことは証明出来ただろう? 僕は僕自身の成り立ち含めて知りたいだけさ。それでなければルーネリアに協力等しなかった。逆に聞きたいね、ルーネリアは何故僕を今回の旅路に同行させたのか、彼女は見えていたんだろう? 何を見て、何を思い、何を求めたのか。君達は奴ら、七大聖天なる化物の存在を知っていたんじゃないのか?」
私の回答と質問を聞き、アイゼンヒルはゆっくりと湯船に再び腰を下ろした
「お嬢が目を覚まし次第話してやるよ。事の顛末って奴をな」
「そうかい、じゃあそれを待つとしようか」
私はそう言って足早に風呂場を後にすることとした。