天上の意思を知る者達 その5 『クレアート・アインハルト』
廃城の地下はぼんやりとした光が満ちており、魔石によって光量が確保されていた。天井は三メートル程度と、それなりの高さがあり独房は地下の最奥に設置されている。
元々は隠し部屋として設置されただったものが、風化と共に一部壁が崩れ、露出した形となり、そこに嵌め格子を後から付け加えた粗末な作りであった。
はち切れんばかりの魔力の奔流を私は感じ、思わず自分の持つ魔法術式を組み込んだ杖を強く握りしめてしまった。その魔力規模は人間から感じるものでは無く、何か別の次元の生物が放つものであるかのようであった。
「クレアート、何か感じたのか?」
私の異変に気が付いたのはヴァリスであった。その表情から察するに、彼もまた地上で何事かが起きている事を感じている様であった。
予定通りに行かないのは世の常であるが、白銀の魔術師による魔力感知と精密狙撃によって場が混乱した後にルーネリア様とアルバート様を連れてその場から逃げる算段であっただけに、私達は一様に戦闘から逃れられない事を察知し、空気がひりつくのを感じ始めている。
私達は既に地下のアルバート様の囚われている地下牢のすぐ側にまで来ており、見張りの二人の魔術師へとルーネリア様を引き渡し、彼女が独房へと入れられる間際であっただけに、状況は芳しく無い。
「上で何か有った様だな。シンルード、お前も感じただろう?」
見張りの魔術師も当然の様にその魔力の気配に気が付いた様で、意味ありげに我々に嘲笑に近い微笑を浮かべていた。
「ああ、エルアゴール様の魔力だな。ルーネリアを追って来た者と対峙していると考えるのが妥当だな。今頃はその鼠を始末している頃だろうよ」
シンルードと呼ばれたもう一人の魔術師も、当然とばかりに頷き、今の状況を把握している様であった。
「さて、そこで我々は考えなければならない。この廃城へ奴らを導いた『微睡の矛』が裏切ったのか、それとも後を尾けられていた事にも気付かぬ間抜けか。エネルクスよ、貴様はどちらだと思う?」
シンルードの呼びかけに反応して既にエネルクスは何らかの魔法術式を構築し始めていた。詠唱による構築では無く、足元に描かれた魔法陣へ直接魔力を流す事で魔法を発動させる形式であり、口頭詠唱よりも発動が速い事が特徴であった。
私達の中で状況を理解し飛び出したのはダルヴィードであった。
魔法構築の前にエネルクスに攻撃を加えようと手に持った短剣を投擲する。それに合わせてハーサイドが腰から剣を引き抜き突貫した。
しかし、魔法抗力が発揮される方が早く、寸でのところで魔法障壁が構築され短剣は弾かれた。
エネルクスが魔法障壁を維持する事に専念し、もう一人の魔術師であるシンルードが詠唱による攻撃魔法術式を構築し始めていた。
不味い、そう直感した矢先にヴァリスが声を上げた。
「クレアート、ダルヴィードとハーサイドを援護しつつ魔術師を倒せ。私はこいつを相手にする」
私がその声に反応して目線を送ると、ヴァリスの目前には先程迄は姿どころか気配すらも見せなかった全身鎧に身を包んだ騎士が立ちはだかり、凄まじい剣気を放っていた。騎士を目前にヴァリスも同様に戦闘体勢に入るが浮かべる表情に余裕はなく、額に汗を掻き、騎士の危険度を肌で感じている様であった。
ヴァリスに指示に頷きつつ私は即座に詠唱による防御魔法を完成させ展開した。
「大いなる地の胎動を聴きし者、願い、誇り、尚恩寵に縋る、『マテリアルプロテクション』」
通常の魔法障壁と違い、ダルヴィードとハーサイドの動きを阻害しない様に対象者の周囲を覆う形で抗力を発揮させた。白銀の魔術師が用いた無詠唱かつ長広範囲の障壁とは比較にはならないが、集団戦闘、それも近接戦闘においては十分な防御力を誇る魔法術式であった。
秒差でシンルードの詠唱が完成し、風属性の中級魔法である『ウインドカッター』がダルヴィードとハーサイドを直撃し、真空波が二人に掛かる魔法障壁を引き裂いた。
魔法障壁によって弾かれた風の刃は威力を減衰させつつも、地下の煉瓦が敷き詰められた天井並びに足元を切り裂き、特大の爪痕を残して見せる。
二人はその威力に若干驚きながらも突撃を止める事はしない。魔力を込めた剣戟を先ずはエネルクスへと放ち、攻撃を阻む魔法障壁を引き剥がしに掛かる。
その間に再びシンルードが二発目の攻撃魔法術式を詠唱開始し始めるのを感知しつつ、私は再度『マテリアルプロテクション』を唱え対抗を図る。
魔術師二人に対してこちらは四人。しかも地下と言う限定的な空間で互いの距離が近ければ相手がいかな優秀な魔術師であったとしても勝機があると当初、私は睨んでいた。
(そう思っていた筈なのに……!!)
しかし、その一方で残存する魔力と、目の前の二人の魔術師の力量を天秤にかけ此方の不利を感じていた。均衡を崩す手段が手元に無い以上、アイゼンヒルと『白銀』の登場を待つしか無い状況に絶望感を覚えつつ、今できる最善手を打ち続けるしか無かった。
敵魔術師の連携もさることながら、魔法術式の発動速度が極めて高く、その正確性は明らかに私の能力を遥かに凌ぐものであった。ダルヴィードとハ―サイドがいなければ瞬く間に私は彼等の魔法の一撃の下、地に伏す事となっていたに違いなかった。
そこに突如光明が舞い降りた。
「禍々しき坩堝の彼方、押し潰し、反転する。汝、遡上の不可逆を知るがいい――グラビティバインド」
それは、その場に居る誰にとっても考慮外の一撃であった。地下を崩壊させかね無い重力波の衝撃がエネルクスとシンルードを同時に襲い、二人を護る為に構築されていた魔法障壁は衝撃に耐え切れずに瓦解した。
「糞がッ!! 魔法を扱えるとは聞いていないぞ!?」
「余所見をするな、来るぞッ!」
体勢を崩されたエネルクスとシンルードの姿を好機と見たハーサイドとダルヴィードがその隙を見逃す筈はなく、それぞれに押し迫り、抜身の剣を容赦無く振り抜き、すれ違い様に致命の一撃を加えた。
「ふふ。あとは、頼みますね……」
魔法の詠唱者は魔術師二人の背後に居たルーネリア様による物であった。彼女は魔法が使用できないと専らの噂であったが、どうやらそれは周囲の認識を欺くための虚言の様であった。
しかし、今の一撃で彼女の残存魔力は失われた様で、ずるりと膝から崩れ落ち、そのまま気を失ってしまった様であった。
ハーサイドとダルヴィードがルーネリア様とアルバート様の安全を確保するのを確認するのに合わせて、私はヴァリスの援護を図ろうと改めて防御魔法を構築しようとした時、視界に入ったのは、敵の騎士が放った一撃によって肩口を引き裂かれるヴァリスの姿であった。
「ヴァリスッ!!!!」
周囲に舞い散る血飛沫と、鮮血が肩口から足元へと滴り、徐々に赤黒い血溜まりとなる様は悪夢を見ているかの様であった。ヴァリスの鎧を引き裂き深々と肩口に押し込まれる騎士の大剣による一撃をヴァリスは咆哮と共に何とか切り上げ様に押し返したが、明らかに傷口は深く、それ以上の戦闘継続は困難であるのは明白であった。
「ダルヴィード、ハーサイド。御二方を連れて脱出を図れ。私はこいつをこの場に留める。アイゼンヒル殿とラクロア殿達と合流すれば後は上手く行くはずだ。二分が精々ではあるが……悪いが貴公には付き合ってもらうぞ!!」
ヴァリスが意を決して命令を告げる姿には、私達に有無を言わせない迫力がそこにはあった。
「二分とは大きく出たな。その様では三合と持たんだろうに」
騎士はフルフェイスの兜により表情は見えないが、その語りは彼我の戦力差を的確に指摘していた。彼の身体に漲る魔力は凄まじく流麗であり、明らかな練度の高さを伺わせていた。辺境騎士クラスかそれ以上か……彼が相手では準上級冒険者ではまともに戦ったとしても勝ち目が薄い事を私達は重々承知していた。
「ふふ、それはやって見なければ分からないさ。準上級冒険者『微睡の矛』ヴァリス・アンダルシア、真名を以ってお相手いたそう」
「その心意気や良し。天上の使徒が末席、アルヴィダルド・イクティノス。参る」
その名を聞いたときにヴァリスの表情が曇りを見しせたのを私は見逃さなかった。
「アルヴィダルド・イクティノスとは……近衛騎士を除隊されてから名を聞かなかったが、このような場所でお相手する事になるとはな……」
騎士アルヴィダルドの放つ剣圧に、呑み込まれそうになる感覚を覚えながら、私は衰弱したアルバート様とルーネリア様を運ぶダルヴィードとハ―サイドを横目に見た。
二人は覚悟を決めたようで、ヴァリスにこの場を任せる腹積もりであるようであった。
「ふふ、そこな三人を逃がすつもりとて、私がそう簡単に行かせる思っているのか?」
魔力の満ちるアルヴィダルドの肉体と剣から放たれる明確な殺気の嵐。ヴァリスとの一騎打ちに臨みながらも、私達を逃すつもりがないという意志は本物であった。
その時、アルヴィダルドの背後に僅かに感じる見知った数人の魔力気配に私は光明を感じた。
「新手か……」
アルヴィダルドは振り向き様に腰溜めから大剣を振るうと、自らを目掛けて撃ち込まれた矢を切り払って見せる。
硬質な音と共に弾かれた矢は軌道を変えて天井に深々と突き刺さった。十分に魔力が籠った一矢にアルヴィダルドは若干の警戒心を露わにし、剣気が研ぎ澄まされる様が感じ取れた。
「形勢逆転といったところですかね」
まず姿を見せたのはスオウであった。彼も既に双剣を引き抜き魔力に依る肉体強化を施しアルヴィダルドの前に立ちはだかった。
「ああ、ヴァリスの旦那も丁度いい塩梅のようだからな。加勢させてもらうぜ」
次に姿を現したのは鉈のような形状の特殊な大剣を構えたミチクサであった。彼もスオウ同様に身体と剣に魔力が確りと巡っており、戦闘態勢が整っている事を指し示していた。
「援護はこちらで受け持つ。お前達、隙を見せるなよ」
後方に見えるのは先ほどの弓矢による射撃を行ったザイであった。三人とも当初出会った時よりも十全に魔力を操り、全身に漲る魔力は別人の様であった。
そして、その背後に付き添うようにルーネリアの侍女である筈のキリシアが控えていた。彼女の身体からは凍てつく様な魔力が迸り、既に完全な臨戦態勢を整えていた。この数週間の間、彼女に対してさほど意識を持った事は無かったが、ここに来て彼女が熟練の魔術師である事を私は理解していた。
(これなら、何とかなるかもしれない……)
「ふむ……、中級冒険者に一級魔術師程度の助力か……数が増えたところでそれにどれほどの意味があるかな?」
アルヴィダルドの声音は自らが挟み撃ちにされているにも関わらず怯えや焦りの類は感じられず、寧ろ自らの力に対する自身を覗かせるものであった。
「最優先はアルバート様とルーネリア様の安否だ。『白銀』の三人、そしてキリシア殿、暫し力を借りるぞ」
ヴァリスはそれだけ言うと、地面を蹴り『白銀』の三人と向かい合うアルヴィダルドの背後へと切りかかった。
アルヴィダルドはそれを見向きもせずに高速で旋回すると共にヴァリスの一撃を凌ぐと共に、反撃とばかりに大剣を振るおうとしていた。そこにすかさずザイによる射撃が迫り、アルヴィダルドは横飛びに身を躱さざるを得なかった。
その体勢を崩した様子を見て、ミチクサが好機とばかりに突貫し、大剣の一撃をアルヴィダルド目掛けて振り下ろした。
「うおおおおらああああっ!!!!」
裂帛の気合で繰り出された一撃は、ミチクサの万力と魔力が作用し瞬間的に大剣とは思えない速度と威力で振るわれ、アルヴィダルドは自らの大剣の腹ばいでそれを器用に受けるが、その威力を殺しきれずに数メートル程後方へと吹き飛ばされた。
ミチクサの一撃によって、地上までの道が確保され、ダルヴィードとハ―サイドが躊躇いなく駆け出し、私もそれに続く事とした。
「ヴァリスをお任せします!」
私の声に『白銀』の三人が頷き、脱出を促した。
(皆、死なないでよね)
私の祈りに似た願いをそこに置き去り、私は先ずはアルバート様とルーネリア様をこの廃城から脱出させる為に心血を注がなくてはならない事に意識を切り替えなければならなかった。
未だ私たちは困難に置かれている事に変わりはないのだから。