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魔族的宥和政策が人族の目から如何に映るのか僕達は未だ何も知らない  作者: 緑青ケンジ
第三章 隔絶された世界の行く末は何処にあるのか
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ガイゼルダナン


 私には娘が居た。


 娘はまだ三歳になったばかりで、私が家に帰れば『おとうさん』と可愛い声を上げて病床から身を乗り出し抱っこをせがんでくるような子だった。その小さく愛らしい命は、私にとって掛け替えの無い宝物であり掛け替えの無い唯一無二の存在だった。


 彼女は生来、病を患い長く生きる事は出来ない定めであった。いつも小康状態と熱病が繰り返し訪れ、今にもその命の灯火が掻き消えてしまうかの様な日常が彼女の全てであった。


 私は、彼女に忍び寄る来る死という別れの瞬間をどうすれば遠ざける事が出来るのか、そればかりを考え生きていた。


 平民の出自でありながら、才能に恵まれた私は気が付けば第一級の魔術師として魔法技術研究所へと迎えられた。研究への貢献によって褒賞は思いのままであり、自身の魔術師としての力が熟練の域へと達するのも時間の問題だと思っていた。


 輝かしい未来、しかしその先に娘の姿がない事を私は理解していた。魔法術式の腕がどれだけあったとしても、娘の命一つ救う事が出来ない不甲斐なさと、この世の理不尽さを私は恨んだ。


 彼女の命を救う事ができるのであれば、その未来を私は切り拓く為に、全てを賭ける覚悟が私には有った。相手が神でも、悪魔でも、何者であっても構わない。彼女を救うだけの力が欲しかった。


「それは叶ったのかい?」


 私が奴に協力をすれば、娘の生命を昇華させその灯火を存続させる事が出来ると奴は言った。私はそれで構わなかった。彼女が生きてさえいれば、それ以上の事を望むことはない。


「思い残す事は?」


『ない。ただ……もしも、もしも叶うのであれば、もう一度あの子の、ターニャの笑顔を見たかった』


 男はこの場からは見る事が出来ない遥か彼方を望郷しながら寂し気に呟くと、一筋の涙を流した後に、光の粒となって跡形もなく消え失せた。



 移動中にうたた寝したいたようで、目が覚め気がつくと私の頬は涙に濡れていた。


 酷い動悸を感じると共に、自分の感情とは思えない哀愁と愛執を感じ、気持ち悪さを覚えていた。それは今まで私が感じた事の無い、願いであり身体では無く、感情を、心を締め付けられるような嫌な感覚であった。


 先程見たものが夢であるのか、そうでは無いのか。判然としなかったが、考えたところで結論が出る事はなかった。


「旦那、あまり良い夢では無かった様ですねえ」


 御者席に座るザンクが茶化す様に私に言って来たが、私は「まあね」とだけ返し、話題を変える事とした。


「こんな事に巻き込まれてザンクも運が無いね」


「要人の配送って言うのは毎度こう言うものですよ。平民が知らない場所で貴族は互いに命の取合いをしているって事ですかねえ」


「他人事みたいだけれど、実際はそう言うものなのかもね……。それでガイゼルダナンへは後どれくらい?」


 ルーネリアを目的とした襲撃があってから既に二週間が経過したが、その後に再度襲撃を受ける様な事は無かった。位置関係からして、敵方の魔術師が死んだ事をまだ教皇派は知り得ていない可能性もあった。もちろん何らか超長距離での連絡手段が存在すればその考えは捨てた方が賢明であるが。


「夕方までには着くでしょう。そこからは旦那達は徒歩で移動されるんですよね?」


 ガイゼルダナンから廃城までは冒険者であれば半日もあれば十分に走破出来る距離であった。夜襲を掛ける形でアルバートを救出する計画を、敵の内情を良く知る『微睡の矛』とアイゼンヒルが考えていた。私もその話に参加しながら幾つか作戦を考えてはいたが、提案した案は猛反対を受けあえなく却下となった。


「まあ、そうするとルーネリアの護衛をどうするのかという問題が有るのだけれどね。ガイゼルダナンの辺境騎士に一時的に護衛をさせる事になるとの事らしいけれどもね」


 ザンクは私の言葉に不思議そうな表情を浮かべていた。


「寧ろ、ガイゼルダナンに駐在する辺境騎士や辺境魔術師も動員してアルバート様をお助けすれば良いんじゃ無いのですかね?」


「まあ、伯爵の娘に口止めが出来る程の権力は無いって事さ。聖堂国教会内部の内紛に紐づいた誘拐事件とするのであれば、その火の粉が回りまわって彼女に降りかかる事にもなりかねない。アイゼンヒルが辺境騎士でありながらルーネリアを護衛するのは、あくまでも彼がサンデルス家に対して忠誠を誓う騎士だというのが理由だからね。貴族の家々の構図は分からないけれど、少なくともそういうものみたいだね」


「ああ、まあそれはそうなのでしょうね。アイゼンヒル様はゲルンシュタット家の三男ですから、昔はサンデルス伯爵家へお礼奉公をされていた様です。辺境騎士への計らいも伯爵からされた様ですし、その辺りの関係が深そうですねえ」


「やけに物知りじゃないか。ラトリアの商人は情報まで売り買いするのかい?」


「人聞きの悪い事を言わんで下さいよ。ロシュタルトで旦那が龍退治をしている間に色々と耳に入って来たんです。ルーネリア様がロシュタルトにいらっしゃった事も噂になっていましたからね。そんな事も知らずに魔獣討伐に精を出していた旦那の落ち度ですよ」


「なるほど、ザンクが僕たちの代わりの目と耳になってくれて助かるよ」


「はは、それも運賃代に入っているって事ですかねえ?」


「まあね、僕達にとっての主目的はルーネリアを送り届けたその後にある訳だし、それ以外は些事さ」


「ははは、これから魔術師連中とやり合うと言うのに、それを些事とするのは実に恐ろしい方ですねえ。後ろの三人はずっと訓練を続けていると言うのに、豪胆な方だ」


 私が御者席に鎮座しているのも、荷馬車内で黙々と魔力操作の訓練をこなし続ける三人の気を散らさない為であった。私から見ても三人の集中力は凄まじく、『微睡の矛』の皆から受けた訓練が如実に成果として現れている様であった。


「彼らにとっては良い経験になると思うよ。ヴァリスに至っては僕たちよりも上位の冒険者だからね。彼等から得られる物は上手く吸収して、それ相応になってもらわないと」


 三人が強くなる事は『白銀』として決して重要事項では無かったが、一方で彼等の生存能力が上がる事で私の負担が少なくなり、チームの運営は円滑化される事は間違いなかった。十歳で中級冒険者の魔術師というのは些か悪目立ちする事をロシュタルトで知った以上、さらに大きな都市においては更に奇異の目で見られる可能性があると私は考えていた。それであるならば、私自身が添え物程度となる様に三人が強くなれば良いだけの話であった。


「さては、何か悪い事を考えていますね?」


「ザンクは酷いことを言う奴だなあ、僕は必要だと思う事をしているだけに過ぎないよ」


 そんな軽口を交わしていく内に日が暮れだし、夕陽と群青のコントラストの先に大きな都市の外苑部が姿を現し始めて来た。


「旦那、漸くガイゼルダナンが見えて来ましたよ。城塞都市という言葉に違わず、見事なもんでしょう」


 ガイゼルダナンは北東部に聳える高い山を背にし、東西南北の要所として機能する扇型に広がる都市であった。切り出された岩で造られた城壁は極めて高く、古めかしい造りではあったが、神々を象る様々な彫刻がその側面に施されていた。


 常に人の出入りが有り、数万人の人口を持つ都市との事で、ありとあらゆる物品が流れており、極めて活発な交易が行われているとの事であった。ガイゼルダナンには地下水を汲み上げる魔術機構が存在し、都市内部は極めて清潔に保たれているとの事であった。


 下水やゴミ処理における処理機能の高さはそのまま都市の繁栄に繋がると、代々の管理者であるガイゼルダナン家の思想によって長年に渡って手塩に掛けて築き上げた都市であり、冒険者、行商、農民、平民、貴族が交錯する地方における巨大都市として発展して来たとの事であった。


「落ち着いたら一度と街を回ってみたい物だね」


「それが良いと思いますよ。旦那の興味を惹く物としては、ガイゼルダナンでは魔術師協会の認可の下で一部魔術書の取り扱いを許されている専門店が有るようですから、その辺りは旦那にとっては興味が惹かれるかも知れませんねえ」


「ほう、図書館に置いていない魔術書もあるのかな?」


「私は魔術師じゃあないのでなんともですが、どうやら戦闘に関連しない魔術書なんかを取り扱っているみたいですよ。勿論ある程度の審査を魔法技術研究所でも行っているとは思いますがね」


 戦闘に関連しない生活用魔法というのは少し興味が惹かれる物があった、民間でそうした魔法技術の発展を目指す動きがあるとすれば、想像以上にシュタインズグラードという国は懐が深いのかもしれなかった。


「旦那、あれが西側の城門ですよ」


 馬車に乗って西方に構えられた城門に近づくと、そこには華美になり過ぎない程度に、しかしその威厳を損なう事の無い豪奢な石材装飾が施され、見る者を圧倒する門構えを誇っている様が見て取れた。


「あれは七英雄が一人、ガイルザイト様と魔族の戦いを掘り上げた物です。何度来ても圧巻ですなあ」


 剣を振るう男と、槍で受ける魔族が描かれたその彫刻が描き出す描写と魔族に何処か見覚えがある気がした。まじまじと見つめると、爬虫類顔と特徴的な槍の形状からそれがシドナイを彷彿とさせる事に気が付き、私は内心で笑みを浮かべた。これを聞いたシドナイが、それは嬉しそうにはしゃぐであろう事が容易に想像できたからであった。


「中はもっと凄いの?」


「勿論です、きっと旦那も驚きますよ」


 検問ではルーネリアの存在を伝えると直ぐ様彼女が泊まれる貴族用の区画が用意され、十分もしない内に城下街へと進むことが出来た。


 確かにザンクの言う通り、城下には美しい街並みと、想像以上の数の人々によって溢れ返っていた。ロシュタルトも活気があると感じてはいたが、その比では無く、ありとあらゆる場所で人々が行き交い、馬車専用の交通網、歩道が整備され、用水路まで完備されていた。白を基調とした石材によって統一された色彩は殺風景な荒野に咲く花の如く美しく均整の取れた世界であった。


「人の技術とは恐ろしいな」


「はは、ラクロアの旦那にも恐ろしいものがお有りですか」


「ロシュタルトや、途中の中継地の村々ではまず見る事の出来ない光景だからね。皮肉の一つでも言いたくなるさ」


 城下街を越えて、北東へと目を凝らすと、其処には山間に作り上げられた城が存在し、城下街から螺旋を描くようにして城までの道が整備されており、馬車を使用しても到達する事が可能な様であった。 


 其処から見下ろす街並みの美しさは目を見張るものだろうという事を想像すると共に、この街に込められたガイゼルダナン家の執念を感じさせられる都市であった。


「案内のあった貴族専用区画はあの辺りの様ですね」


 暫く街を進むと、北東部に貴族専用区画が存在し、そこに存在する宿に私達は一時的に逗留する事となった。



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