旅路と欺瞞、そして理由
馬車の旅は快適であったかと言うと決してそうではなかった。定期的に立ち寄る事のできる休憩所の存在は極めてありがたい物であったが、道中の荷馬車の具合は正直なところ悪戯に体力を消耗させる物であった。
そもそも、整備された道と言っても舗装されているわけではなく、所々に凹凸を感じる地肌が剥き出しとなった道でしかなかった。轍は所々に刻まれており、馬車通りの頻繁さを感じさせるものではあったが、その凹凸は等しく私達の臀部を殴打し続けた。座るよりも寝転がる方が余程楽であると気づいた頃には酷く身体が疲弊しているのを皆感じていた。
ザンクに話を聞くと、ルーネリアが乗り込む馬車には魔法術式が刻まれておりおり、そうした衝撃を吸収する機能が備わっているとの事であった。
それを早言えとばかりに、貴族用の馬車を丹念に魔力感知によって解析し、ザンクの馬車にも同様の魔法術式を施すことで漸く揺れによる不快さから解放されることとなった。
「しかし、そんな魔法があるにであれば、専門の商売がありそうなものだけれどね」
私は腰をさすりながら御者席に顔を出しザンクに皮肉混じりに伝えると、ザンクは笑ってそれを否定した。
「旦那の様に好き勝手に魔法を使える人間なんて多くないんですよ。それだけの力があればそれこそ騎士や魔術師として召抱えられる事になる。市井における技術開発や利便性の向上に力を入れる魔術師はそれ程多く無いって事ですねえ」
「そしたら僕がその専門家になれば冒険家業に身を窶さずにもう少し安全安心に生きれるかな?」
「はっはっは。旦那は若者とは思えない事を言いますねえ。いや確かにそうした商売は多分に需要があるのでしょうが、名声なんかとは掛け離れた商売ですよ?」
「騎士や魔術師が偉いなんて言うにも時代によって移り変わるさ。その内にそうした人間の方が重用される時代が来るかもしれないよ?」
「旦那は面白い冗談を言いますね。魔族だとかそんなのがいなくなる時代が来れば旦那の時代が来るかもしれませんねえ」
「ほう、ザンクほどの商人でも魔族が怖いと見える?」
「いやあ、乳飲み子の頃からお伽話でそんな話を聞いていたもんでつい言葉に出ちまっただけですよ。生まれてこの方魔族なんて見た事ないですからねえ。旦那も聞いた事ないですか? 遅くまで起きてると角の生えた魔族が拐いに来るなんて話。私は散々、四つ上の姉に言われて躾けられていましたよ」
「生憎物心ついた頃には肉親は居なくてね、そうした躾は受けてこなかったね」
「はは、旦那も色々あるんですねえ。まあそうでもなければそのお歳で冒険者に何てなっちゃいませんよね」
「運がいいのか悪いのかわからないけれどね」
「はっはっは! 違いないですねえ。旦那が十歳で中級冒険者になった何て聞いた日にはご両親はぶったまげた事でしょうよ。肉親の肝を冷やさずに済んだと言うのは良い意味でしょうねえ」
「ふふ、ありがとう。褒め言葉として受け取っておくよ」
そんな気さくな会話を交わす内に陽は暮れだし始め、それに合わせ夜営を行う算段をつけなければならなかった。
準備を行いながら改めてザンクと今回の行程について簡易地図からは読み取れない正確な位置情報を確認する事とした。我々が今回進む道のりはロシュタルトを出発しシュタット街道をひたすらに東進した先に位置する、スペリオーラ大陸の西部における要所となる城塞都市のガイゼルダナンを北進してルーネリアの故郷となるサンデルス辺境伯の領地となるタルガマリアに入り、城下街となるセトラーナを通過する事となる。
「しかし旦那、冒険者組合に出回っている簡易地図とは担がれましたね。商人間で出回っている御禁制の商業地図の方がよっぽどお買い得でしょうに」
「流通禁止の地図が商業組合では暗に流通しているって事かい?」
「まあこれに関して言えば、お役所と民間の違いって奴でしょうね。軍事的な観点から詳細な軍事的拠点となりうる詳細や街道については明記をしないとは言うものの、行商仕事で地図が無いと仕事にならんですから、商業組合に所属する行商は地図の携帯を許されるって寸法ですよ。冒険者は冒険者として地図は命綱ですからねえ、その辺りを理解している冒険者のパーティーはわざわざ管理組合に所属している行商を引き入れている事なんかが多いですかねえ」
「ほう。なるほど、それは僕たちに取引を持ちかけていると言う事で良いのかい?」
「出来れば他にも声掛けしたいところですが、先ずは『白銀』の皆さまからの魅力的なご提案をお待ちしていますよ」
「手に入れた魔獣の素材や魔石を優先して供給する契約とかかな? いかんせん冒険者になりたての僕たちには未だ他の冒険者と同じように先立つものも無いからね。寧ろ投資をするのはザンク、君の方だね」
「ははは、そりゃいい。旦那方にどれだけ投資が出来るかは私の胸先三寸という事ですねえ。それは商人の目利きが試されるわけだ」
「ふふ。寧ろ僕らは僕らでザンクからの魅力的な融資条件をお待ちしているよ」
冗談を言い合う間に夜営準備は済み、馬車で待機をしていたルーネリアを呼び寄せ皆で食事を囲む事となった。
「しかし、少し前の村で泊まり込んだ方が安全性を考えると良かったのではないですか?」
スオウが食事をしながら至極真っ当な質問をアイゼンヒルに投げかけた。
「……てめえらは所詮は露払いだ。敵が来ればそれを倒せばいいんだよ」
アイゼンヒルは理由を話すつもりは無いようで、食事を続けようとしていた。
「それは少し横暴というものでしょう。目先に何か憂いがあるのであれば共有して貰った方が動き易いと思うけれどね」
私としても隠し立てされるのは本望では無かった。何か情報を隠されているのであれば、その点に関しては明らかにした方が、護衛の任務をこなしやすいと言える。
「アイゼンヒル、皆にお話しされていなかったのですね。私を取り巻く環境がどのような状況であるのか、護衛を担う以上はお伝えするのが筋と言うものではなくて?」
ルーネリアはキリシアが準備をしていたスープを受け取りながら我々の話に耳を傾けていた様で、アイゼンヒルの不備を丁寧な口調で諫めた。
アイゼンヒルはじっとルーネリアを見つめた後、納得はしかねると首を振った。
「お嬢、こいつらは政治闘争には関係のない冒険者だ。巻き込むにしてもそれなりの裏付けが必要となるのはあんたでも分かるだろう。護衛である事と信用が置けることは両立しない」
アイゼンヒルの立場を私は理解した。ルーネリアだけで無く私達にも配慮した考え方と言えた。
「なるほど、であれば理由は省いてもらって構わないですよ。見立てとして何者かに襲われる可能性とその戦力の程度が分かるのであれば十分です。混み入った理由を得ることは、我々の報酬には含まれてはいないようですからね」
「はっ、ほざきやがる。だが良い心がけだ、下手に首を突っ込む馬鹿よりは余程マシってもんだぜ。……俺達を襲う輩がいるととすれば準上級冒険者以上の者達と考えて良いだろう。辺境とは言え貴族を襲うんだ、大規模での襲撃は先ず有り得ない。目立たない様に精々四人から五人程度のパーティーと言ったところだろうよ。その程度なら俺一人で十分撃退出来る、余計な心配は無用だ」
アイゼンヒルはその短く揃えられた逆立つ金髪を乱暴に掻き上げながら私達に要点を伝えると、手元に残った料理を手早く食べ終え、周囲の警戒を行うと食事の場から離れた。
「すみません皆様。アイゼンヒル様はいつもああいう口ぶりですので」
話を聴いていたキリシアが私達に頭を下げた。辺境騎士であるアイゼンヒルの為に彼女が頭を下げる理由が判然としなかったが、基本的に彼の行動がルーネリアの為であることがキリシアにも分かっているのだろう。
「準上級冒険者以上となると、ラクロア様はいざ知らず、我々では正面からの遣り取りに関しては力不足でしょうね」
「それはどうかな? 準上級冒険者と言うのはパーティーとして認められているだけで、全員が中級冒険者クラスでも成り立つ可能性も有るし、魔獣相手では無く人間相手という事を考えると駆け引きは出来るんじゃないかな? 上級と呼ばれるパーティーの練度がどの程度の物かは分からないけれど、いずれにせよ戦闘を視野に入れて対策を練っておくべきかな。仮に戦闘になるのであれば、三人で相手の戦士を一人ずつ引き剥がして各個撃破を狙うのが良いかもね。魔術師が居る場合は僕が其方を叩けばいいわけだし……まあ、実際のところ警戒すべきは長距離からの魔法術式による狙撃じゃないかな? 特に夜営何かしていると良い的になりそうな物だけれど」
私は自分の考えを口にしながら、念の為に魔力感知の範囲を切り替え、空間情報の詳細な把握から魔力の動きに対する感知に集中する事で飛躍的に検知距離を伸ばす事とした。色、匂い、立体的な位置情報が削られる為、情報収集という観点では不十分ではあるが、範囲内の生物の動向や、特に指向性を持った魔力操作を行う魔術師の動きであれば問題無く検知する事が可能であった。
「しかし、襲われる可能性がある中で我々の様な冒険者を護衛に付ける事自体がリスクであるような気もしますけどね」
スオウははっきりとその点を口にして指摘をした。それについては私自身も思い至っている。素性のしれない『白銀』を護衛に付ける理由が明確ではない。
「それは僕も同意見だね。僕達を疑いながらに味方に引き入れる理由が何であるのかは分からないな。何等か策を講じている可能性はあり得るけれど、その理由が見えないかな。まあ、少なくとも今の時点でルーネリアが無事であるという一点において、僕達に対する疑惑が払拭され得ると考えたいところだけれどね」
それに対してルーネリアは驚いたような表情を見せ、否定をして見せた。
「ラクロア様方が敵である可能性は微塵も考えておりません。もしそうで有るなら、私が気づきますから」
「いけませんルーネリア様、無闇に話す事では有りませんよ?」
キリシアがすかさずルーネリアを諫めるが、ルーネリアは少し不満気な様子を見せていた。その遣り取りを見るからに、彼女の言うことに嘘は無さそうであった。
「ラクロアは私達の護衛を引き受けて下さった。そうである以上、必要な情報は共有すべきと考えています。それに信用はとても大事な事だとお父様も仰っていたのではなくて?」
私はルーネリアとキリシアの会話を聞きながら想像をするに、タオウラカルのサルナエが持つ魔眼の様に魔法に依らない体質に近い能力という物があるのかも知れない。それは私がトリポリ村で学ぶことが無かった情報で有り、人族においてどの様な意味合いを持つのかには興味があった。
「魔法では有りませんね。そうした体質と言った方が良いのでしょうか?」
「ええ、その通り。私は悪意が有る人間は一眼で見聞する事が出来る能力があります。だからラクロア達は大丈夫であると断言できます。魂の澄み渡りがそれを証明していますもの」
魂の存在をルーネリアは当たり前の様に認識している。宗教的な観点も含めて概念的にも共通理解されている物なのか私には理解が出来なかったが、皆の様子を見る限りは、そういうものとして整理されているようであった。
「魂を通して他人の悪意が分かるという事ですか……。まあ確かにそれで判断できるのであれば、越したことは無いですね。ちなみにルーネリアのように魂を見ることが出来る人は多く居るのですか?」
ルーネリアは首を振ってそれを否定した。
「そういう事だから周りに対して情報を漏らさないように先生からも言われているのだけれど、これを以て私の信用として頂ければ助かります」
本当に私達に伝えて良かったのか、キリシアの顔色を窺うと残念そうに首を振っていた。その特殊性こそが襲撃される理由なのではと思い至ったが、深入りするには辞めておいた。
「何れにせよ、襲撃があるのであれば我々が対処しますので食事が終わり次第お二人は早目に眠って頂いて大丈夫ですよ。後はお任せください」
私はルーネリアとキリシアに早めの睡眠を促す事とした。