龍を殺した者達 その9『魔術書と貴族の子女』
私は一日半に渡って砦内に設置された図書館に篭り、蔵書をひたすらに読破し続けていた。
民謡や、冒険譚の類い、人魔大戦における様々な伝記や小説の類い、書物は文化を表すとは言ったものだと、その多様な在り方に私は舌を巻いていた。
中でも一際目を引いた内容としては、人魔大戦がどのように終結したのかについて纏められた物であった。書物内では、人魔大戦は人族と魔族の痛み分けで終わり、その魔族の侵攻を止めたのが七英雄と呼ばれる騎士と魔術師であったとされていた。
人族が敗退したとの記載は無く、史実に対して随分と修正が施されている様が見て取れた。七英雄は皆、その名のみが書き記され、家名と言った血統が描かれる事は無かった。聖堂国教会の聖書や、信仰的な側面を思い返すに、七英雄を神聖視しているのは間違いなく、恐らくは偶像崇拝を行うに当たり現実的な部分をそぎ落とした記載を行っているに間違い無かった。
そうした中で、やはりと言うべきか、七英雄の血族の一人が今で言うところのシュタインズクラード王家の先祖であるとする正当性を証明する記載が延々と記されている箇所を発見し、私は思わず笑ってしまう。これについてはやはり、正当性の確保に王族が何等か関与していると見るのが、妥当であろう。
(問題はこちらだな……)
そうした私の一般的な知識欲を満たす書物とは別に、注力して確認する必要があったのは、中級冒険者として閲覧資格を得た『魔術書』についてであった。
『魔術書』は一般市民への公開がされておらず、基本的には禁書指定にされているようであった。閲覧許可が出されるのは、貴族若しくは、騎士、魔術師の資格を持つ者、又は冒険者管理組合に属する中級冒険者以上の者のみに閲覧が制限されていた。
この『魔術書』について読み漁る事が出来るようになった事は今後の情報戦略上大いに価値があると言えた。
魔術書の管理は国立魔法協会が司っており、基本的には地方都市における図書館の管理運営は彼等が担っているとの事であった。
魔法と言う言葉は多分に漏れず、魔力を用いた現象発生の方法論に他ならない。人族における一般的な魔法術式構築理論はノクタスから基礎を習ってはいたが、トリポリ村での生活の中においては、『魔翼』を介する事で魔法術式の発動を意識と同時に行える私にとってそれらは無用であり、実際に触媒への魔法術式の転写や、魔法陣の作製、その他、詠唱文言の習得は然程重要な物として捉えてはいなかった。
私がここで重視しているのは、魔法とは何処までの事象の発生が可能であるのかという人族としての一般的な認識にあった。
司書に蔵書されている魔術書に記載される魔法術式の等級について確認すると、王立学院の学士生が修める程度の魔術理論との事である事が掴めた。先ずは、ここにある物が一般的な貴族が持つ魔術論理であり、貴族社会においては、このレベルの魔法が共通認識とされていると言う事が分かればそれで十分であった。
多くの魔術書は戦闘向けに書かれた物が多く、その種類は多岐に渡っていると言えた。
火、水、地、風の四元素を用いた小規模から大規模の抗力を発揮する魔法術式。光、音等を用いた探索、探知、妨害、移動の魔法等、様々に体系立てられた知識がそこには記されており、私自身の応用力の拡充という点においても多少の知識になるとも思われる内容だった。
ノクタスが言っていた通り、こうした技術体系を持った相当数の騎士や魔術師が存在する事は、確かに敵対した際には十分な脅威となり得ると言え、改めてこの基本体系の上位に君臨するであろう辺境騎士や辺境魔術師の実力について思考を巡らせざるを得なかった。
(しかし、どの書物も如何にして効率を上げるか、最小限の魔力で最大限の抗力を得るのか、その方法論が主眼とされているな……)
私が普段用いる事の無い、構造物に対する魔法陣や、魔法術式の口頭詠唱は、こうした魔法を用いる上で魔力消費と抗力発揮のバランスを考え、効率化がはっきりと目的化されているあたり、王立学院での教育については、突出した個人の育成とは異なり、如何にして全体の平均的な能力を底上げするのか、と言う思惑が見え隠れしていた。
貴族社会に於いてはこうした下地作りの追求も怠らない傾向があるとすれば、それは技術として極めて洗練された体系を持ち、運用が為されていると言えるのだろう。
加えて、この図書館に蔵書として納められている物は、そのほとんどが目下戦闘に特化したものばかりで有り、一般的な生活様式に組み込まれるような類の、魔法技術の応用論のような書物は殆ど見受けられなかった。
その理由は分からなかったが、傾向としてこうした武力に関する知識、技術、技能が評価される世界が貴族社会では根底にあると、先ずはそう評する事が出来るのだろう。その要因を歴史書や実際に文化に触れる事で紐解く事もまた、第三者としての私の一つの使命であるのかもしれない。
「しかし、力を求める事が優先されているとすると、その矛先がどこに向けられているかは明白。それはそれで今後の対応が難しくもなる可能性も有るか……」
私は国教会の聖典に記された言葉然り、魔族に対する人族の根底意識について思い至りつつも、今はまだ性急に結論を出すことを控える事とした。私の旅は未だ始まったばかりであり、仮定の内に結論を出すのではなく、実際に目にした中で結論を出せば良いと、思い直す事とした。
「あら、ラクロア。こんなところで何をしているのかしら?」
声の方へ視線を移すと其処にはルーネリアがおり、私に声を掛けて来た。彼女は昨日の仰々しい服装ではなく、質素なデザインではあるが、明らかに良質な素材によって作られた服を身に纏っている。髪は巻かれずストレートに肩口まで下されており、蒼い光を僅かに放つ魔石によって飾り付けられた髪留めによって片側の髪が止められ、耳から後ろへと流されていた。
(……昨日とは、また雰囲気が違う、か)
「今日は昨日とは違う服装なのですね、よく似合っておいでです。見ての通り、中級冒険者の有資格者ととなったので魔術書を拝見しております。どのような魔法を皆様が見知っておられるのか勉強させて頂きました」
「ありがとう、普段は動きやすい格好が一番なのよ。ラクロアはいつもその黒いローブを着て居るのね、冒険者とはそう言う物なのかしら? ……それにしても魔術書を読めるなんて本当にラクロアは魔術師なのね、同い年なのに凄い事だわ」
ルーネリアは御世辞は受け慣れたもののようで社交辞令と直ぐに切り上げると、魔術書について興味津々といった様子で私の横に座り、私に内容の解説を求め始めた。
手始めに、今しがた読み進めていた魔術書の一節を抜き出し、彼女に対して説明する事とした。果たして戦闘用の魔法術式が彼女のような貴族の興味を惹く物なのか甚だ疑問ではあったが、一先ず自分の感情を押し殺し、求められるがままに話をして見せた。
「……これは要約すると地を元素として魔力抗力を発生させる為の魔法術式構築理論ですね。『アースブレイカー』地中に存在する鉱物を結合して地表へ撃ち出す魔法の様です。詠唱文言は『大地を構築せし太古より堆積せし大いなる力の源よ、汝呼び声に従い結合し、我が敵を穿て』と有りますね。実際のところ文言は好きに改造してしまって構わないのでしょう。魔力操作の上で抗力を発生させる対象を意識的に明確化させ、結合させる工程と、それを対象へと撃ち出すという二段構成さえ備わっていれば詠唱としての役割は果たせる様ですし。解説によると土地によって堆積されている鉱物の種類や割合等が異なり、本来であれば魔力感知によって構成を把握する必要が有るとの事ですが、それは地理学的な素養があればある程度無視出来る事もあり、戦略的には事前の情報収集が必要不可欠との事です……。どの魔法術式にも言える事ですが、魔力を如何に効率良く使用するかという点で考えられているのでしょう。使用できるリソースに対して最大限の効果を発揮させる為の工夫の一つですね。使用凡例としては複数対複数の戦闘の際に相手を切り離すのに使用したり、地上での別魔法を囮に嵌め手として利用する等出来そうですね。まあ、無詠唱で発動や、魔法陣での瞬時の発動が出来なければ対策されてしまいそうですが、それは陣容によっても異なるといったところですかね」
ちらと、その様な話をしながらルーネリアを見ると彼女は真剣な表情で私の解説に耳を傾けていた。昨日に感じた、ただおてんばな少女という一面とはまた違う眼差しに、私はまたも奇妙な感覚を抱いていた。
「私も先生に色々な魔法を習っているけれどなかなか上手く行かないし、やっぱり今の話を聞いてもさっぱりだわ! それが分かるラクロアは凄いのね!」
ルーネリアの良いところは自分の出来ない部分を認め、他人の長所を素直に褒める事が出来る事にあるのだと何となくではあるが彼女の本質を垣間見たような気がし、思わず笑みが零れた。貴族という厳格なイメージからは結びつかない彼女の親しみ易さは、個人の資質としてとても貴重なものであるように思えた。
その後も幾つかの魔術書の解説を求められては彼女に分かるように説明を行い暫く時間を過ごす事となった。その中で、私はかねてからの疑問をそれとなく口にする事とした。
「そういえばルーネリアはどうしてロシュタルトに?」
私が警戒感を抱かれないよう、何気無く質問をすると、ルーネリアは少しバツの悪そうな顔をした後におずおずと答えた。
「お父様から『世間知らずを直す為に見聞を広めて来るように』とアイゼンヒルと共に幾つかの街を回って、最後にロシュタルトに来たのだけれど……」
「世間知らずを直す為にとは……ひょっとして何か悪いことでもしたんですか?」
「えーっと、お屋敷の中で魔法の練習をしてて……部屋が、その、爆発してしまったの」
「ほう、爆発ですか」
「必死に練習して漸く成功したと思ったんだけれど、そもそもお屋敷の中でやってはいけないと言うことを忘れていたのよ!」
ルーネリアは慌てた風に取り繕うと言葉を並べるが、全く以て取り繕う事が出来ておらず私も思わず破顔してしまう。
(杞憂、だろうか……)
彼女が私に見せるその純真さ、そして彼女なりの努力が見え隠れする言動に私は自分が抱く違和感が勘違いではないかと思い始めていた。それは、彼女に感じた些細な違和感よりも、彼女が見せるちぐはぐさに絆され、堪れない気持ちを抱いてしまったからかもしれない。
「いずれは上手く行く時が来るでしょうから、あまり気にしない方が良いですよ。ふふ、ルーネリアは頑張り屋なんですね」
私の言葉に対してルーネリアは少し微妙な表情を浮かべ、仕方なしと渋々慰めを受け入れてくれた。
「ありがとう。屋敷のメイド達も同じ言葉で慰めてくれたわ……」
その後は他愛もない会話を交わし、夕方になるとルーネリアの迎えが姿を現した。
「ルーネリア様、そろそろ庁舎へお戻りになるお時間です」
私達に声を掛けたのは、ルーネリアを彼女が生まれた頃からお世話をしているというメイドのキリシアであった。彼女の姿を見るや否や、ルーネリアは躊躇いなく席を立つ準備を始めた。
「それじゃあラクロア、また明日から宜しくね! 今日は失礼させて頂くわ!」
ルーネリアは相変わらずの元気さで私に別れを告げ、キリシアへと歩み寄り私に別れの挨拶を告げた。それに従うようにキリシアも私へと軽く会釈をして、そのままルーネリアと共に図書館から姿を消した。
(とはいえ、貴族の子女が最果てと呼ばれるロシュタルトに見聞を広める為だけに訪れるというのは、些か無理があるかな……)
私は感情論と理性の狭間に揺れながら窓から射す夕陽を見つつ暫く黙考した。暫くして、出ない答えを探す事を止め、皆との集合時間までもう暫く魔術書を眺める事とした。