ロシュタルト侵入 その6『行商の真価とは』
冒険者管理組合を後にし、ザンクが滞在する宿屋に着くと、早々に我々は彼の部屋を訪れる事とした。
宿屋の店主にザンクを訪ねて来たことを伝えると、彼は特に我々を疑う事も無く、快く部屋を教えてくれた。部屋では既にザンクが商売の準備を進めていたようで、我々が顔を見せると、やけに嬉しそうに笑顔を見せていた。
「おお! 本当に来て下さったんですか。てっきり全部組合に売り捌いてしまったかと思いましたよ」
ザンクは驚いた顔で我々を見つめていた。彼の見立て通り、確かにコモドカナドールの素材を売り渡すに当たって、彼に売るよりも、管理組合で換金した方が割が良いのは事実であった。その為、私達が組合での取引価格を見た後に本当にザンクの下に売りに戻ってくるとは思っていなかったらしい。
「はは、約束は守りますよ。情報を幾つか貰った恩義もあるし、何より貴方は初対面の我々に対して誠実であった。その誠実さは金では買えないものですからね」
ザンクは私の言葉を聞くと嬉しそうに笑顔を見せた。
「そいつは嬉しいですねえ。商人として、人間性を見て売買を決めて貰えるのは商売人冥利に尽きると言うものですからね」
私は早速と、荷物からコモドカナドールの鱗を取り出すと共に、ザンクへと査定依頼と共に手渡すと彼は繁々と鱗を眺め始めた。
「因みに組合から素材の鑑定証明書は貰っていますかね? 基本的に売り渡しの際に発行される筈なんですが」
恐らくは貨幣を渡された時に貰ったレシートの様な紙だと思い至り、それをザンクへと見せる。
「ありがとうございます。それであれば私のところでの鑑定は不要とさせて頂きますよ」
その対応は私にとって意外であった。仮にも商人であれば物の真贋を自分の目で確かめるのは道理という物であり、それを省く理由が見受けられなかった。
「ふむ、残りの鱗が偽物という事もあるかも知れないけれど?」
ザンクは私の疑問に対して、それは可能性としては当然あるだろうと頷いていた。
「そりゃあそうですね。ええ、確かにその可能性は十分あり得ますが、それを疑わずに取引する事、それ自体を私から皆様へに信頼の証左として頂けると私としては望外ですね。普通、冒険者であれば有無を言わさず高値で買い取る者へ品を流しますし、それを咎めるような者もいないでしょう。そうした中で、稀有な事に旦那方は私の人間性に対して差額分の価値を感じて頂いた訳ですから、それに見合った価値をこの場で見せるのが、信頼を頂いた私の役目という訳です」
ザンクはそれを当たり前だと言わんばかりに言い放った。その深い焦げ茶色の瞳に浮かぶ確かな意志は、彼の商売人としての矜持であった。
「それは有難いですね。我々としても、そう思って貰えるのであれば嬉しい限りです」
ザンクに対して、どこまで信頼を置いて良いのか、それはこれからの関係性次第であるのは間違いない。しかし、彼の態度、商人としての気質、それ等は現時点で言えばこの上なく稀少であり、今後私達が求める幾つかの情報源としても極めて有用な存在であると言えた。
「それでは、清算を直ぐに済ませてしまいます。暫くお待ちください」
彼の見積に基づき、早々に金銭のやり取りを済ませる傍らで、宿屋の主人へと頼み、この宿に部屋を一室借りる事とした。主人はそれを喜び快諾してくれた。
◇
清算を済ませた後に、私達は当初の約束通り、ザンクと夕食を共にし、幾つかの情報を仕入れる事とした。
ザンクが砦内で薦められる飲食店として訪れたのは商売区画に在る酒場であった。一枚板が特徴的な造りのバーカウンターと、広いフロアには木造の丸テーブルが設えられ、明かりとして所狭しと蝋燭が台座に設置され室内の明かりを確りと照らし出していた。
その室内には村で見かけたような魔石による照明器具等は無く、不思議に思いながら魔法機器や魔石によって光量を得ないのかとザンクに聞くと、彼は笑ってそれを否定した。
「そんな事が出来るのは中央か、貴族の邸宅か若しくは一部の公共施設ぐらいの物ですよ。旦那の言うようにロシュタルト砦の内部なんで、魔法機器が溢れていると思う方もいるんですが、そうは言ってもその辺りの状況は他の街と一緒ですね。人魔大戦以前はクライムモアの魔石鉱脈から大量の魔石を発掘していたようですが、あの辺りが魔族の領土になってからスペリオーラ大陸における魔石流通量は激減したとの事です。今では魔石を使用した魔術機器なんかは貴族の特権になっていますよ」
ザンクは私が何らか砦に対して先入観を持っていると誤解したらしく、砦におけるそうした状況について軽くではあるが語ってくれた。
トリポリ村における常識を人族の常識として捉えるのは少し無理が有る様であった。特に魔石に関しては村ではありふれた普段使いの道具となっており、希少価値が高い物としての認識を私は持ち合わせていなかった為に感覚の齟齬が起こっていると言えた。
(文化の違い、と言うよりも純粋に資源の供給量が問題と言う様子か。魔石の供給量辺りを知っておくのもいいかもしれないな)
「ザンクは中央にも行った事があるの? 僕らはいつかは首都に向かうつもりだけど、生まれてこの方行った事が無くてね。出来れば最近の様子含めて色々と教えて貰えると嬉しいんだけど」
「勿論ですよ。しっかし首都で名を上げたいと思うのは冒険者、皆同じという訳ですねえ」
ザンクは最近の首都の様子や、ロシュタルト砦を取り巻く状況、行商として最近話題に上がる物品等、様々に話が及んだ。特に私が関心を示したには平民と貴族の階級制度がどの程度の縛りがあるかについてであった。
トリポリ村で学んだ内容と相違が無いかをそれと無く聞き出そうと試みたのにも理由があり、村における教育は確かに人族における文化全般を網羅していた様に思うが、殊更平民の暮らしにまつわる箇所が曖昧模糊としていた。
先ほどの魔石に関する認識の違いと同じようにして私の認識がズレている箇所が分かれば、スペリオーラ大陸における人々の暮らしについて大凡の推測が成り立つ事もあり、この点に纏わる情報は極めて重要と言えた。
「今は何処も同じようなもんですよ。これまでは領主ごとに徴税が異なって居ましたが、戸籍だとかの管理がありましたからね。一応は領主を通した納税の形式にはなっていますが、税制改革によって収益に応じた課税制度が採用されたおかげで、士農工商どこもかしこも確り管理されていますからね。まあ、そのせいで各領主の資産に制限を課す腹何でしょうが、農家連中や商工会議所に所属する連中は公平な税制度になったって喜んでいますよ」
そう言い終えると、ザンクは皿に盛り付けられた黒パンを齧ると、果実酒を一口含み流し込んだ。
「ほう、とは言え領主が横暴であればその限りではないんじゃない?」
私が質問するとザンクは「ええ、今までは確かにそうでしたよ」と言いつつ、茹で鳥の手羽先を器用に骨を外しながら、腰元から香辛料を取り出し始めていた。
「この改革に合わせて毎年中央から使節団として派遣されている騎士と魔術師が農民に対して農作物の収入量と領主からの課税状況の聴取を行うようになりましたから、昔のように領主単独での横暴は見過ごされなくなりました。そういう意味では平民の生活は楽になったと言うべきでしょうかねえ。稼いだ分が確り身入りに反映される上に、これまで必要だった賄賂だとか、おべっかだとか、そうした袖の下が必要無くなったのは有難い事です。既得権益を握っていた連中は余り面白くは無いのでしょうが、平民にとっては今の王はまともと言って差し支え無いでしょうね」
ザンクの奇譚の無い意見は現在の状況に対して極めて好意的であった。
「前王を弑逆した王が善政を敷いているというのは面白いものですね」
ザンクは私の発言にぎょっとした表情を見せ、鶏肉を頬張ろうとする手を止め、周囲の様子を窺いながら我々に小声で囁いた。
「旦那、その手の話はここではタブーですよ。片田舎の港町ならいざ知らず、此処には中央から派遣された辺境騎士と魔術師が駐在する砦ですからね。奴らが『目』となって不穏分子を常に見張っているのはご存知でしょう。特に新参の冒険者は注目を受けやすいとの噂ですよ」
私は砦に入る際の検問室で感じた魔力溜まりの正体が辺境魔術師による諜報魔法である可能性に思い至り、改めて魔力感知に意識を割く事とした。
幸いにして、この店内では不審な点は見受けられず、そうした『目』が存在していない事に僅かに安堵した。
「なるほど、確かに思い当たる節はありましたね。気をつけるとしましょう」
その後は政治に関する情報は深掘りせず、ザンクから見た人族内での有名人の話や、魔法、科学、学問、その他彼が知りうる情報があればなるべく深く話を聞くように努めた。
「しかし旦那はその年齢で色々な話を知っているもんだね。ひょっとして何処ぞの貴族の出身じゃないのかね?」
二時間もすると私以外の四人は食事と共に酒類の摂取が増え始め、ザンクも徐々に呂律が怪しくなり始めていた。そろそろ頃合いと、私は彼から見た魔大陸について聞いてみる事にした。
「ザンクは、魔大陸をどんな風に見ているの?」
「そりゃあ、おっかない魔族の巣窟か何かだとは思っていますよ? 実際のところどうだか知らないが、悪戯ばかりしてると魔族が夜な夜な悪い子供を攫っていくなんて良く枕元で婆ちゃんに言われたもんだがねえ」
「実際に魔族を見たことは?」
ザンクは私の言葉を冗談だと思ったようで、大声で笑い飛ばした。
「はは、ある訳無いでしょう。人魔大戦以降、魔族が大森林からこっちへ来た事なんて一度も無いんでしょう? そりゃあ魔族を捕えでもすれば中央の魔法研究所なんかは喜ぶんでしょうが、我々行商が出会うことは無いでしょうなあ。それこそ魔石を求めて無謀な冒険者が大森林に入っていく話を聞いたことは有りますが、そもそも大森林の魔獣が強すぎて逃げ帰って来るか、魔獣に喰い殺されるかのどちらかでしょうねえ。騎士や魔術師も命令も無しにあちら側へ赴く事も無いでしょう」
「ふーん、そんなものですかねえ」
「はは、冒険譚に憧れるお歳ですから、お気持ちはわかりますよ。私も剣が得意であれば名声を求めて中央へと行っていたかも知れませんから」
魔族の話も適当なところで切り上げて、この日はお開きとする事とした。ザンクは数日の逗留の後にラトリアへ帰るとの事であったが、今は未だ荷馬車の依頼は控える事とした。
(今のままでは王都に行くまでの路銀が足らないか。情報収拾を兼ねて商業地区を回りつつ、行き着くところは魔獣討伐になるかもしれないな……)
金策については先ずは管理組合の情報を確認する事とし、場合によっては引き続き魔獣を狩る事をミチクサ、スオウ、ザイへと伝え私も一旦、就寝する事とした。