彼女は籠の中の鳥でしかないのか
ミナレットとオリヴィアに挨拶を済ませ家を後にすると、眩しい陽射しと秋の始まりを告げる風が同時に私を包み込んでいた。
湿度が少なく、風は乾いている。唐突に吹いたその風によって自分の髪が僅かに靡き、心地良さと、どこか枯れたような色を想起させていた。色で言えば山吹色だろうか。私にとって秋を想起させるのは赤では無く、そうした色合いであった。
「久しぶりね。元気にしている?」
そんな秋空の下、外ではカトルアが私を待っていた。彼女と会ったのは、湖の一件以来であり、既に二ヶ月以上が経とうとしていた。
「ああ、ぼちぼちね。やっと準備が終わって一休みしたいところだけれど、そうもいかなそうでちょっとやだなあ、なんてぼやこうとしていたところだよ」
「ふふ、ラクロアは結構、ぐうたらするのが好きだもんね?」
良く見ている物だと私は少し関心していた。
私が意外に出不精であり、コミュニケーション能力に若干の難があり、友達が若干ばかり少ない事までカトルアは確り把握しているあたり、側にいる時間が長ければ長い程、相手の事を理解する事になるのだろう。
「まあね、カトルアも知っての通り、僕は出来れば何事も無く平穏に暮らせるのであればそれはそれで構わないと思っているような人間だからね」
「ふふ、相変わらずバニ爺みたいな事を言うのね」
カトルアは覇気無く笑っていた。形容し難い、どこか諦観を感じさせる瞳が私を射抜いていた。
「村から暫く出て行くって聞いたけど、それってやっぱり私のせいだよね?」
カトルアとこの二ヶ月会わなかったのは、タオウラカルでの仕事によって時間が無かったというだけでなく、出発の準備が出来るまで罰として彼女との接触を禁止されていたという側面もあった。それ故にカトルアと直接会話する機会がこれまで無かったが、どうやら彼女は事の経緯を詳しく聞かされていないようであった。
とは言え、私が村を出る事になったのは彼女のせいではない。それは全て自分の選択によるものでしかなかった。彼女がその責を感じる必要など、どこにも無かった。
「カトルアのせいでは無いよ。あの時僕は、僕の意思によって動き、選択したんだ。それを後悔はしていない。寧ろあの時、僕が君を巻き込んでしまって済まなかったと思っているよ」
カトルアは私の言葉を聞いて何処か寂しそうな表情を見せた。
その僅かな合間に吹いた風に、彼女の美しい髪が揺れる様を私は眺めていた。まるで時間がゆっくりと進むかのように金色に輝く髪の一本一本がやけにはっきりと映って見えたのは、私もまた彼女との暫くの別れに、名残惜しさを感じているからかもしれなかった。
「村にはちゃんと戻って来るんだよね?」
「どのくらいの期間になるかは分からないけれどね。出来れば十二歳になるまでには帰ってきたいとは思っているよ。僕だけ祝われずみんなが先に大人になられるのは少しだけ寂しいからね」
冗談交じりにそう言ったものの、カトルアは私の言葉を聞いて「そう」と力なく笑っていた。
「カトルア、どうしたのさ。君らしく無いよ?」
カトルアは困ったような表情を見せ、違うの、と小さく呟いた後、再び私を見た。
「ううん。前に言っていた通りになっちゃうんだなって思って。ラクロアはここに縛られずに何処へでも行けてしまうんだなって……。ラクロアはその翼で何処へでも飛んでいけるのよきっと」
この村で生まれ、それ以上の世界を知る事が無いカトルアにとって、私の気ままさが憧憬として映っているのか。それとももっと違う感情に裏付けられた言葉なのかは私には上手く理解出来なかった。
ただ、その言葉に込められた想いが悲しみに彩られている事が妙に胸を締め付けた。
私の背中に宿る魔翼は何も言わない、何も語る事は無い。けれど、その有無がこの村においてはどうしようも無い差を生む事になる事もまた、一つの事実であった。
私はそっと彼女の髪を撫で、心配しないで欲しいと言葉を掛けた。
「いつか、僕がここから連れ出してあげるよ。何も遠い将来じゃない。後二年もすれば僕らは大人になるんだ。好きに生き、好きな所に行ける様になるさ」
これは酷い詭弁だと自分でも分かっていた。カトルアはオリヴィアの、シュタインズグラード家の血筋である以上、まともに人族の世界で暮らす事は難しいだろう。身分を隠し、隠遁の中過ごしたところでそれは自由とは言わない。
その事をひょっとするとカトルアは理解しているのかも知れなかった。自分が自由に生きる事が出来るのは鳥籠の中でしかないと言うことに。
「ありがとう。私、ラクロアが帰って来るのを待っているから……」
それでも彼女は、私の目を見て笑っていた。その瞳に浮かんだ涙を見た時に私は、彼女を愛おしいと確かに思っていた。
「ああ。僕もちゃんと、ここに帰って来るよ」
気が付くと、私は彼女を引き寄せて優しく抱き締めていた。
そうするのが正しかったのかは分からなかったが、彼女はそれを抵抗する事なく受け入れてくれた。今はこれが私にできる精一杯であった。