スオウ・タオウラカル曰く
タオウラカルでの生活を不思議に思った事は無かった。
それは単純に日々の生活の為に毎日のように狩猟を行い、森を切り開き、神へ祈りを捧げる。そんな日々が幸福であったからかもしれない。
外の世界に憧れを抱く事が無かったわけではない。今は亡き、私の祖父が語って聞かせてくれた英雄達の冒険譚に幾度と無く思いを馳せた事だろうか。
そんな日常の中に突如として訪れた、来訪者は私の日常を一変させようとしている。
所詮は子供、そう高を括っていたが、タオウラカルの中でも卓越した狩猟者として名を連ねるミチクサを一瞬にして投げ飛ばしたその手腕は本物だった。
衝撃を受けたと言って過言では無かった。あの誰よりも強いミチクサが、こうも簡単にあしらわれてしまうのかと目を疑った。恐らくはザイも同じ気持ちだったに違いない。
あの力を見せつけられた時に沸いた畏怖と羨望の感覚。もし、あの力を自分が得る事が出来るのであれば、嘗て祖父が語った英雄の一端を垣間見る事が出来るのではないのか、そう思えてしまう程に眩しく感じられた。
その全てが『魔力』という私の見知らぬ概念によってもたらさられると言うのであれば、私はそれに手を伸ばさずにはいられない。
全てを捧げたとしても、その一端を手に入れたいと考えるのはおかしな事だろうか?
◇
ラクロア様との訓練を通して私達三人は魔力操作を学びそれを如何に制御し活かすかという訓練を重ねていた。それはこれまで魔法というものに触れてこなかった我々にとっては未知の領域であり、見かけ以上に酷く体力と精神力を消耗する物であった。
身体に流れる魔力を捉える感覚と、それを自在に動かす感覚、そしてそれを自身の動きと連動させる感覚、其々が介在しながら魔力を思い通りに行使するのは途方もない訓練量と練度が求められる物であった。
それを事もな気に行うとされる、騎士や魔術師という存在の希有さとその力量に対しては畏敬の念を抱かざるを得なかった。
ミチクサやザイも私と同様の感想を抱いたようで、ラクロア様の訓練について行く為に時間が有れば常に三人で訓練を行うのが日課となり始めていた。
二カ月ほど経ち漸く魔力を身体の様々な部位に集中できるようになると、その魔力の効果を徐々に実感できる様になっていた。特に全身に魔力を均等に漲らせながら普段通りの動きをしようとした時に、身体に羽が生えたかの様に軽くなり、明らかにその速度が増していた。
運動能力の上昇はそのまま戦闘能力の上昇へと繋がり、これまで組み手で一切勝つことの出来なかったがミチクサとある程度ではあるが、渡り合える様になったのは私としては素晴らしい進歩であると言えた。
純粋な肉体的不利を覆すことの出来る魔力という存在、そしてそれをどの様に活かすことが出来るのか、我々三人はラクロア様との出会いに感謝をすると共に更なる成長を求めて日々の鍛錬へと励むと同時に、魔翼を持つラクロア様がどれほどの実力を持つのか深淵を覗く様な奇妙な感覚を抱かざるを得なかった。
「ラクロア様は魔力についてどう思われているのですか?」
訓練の途中で私がした漠然とした質問に対してラクロア様は、ふむと少し考え込む様に首を傾げながらこちらを見ていた。私はこの質問を通して魔翼を持つ人間が普段何を思い、魔力を操っているのかを知りたかった。
ラクロア様は高みから少ない魔力を持つ人族を見下しているのか、それとももっと超越的な視点を持っているのか。私としては後者の回答を期待していたのだろう。
「どう、というにはだいぶ抽象的な問いの様に思えるけれど、僕にとって魔力とは何かという事で答えると無垢なエネルギーの総体とでも言えばいいのかな。そう、それでいて、だからこそ極めて厄介な物だとも思っているよ」
私が想像していた答えとは些か異なった角度からの回答に私はどう反応すれば良いのかわからなかった。
「それはどういった意味でしょうか?」
「魔力は色々な可能性を広げる事が出来る物だと思うんだ。単純な比較論として、魔力を持つ事で他の生物よりも強くなる可能性を秘めている、というような生物的な機能の一つと考えるだけでは無く、火や、鉄等と同じ様に、一つの道具として見る事が出来る様に思う。実際に魔力は様々に抗力を発生させ、その姿を新しい物へと変換され使用されているんだ。例えば魔石が光量として蝋燭代わりに用いられたり、魔獣から身を隠す結界を張ったり、農業の補助としての収穫道具として機械的な動力として用いられたりと、科学的な発明によっては、今までとは違った、広がる世界が幾つもある様に思うよ。一方で魔力を用いる人間は少ない上に、どうやら人族の中でも一部の特権階級が管理を行う管理体制に置かれているように思える節がある。それは今の人族の政治体制による考え方が大きいのだろうけれど、極めて物理的な、紛争の火種として魔力を恐れて管理しているように私は思えてならないんだよね」
「単純な力として捉えない別の方向性を切り開く可能性を持つ道具、ですか」
「うん。そう捉える事が出来たとするなら、今の世界ももう少し変わって見えるだろうね。魔法科学の発達によって人々の移動、通信、が簡便化され、各産業における生産性が飛躍的に増加される事を始めとし、様々な技術がそうして平和的に利用されるのであればもしかすると魔族とすら和解して、人族と魔族が魔大陸とスペリオーラ大陸を行き来する未来が来る可能性すらあるかも知れない。単純な暴力とは違う形での相互関係を築く可能性を秘めた道具として、僕は魔力を見ているよ。何が出来て何が出来ないのか、相手を殺す為だけに磨かれるのは些か勿体ないように思えるね。けれどこれは簡単な話では無いのも確かだね」
「魔力が力の象徴として見られている間は、その様な考えに辿り着く者が少ないからでしょうか?」
「そうだね、僕は魔力という力を持った人間がそれを暴力以外の方向に考えを切り替える為には多くの障害があると思っているよ。人はそういう意味で利己的にもなり、他利的にもなる。そして、その狭間で果てしなく続く衝突が起こるのは目に見えているからね。とても直ぐに解決する問題とは思えない」
「ラクロア様なら出来るのでは無いですか?」
「ふふ、ありがとう。けれど僕はその急進的な変化を求めていないし、そうした在り方を僕は否定しない。こうした認識の形成に時間が必要な事は歴史が証明している。人が一世代で為せる事とするのは見立てが甘いというものさ。その大きな歯車を回す役目はもっと別の者に任せるとするよ」
私は、それこそ力で従えてしまい、その後に舵を切ればいいのではと言葉が出かかったが、ラクロア様はそれを是としないのだと、言葉が出る前に私は思い直した。
力を持ちながらその力を振るうことに何処か躊躇いを持つのがラクロア様なのだと、何となくではあるが私はその時感じると共に、この人が成長した時に改めて何を思い何を成し遂げるのか興味を覚えた。
途方もない力を持つ者が何を成すのか、それが単なる英雄譚となりうるのか、それとも歴史に名を残す改革者となるのか、それとも唯の傍観者として世界を俯瞰するのか私はその行末を楽しみに待つ事とした。
「願わくば我々もまたその一助となれれば幸いです」
「そうだね。そういう生き方もいいのかも知れないね」
ラクロア様は何処か遠くを見るようにしてそう呟いた。ラクロア様にとって世界がどの様に映っているのか、それを私はまだ知る由もなかった。