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魔族的宥和政策が人族の目から如何に映るのか僕達は未だ何も知らない  作者: 緑青ケンジ
第六章 そして人は如何にして宥和政策を理解したのか
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人を管理していた者

「ノエラ様」


 ラクロアと別れたのちに、私の前に現れたのはノエラ・ラクタリスであった。魔術協会の統括にして、かつては魔法技術研究所で『魔導士』として人の世を形作ってきた人として人を超えた人物、そして敬愛すべき私の師であった。


「村の結界を越えてくるとは、流石ですね……。魔族側にも気取られていないあたり、お力は健在とお見受けいたしました」


 村の防衛網の一つである転移術式の感知結界を難なく突破し、彼女はトリポリ村へと降り立った。それは間違いなく、ラクロアとシドナイの戦いを予期してのものであったが、人の管理者たる役割を捨て、魔大陸に足を踏み入れるという愚行をこの人がするとは考えもしなかった。


 ノエラ・ラクタリスは人族が魔族に対して戦闘行為を行わぬよう、スペリオーラ大陸につなぎ留める為の楔の役割を果たしていた。過去にノエラ・ラクタリスを殺害し、魔大陸への進駐を企んだ聖戦は全て、彼女によって阻止されてきた。彼女は、自分の役割に忠実だった。そして、人の世の安寧と発展を誰よりも願っていた。


 ノエラ・ラクタリスは人魔大戦後、七英雄の血族であるアーラ家を鍛え上げ、その人材を以ってありとあらゆる研究に勤しみ、そしてある時を境に、それまで積み上げてきた全てを捨てた。


 魔王が何を望んでいるのかを彼女はその研鑽の果てに理解してしまったが故の行動であった。何もせずとも、魔王の力によって数千年の時間を経て、人は魔族に近しい生物へと変貌する。緩やかな時間の流れを保つ秩序が成立すればそれが叶うことを彼女は理解してしまった。それ故に暴力的な方法による魔大陸への進出を防ぎ、一方で私やマリアンヌ、ジファルデン等が心血を注ぎ達成した人造の獣の製造についてを黙認をしていた。


 彼女は長きに渡って人の世を眺め続けてきたが故に、その役割に終わりが来るときもまた観測者足ろうとしているのかもしれない。


「久しいなノクタス。最後に会ったのはマリアンヌとジファルデンも一緒であったな」


 マリアンヌがラクロアを身籠ると共に愛憎の獣の力を用いて人造の獣作り出すと決めたあの日、私達は今生の別れとなる可能性を胸に秘めながらノエラ様へと懐妊の報告をしたことを今でも覚えている。


 その数ヶ月後にマリアンヌは命を落とし、私は魔大陸へと足を踏み入れることとなったわけだが、今思えばラクロアが産声を上げたあの時、それはノエラ様にとっては己が費やした全ての役割が終わった瞬間であるとも言い換えられるものだった。彼女の中で役割を終えた達成感があったのか、それとも空虚さを感じていたのか、その真意を推し量ることは出来ない。


「ええ、それも十年以上昔の事です。今では私達の息子を見守る好々爺と言ったところでしょうか……もちろん霞を食べて生きる事は出来ませんが、この最果ての地にて骨をうずめる覚悟を決めるには十分な時間が経ちました」


 私の言葉にノエラ様の紅の瞳が僅かに陰るのが見えた。それは落胆と言っていい感情の籠ったものであり、幾ばくかの寂寥感を覚えるものであった。


「その歳で惜しいな……今なら戻ることも出来るのだぞ? 儂としても人手が欲しいところでな」


 それが本心であるのか否かは分からない。王都の魔力炉が破壊された今、再び秩序を作り出す為に魔術協会を用いてノエラ様が何事かを画策しているとして、それはスペリオーラ大陸に残された者達に対する手向けであろうか? しかし、私はもう彼の地へと戻ることはないと心に決めていた。己の命の使い方は既に決めている。


 私達の息子が作り出す新たな世界の礎となる事、それ以上にこの魂の使いどころなど無いのだ。


「……いえ、私はここで生きると決めましたから……そちらのことはお任せします」


「ラクロアが望んだならば?」


 ノエラ様の言葉は意外なものであった。


 彼女は腰まで届く程に長い煌びやかな金髪の毛先に指を絡ませながら、私の真意を問いただそうとしている。


「その時はラクロアに従いますよ。ただ、その話はラクロアが戻ってきてから、ゆっくりとするとしましょう」


 そう、それ以上でも以下でもない。ラクロアがシドナイと戦いどのような結果となるか、それによって私達の在り方が変わる可能性は十分にあり得るのだから。


 しかし、私の回答に対してノエラ様は些か訝し気な様子を見せていた。


「……勝てると、お主は本気で思っておるのか? 如何に力を持ったとしても、ラクロアは人に属する者だぞ?」


 ノエラ様は、そもそもの前提条件として人族がシドナイを倒すこと等出来ないと感じている……その直感は正しい。人の身で超えられるような力の差ではないのだから。だが、ラクロアはただの人では無い。魔をも併せ持つ、唯一無二の存在となった。


「だからこそ可能性があるのではないでしょうか? それにラクロアも、勝算が無ければ挑まないでしょう……そうした計算高い強かさを持つように私達が育てたのですから」


「不思議なものだ……この十と余年あまりに渡って魔族と共に暮らし彼我の差を感じ取っても尚、お前はそう言うのか」


 嘗て七英雄がシドナイと戦った記憶を彼女自身が持つが故に、魔族の力を知る私の言葉に驚いたのだろう。だが、彼女はラクロアがどのように育ってきたのかを知らない。


 元近衛騎士団長ミナレット・ラーントルク、そして魔族でありながら人を育てる喜びを知るシドナイ、アストラルドの次の魔導士となる筈であったこの私……この三者によってラクロアは育てられた。


 シドナイを超える為に必要なものを、ラクロアは既にその身に宿している。そう私は信じている。


「ええ。相手が魔族の中でも怪物なのは分かりきっています……それであってもラクロアならばと思わせてくれるのです。ラクロアは私達に現在だけでは無く、更に先を見せてくれるはずだと」


「随分と入れ込んだものじゃの……まあ、それもいい。私たちにできることは既に何もない。ゆるりと奴等のやりとりを見るとするかね」


 ノエラ様はどこか悟ったような目をすると、使役魔法術式を用いて何体かの動物を傀儡とすると、それらの視覚情報を私に共有し始めた。術式が安定すると、動物達はラクロアとシドナイがいるクライムモア魔石鉱山へと移動を始めた。


「ええ、そうしましょう。私達に出来る事は見守ることだけなのですから」


 ラクロアは敢えてクライムモア連峰を越えた先で、誰にも見られることのない戦いを望んだが、これぐらいの我儘は許されるであろうと、私は黙ってその場に腰を下ろし観客となることを是とした。


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