英雄の系譜が三人
「どうでしたか、向こうは?」
ノクタスとミナレットとの三人で北門を越えた先にある訓練場に集まり、腰を落ち着けていた。持ち寄った食べ物と飲み物で、腰を据えて会話をするというのは、三人で集まったのは実は初めてのことであった。
幼き日にノクタスと共に過ごした日々を想起しつつ私はノクタスの曖昧な問い掛けの答えを探す。
「ノエラ・ラクタリスとの邂逅、その上で貴方が私の出自を知っていたということに気づかされました。ノクタス、貴方もそれを知っていた、というところでしょうか?」
私の返答にノクタスは「そうですね」と肯定を見せた。
「貴方にこの世界の仕組みを知って欲しかったというのが本当のところですね……。この村から見える世界は余りにも狭すぎる……。ですが、トリポリ村の立場で魔族との関りを知らなければ見えてこない選択があるのも事実。マリアンヌはそのことを理解していたのでしょう、そしてそれこそが貴方にとって最も選択肢の幅を増やすことに繋がると信じていた」
ノクタスは大樹に背を預けながら、心中を吐露した。それは紛れもない本心であろうことはよく分かった。逆にマリアンヌ・ラーントルクが私を魔王バザルジードの下へと転移させなければ、私は人の世のことしか知らなかったであろう。
「でしょうね。魔翼を完全に掌握した今だからこそわかることもありました。母は死しても尚、私のことを案じていた。そこに愛情があったことを私は理解しているつもりです。そして、人の世界をどのように考えるべきかの試金石となったのも事実。あなた方が欲しかったのは外界の情報ではなく、私に判断をさせるだけの情報だったというわけですね」
「流石はラクロアだな。そこまで気づいていたか……マリアンヌは俺の遠縁でな。まさかお前がラーントルクの血族であるとは当初は思っていなかったが……ノクタスから話しを初めて聞いた時は驚いたものだったよ」
ミナレットはまるで自分の息子の成長をみるかのように感慨深そうに頷いていた。
「ラクロア、貴方の選択を私達は尊重します。これから先、永きを生きる貴方が決めるべきものだと私は考えます。バニパルスが行ったように、貴方をスペリオーラ大陸との渡りとして使おうとは私は思いません。それが、ノクタス・アーラとして人造の獣を創り上げた魔術師の一人として負うべき最後の責任だとそう考えています。貴方は私達のエゴによって生み出された。これまでの歴史でその礎になった者達に対する罪は、私とノエラ・ラクタリスが背負えばいい。そして貴方にはそれを裁く権利がある」
ノクタスの言葉は誠実であった。そして、私が引き受けると決めた『業』の所在を自分自身の罪としていた。
「……だから貴方は、アーラ家の人間でありながらその誇りを裏切り、国を裏切り、未だにこの村に逗留しているのですね。その力を以てすれば人知れず、ノエラ・ラクタリスの力を借りてスペリオーラ大陸に戻る事もできたはずでしょうに……」
トリポリ村にはノクタスの家族は存在しない。スペリオーラ大陸に残した身内がいるのであれば、実を斬る様な痛みを伴ったに違いなかった。
しかし、ノクタスは私の言葉に首を振って応えた。
「それは私にとっては無理な話です。私の妻と息子は、貴方が生れる前に行われた人造の獣を生み出す実験で亡くなりました。貴方と共に在らねば、あの二人に合わす顔がありません。私はアーラの血を引く人間です。近衛騎士や魔法技術研究所とは異なる方法で人類の先を拓くことを願った身です。綺麗ごとを言うつもりはありません」
私は昔、ノクタスが自身の家族について語らなかったことを思い出していた。その時に感じた彼から私に向けられた愛情の裏側に潜む、ノクタスの想いに今になって気づくことができた。
ノクタスは罰を求めているのだ。
ミナレットは何も言わずにノクタスを見つめていた。彼もまた近衛騎士として人の世を管理する側にいた者であれば、ノクタスの気持ちを理解できるのだろう。その眼差しは決してノクタスを責めるものではなかった。
(……それでもいいんだよ、きっと)
例え、彼等が罪の意識を持っていたとしても、私に与えられた愛情は本物だった。それであれば、私がそれを否定することは出来ない。それは絶対にしてはならない。
「どのような過程があったとしても、私は……いや、僕はノクタスに感謝しているよ。生まれた以上、自分の生きる意味を探し、自分のやりたいことをやる。僕がそうする為に、皆が心を砕いてくれたことを僕は知っている。そして何よりも、皆の事が好きなんだ。だから、僕の好きなようにすると決めたんだ」
それは一つの答えだった。
「魔王バザルジードは僕に言ったんだ。選ぶのであれば、より難しい道をと……。それが出来る力があるのであれば、僕は出来る限りを背負うよ。皆にはそれを手助けして欲しい」
ノクタスは私の言葉に目を見開いていた。そしてその眼差しはすぐさま、嘗て私の頭を撫でてくれた不器用な、けれど優しい、父親が見せるものに変わっていた。
「ラクロア……貴方は優しい子に育ちましたね。人との関りを知り、その想いに応えられる人間となったのですね……。ありがとう、その言葉で私は救われました」
ノクタスの顔から険が取れたのが見て取れ、私は笑った。皆が望む結果になるかは分からない。けれど、それに向けて進み続けることを私は善しとしたい。善悪は後の人々が判断すればいい、今はただ、私が彼らの業を抱えて進めばいい。それこそが人が連綿と続けて来た営みであり、この時に、私自身が選んだ選択なのだから。
「ラクロア、シドナイに挑むんだな?」
私の言葉を聞き、ミナレットは私に確認を行った。それは確認であった。人族の為に、未来を切り拓という意味を、ミナレット・ラーントルクは誰よりも理解していたが故の確認であった。
「ええ、シドナイを倒します。そうすべきか否か、僕は迷っていました。それはひょっとするともっと先のことでもいいのかもしれないと思っていました。けれど、僕は僕の為に、皆が心置きなく生きることで僕自身が喜びを得る為に、シドナイを倒します」
ミナレットは頷くと、その腰に佩いた魔剣を私に差し出した。
「ラニエスタ・ランカスターが作り上げ、七英雄が振るった魔剣の一振りであり、銘はラーントルク。七英雄の名を冠する唯一の魔剣であり、血族のみが使用できる特殊な魔剣だ。この剣の威力をお前は知っているだろう?」
私は幼少期にミナレットに敗北を喫したことを忘れてはいなかった。そしてまた、類似する魔剣によって魔法障壁を再び破られた事も記憶に新しい。
「うん、十分に理解しているつもりだよ。でも恐らく、僕が本気でこれを使用したら二度と使い物にならなくなると思うけど、いいのかな?」
そう言うと、ミナレットは笑いながら荷物の中からもう一振りの魔剣を取り出し私に掲げて見せた。それは魔剣であり、比較的新しく作られたもののように見受けられた。その美しい刀身と、放たれる魔力は、渡されたラニエスタ・ランカスターの魔剣と同等に感じられ、全く遜色の無いものであることを窺わせる逸品であった。
「当代最高の魔剣匠、アルベルト・ランカスターが打ち上げた俺の為の魔剣だ。近衛騎士団長時代に受け取ることなくそのままだったが、『白銀』の三人を通してここに届けられた一振りだ……。今を生きる者は、今を生きる為の方法がある。俺達が技術を磨き、長きに渡ってそれを受け継ぐように、剣匠も同様に過去を超える為に技術を高めて生きている。アルベルトはラニエスタと同等の魔剣を作り出すに至った。この先、どうなるかは分からないが、心配など微塵もない。そうだろう?」
ミナレットは愉快そうに笑っていた。私もまた釣られて笑ってしまう程に、ミナレットの言葉は一切の曇りの無い確信に満ちた声音で語られていた。
「そうだね。うん、僕もそう思うよ……人は人として、先を目指す事が出来る。安心して待っていて欲しい。僕はシドナイを倒すよ」
私の宣言に二人は安堵を見せ、笑っていた。
「それでこそ、私達の息子ですね」
「ああ、その通りだな」
そしてやおら立ち上がると乱暴な手付きで私の頭を撫ぜて手荒に前途を祝し始めた。私はそれを黙って受け入れると共に、来たる戦いへの覚悟をより一層強いものとした。