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魔族的宥和政策が人族の目から如何に映るのか僕達は未だ何も知らない  作者: 緑青ケンジ
第六章 そして人は如何にして宥和政策を理解したのか
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母と子と、人族と魔族と


 実に四年振りに訪れた実家はトマムによって綺麗に掃除されており、私がいつ戻ってきても良い様に整えられていた。


 トマムの几帳面さだけでなく、私に対する愛情を感じられ思わず頬が緩む。魔族でありながら息子として、正確にはレイドアークの息子として魔翼を持つ人族を育てるという行為がどれほどの価値を持つのか……今となっては彼女にとってそれが重責であったであろうことは理解しているつもりであった。


 それが彼女に与えられた仕事であったとしても、過ごした日々に込められた愛情が本物であることを疑う余地はない。


「改めてお帰りなさい、ラクロア」


 魔族に睡眠という概念はほとんどない事もあり、トマムは遅くまで起きていたようで、居間で座り、私の帰りを待っていたようであった。


「ただいま、母さん」


 私も人としての機能は残っているが故に睡眠を取ってきていたが、魔翼が持つマナの作用によってか未だ目は冴えたままであった。人でありながら人としての機能が急速に削がれて行く様を進化と呼ぶべきか、それともただの変化と捉えるべきかは難しいところではあったが、いずれにせよ恐怖はなかった。そのようになった、という事実をただ受け止め咀嚼するだけであった。


 昔と今の違い、という観点は子供が大人になり、その過程で発生する変化との比較である。その変化を善き方向として受け入れる事が出来るかどうか、常にその取捨選択を繰り返し生きてきた。それは私が生まれた時から変わってはいない。


「そういえば魔都でも僕の介護をしてくれていたとレイドアークから聞いたよ。ありがとう、母さん」


「レイドアーク様へ定期的に連絡するのに合わせてだったけれどね。でもよかった、こうして再び会えて……」


 トマムはその捻じれた角が飛び出る美しく長い黒髪の毛先をぎゅっと握りしめながら私との再会を喜んでいた。彼女が見せる母親としての慈愛に満ちた眼差しには心の底からの安堵を感じさせるものであった。


「そうだね。僕も嬉しいよ。こうしてまた母さんに会えて、本当によかった」


 彼女が浮かべる笑みは私の記憶の中でも古い記憶として留められているものと変わらぬものであった。それは、長きに渡って私に向けられていた彼女からの愛情の記憶と結びつき、温かな感情を想起させる。久方ぶりに見た母の笑顔に共に過ごした日々と、様々な記憶が脳裏に呼び起こされ始めていた。


 赤子の頃に聞いた子守歌、温かな食事、魔力の手ほどき、日々の生活を通して彼女からは様々なものを学んだ。魔族と人族の違い、そうした違和感を乗り越えるだけの時間を私は彼女と過ごす事で獲得してきたと言える。


「村の人や魔族達と話して、貴方の想いは決まったの?」


 それは、親として息子の進路を尋ねるような、少しこそばゆさを感じさせる問いかけであった。彼女は私がどのような選択肢をしたとしても否定することはないことが分かっている。そうであるが故に、私はトマムに対して今思うことをそのまま伝えることとした。


 私と母の間には、躊躇いも繕いも、その一切が必要ないのだから。


「懐かしさと、人魔に関わらず友情と愛情、様々な想いを感じることが出来たよ。今を生きる者達もまた、その時を必死に生きているということを改めて噛み締めている。僕の中に残る記憶が過去の連なりとするのであれば、僕がこうして出会う人たちはその積み重ねの上で先を目指し、毎日を過ごしている……。やっぱり、無視することも、見捨てることも出来ないよ。それがよく分かった」


「ラクロア、貴方は本当に優しい子に育ったのね……人族が持つ愛情の向かう先はこれまで、敵意となって魔族へと向いていた。けれど、貴方の持つ感情はそれとも違う。憎しみではなく、そして独りよがりでもない、対話の延長上とも言える行為。きっと彼も同じように考えているのでしょうね」


「そうだね……僕のこの想いは魔族全体からしてみればほんの些細なことだというのも理解出来る。一方で魔翼を持つが故に、その選択もまた僕自身の自由だということも分かっている。今思えば僕は常に選択肢を持つことが出来た。これは、昔から村のみんなが与えてくれた自由だったんだね」


「……人と言う種族と魔族の狭間に生れたが故に、貴方の行きつく先は決まっていた。けれど、私達はそれまでの間、可能な限りの自由を貴方に与えたかった。そしてそこには勿論、村の者達が持つ希望や期待、そうしたものが裏で巡らされていたのも事実だったけれどね?」


 そうした期待や不安は常に私の側にあった、けれどそれを強要されることのない生活であったのは皆が皆、私のことを慮ってくれていたという証左に他ならない。


 そして、その優しさの中にあの時のトマムの行動も含まれていることに私は気が付き、母に質問を投げ掛けた。


「だから、母さんはあの時、僕が湖に行く事を止めなかった?」


 私はふと、かつて母が私と子供達のささやかな冒険を見逃した事を思い出していた。あれが無ければ、私は未だに村に留まり、外界を知ることなく成人を迎えていたのかもしれないと思うと、私にとっての分岐点になった出来事であった。魔王と冥王との邂逅、タオウラカルの民との出会い、その全てが今に繋がっている。


「ふふ、トリポリ村長からは酷く叱られたけれど……私としてはあれは間違いであったとは思っていないの、私のそうした気持ちをレイドアーク様はまるで読んでいたようだったけれど」


 そう、私の沙汰は村長のトリポリだけではなく、その裏にレイドアークの思惑も込められたものであった。掴み取った結果ではあたが、そこに嵌められた枷によって私はスペリオーラ大陸で様々な出来事と遭遇することとなった。それが仕組まれていた、と考えることも出来たが、いずれにせよ幾つもの選択を経て、私は私なりの答えを下した。それを悔やむつもりは無い。


 だから、今は素直に母に対して感謝を述べることが出来た。


「ありがとう。母さんのお陰で僕は僕でいられたよ。これから先、人族がどうなるかは分からない。けれど、僕は人と魔族が手を取り合えると信じているよ、そう信じるからこそ僕は皆と共に生きようと思う」


「きっと、それには長い時間が必要になるわね……。いつか、貴方と共に歩めるような時代が来ると私も信じます」


「ふふ、この村の人たちを見ればきっと大丈夫さ……。僕の世代の子供達は魔族とも仲良くできるよ。その光景を僕はずっと前に見たんだから。必要なのは時間と、ほんの僅かな勇気さ」


 その為にも人は今一度、足元を見直す必要がある。それをシルヴィアとシャルマ公爵と共に少しずつ推し進めることもまた、私の役目となるのだろう。


「最後にもう一つだけ、こちらへ」


 今では身長が私の方が高くなったにも関わらずトマムは、私をその胸に抱きとめようと両の手を開いた。少し、恥ずかしさを覚えつつも逆らう事は出来なかった。


「一つだけ覚えておいて欲しいの。私は何があっても貴方の味方でいるということを。私達は血は繋がっていなくても、家族なのだから」


 優しく私の頭を撫でる手付きもまた、昔と変わらぬままであった。


「ありがとう、母さん……」


 家族……血の繋がりはなくとも家族にはなれる。


 トマムの温かさはその証明だった。


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