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魔族的宥和政策が人族の目から如何に映るのか僕達は未だ何も知らない  作者: 緑青ケンジ
第六章 そして人は如何にして宥和政策を理解したのか
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私を待つ人と共に先を望む


 バニパルス達への報告は夜まで続き、途中で話を切り上げ、私は一度家に帰ることとなったが、バニパルスの家を出ると、私を待ち受けていたのは村の若者であり、私の良く知る人物であった。


「久しぶりね、ラクロア」


 鈴の音のように澄んだ声、栗毛色の髪、かつての少女らしさは鳴りを潜め、成長した姿は既に大人の色香を纏い始めていた。純粋に大人となった彼女の姿を私は驚きと共に受け止めていた。昔よりも背丈に幾分か差がついた為か、彼女は常に私の顔を見上げる形となっていた。


 いつの日か、彼女が私を家から外へと連れ出した日と同じような恰好に少し懐かしさを覚えつつ、私は彼女との再会を素直に喜んでいた。


「カトルア……少し歩くかい?」


 彼女ははにかむと、何も言わずに頷き、私の横に並び歩き始めた。人族の集落から東門を抜けて外に出ると、だだっ広い麦畑が月夜に広がるばかりであった。月夜であったが春に撒かれた種が芽吹き、既に穂を実らせている光景が確りと目に映る。かつてミナレットに声を掛けられ、物見櫓から見た穀倉地帯の風景は、私にとっての原風景とも言えるものであり、私はトリポリ村に帰って来たことを今更になって実感していた。


 無言で歩く私達をそっと撫でるように生温い夜風が小麦の穂を揺らしながら不意に私達の間を駆け抜ける。カトルアは私よりも少し先を歩き始めており、カトルアの髪が風に攫われてふわりと宙を舞うのを私は眺めていた。


「ラクロアが村を出てから四年。色々なことがあったの。この村では成人になると、一人前の証として魔獣を狩ることになっている。クオウ、ライ、シンラ、ミナト、同い年の子供達と一緒に一週間、大森林の中で生活をしながら狩りを行う、そんな試験だった。魔獣を狩る試験自体はそんなに難しいものじゃないの。クオウが真っ先に魔獣を狩ってみせた、貴方が村を出てからずっとクオウは強くなろうと必死だった、その成果をあの時に証明してみせた」


 唐突にカトルアが始めた会話に私は耳をそばだてる。クオウはシドナイとの訓練を積んでいた。それであれば、魔獣の討伐など造作もないだろう。村の子供達の中で魔力による身体操作の能力は一際優れていたこともあり、彼を直接見ずともその成長は押して図ることが出来るというものであった。


「そうすると、それももうニ年前になるのか。時間が流れるのは早いものだね」


 私は合いの手を打つように感慨深く呟いていた。私の時間軸としてはたったの四年の不在。しかし、その間にも世界は動いており、人にとっての四年は決して短くはない。


「約束、守ってくれなかったね」


 不意に彼女は振り向きながら、悪戯っ子のように私にそう嘯いた。約束という言葉に記憶の糸を辿ると、確かにこの村を出発する前に彼女に成人までには村に戻ることを口約束した記憶があった。


「十二歳になる頃には戻る――確かにそんな約束をしていたね……。ふふ、みんな、私よりも先に大人になってしまったようだ」


 カトルアは私の言葉を聞いて可笑しそうに、ころころと笑っていた。その笑顔の柔らかな美しさに、私は目を奪われていた。


「ラクロアは昔からとっくに大人だったじゃない……。それに比べて私達は何も出来ない子供だった、ラクロアが村を出てから私達は必死になって大人になろうとしていたんだからね? みんな、あの湖での出来事を私達はずっと覚えていたんだよ? あの頃、大人達が当たり前に知っていたことを、私達はちゃんとは知らなかった。それが今になって漸く理解できるようになったの。そして自分に出来る事も、出来ない事も全部。ラクロアは最初から全部知っていたし、私達に出来ないことが何でも出来た」


 秋空が舞う中で、彼女のことを抱きしめたあの時のことを私は忘れていなかった。柔い身体、潤んだ瞳、溌剌としていた彼女が見せた気弱な側面。この村の閉塞感を彼女は知っていた、そしてそれが自分にはどうしようもないことを彼女は知っていた。


「まあ、約束は守れなかったけれどね」


 私が茶化す様に告げると、彼女はそれを笑顔で否定する。


「ううん。違うの、そうじゃない。ラクロアは約束を守ってくれたよ? スペリオーラ大陸とトリポリ村に今では交易が持たれ始めたのはラクロアが頑張ったおかげだよね? 私達の世界は僅かだけれど、開かれ始めたの。絶対に見る事ができないと思っていた景色を見れるんじゃないかって感じているの」


 彼女の気持ちに嘘はないのだろう。魔族と人族の狭間で生まれ、限られた中で生きるしか選択肢の無かった彼女にとって、外の世界との交流がどれほどの救いになったのかは私には何となく理解が出来た。


 だが、その先もまた、閉じられた世界であることに彼女は気づいているのだろうか。


「だからね。私はラクロアに感謝しているの。それだけじゃないわ、このネックレス、シンラが私に十二歳の誕生日になった時にくれたものなの。貴方からの贈り物だって知った時は本当に驚いたのよ?」


 彼女は首から下げた金細工のネックレスを手に取り、私に見せた。それは確かに私が村を出る前にシンラへと頼んだものであった。約束を果たしてくれたことに感謝をすると共に、それをカトルアが身に付けてくれていることが純粋に嬉しかった。


「ねえ、ラクロア? これからは私達と一緒に過ごしましょう? もう、これ以上無理をする必要はないはずよ?」


 甘美な響きが私の胸を強かに打った。カトルアは私の目を曇りなく見つめている。彼女の言葉には優しさが溢れていた。私を慮る言葉に苦しさを覚えると共に、それを失いたくないという愛おしさが溢れていた。


「カトルア、僕は君が好きだよ。人として君が好きだ。スペリオーラ大陸で色々なことがあったんだ、全てが思い通りに言ったわけでは無かったし、避けられない犠牲もあった。そんな時に君に会いたいと思ったんだ。その気持ちは嘘じゃない」


 カトルアは私の言葉を受け止めていた。ただ、それは喜びに満ちた表情だけでは無かった。それは私が彼女を愛するという想い以上に、その言葉の裏にある私の想いを彼女は読み取っていたからであった。


「だけど、だからこそ、僕はシドナイと戦わなければならないと思う。それはひょっとすると今でなくてもいいのかもしれない……けれど彼はずっと待ち望んでいるんだ。人族がどれほど先に進みたいと思っているのか、それを知りたがっている。そして、人もまた、自分達で先を切り拓きたいと願っている……僕は、それに応える必要があると思っている」


 カトルアは首を振って私の言葉を否定する。理解が出来ない、と言うよりもそんな事をしてほしくないという想いが垣間見え、私は彼女の言葉を待った。


「そんなことする必要なんてないよ! みんな平和に暮らしている、それ以上に必要なものなんてない筈だよ! ラクロアが全部背負う必要なんてないじゃない……」


 私に詰め寄るカトルアは涙を流していた。


 彼女の言うことは間違いではない。彼女と共に平和に生きることは出来るだろう。私は私で魔族と友好を重ねる生き方も出来ないことはない。シュタインズグラード王国との今後の付き合い方も、シャルマ公爵とシルヴィアがいれば上手くいくだろう。それは分かっている。


 けれど、私は救えるのであれば、全てを救いたい。


「ありがとう、カトルア。君の優しさがあるから僕は人を好きでいられるのだと思う。君がいなければ僕はそう思えなかった……約束するよ、今の僕はシドナイには負けない。だから僕を信じて欲しい」


 私は彼女の肩を抱き寄せ、彼女の目を見つめながらに告げた。カトルアはその美しい柳眉を驚いたように動かした後に、私の言葉に頷くとそっと目を閉じた。


 あの時とは違う確信を抱きながら、私はカトルアと口づけを交わした。これは、彼女と結ぶ確かな誓約だった。

 

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