魔王バザルジードは語る その2
「そう、それこそが人族を種族として束ねる者の役割である。それ故に全てはお主の意志次第という訳だ」
魔王バザルジードは思案気な表情で私を見つめていた。そこには何ら恣意的な感情は含まれておらず、全ての判断を私に委ねるという意志がありありと見えていた。
バザルジードの四百年に渡る計略は、私という存在があれば事足りるとするのであれば、人族そのものをどのようにするかについて彼が口を出すつもりはないということなのだろう。
「残された人族に道を開く為に、貴方は慈悲を与えない……そういうことですか」
「然り。我はすでに人という種族に対して寛容を見せ、そして人から逸脱した存在であるお主に魔族としての地位を与えた。それ以上を望むのであれば、己の力で掴み取るしかあるまい」
「……貴方は人族を取り込んで何をするつもりなのです?」
率直な疑問であった。魔族を束ねる元老院に属する十三種族。人族が及ばぬ力を持つ者達が治める世界において、何故人族を取り込むという選択をしたのか、それは単純に魔王個人の気まぐれによるものでないことを私は理解しているつもりだった。
「人の愛情は身内に対して強く作用する。その為に弛まぬ努力を、研鑽を詰み、進化を止めぬ。その愛情と言う名の感情を魔族の多くは深く知らぬ。人族が進化をする過程において、その愛情が人のみならず、魔族にも注がれるようになったとするのであれば、それはこの世を治める上で必要な友愛の精神を育むことになるだろう」
「人が魔族を愛する……ですか」
「然り。今は恐怖という感情がそこに至ることを妨げているが、人族においても一部の強者はその素養を既に見せ始めている。トリポリ村で過ごす者達が良い例であろう。不完全ではあるが、人は魔族と友好を持ち、時に他者以上の感情を芽生えさせることもあるだろう。ラクロアよ、お主はどうだ? 人に恐怖される対象であるが故に、魔族の子等と友情をはぐくみ、それを心地よいと感じていたのではないか?」
グリム、ジナートゥ、ヒナール、種族を越えた友情を持った者達の顔が浮かび私は魔王の言葉が腑に落ちる。そう、確かに彼等は私にとって友人であり、仮に彼等に危機が訪れるとするのであれば手助けする事を惜しまないだろう。嘗て彼等と共に冒険を繰り広げたことを私は決して忘れる事はない。あの時のことを思い出せば、胸に灯る暖かな気持ちに気付くことが出来る。更に、愛情という言葉であれば、トマムやシドナイに感じる想いが当て嵌るのであろう。
「しかし、酷く曖昧なものに貴方は力を割いている。目的はそれだけではないでしょう?」
バザルジードは私に対して試すような表情を浮べつつ、言葉を紡ぐ。
「魔翼を持ち、魂の回廊に近付いたお主ならば我が言葉を聞かずとも理解できるはずだ。そして何よりもお主は実物を目にしただろう」
かつて二度に渡って遭遇しこの世非ざる者――生物として格の違いを知るに至った、魂の回廊という名の冥府に潜む王の姿を私は克明に記憶していた。
「始祖の獣……いや冥王と呼ぶべきでしょうか」
「どちらでも実像は変わらぬよ。彼の者は魂を統べ、還元し、再配分を行う世界にとっての秤となる存在。人族が魂の連環を堰き止めた際に限定的に顕現をしたが、この世界に魂を持つ生物が溢れればやがては完全な顕現を以て世界を滅ぼすだろう。いうなれば終末装置としての役割を冥王は担っている。何万年後から分からぬが、我々はいずれその時を迎えた時に奴を乗り越える必要がある。その為にあらゆる種族の知恵を合わせ、変革が必要となる。それであればこそ、我は魔族に個を与え、育て、先を探し始めた。それは過去の魔王には果たせなかった悲願であれば、私はあらゆる手段を用いて事に当たると決めた」
魔王の言葉は遠大であった。定命の者では考えの及ばぬ先の滅びを見据え、それに備える為に力を注ぐことを選んだ。それは今の人族には想像も付かない世界の理であるのは間違いでは無かった。それ故に、魔王にとって私が抱くこの感情はもしかすると些細なものとして見えているのかもしれない。
「私達の先を願う想いや苦悩は、貴方から見れば些事に過ぎませんか?」
「かっかっか、それは違う、違うぞラクロアよ。私はそうした強い想いが生物をより強くし、連綿とした流れの中で変革を起す原動力となることを理解している。そうした積み重ねこそが先を切り拓くと私も期待をしているということだ。お主が対話を通して得た記憶、魔力、それらがその証明であろう」
魔王は見透かすように私に告げる。幾万もの魂との対話、それは魂に残る記憶の浄化に伴い記憶を取り込み、エーテルへと還元された残滓をマナとして取り込む行為であった。無垢となった魂は回廊へと送られ、やがては新たな生命として生まれ落ちる。この世界を成立させる為に必要な機能であり、魔翼を持つ者の役割である。その積み重ねによって私の中に落とし込まれる力の片鱗を魔王は理解しているのだ。
私の中に宿る人の記憶は人族の未来を望んでいる。そしてそれを、人族の手によって成し遂げたいという想いは強い。私は対話を通して既に彼等の気持ちを理解していた、そしてそれに呑まれることも最早ない。それ故に誰かのせいには出来ない。後は、私の気持ち次第であり、覚悟の問題でしかないのだ。
「……一度、トリポリ村へと帰ります。皆と会って、整理を付けます」
「それもまたよかろう。我々の尺度で言えば、悩む時間は幾らでもあると言える。家族と、仲間と共に己の覚悟を再び問うが良い……。であれば、今の村と人族の状況を掻い摘んで説明しておくとしよう」
バザルジードは私にこの三年で何が起こっていたかの説明を始め、私はそれを静かに聞き入れることとした。
「お主が回廊の内側で三年に渡って魂との対話を行っていた間に、トリポリ村はスペリオーラ大陸とある程度の外交を可能とする拠点としてその在り方を変容させることとなった。お主が渡りを付けたシャルマ・フォン・ガイゼルダナンに対し、その魂の誓約に基づき、クライムモア魔石鉱山からの優先的な魔石供給を開始している。それを皮切りに、お主の片割れとなるシルヴィア・ベルディナンド・フォン・シュラウフェンバルト一党もまた、トリポリ村への橋渡しを行っている。それほど多くの人の出入りはないが、最低限の許容を見せた状況となる」
「お心遣い、感謝申し上げます」
「ふふ、それは村長であるトリポリと、元老院筆頭のレイドアークへと述べるが良い。我はあくまでも見守るのみ。ことの執行にあたり諍いが起こる可能性はあるが、それはお主が責任を持って取りまとめるが良い」
「ありがとうございます……。またこうしてお話する機会を頂けますか?」
「無論。お主は第十四の種族人族の首長として魔族に迎え入れられた。それであれば、我が子等と同じくいつでも我に語り掛けるがよい、その魔翼を通して再び相見えようぞ」
その言葉を最後に、魂の回廊を模した空間は消滅し、伽藍洞の部屋に玉座が一つ残された。
(疑似的な魂の回廊……この場所において、魔翼――いやオーディウムを介して私は魔王と会話をしていたということか)
『その通り、どうやら会話は出来たようだね』
オーディウムが私の理解が合っていることを、その朗らかな声で肯定する。
「ああ、今はこれで十分だ。皆のところへ行くとしよう」
私は己の魔翼から引き出したマナを基に、魔法術式を即座に発動させ、遥か彼方に待つ懐かしき人々の下へと己を転移させることとした。