魔王バザルジードは語る その1
私が送られた先は、どこか見覚えのある玉座のみが置かれた空間であった。
既視感を覚え、私は魂の回廊を目の前の空間と重ね、私は思わず周囲に視線を走らせるが、どうやらここはそのように視える様に魔術で創り出された空間であるようであった。
私は不意に現れた気配を感じ、先ほどまで姿が無かった筈の玉座に腰を降ろしこちらを見つめる魔王へと改めて視線を注いだ。
「実に十年以上前、この場にお主の母、マリアンヌ・ラーントルクが転移魔法術式を用い、魔翼に呼応する魔力を持つ私の下へ、お主を運んだ。あの時のことを思い出す」
紫焔に包まれたかのように発散される魔力はまるで質量を伴うかのように、害意無く圧迫感を発し、空間全てを掌握するのがこの人物であることを告げていた。
魔王の姿は、シュタインズグラードで見た姿以上に魔力が満ち満ちており、その雄々しい獅子の双眸を見つめ返しながら、一歩前に足を踏み出した。
「ここで私は貴方とレイドアークと会っていた……それが始まりか」
魔王バザルジードは私が生まれて間もなく、母の手によってこの場に転移をしていたことを語る。人族の為だけであれば、私を子飼いにすることの方が容易かったはず。だというのに、母は私を魔王の下へと転移させた、その理由を私は今になって理解をし始めていた。
「そう、それが人族にとって世界を開く合図となった」
バザルジードは己の記憶を紐解くようにして目を瞑り、その時を思い起こしているようであった。
「……どうして、人族との盟約に魔族を倒すなどという彼等を焚きつけるような、真逆の方向性となるものを入れ込んだ? それによって人は四百年にも渡って力を求め続け、閉塞した世界をつくりあげるに至った……貴方程の魔族であれば、寧ろそのような選択を人族が選ぶことは分かっていた筈だ」
バザルジードは「然り」と私の言葉を肯定した。それもまた、魔王の戦略の一つであると、彼は認めていた。
「だが、人族はたった四百年で魔翼を持つ者を産み出すに至った。それもまた事実であろう。人は凄まじい速度で進化を遂げた。それは個を持つ者達が種族全体を生かす為に知恵を働かせ、技を磨き、文化を紡ぎ、力を研ぎ澄ました結果であろう。この点において、私の予想を人族は裏切ったと言える」
それは詭弁であると、私は内心で吠えた。魔王であればその言葉が呪いとなることを理解していた筈であった。私が産まれた事はあくまでも偶然の産物に過ぎないはずであり、事実として私が存在しなければ人族は無意味に数千年の間、スペリオーラ大陸という鳥籠に囚われていた筈であった。
「だが、貴方は人族が魔族を超えられないことも知っていた筈だ」
「その通り……私がこの身の一部をスペリオーラ大陸へと封じた理由は既に知っておろう。人は弱い。それは魂を持つ身ではあるが、その身にマナを宿すことが出来ず、オドをその魂を削りながら作り出すことで生きる脆弱な者達であった。それが私のマナを通し、身体に取り込むことで隔世遺伝的に力を高めるに至った、その一端をお主は知っておろう?」
「……タオウラカルの者達は潜在魔力が普通の人間よりも明らかに高かった。あれはマナを持つ魔獣を主な食料としていたからだ。その他にも、スペリオーラ大陸の者達が見せた特殊な能力、魔眼と呼ばれる魔術的素養……あれは確かにマナが持つ輝きを放っていた。あれが、人の中で現れた変化の兆しということか?」
「うむ、その通りだ。今だ魔族に比肩するには及ばぬが、しかし、徐々にではあるが、確かな進歩を見せている。戦いという選択を残さずに、魂の盟約で結んだ通り、魔翼を宿す者が生れた時に魔族として迎え入れればいいだけの話であったのも確かではある……。私の主目的はあくまでも彼等を魔族として取り込むことにある。故に我が力を用いて人族の進化の手助けをしているに過ぎない。しかし、お主も分かっているように、それだけで人が満足しないことも理解していた。ただ生き永らえることで手にする力、それに人族は満足しない。その功罪はさておき、彼等は常により先を目指そうとする生き物なのだ。私が思うに、人族の美徳は、己の護る者の為に前に進み続けようとするその点にある。私はそこに人族の同族に対する愛情を感じすらしているのだよ」
「人への愛、ですか?」
「そう、その通り、愛だ。私が私に連なる子等を愛するように、人族もまた同じように愛を子々孫々に渡って注ぎ続けて来た。その愛情が故に諦める事なく、藻掻く姿を美しいとすら感じる者がいたとしてもおかしな話ではあるまい」
「それ故に魔族に対して人族が矛先を向けることもまた、貴方は『善し』としたと?」
「そうだ。そして、これは私の想いだけではない。奴もまた人族に対して同様の想いを抱いていた。寧ろ、あの盟約を提言したのは、奴だ。恐らくは己の姿とを重ね合わせたのであろうな……魔翼を持たぬ身にて、魔王をすら超えようとする先に進む事を己に課したが故に、奴もまた人族を愛した」
奴、という言葉を受けて私は嘗て師として仰いだ人物を思い浮かべた。
「……シドナイは、貴方をも超えようとしていると?」
バザルジードはシドナイを語るに当たり笑みを見せた。それは絶対的な強者が見せる慈悲であり、愛情そのものであった。
「そう、魔族が未だ個を持たぬ時代に、偶然にも個を獲得した魔族。エキドナ種のシドナイ。奴は魔王である私に全身全霊を以てその槍を突き立てる生き方を選んで生きてきた。それ故に、奴は人族を阻む壁でありながら、人族を愛し、その切先に晒されることを厭わないという精神性を手に入れた。嘗て七英雄と人族の中で謳われた者達との戦いを通して、シドナイは人の姿を知ったのだ」
シドナイが私を突き刺した時の驚きと、笑み……彼がクオウと訓練していたときに得た人を育てる喜びに気づいた姿を私は知っていた。それ故に、私はバザルジードの言葉を否定することは出来なかった。
「人族が力を求め、その先に敵となって己へと挑むことをシドナイは望んでいたと?」
「その通りだ。奴の力を求める在り方に変わりはない。私はその在り方を『善し』とした。それであれば、この私の右腕でありながら、トリポリ村等と言う辺境での任を自由にさせているのだ。エキドナ種の種族長を捨てても尚、己の生き方を貫く姿勢を私は面白くすら感じている。故に、私は全てを奴に委ねた。私は人を取り込む為の宥和政策を動かしながら、その結末を見守るだけであったが……人は見事にお主を生み出すことで先を見る権利を手に入れた」
私はシドナイの在り方を否定する気にはなれなかった。それは、私がかつて彼に挑み続けた長い年月に感じた、絶望と、そして勝ち取った昂揚感を知っていたからであった。
シドナイの在り方と、先を目指し続けた人族の在り方は似ている。それは否定しようのない事実であった。
「個性、我欲、先を求める為の力……そうしたものが逆に人族自身を苦しめてきたとは、皮肉なものだな」
「苦しみだけではない。その先に勝ち得たものも確かにあるのだ。だがそれを己のものとして感じる事ができるのか、それが肝要と言うことなのだ。そこにこそ生来的に群体としての生物ではなく、個の集団として形成される人族の特殊性が現れるとも言える。お主にはこの意味がよく分かるであろう?」
そう、バザルジードの言う通り、人族は研鑽の果てに『愛憎の獣』の力を流用し、私と言う魔翼を持つ獣を創り上げた。しかし、多くの人族はそれを認めない。何故なら、彼等は己の手で未来を掴み取りたいと、切り拓く事を望んでいるからだ。そして、その在り方をシドナイもまた望んでいるとも言える。それを人の善性と呼ぶべきか、悪性と呼ぶべきか、私には判断が出来ないが、行きつく先は破滅に違いなかった。
それであればこそ、七英雄は、ノエラ・ラクタリスという緩衝材を人族の管理者として置いたのだろう。過去四度の聖戦が起こったとノエラは語っていた。もしも彼女が存在しなければ、人はシドナイの手によって滅んでいてもおかしくない。恐らく、そうなったときに魔王はシドナイを咎めることはしなかっただろう。
「なるほど選択は、私次第ということか……」
私は、幾度目かの選択の岐路に立たされていることを自覚し始めていた。