魔都を望む場所に立つ
魔都は、満ちる匂いがこれまで私が知るものとは違った。
私が匿われていた部屋はレイドアークとトマム以外が出入りすることが出来ない魔法術式によって創造された特殊な部屋であったようで、外へ出るとそこは魔都を見下ろす事のできる物見塔よりも更に上空、一見すると何も存在しない空間に位置しており、扉が開かれると共に、中空に魔力によって生み出された螺旋階段が塔へと続くように展開されて行く。
外界から隔絶されたが故に時間感覚が無かった私の目に映ったのは黄昏に染まる魔都の全景であった。眼下に広がる都市は、王都よりも広く、そして美しい。街並みは一様に陽光に映え、高層の建築物がその姿を幾つも軒を連ねてその身を誇るように晒している。
三百六十度、周囲を遮るものが全く存在しない眺望に、私は視線を動かし魔都がどのような場所に位置するのかを把握し始める。
遠目に見えるのは森林限界を超え、稜線を作り出す背の高い山々であり、その峰々が雲を抑えこみ魔都に雲がかかるのを防ぐようにして聳えている。盆地に作られた魔都は恐らくは人工的に切り拓かれたであろうことが見て取れた。
私の身体を強かに打つ風は極めて心地よく、そして既に隠す必要のない魔翼が魔都の空気を吸い込むようにして翡翠色に輝きを放っている。
「これが、魔都か……」
非常に濃い魔力が都市全体を包み込んでいるがそれは決して嫌なものではなく、寧ろ心地良さを感じる程の魔力であった。この魔都に住まう者が魔族であるが故に自動的にエーテルをマナへと変換するが故に生れるマナであると気づくのにそれほど時間は必要無かった。
魔族がどのような生活を送っているのか、それをトリポリ村で知ること以上の情報を私は持ち合わせてはいなかったが、この光景だけで、どれほどの魔族が集団で生活を送っているのかが理解出来る。
「良い眺めであろう。このような場所に部屋の扉を繋いだのはトマムが一番に見せたい景色であったのだろうな」
「母さん……」
私はトマムなら確かにやりそうだと納得すると共に心の中で彼女へ感謝をしていた。想像以上の世界が広がっていることに感動すら覚え、私は魔都に見とれていた。人の世界の外に、それよりも大きな世界が広がっているという事実は、私の情緒に訴えかけるに十分な事象であった。
人の世は魔族を倒さんとするが故に画一的な構造となり、私が過ごしたシュタインズグラード王国での日々は、どことなく息苦しさを感じるものであった。
聖戦を終えた後に国王、騎士団、魔法技術研究所、そして魔術協会、それぞれの関係性がどれほど変わったのかは分からないが、あの世界を知った後に見る魔大陸に広がる世界が、今は何も知らぬ身とは言えどこか眩しく感じるのは間違いではない。
眼下の都に目を凝らすと、翼を持つ者達は空を自前の身体能力を用いて行き交い、そうでない者達もは地上を歩み、時には魔道具を用いて空の道を行き交っている。それは魔法を用いた効率的な移動手段の確立であり、人族の世界であれば魔力資源の面から普及に対して壁があるものであった。
「飛行魔法術式が実用化されているのか」
思わず私が漏らした言葉にレイドアークがその通りと言葉を拾った。
「ホバービークルは魔都においては一般的に用いられる移動手段の一つだな。魔力の強い者達は転移魔法を用いるが故にそれほど使用することは無いが、そうでない者達にとっては己の魔力を用いて使用できるぶん、効率的でもある」
「己の魔力で起動を? どれほどまでに魔力効率を高めれる必要があるというのか……持続的な魔法使用に用いられる魔力は膨大なものだろうに」
「弱いと言っても、魔族は人族の比ではなく魔力を持つ。効率化の基準で言えば、人族の技術は実に上手く出来ていると言えるだろう。魔都での物差しは魔族を基準としているのだ、そうした違いには徐々に慣れていくといい……」
「これまで、トリポリ村にいた時は情報の一切を得ることは出来なかった。だというのにどうして私を王都に?」
「人族との盟約に従い、成人を迎えた以上は魔翼を持つ者は魔族として扱われる。魔翼を持つ十三種族に加わり、十四種族目としての席を用意された。それであれば既に情報を隠匿する必要はない」
「……人族に対して、魔王は何を望む? 人族と結んだ魂の盟約は、他の種族に対し明らかに優遇されているようにも感じるが?」
「左様、それ故に元老院は揺れたよ。どうして父上がその御身体の一部を人族に分け与えるまでの優遇を行ったのか、その意図を知るのは魔王自身のみだろうよ」
私は訝し気にレイドアークを見たが、彼はそれ以上私に対して明確な答えを示す事はしないようであった。
「魔王バザルジード……魔族の父にして王か。この三年の空白を埋める為に、私も話をしなければならない。これから会うことは出来るのか?」
レイドアークはその背に連なる魔翼を拡げると、私の持つ魔翼よりも多い結晶体を煌めかせながら瞬時に何事かを確認したようであった。その酷く静かな魔力の流れに、ぞわりとしたものを感じつつも私はバザルジードの応答を待った。
「ふふ、丁度いい。どうやら父上もお前をお待ちのようだ。私が玉座まで送るとしよう」
レイドアークは己の魔翼に煌めきを走らせると、私の肩にその筋骨隆々とした獣の手を置き、魔力の残滓を感じさせぬ程に精密に転移を実行してみせた。