聖戦と呼ばれる戦い その10『魔王の意志』
「何が起こった!?」
真紅の魔剣を携える近衛騎士は目の前で起こった出来事を認識できず、瞠目していた。
時の流れが動きはしたが、其の場に存在する人間の誰一人として、其の場から僅かたりとも身動きをする事が出来ていなかった。空と大地に存在する暴力の化身の存在を肌で感じると共に、獣の召喚時に起こった出来事を認識できた者はこの場には存在していなかった。
それ故か、近衛騎士達は召喚獣の存在を仰ぎ見ると共に、私の側で魔法を操る魔族を確認し戦慄を覚えているようであった。
「騎士団長ザラツストラの命である、各員、狼狽えるな! 頭上にいるのは我らが召喚魔法術式で呼び寄せた天上の力である、我らが敵は依然としてその魔翼を持つ者とそこな魔族である。故に剣を持ち、撃滅せよ!!」
鶴の一声を上げたのは、騎士達の中で状況を把握したザラツストラであった。しかし、彼の認識は決して正しい物とは言えなかった。何故ならば、上空で我々を見下す獣の照準は依然として王都全域を捉えているからであった。
しかし近衛騎士達はその声に振り立ち、再び剣を握りしめると、私とバザルジードを敵と認識し再び猛攻に転じ始めた。
『バザルジードよ、貴様が救い上げた命でありながら、尚も魔族に牙を剥くのがこの醜い生物共よ。それすらも救おうとするのは傲慢ではないか』
冥王は念話を通して、魔翼を持つ者にのみ通る声を上げた。天族のサンスーシールもまた自らが呼び寄せた格好となった始祖の獣を仰ぎ見たままその威容に圧倒され動きを停止していた。
『これを傲慢と仰るか、冥府の王よ。ははは、否。これは傲慢ではなく、我の信念である。それ故に未だこの世界を無に帰す訳にも行かぬ。今一度、魂の回廊にて眠っていていただくとしよう』
魔王バザルジードは当然とばかりに、冥王と呼んだ超越的な生物を己の手で相手にすると高らかに宣言した。その言葉がどれほど私にとって心強い言葉であったことだろうか……私はいつの間にか義憤に駆られていた筈の心は落ち着いていた。人造の獣達の声は、エーテルを通して未だに響いてはいるが、オーディウムの手によってどことなく落ち着きを見せ始めていた。そしてそれは、バザルジードの魔力行使によって、急激に吸い上げられ続けていた人造の獣達からの魔力搾取が止み、何れは彼らの望みが適う事を示していた。
『ふむ。それでは暫く綱引きを楽しむとするか』
始祖の獣――冥王――は冷淡な声と共に怖気を催すほどの魔力を練り上げ、他者の介在を許さぬ速度でその魔力を放った。それは光すらも呑み込む極黒の一撃となって私達に降り注いだ。
『ラクロアよ。暫し冥王とのひと時に付き合う事になる。その間にそこな天族を名乗る者を止め、魔法術式を用い己が同胞を解放するが良い』
バザルジードは降り注ぐ一撃を愉快そうに眺め、再び杖の一振りで何事も無かったかのように完全に消滅せしめた。しかし、空間に残された衝撃の余波が雹雨のように飛散し、至る所に降り注ぎ被害を拡大させていく。我々には問題なくと、長引けば王都全体に甚大な被害が出ることは間違い無かった。
「分かりました。後はお任せ致します」
私は再び魔翼を駆って魔法障壁を創り上げた。目の前に迫る近衛騎士達を退けるべく、そして魔王バザルジードより賜った勅命を実行すべく、不退転の意志を以て私は駆け出した。
魔力感知によって同時に迫る近衛騎士達の動きを把握し、魔法障壁と魔翼によってその攻撃を受け流し、一歩前へと進み出る。すぐさまに突き立てられる剣戟の嵐を、同等の手数の火、風、水、地の魔法を使い分け、いなし、躱し、食い止め、更に前へ、前へと突き進む。正面から迫る騎士の動きを雷撃の槍によって押し留め、更に前へと進む。前後左右、あらゆる攻撃を掻い潜り、魔力障壁に幾度となく攻撃を加えられたとしても、一点を目指し突き進み続ける。先ほどまでの怒りに身を任せた魔法行使では無く、理知的に感覚と技術の共存を以て目的を達成するための手段を構築し、実行する。
「悪いが、止まってもらう」
目の前には業火を操る剣聖の姿、身体の芯まで燃やし尽くした彼の魔剣の一撃が再度、私の魔法障壁を突き破らんと猛威を振るう。攻撃魔力を防御に注ぎ込み、魔翼を全力で展開させ、魔法障壁の密度を高め、ただ、突き進む。
『業火に消えよ、カサルティリオ!!』
眼前を猛火が埋め尽くし、衝撃が全身を強かに駆け巡る、それでも尚私は、今はただ、目的を果たすという使命感だけで心を燃やし、地を駆け続けた。先ほど見た技であればその構造は既に看過出来ており、私は急速に熱を奪う為に冷却魔法を魔法障壁外部に展開させ、その業火を突っ切ると、驚愕の表情でこちらを見つめる美丈夫と視線が交錯した。
「なんだと……!?」
私は彼をそのまま無視し、己のオドによって構築した多連無詠唱の閃光爆発魔法術式をその先に見据えた。
「甘いな、人造の獣よ。『叩き落とせ、タフトクロノース!!』」
突破した紅蓮の炎の先で待ち構えていたのは、騎士団長のザラツストラの魔剣の一薙ぎであった。彼の視界に存在する全てを切り伏せる攻撃は、嘗てミナレット・ラーントルクが見せた魔剣による攻撃と同質のものである様に見えた。
それ故に、その攻撃は対象物の視認が必要であり、その場に存在しない物を切る事は出来ない。
私は高速詠唱と共に目の前の空間を歪め、その先へと跳んだ。
「ッ!! 超短距離の空間移動か!!」
対象を見失ったザラスツトラの一振りは虚空を薙ぎ、抗力を発揮せぬままに魔力は霧散した。
私は、空間の歪みから抜け出すと、召喚魔法術式を維持し続けるサンスーシールの眼前に踊り出でて、魔法術式を発動させた。
『騎士共が、小僧一匹留められんのか!!』
伽藍洞の天族が放つ怒りの咆哮と同時に半径数メートルを完全に破壊し尽くす閃光が煌めき容赦のない爆発が炸裂した。
閃光が収まった先には、半身を吹き飛ばされたサンスールーシの姿と、主を失った魔法術式陣がその場に残されていた。私は召喚魔法術式に己の魔力を送り込み、魔法術式陣を通して王都に存在する全ての人造の獣達と繋がり、彼等の魔力精製を停止させると共に、その全てを完全に破壊し尽くした。
『ありがとう……』
幾つもの感謝の声が脳裏に響き、私は私の身に膨大な魂が魔翼を通して流れ込むのを感じていた。それら全てと対話するのにどれほどの時間が掛かるのか……しかし、それは彼等をこの先に連れて行く者としての責務であった。
(後で皆の話は聞くよ。今はただ、安らかに私の中へと還るといい)
人造の獣達が完全に行動を停止すると共に、王都に満ちていた禍々しい魔力も徐々に薄れていくのを私は感じ、改めて私は冥王の姿を視界に捉えた。
『ふむ。冥王よ、どうやらここまでのようだな』
幾度目となるか、始祖の獣と魔王バザルジードの極大魔法術式の攻防にも、俄かに終わりが見え始めたようであった。
『……時が来れば貴様もまた、我と同じとなるであろう』
そして冥王は意味深な言葉を残し、糸が切れたようにゆっくりと身体が溶け始め、再び黒い球体へと戻ると魂の回廊に繋がる時空の狭間へと消えて行った。
『そうならない為に私達は今、こうしているのだ』
頭上の始祖の獣が虚空へと消え去った事と、天族のサンスーシールが事切れた事実を近衛騎士達は認識しつつ、しかし、その戦意が衰える事は無かった。
その様子を見て、バザルジードは己の魔法術式によって皆の意識を繋ぎ対話を試み始めた。
『戦士達よ、聞くが良い』
魔王バザルジードの一声は、魔力放出を通して其の場にいる者達全てに浸透した。バザルジードの声音は極めて穏やかであり、威圧の目的では無かったが、自身の魔力防御を何ら意に介さず貫通したバザルジードの魔力の威力に意表を突かれ、近衛騎士は思わず動きを止めた。
『我は魔族の王にして、全ての種族を観測する者。名はバザルジード。人魔大戦を経て此度、そなた達が始祖の獣を召喚せしめるまでに良くぞ辿り着いた事を先ずは賞賛しよう。しかし、その力を魔族に対して向ける事に慙愧の念が堪えない。我々はそなたらとの調和を求めている。戦いでは無く、対話を用いて友好を模索できないものか』
魔王バザルジードの名乗りを受けて、近衛騎士達は一斉に身構えたが、誰一人として動く事は出来ずにいた。
「それは不可能というものだ!! 魔族の王よ!!」
声を上げたのは騎士団長のザラツストラであった。
『ふむ、それは何故か?』
「貴殿等のように圧倒的な力を持つ者達と人間が共に歩む事自体が信用できんからだ。嘗て人間は魔大陸へと進出したが、我々は敗北の果てにこのスペリオーラ大陸と言う名の監獄に押し込められ長きに渡って己が技術を磨き続け過ごしてきた。既に数百年の月日が流れたが、我々の剣は魔翼を持った子供一人に届かないのが現実であろう。強さを持たぬ人間が、どうして圧倒的強者の横に並び立つ事が出来るというのか!! どうして我が子等がそなたらの子等と共に肩を組む姿を想像できると言うのか!! 」
バザルジードはその獅子の顔をザラツストラへと向け、柔和な笑みを浮かべた。
『弱肉強食の世界であれば、そなたの言葉は至言であるな。だが我々は捕食関係に置かれているのではない。あくまでも知性有る生物としてこの世界に存在しておるのだ。解せぬと言うのであれば、メライケ大森林が奥深くに人魔が共生する村が存在する。そして、そこで過ごしてきた生き証人こそが、そこにいる魔翼を持つに至った人の子供、ラクロアである。我らの理想がそこには存在している、そなた達の可能性を私は信じているぞ、強き者達よ』
バザルジードの言葉を受けた近衞騎士達は今まで剣を向けていた私に再び視線を注ぎ始める。彼等が抱くやり場のない思いと、その吐きだし先を私に求めるかのような、どこか縋る様な想いが綯交ぜとなった視線が私を見据えている。
「……私は魔翼を通して、このスペリオーラ大陸に生きた人々の想いを知った。そして今を生きる人々の想いもまた同様にだ。皆が抱く、先を求める想いは私が引き受ける。それが私の役割だ。人は魔族と共に生きる事が出来る。そして、魔翼を持つ私だからこそ、それを実現することが出来ると、私は信じている」
近衛騎士達は私の言葉に動揺を以て応えた。それは、一つの戦いの終わりであり、人族が魔族と戦うことの終わりを告げるものであった。
即ちそれは、彼等が心血を注ぎ、この人の世で創り上げた在り方の否定でもある。
その全てを私は引き受けなければ、この先も人は魔族への敵対を止める事はないだろう。
「ふざけるなッッ!! 私達の命の賭けどころを奪うと言うのか!? 私達はその為に今、ここに在るのだ!! 」
ザラツストラは獣のように叫んだ。それは悲痛なまでに本心であろうことが理解出来た。その魂の慟哭に掛ける言葉を私は持ち合わせていなかった。しかし、彼の想いもまた、私が引き継ぐべきものであることは理解していた。
「ザラツストラよ。カーリタースが魔翼を持つ者に討たれ、そして貴様らはラクロアに挑み敗れた。召喚魔法術式は消滅し、王都を支えていた魔力炉もまた消え去った。戦いは終わったのだ。そしてラクロアという存在が魔族との盟約を果たす存在として確立した以上、我々は、次の世界を作る為に尽力するべきだ。その区切りの為の聖戦であった筈だ」
言葉を紡いだのは転移魔法術式によって現れたノエラ・ラクタリスであった。彼女の姿を見ると、カーリタースと名乗った天族と同じく無貌の姿を見せている。それは恐らく、彼女が全力で魔法技術研究所を抑え込んでいたことを示していた。
『時間は未だ十分にある。我々魔族は常に人族との調和を望んでいる。決して忘れるでない。我々魔族は、そなた達との調和を望んでいる事を』
バザルジードはそう言い残し、空間の歪みへと消えて行った。バザルジードの魔力による支えを失った私は、突如として身体から力が抜けるのを感じていた。そして為す術も無くバザルジードの魔力に引き摺られる形で、私もまた空間の歪みへと引き摺られ、気が付くと意識を失っていた。