聖戦と呼ばれる戦い その8『愛憎の獣』
助けを呼ぶ声が、耳に、身体に、魂に突き刺さるかの様に響いていた。
彼等を私は知っていた。私が作られる遥か前、『愛憎の獣』がその身から放つマナを宿し、人の身で生まれる筈であった姿形を変えられた者達であった。人間として生きることも出来ず、まともに動くことも、死ぬことも出来ない……だというのに魂だけが肉体に囚われたまま、不完全な生き物として存在している。
彼等は魔力を生み出す道具として都市機構に結びつけられ、生活基盤を支える魔力機関としての役割を担い続けてきた。誰も彼等の苦痛に塗れた声に耳を傾ける事は無い。彼等の声を聴くことが出来るのは同じ人造の獣達だけであった。実に数百年……常人であれば気が狂う期間を彼等は地下深く陽の当たらぬ場所で酷使され続けていた。その怒り、その悲しみ、その苦痛に身を焦がし、魂は犯され、それでも彼らの魂は砕けることなく、ただ愚直なまでに叫び続けていた。助けて欲しいと、解放してほしいと、終わらせて欲しいと――
感情の奔流に私は流されていた。無数に飛び交う感情という名の制御し難い情報の波に押し負け、自分自身の感情の制御を失い、感情の捌け口を探し求めていた。これではただの獣だな、などと我ながら酷い有り様であると自覚する。冥府魔道に身を落とし、人間という人間の一切を殺し尽くすまで止まらないのでは無いかとすら思える負の感情が自分の中に溢れていた。
『気に病む事は無い。君の責任ではないのだから』
ふと、優しい声音が耳に入り、目を開けるとそこには男が一人、天地上下、無が続く白塗りの空間で座り込んでいた。そして彼は数百に及ぶ幼い魂に囲まれて、その全てを慈しむ様に彼は微笑んでいた。
『皆、生きたかったんだ。普通に生まれて、家族に愛されて、友と共に励み、伴侶を得て子孫を残す。そんな当たり前を望んでいた。けれど、それは彼等には叶わない。だから彼等は激情の裏側でそんな他人の幸福を願う想いを、誰かに託したいと思っているんだ』
男は静かに、言葉を紡ぎ、おもむろに振り返って私を見た。その顔は伽藍洞。魂の洞を映し出す魔を秘めた者の姿をしていた。だというのに、彼が微笑みを湛えていることが間違いなくわかる。それはきっと、彼が既に私そのものとなっているからなのだろう。
『それは人間の歴史と同じだ。己一人では出来ない事を誰かに託して生きてきた。人造の獣も同じく、等しく誰かに望まれてこの世に存在している。不条理に晒されたとしても人は願う事を辞められない』
それはとても悲しい在り方では無いだろうか。彼等は自分でそう望んだ訳では無かったにも関わらず、求められるままに生まれ、自由も無く生かされている。自らの生を謳歌できない生き方がどれほど酷なものであるのか。それを思う度に私の感情は掻き乱されている。その理不尽さに打ち震えている。途方も無い私自身の怒りが込み上げてくる。
『君は優しいんだね。彼等を自分として見ることが出来る。それはきっと君自身の美徳なのだろう。彼等の悲しみや怒りの裏には掬われなかった想いがある。それを私達は汲み取り昇華させる必要がある』
彼が彼等を慈しみ、受け入れる度に私の中から激情が薄れて行くのが伝わってくる。そして同時に、託された想いが、愛を伝える言葉が胸を揺さぶり、魂を奮わせる。
彼等の果たせなかった想い、そして幸福を生み出す為の歩みを彼等は願っていた。
『それが、魔族の役割か』
『そう、それこそが魂の連環。そして私の役割でもある』
『あんたが魔翼の中に居る獣の正体……』
『そうだね。幾つもの魂との対話を通して私は徐々に君の一部として定着し、こうして会話を行えるようになった。トリポリ村を離れ、君が見て来た戦いは、私と君をより強く結びつけたと言える』
『愛憎の獣の意志が魔翼から私へと逆流しているのか』
『その通り、改めて名乗ろう。私の名はオーディウム。バザルジードが切り離した力の一端であり、それは人の子等には愛憎の獣と呼ばれる存在であり、その身に宿す魔力を用いて、人の進化を促す者でもある。魔翼を通して、いつも君を見守っていた』
『人の進化とは、随分な言い草だな』
『それこそが魔王バザルジードが求めた生物の進化、愛憎の獣が持つマナが大地を侵し、生物濃縮を経て、人の肉体に長い年月を経て変化をもたらす。その果てに魔翼を持つ人族が産まれることを魔王は望んでいたが、人は歩み方を間違ったとも言える』
『……私はどうすればいい?』
彼は柔和な微笑みを浮かべ、私を受け入れるように慈しみの眼差しを向ける。
『彼等を受け入れてあげて欲しい。そして見つけて欲しい。彼等の祈りを紡ぐ先を。悲しみを乗り越えられる次の世界を』
『人と魔族が共に生きる世界か……』
『けれど、その前にやらなければならないことが私達にはある。彼等が呼び出した存在を私達はいつの日か越えなければならない』
それは、カーリタースと呼ばれた天族が求めた召喚対象とは異なる存在が、今にもこの世に降臨しようとしていることをオーディウムは指摘していた。
召喚魔法術式に干渉の余地を残したのは私が人造の獣達を解放する為だけではなく、ノエラ・ラクタリスが自身の望みを叶える為のものでもあった。
『ノエラ・ラクタリスは一体何を呼び出そうとしている?』
オーディウムは、君も嘗て出会ったことがあるはずだと、私に諭すように答えた。
『……この世の終わりを司る獣。神の頂に通じる者。魔王と対になる存在にして、魂を統べる者……その目で君も感じると良い。世界の破滅がはっきりと理解できるだろうから。子供達のことは今は私に任せるといい、子供達の持つ魂との対話が始まる時は力を貸しておくれ?』
私はオーディウムに頷き、再び意識を覚醒させた。