ベルディナンドの獣達 その4『現界する意志』
ノエラ・ラクタリスの言葉は暗に私に選択を迫っていた。
騎士団、魔法技術研究所を止めるということは即ち、ここまで人が積みあげてきた人族による人族の為の研鑽を断ち切ることとなりかねない。
人造の獣の解放――それもまた同様に、このシュタインズグラード王国というある種完成された人の生活を破壊する行動であることに間違いはない。
「ラクロア、お前は俺と共に来るべきだ。人の世を導く為に俺達は生を受けた。それであれば、俺達に課せられたこの不毛な戦いの因果に終止符を打つべきだ、そしてその後に訪れる混乱もまた、俺達が終息させる必要がある」
シルヴィアは狙い澄ましたように私にとって急所となる点を攻め始めた。仮に騎士団や魔法技術研究所を瓦解させたとして、その先に訪れる混乱を無視する事が私に出来るのだろうか?
騎士団、魔法技術研究所、仮にこの二つを下したとして、均衡が崩れた後処理を現国王のカルサルドに丸投げするというのは、虫が良すぎる。シルヴィアはその点を私に突き付けていた。しかし、それはあくまでも私が唯の人間であればの話でもあった。
それ故に私はこの場で必要な条件を引き出す必要があった。何のために戦うのか、その後の責任を負うだけでは足りない。それよりも一歩先を私は欲していた。
「シルヴィア大きく出たな。ベルディナンド家にとっての生きる道と、私の責任を一緒くたにするのは話が違う……とはいえ、騎士団と魔法技術研究所とこの段において和解はあり得ないがな。私が人造の獣を解放するという方針に変わりはない」
「話を逸らすなよ。問題はその後だ、人造の獣――魔力炉を失った王都がこれまでにない混乱に陥るのは間違いない。その責任から逃れるのは都合が良過ぎるんじゃないか?」
「シルヴィア、お前は勘違いをしているよ。私にとって優先事項はあくまでも同胞の解放と、それに伴う始祖の獣の降臨阻止にしかない。その後がどうなろうが、私には関係ないさ」
確かに私の行動によって起こった結果に対する責任は付き纏う。これは詭弁でしかない、だが、その責任を負わないという道も選択肢としては確かに存在する。
「嘘をつくな、お前がそれほど軽薄であればそもそも、魔力炉を解放しようなどと思いもしなかっただろうよ。お前は自分の意思を通すことに引け目を感じているはずだ」
そう、それは正しい。魔力炉となった同胞たちを解放する為に犠牲となる国教会の者達、其れすらも私は救いたいと、心の底では思っているのだから。
「はは、説得にしては稚拙だな。だからどうした。私は自分がすべきと信じる、自分自身が本当に求めることをするだけだよ」
「ふざけるな!!」
シルヴィアが私ののらりくらりとした対応に吠えた。彼の糾弾は正鵠を射ていることは理解している。聖戦を行った後に残された人族をどの様にして管理すべきか、導くべきか、それが重要な項目であるのは理解が出来る。しかしそれはどこまで行っても人族としれの立場他ならない。
「ふざけてなどいるものか。お前のいうことは何処まで行ってもお前の主観にとって心地いいものだろう」
「お前は自分事で考えずに目の前の問題を回避しているに過ぎない。ラクロア・ベルディナンドとして生を受けた以上、逃れられぬ業というものがある筈だ!」
「それの選択を私に与えたのは母だ。それであればこそ、私には自ら何を為すべきかの選択肢は私に与えられているはずだ」
シルヴィアは意外そうな表情を浮かべながら、私を見つめていた。
「お前は、道具として生み出されながらにして母の愛を感じられると言うのか?」
それは裏返しに、自分にはその愛情を感じることが出来ないと言っているようなものであった。シルヴィア・ベルディナンドにとって、魔翼を持たずに生まれたことが、不必要な人間として切り捨てられることに直結しかけた以上、恨みこそすれど、感謝など思いもつかないのだろう。だが、ベルディナンド家に生まれた以上、その責任を果たそうとしている。
だが、それは恐らく、そうせざるを得なかったが故に辿り着いた結論に他ならない。
「これは私にだけ与えられたものではないさ、シルヴィア。お前に同様に与えられた権利のはずだよ。自分の役割を定めたが故にそう在らざるを得ないと感じているだけだろう?」
私は彼の言外の感情について言及する。それは、魔翼持たない故にベルディナンド家の人間として在り方を定められたシルヴィアだからこそ刺さる言葉であると感じていた。
「……母に愛されたのは魔翼を持ったお前だけだろう。俺は、俺に血縁の愛など存在しない、お前とは違い、道具にすらなれなかった出来損ないだ。この在り方に拘る他に生き方を知らない!」
シルヴィアが慟哭とも取れる言葉を吐く度に私自身、心が軋むのを感じていた。彼は自分が望まれて生まれた訳ではないことを知っている。そのこと自体を嘆くわけではない。けれどそれをありのままに受け入れているが故に、自身の在り方を崩すことがない。いや、崩す事が出来ないのだ。
「生き方を決めるのは何も自分を取り巻く環境が全てではない。私達は少し真面目過ぎるな……もっと他人事で考えてもいいはずなのにも関わらず、どこまでも自分事としているのは、行き過ぎではないのか?」
そう、全てを自分ごととして捉えるが故に私達はお互い違う立場でありながら苦悩している。この苦悩を理解できる人間は多くはないだろう。
「責任、業、生まれついた役割、確かにそのどれもが俺たちを構成する要素だ。だが、それは他の誰にもできない、俺たちが果たすべき役割ではないのか?」
シルヴィアの言い分は決して間違いではない。人は与えられた環境で如何にして己の価値を見出すかを探究してきた。その中で、役割論を捨てきれないことも決して間違いではないのだ。
「考え方の違いだな。私はあくまでも自分の為に生きると決めた。そして手の届く範囲の者達を救う。出来る限りのことはする、だが全てを背負うことは出来ない。私にも、彼の地にて私を待ってくれている者がいる」
私の言葉を聞いてシルヴィアは、はたと、先ほどまで身体に満ちていた激憤の矛を収め、冷静な面持ちで私を見つめ始めた。
「いや、なるほど。そういう事か……。漸く理解できた、お前が何を求めているのか……ロシュタルトを越えた先、魔大陸にいる人間は、スペリオーラ大陸から逃れた者達なんだな?」
私は無言でシルヴィアを見つめていた。そこに辿り着いたシルヴィアが私にどのような提案を行うのか、仮に私が彼の立場であれば私に対して、彼にしか出来ない条件を差しだすだろう。
「だとするならば、仮にお前が『魔翼』を持つ者としてその者達を導いたとしても、全員が救われるわけではないか……お前が俺に力を貸すのであれば、その者達が再びスペリオーラ大陸の土を踏む権利を俺が与えると約束しよう」
そう、それは私がどう足掻いたとしても与えることが出来ない、あのトリポリ村という小さな世界から僅かでも広い世界を見せて上げたいという、ささやかな願いだった。
「そう、それでいいんだよシルヴィア。私達は所詮、そうした利害関係でしか動けないのだから」
私の言葉にシルヴィアは不意に笑い出した。何が可笑しいのかと聞くと、私の回りくどさに呆れたとのことであった。
「しかし、随分と回りくどい手法を使うものだな、お前は」
「それぞれ立場は違えば思うところも異なる。言葉だけで理解できるのであれば、争う必要もないということさ」
「くくく、俺達を取り巻く環境全てに当てはまる言葉だな……それで、いいんだな?」
「ああ、それでいい。騎士団と魔法技術研究所が動き出すのはいつ頃になる?」
「召喚魔法術式の調整は既にほぼ完了している。五日もあれば、魔力炉と完全な同調が完了し、術式の発動準備が整うだろう」
「ならば、それまでの間、暫くはこの王都を懐かしむとでもするかな」
シルヴィアは不思議そうな顔を浮べていた。
様々な記憶が私の中で蠢く中で、私は自身の誤った感覚を持て余し始めていた。けれど、トリポリ村で見たはずの青空を思い出すたびに、あの頃の記憶が色褪せずに私の中に根を張っていることを思い出すことが出来た、それであれば未だ大丈夫だ。
「言葉の綾だ。気にするな……話は終わったな、私達は暫く身を潜めるとしよう」
「ああ、そうだな。今後の連絡はスコットを遣わせる。何か必要がある時は呼んでくれ、それでは互いの役割を果たすとしよう」
シルヴィアは私達にそう告げると、私達が使った魔法術式とは別の転移術式陣の中に入り、時空の歪みと共に姿を消した。