ベルディナンドの獣達 その3『ノエラ・ラクタリスは語る』
かつて、スペリオーラ大陸をその手中に収めた七英雄はロシュタルトからその先、クライムモア連峰を越えて魔大陸へと侵入した。
先進的な技術とは程遠い人族の文明にとって広大な肥沃な土地は必要な世界であり、クライムモア連峰という永久凍土に閉ざされた極限の世界が広がる、大きな障害を越え、新たな世界を知った人族が未知の世界に飛び出そうとしたことに罪はない。
ラーントルク、トーレス、ガイゼルダナン、シュタインズグラード、アーラ、サウダース、アルゴニスト。七人の英雄とその血族、人の世を治めていた者達が互いに協力し合い、自分達の世界を拡げる為に可能性を探し求め続けた。
彼等が外の世界を求めたのは単純に人族の停滞を解消する為の手段だったのか、それとも純粋な闘いを求めてだったのか……今となってはその始まりは分からないが、結局のところ、彼等は人族と異なる文化、環境で生きる魔族を敵と定め、挑み続けることとした。
戦力を整えては戦いに赴く日々、幾度と無く戦い、時に勝ち、時に負ける。それでも戦いは人を育て、これまでにはない程までに進化を促したと言える。
魔族を倒す為に剣技が、魔術が、戦術が、戦略が、煮詰まり、新たに生まれ、洗練されて行く様を七英雄は喜ばしいものと考えていた。魔族との戦いは人類が先へ進む為の足掛かりとなって行った。
環境が人を作るとは言うが、面白いことに、人は平和の中ではなく、危険に晒されること……それによって危機感が募り、人類に英知を結集することで新たな力を開発し、発展を促してきた。
しかし、それも魔王の軍勢が人族を認知した瞬間に終焉を迎えることとなった。圧倒的な力を誇る、十三種族の中の一種族、エキドナ種による猛攻を人族は凌ぐ事は出来なかった。彼等は戦いを求める者に対しては一切の容赦を持たない。それは魔大陸を統べる魔族であるから、という見せしめではなく、戦いに身を置く者達に対する礼儀として、エキドナ種は敵が降伏するまで平等に殺し続ける、その習性によるものであった。
魔族によってクライムモア連峰を逆に侵入を許し、ロシュタルトまで押し返された人族は、そこで漸く和平と言う名の降伏を呑んだ。
魔王バザルジードが姿を見せた時、人々は恐怖した。その威容、その異質さ、その生物として抗いようのない絶対的力の差を、身体の奥底、魂に届く程までに痛烈に自覚していた。
魔王は人族に二つの盟約を結ばせた。それは、統一的平和を願う魔王にとっては当然の選択であった。彼が人族に提示した条件は二つであった。
人族に魔翼を持つ者が出てきた時には、その者並びに、それに連なる者達を魔族として迎え入れる。
そしてまた、ロシュタルトを超え、魔族の管理者を打ち倒すことが出来たのなら、その時もまた人族に魔大陸への進出を許すとした。
この二つの盟約は魂の盟約と呼ばれ、七英雄のみならず、遍く人族全てに永劫続く枷となった。どちらかの盟約を果たさない限り、人族は永遠にこのスペリオーラ大陸という辺境に追いやられたまま、外に出ることは出来ない宿命を背負った。
人族はこの選択肢を突き付けられ、七英雄とその子孫は魔族を倒す為の力を磨き続けた。その一方で、私は戦いを望まなかった。それは、魔族と彼我の差を知った時に決して人が超えることの出来ない壁を感じたからであった。それは諦めであったのか、それとも協調と言う名の平和への歩み寄りであったのか……いずれにせよ、私は七英雄と新たに盟約を結び、魔族との戦いは私を殺さねば出来ぬことと定めた。それはあの時に人族が感じた魔族に対する恐怖、生物としての違い、その全てが不の感情として煮詰められ、牙を磨いた先に訪れる、あの時以上の絶望が生み落とされることを私が危惧したからに過ぎない。
私は魔族との協調の道を模索し続けた。そうした中でも、人族の成長を私は止めることはせず、ただ壁として立ちはだかることを決め、これまでの長い時を生き抜いてきた。非人道的な研究にも手を出した。人の世を安定化させる為の魔法技術も数多産み出した。そして気が付けば、私の想いとは違うところで、自立自走を始めた魔術を志す者達によって人造の獣が作り出されるまで至ったのだ。
「故に、ラクロア、お前が生まれた時点で私の役割は既に完遂している。しかし、七英雄以降の子孫たちにとって私と言う存在は、魔大陸への進出を阻む壁であり、倒すべき敵というわけだ」
◇
ノエラ・ラクタリスは寂寥感を漂わせながら、その輝く金色の髪を弄んでいた。
「マリアンヌが何故、ラクロアを外の世界へと逃がしたのか……それは魔翼を持つ者がスペリオーラ大陸に存在したとしても、魔族として迎え入れられる者は魔翼を持つお前に連なる僅かな者達のみ。人は環境によってその思想、在り方を変えて行く。それであれば、人族と関係の無い場所へ、お前と言う存在を送り込んだ意味もあったのだろうな」
確かに、母がそうした理由で私を魔大陸へと送ったとするのであれば合点は行く。勝手に生み出した私に、そうした責任を背負わせたくはないという、いわば親心のようなものなのかもしれない。私と言う存在は、余計な諍いを産み出す種になり得るのは間違い無い。だが、今は既に私の存在は認知され始めているのも事実。
「だが、騎士団も魔法技術研究所も私の存在を認知した今、どうして魔族を滅ぼす為の歩みを止めない? 彼等の求める魔族を打ち倒すという在り方は、どこまでいっても人族にとって不利益にしかならないだろう」
私がノエラにそう問いかけると、彼女は目を細め、ため息交じりにその理由を推察してみせる。
「気に入らないのだろうよ。四百年に渡って磨き続けた七英雄から脈々と受け継いだ思想、技術、それらを戦いに活かすことなく、潰えていくということに奴等は耐えられないのじゃ。そして、何よりも、ラクロア、お前の血族はやがて魔大陸へと進出し受け入れられることになったとしても、今を生きる者達に先は無い。それは、未来永劫変わることの無い事実でもある」
「……私が魔族として受け入れられたとしても、それが全ての人族に適用されるわけではない、か」
この点で考えれば、彼等の行動にも正義があるようにも思えた。人族はその一生をスペリオーラ大陸という魔大陸から隔絶された辺境で生きることを余儀なくされている。だが、そこでの生活は決して貧しいものではなく、皆がそれなりに暮らすことの出来る、豊かさすら垣間見ることができる世界のように私には見えていた。
シルヴィアはノエラの話を聞き、漸く合点がいったように頷いていた。
「なるほどな、ジファルデンが望んでいたのはそういう事か。魔翼を持つ者を傀儡とすることでカルサルド国王と共に、騎士団と魔法技術研究所を排斥するつもりだった訳か」
「そうじゃ。魔翼を持つ者をやがては王に据え、人族を新たに進化させる……数百年先では、多くの人族が魔族として受け入れられる、そんな世界もあったのだろうな」
「私は人族を解放する為の道具か」
当然と言えば当然であった。私はあくまでも魔族との魂の盟約を満たし、その上で人族の世界を拓くために生み出されたのであれば、求められるところはそのようなところであろう。
「だが、それよりも前にこの世界は破綻する」
ノエラ・ラクタリスの言葉にシルヴィアがその理由について言葉を重ねる。
「始祖の獣、そして魔力資源の枯渇。この二重苦か」
「そう、これは人の世が魔族という影に対応する為に構成され、運用され続けたが故に生れた歪。これを私達は糺すべきか、それとも見て見ぬふりを続けるべきか、最早その判断は私の手から離れている、何をどうするか、決めるのはお前達だ」
ノエラ・ラクタリスはどこか突き放すようにしてシルヴィアに対してそう言い放つ。
「……ノエラ・ラクタリス。人の世界をこうして作り上げたのは七英雄とお前だろうに、その責任をここに来て俺達に丸投げするのか?」
明らかに苛立ちの籠ったシルヴィアの声に、ノエラは笑い声を上げた。
「そう声を荒げるな、ベルディナンドの若き獣よ。先ほども言った筈だ。私の役割は、ラクロアという『魔翼』の保有者が現れた時点で完遂されているとな。この先はお前達が作るべきなのだよ。その露払いは私が行う。聖戦を騎士団と魔法技術研究所が望むのであれば、それで構わない。直に召喚魔法術式の準備は完了し、人造の獣達の声をお前達は知ることになるだろう。それが、合図だ」
「いいだろう。いずれにせよあんたが騎士団と魔法技術研究所の力を削ぐと言うのであれば、それは利用させてもらうとするさ」
シルヴィアは明らかに不快そうな表情を浮べつつも、ノエラに対して挑むように言い放ってみせた。