ベルディナンドの獣達 その1『記憶の行方』
二百万の人間が犇めく、王都シュタインズクラード。そこでは自動化や効率化が進み、これまで見たスペリオーラ大陸のどの街と比べても明らかに文明の熟度が異なっていた。
そのインフラ設備を支える膨大な魔力がどこから供給されているのか。私が魔力感知によって上下水道をそのまま家屋へと引きこむ導線や転移術式を基礎とする移動用魔法陣、そうした生活インフラに関連する魔力導線を確認すると、その行き着く先は地下深くに設置された奇妙な形をした魔力供給機構、即ち人造の獣の成れの果てであり、魔力炉と呼ばれる私の同族であった。
そして、その魔力炉の一基に私の魔力が触れた時に、奇妙なノイズが私の中に流れこみ始め、私は僅かに顔を顰めた。
自分のものではない記憶を主観として眺め続けるにつれて、肉体と精神に徐々に異常をきたし始めていることに気づき始めてはいたが、セトラーナで魔力炉から彼等を解放した煽りを受けて、より一層、感受性が高くなっているようであった。
『たす、けて……誰か、私達を、たすけ、て……』
明確な声に私は感情がかき乱されるのを感じていた。魔力炉と呼ばれた獣達が放つのは、悲鳴に似た祈りであった。獣たちは確かに生命を宿し、魔力炉としてその機能を以て恒常的にエーテルを取り込み、マナを精製しては絶え間なく魔力を都市全体へと供給し続けていた。
私に助けを求める声は一つではなく、都市インフラに接続された幾つもの魔力炉から断続的に私へとエーテルを介して声を響かせてきた。その声は私が理性で抑えつけられるものではなく、魂その物を震わせるような奇妙な感覚を覚えさせる程に精神をかき乱していた。
彼等の苦しみや悲しみ、痛みの数々が本当に自身の経験であるかのような錯覚を覚えさせる程に私の中に流れ込み続けている。彼等には獣達以外の者には感じることが出来ない自我が確かに存在しており、彼等一人一人が自分の存在を私に気づかせようとするかのように声を発していた。
『必ず助ける、少し時間をくれないか』
私の言葉に誰一人として反応を見せる事は無い。ただ、ひたすらに彼らから伝わる激情の迸りが堰き止められる事なく、押し寄せ続けていた。
真っ当に生まれる事が適わなかった出来損ない。それでありながら、死ぬことも出来ずに道具として使われ続ける状況。そして出来損ないが故に自由にならない身でありながら意識を持つということの凄惨な状況を怨嗟の声で訴え続けている。
彼らは母親の胎内で強力なマナを浴びせ続けられ、細胞分裂の過程でエーテルをマナへと変換する機能を植え付けられた半人半魔の人造人間。その胎児の変容に耐えきれず、母体は死に果てた。胎児の多くもそれに伴い死に至ったが、変容を遂げた中で哀れにも生き残った者が居た。その数は実に三百二十六人、彼等すべてが私を産み出す為に犠牲となった成れの果てであった。
彼らは母体から生きたまま取り出され、人造の獣と呼ばれ一様に魔法技術研究所の者達によって管理され、魔石の代わりに魔力を吐き出す魔力炉として都市機構に組み込まれ、延々と人間の生活を支えてきた。
人知れぬ場所で、誰に認められるわけでもなく、誰から感謝されるわけでもなく、自由意志を持たされることなく道具として使用し続けられてきた。その苦しみ、遣る瀬無さ、憤怒、怨嗟、そして諦観。胸に渦巻く黒い感情がとめど無くあふれ出てくる。
『殺、して……私達を、殺して……』
肥大化した感情が向かう先は明確な殺意と言う名の破壊衝動であった。
「ラクロア、少し当てられているようじゃな。思った以上に王都は今のお主には堪えるか?」
不意に掛けられた声に私は、はっとして我に返り、目の前のノエラ・ラクタリスを見やった。気の毒そうな顔を浮かべる彼女の瞳の奥には私を品評するかのような冷静さも同時に垣間見えた。
「問題はない。少しばかり煩いが、マナの制御を行えばある程度は遮断が出来る」
「……それならばよい。スコットが先に『森の泉』なる小料理屋に先行して手筈を整えておる頃合いじゃ。儂等もそろそろ向かうとするかのう」
私は自身の記憶を辿り、『森の泉』が王都のどの辺りに位置するかを思い出していた。それは恐らく私の記憶ではなく、王都に置かれていた魔力炉の中にあった者の記憶であるのは間違い無い。
ふと、フラッシュバックするように、私の中で記憶が蘇り、情景が思い浮かぶ。
『森の泉……ああ、それはこの先の区画を曲がって頂き、更に二区画先に有るお店ですね。軒先に大きなワイン樽が置いてあるお店なので近くに行けばすぐにわかると思いますよ』
『王都は初めてなので、迷ってしまって。ご丁寧にありがとうございます』
『感謝は不要です。これが私の仕事ですからね。しかし、私も最初に王都に来た頃は良く迷っていました、作りは複雑では無いので番地を覚えるとすぐに分るようになると思いますよ。それでは、王都での滞在時間を引き続きお楽しみください』
その衛兵は極めて親切な男であった。顔色も良く、不慣れな者を見て嫌な顔一つしない。自分の仕事に誇りを持つ人間の顔をしていた。人に対して分け隔てなく接する事が出来るのは一つの美徳であるのは間違いないと感じさせる程、快活な男であった。
王都に住まう、一人の兵士の他愛もない記憶。それもまた、王都を構成する一つの要素であった。
(他人の記憶が知識としても活かせるとは言え、境界線が曖昧になっていることを感じる……王都に巡らされた三百体以上の魔力炉を果たして受け切れるのかだろうか)
疑問と不安は表裏一体であったが、私はそうした感情を締め出す術を既に身に付けていた。目の前にある事実とどう向き合うか、そしてどうそれを乗り越えるのか、思考を前に進めなければ結果を勝ち取るのは難しいことを私は知っている。
(ふふ、これもまた、ひょっとすると誰かの記憶の名残かもしれない、か……)
ノエラに付き従い、私は先ほどの記憶通りに順路を進み、記憶の中とは少し外見が異なるが大まかには同じである『森の泉』と看板が掲げられた店に辿り着いた。
スコットから予め指定された場所は居住区の飲食店の二階であった。店に入ると胡散臭そうな顔でノエラと私を交互に見つつ、無言のまま二階の角部屋に案内をしてくれた。部屋の扉を開くと、そこにはスコットと共に一人の魔術師がいた。
「ラクロア様、お待ちしておりました。ここからこの魔術師の転移魔法によって主の待つ場所へと移動致します」
「ふむ、ここまでするのは構わないけれど、王都で使用する転移魔法は確か、足が付くのでは?」
ノエラ・ラクタリスからセトラーナで得た情報を思い起こしながらスコットへとその点を指摘すると、彼は問題ないと被りを振った。
「それは外から中に入る場合であって、外縁部内を移動する分には問題ございません」
スコットはニコリと笑いながら、魔術師が部屋に敷いた魔法術式陣に乗り手招きをした。
「この先で我々の主人が参りますので、どうぞお進みください。私共はこの場に控えさせていただきます。面談が終わった後には部屋にある魔法陣を起動いただければ外縁部内に戻る事が可能となりますのでよろしくお願い致します」
私は念のため、魔力感知によって魔法陣の構造解析を済ませ構造上問題が無いことを確認すると、スコットに従って魔法術式陣に乗り、移動を開始した。