穏健派の逃亡 その2
「チグリス、久しいな。ルーネリアと共に会って以来か? ……しかし酷い状況のようだのう。王都へは既にゼントディールの殺害は伝わっていると思っておったがのう?」
チグリスは椅子に腰を下ろし、消毒水で手を拭うと「それは知っています」と息を吐いた。
「まあ有り体に言えば教皇派の最後の悪足掻きと言ったところでしょう。教皇派を名乗った者達は首謀者と共に連座させられるのが関の山。混乱に乗じて金品を奪う輩も出始めておりますからね……私は穏健派の者達を連れられるだけを連れて、こうして逃げてきたのですが、道中厄介な連中に襲われ、皆私を庇った為にかなりの数が犠牲になったと言うわけです」
チグリスは溜息と共に苦境を述べながらベッド横たわる彼の部下達の様子を見遣る。
「無意味な行為だぜそりゃあ……」
ミチクサはガイゼルダナンで領民全てが教皇派諸共虐殺されたことを思い出してか、やや顔を顰め、苦々しげな口調であった。
「その通りだ。叙任権闘争に対して過激派が居るのは常ではあったが、ゼントディールが死んでも尚こうまで荒れるとは思わなかった。我々は一応は国王の庇護下にあると言うのに、国王軍に目立った動きは見られない。王国内での各区画の検問は強化されているようだがな。とは言え国防に直結することも鑑みて、これ以上被害が拡大すればすれば、近衛騎士や魔術師が彼らの暴虐を止めてくれるとは思うが……」
ノエラはチグリスの見立てに首を振って答えた。
「国教会の内紛に近衛が介入する事は他の一般市民に被害が出ない限りはないじゃろうな。とは言え今の王政からすれば、衛兵も敢えてお前等に手助けする事も無さそうだがな」
国王が穏健派を見捨てるのは得策ではない様に思え、私はノエラにその真意を問いかける。
「それは完全に国教会を捨て駒にするという事だろう、国王の治世にとって決して最善とは言えないだろう? 国教会はシュタインズグラード王国において医療機関の一切を取り仕切る者達だろうに、政治的判断はあれど、少なくとも民衆はそれで納得しないだろう」
ノエラは確かにそのように考えることも出来る、と前置きしそれでも国教会を敢えて救わないという選択を取った可能性が高いと推測を語って見せる。
「ガイゼルダナンにはラスケス・ゼストが保護されておるのじゃろう? それであれば、人的資源の損失はあれど、国教会の立て直しは容易だろうさね。まあカルサルドの懐刀であるジファルデンの事だ。宿題をガイゼルダナンへ押し付ける気というわけだろうさ。問題は、教皇派を裏で操る魔法技術研究所と騎士団に定めた……と言うよりは儂らと足並みを揃えようという腹積もりじゃろうな。国王派閥にとって、儂等と研究所並びに騎士団が潰し合うのは願ってもいない好機じゃろうからな」
ノエラの推測にチグリスはなるほど、と同意を見せた。
「まともな武力を持たない穏健派は王か諸侯に嘆願するしか打開策がないと言うのが現状ですからね、国教会の勢力を削ぐには丁度いい機会とでも捉えているのかもしれないですね。今回の事態を裏で操っていたのが研究所や騎士団ならば、その選択肢は間違いではない。我々を用いてその裏側を炙り出そうとしているともとれるか……」
ノエラ、チグリス、どちらの考えも恐らくは正しいのだろう。国王、魔法技術研究所と騎士団、それぞれの陣容の思考が入り乱れている。
「確かにな……国教会は教皇派と穏健派に別れ、教皇派が内部で粛清を始めた……その教皇派には教皇叙任の立候補者であれば大司教も含まれ、それを支援する者達も存在するか……。となれば、国王としてはある程度泳がせながら、私達の動きに合わせて事を為したいというのは一つ可能性としては有り得るか。三十万の国王軍が手元にあるとは言え、正面から魔法技術研究所や騎士団とぶつかるのは避けたいと考えるのであれば、そういう意味ではこちらにも宿題が手渡されているようにも思える」
チグリスは私の首元に光る冒険者の徽章を目にすると目を細めて私を見つめた。
「その歳で中級冒険者か、なるほど。凄まじいな……」
チグリスは私を見ながら愉快そうにそう嘯いた。それを聞いたノエラもにやりとした笑みを浮かべ私をチグリスへと紹介し始めた。
「こやつはラクロアと言ってな。中級冒険者『白銀』の魔術師であり今は私の護衛を引き受けてもらっておる」
護衛、を引き受けたつもりはないが、ここでは方便を使ったという事なのだろう。ノエラ・ラクタリスを護衛する、と言うのは些か無理があるような気がしないでもないが……。
「なるほど、魔術師か……。確かに幼いように見えて良く物事を見通している様だな。実際ラクロア君が言った通り、大司教は教皇派に与し今回の騒動を起していた。教皇派は、今は国王が持つ教皇権は本来国教会に属すると主張して、その権力の回帰を求めていた訳だ。勿論、その主張は対立と不和を産み出すのは言うまでもない。教皇派の主張は、教皇権を完全に掌握した国王にとっては国教会を上手く切り崩す良い口実になるだけだからな……。だが、教皇派はそれでも動いた。いや、研究所と騎士団に動かされたのやもしれんが……今となってはそれを考えるのも無駄ではあるがな」
教皇派を支援しつつも、実際のところでは、彼らが国王の餌食になる事を奴らが良しとしていた……恐らくはそれもノエラ・ラクタリスを舞台に引き摺り出す為の餌として使ってきたということなのだろう。そして、未だに内紛という煙を燻らせているのも魔法技術研究所と騎士団の介入と考えるとある程度の辻褄が合う。そして、今となっては誰が、何の為に行動を起こすかが鍵となる。
「チグリスさんの知る中で、教皇派の中に『天族』を名乗る者や、自らをその使徒と名乗る者はいませんでしたか? 教皇派に介入している勢力に何等か心当たりががあればそれを教えて頂きたいのですが」
「天族や、使徒という言葉にも悪いが覚えは無いな……我々を襲って来たのは複数の魔術師と戦士から構成された傭兵と見られる部隊だった。少なくとも、国教会独自の戦力ではないのは確かだ……他に情報があるとすれば、その中で一人自ら名を告げた者がいたな。アルヴィダルド・イクティノスと名乗った漆黒の鎧を着こんだ男がいたよ」
その名前に、私以外の『白銀』三人が明らかに反応を示し、俄かに色めき立ち始めた。
「その者達は今はどこに?」
「恐らくは王都に戻った筈だ。未だに教皇派に属する大司教が健在であれば、聖堂国教会地区へと至る城門は完全には封鎖されていないのだろう。恐らく奴らは大司教の護衛と併せて穏健派を粛清していたのだろうよ」
「なるほど、状況はよく分かりました」
アルヴィダルド・イクティノス、奴が存在するという事は未だに尻尾切りをせずに教皇派を奴らが操っているという事であった。その理由についても凡その見当がつき、私は目を細めつつ、各陣営の思考に考えを巡らせていた。
「それで、チグリスさんはこれからどうされるおつもりですか?」
「王都から離れ巡礼者として地方を回るつもりだ。可能であればガイゼルダナンへ商人達と共に紛れ込みたいが……たどり着くまでに持たない者もでるだろうが、やむ負えまい」
力無く笑うチグリスは年齢以上に老けて見える程、酷く窶れて見えた。それだけの被害と緊張の只中に置かれていたのであれば正常な反応とも言えるのかもしれない。
「ふむ、途中でセトラーナに寄るがいい、私の紹介書があればある程度の支援は受けれる筈。その後はガイゼルダナンのラスケスに合流するがいい」
ノエラの言葉に、チグリスは素直に感謝を述べた。
「ノエラ様、お気遣い痛み入ります」
「良い。儂等はこのまま王都へと向かうが、儂等の動きは他言無用に頼みたい」
「承知致しました。ノエラ様も道中お気をつけ下さい」
「無論、儂等は問題ない。気を付けるべきはお主等のほうじゃな。早めにセトラーナへと向かうと言い」
ノエラはそれだけ言うと「情報は得た」と、ノエラは踵を返し部屋を後にした。
私達もそれに続き、部屋を離れ荷馬車へと戻る事とした。