穏健派の逃亡 その1
道中は交通路としてかなり整備が進んでおり、王都から半径数百kmに渡って大規模な魔獣除けの結界も張られており、セトラーナから東進する為に通る谷間意外で魔獣と出会す事は殆ど無かった。これほど大規模に渡って魔法術式の抗力を発揮させる為には多量の魔石が必要となるとの事であった。
「効率化をいかに進めると言っても、やはり大本となる魔力が一定量必要となるからのう。魔石は人族の生活を維持する上で必要不可欠な力の源じゃな」
「生活基盤として魔力を用いているのは大都市だけでは無いのか?」
「牧畜、農産業、移動、水脈の確保、最低限の生活に必要な分の魔力は魔石によって賄われている。生活の細かな部分に魔法技術は潜んでおる。普段我々が生活するにあたって意識しない部分と言うのは失うと多大な痛手を被る事になる、そう相場は決まっているものじゃ」
「そう考えれば、魔力炉の存在は人族にとっては世紀の発明だったというわけだろうな……」
「旦那、小難しい話の途中悪いんですが、本日の中継地にもう直ぐ到着するんですが、どうもいざこざがある様ですよ」
王都から約二週間の距離に位置するメノウ村は、王都に向かう経路の中にある変哲の無い中継地点として栄える村でしかない。
その村への入り口で何やら衛兵が数人の男女と揉めている様であった。
可能であれば揉め事は避けて通りたい所であるが、よくよく話を聞いてみるとどうやら村に対する出入りの制限が取られているようで、通り抜けが禁じられているようであった。
(厄介事は避けたいところだがな)
我々も例に漏れず衛兵によって荷馬車を止める様に促された。
「何か問題でもありましたか?」
スオウが馬車から降りて衛兵に尋ねると、彼等は我々が冒険者集団である事に気付いた様で気不味そうに、状況の説明を行ってくれた。
「聖堂国教会の巡礼ですよ。村を貸し切って祈祷を急遽行うとのことで元々村に居た住民以外は頑なに追い出す様に命を受けておりまして」
ちらとノエラを見ると、ああ、と理解を示した様であった。
「それでは、この金貨を司教様へお布施として渡してもらえるか。ルーネリア・サンデルス・タルガマリアからの贈り物あると伝えて頂けるかな?」
私が不思議そうにその遣り取りを眺めていると、ノエラが私にセントワードでやり取りの意味を伝えて寄越した。
『国教会は巡礼と称して各領土を自由に行き来する権限を持っている。通常は村にある教会支部で寝食を行うが故にこうした事態にはならんのだが、最近はカルサルド王からの圧力で教会が整備されていない事や、取り潰しになった事例が多い。そうした際のやむ負えない手段として、祈祷等と理由を付けては村を貸し切る事で通行人から金品を巻き上げるのが最近の奴らの流行でな。金さえ払えば通り抜けは出来るじゃろうて』
『はは、やっている事は山賊とあまり代わり映えしないな。まあ、信仰に狂って異端審問で虐殺をし始めるよりはましか』
国教会の内情は決して芳しい状況では無いようであった。国王が持つ教皇権を巡る闘争が引き金となり、方々にその影響が表れている様であり、生々しい実情が垣間見えていた。
「皆様、少し宜しいでしょうか。どうも此処に司祭のチグリスなる者がいる様です。少し話を聞くのは如何でしょうか?」
「チグリス……ああ、チグリス・ナルガストか。奴は穏健派の中核人物の一人じゃな。王都の教会本部に所属していたと思ったが、まあいい会ってみようではないか」
ノエラ曰く、チグリス・ナルガストは、穏健派の中でもガイゼルダナン家と繋がりが深い人物であるようで、王都本部での勤め人であった筈とのことであった。どうして王都から二週間は掛かるこの村にいるのか、違和感を持ったようであった。
判断を促す様にノエラが私に同意を求め、逡巡の後に、私は同意を示した。
現状、密かに行動を行っている以上、穏健派と言えども余計な関わりを持ちたくは無かったが、一方で情報を得ておく必要が有るという点に於いては正しいと考え、最低限の接触であれば有用と判断を下す事とした。
「いいよ。一先ず話を聞こう」
荷馬車に揺られ村の中へと入ると、何処と無く殺伐とした雰囲気が漂っていた。
国教会の一団が貸し切りにしている宿舎を訪れると、忙しなく動き回る白い司祭服を着た者達が見て取れた。彼らの手元には赤く濡れた布や医療用の薬品の類を持ち運んでいる様であった。
「何かあったのかな?」
ノエラが司祭の一人を捕まえると、驚いた様に彼はノエラを見上げた。
「っ、まさかノエラ・ラクタリス様?、まさかこの様なところでお見かけする事になるとは……チグリス様にお会いに来られたのですね? 二階の角部屋で治療中ですので、お訪ねください」
ノエラはありがとうと伝えると、彼の言葉に従い二階の最奥の角部屋の扉へと向かい、ノックをすると中から野太い男の声で「入れ」と声が掛かった。
中に入ると、チグリスと呼ばれた司祭が三名の怪我人に対して投薬と看病を行なっていた。複雑な魔法術式によって対象者のオドを活性化させ治癒力を高めている様であったが、ベッドに横たわる司祭服の者たちの中でも一名は特に出血が酷く、致命傷で有る事は傍目から見ても明らかであり、効果の程は知れているようであった。
「本来、国教会は医療行為を部外者に見せる事は無いが、まあ今は緊急時だ。規律も糞も有るまい。投薬しているのも誤魔化し程度の痛み止めでしかない。せめて最期は安らかにと思ってな。しかし久しぶりだなノエラ・ラクタリス」
部屋の中にはチグリス・ナルガストがその白い教会の司祭服を血の染みで汚した姿で、疲弊し、やつれた表情を浮べながら我々を出迎えた。