王と名乗る者
王都シュタインズグラード、二百万都市の中心に位置する王城には限られた身分の者しか立ち入る事を許されない。その中で、カルサルド国王と礼節を廃し、正面切って会話を行うことが出来るのは、公爵位を持つシャルマか、宰相である私ぐらいのものだろう。
「ジファルデン、状況は芳しくはないようだな」
カルサルド国王は呼び出した私が謁見の間に姿を見せるなり、第一声を放った。それは叱責するわけではなく、あくまでも現状の確認でしかないことは分かっていたが、室内に響く重低音がやけに威圧感を纏って耳に届く。
「はい、残念ながら」
予想通りの回答であったのか、国王は特に表情を変える事もなく、その綺麗に整えられた灰色の髭に手を伸ばし、軽く摩りながら私に意見を求めた。
「それで、我々は如何に動くべきだと思う? 奴ら、ノエラ・ラクタリスを呼び出し聖戦を仕掛ける腹積もりのようだが?」
「ノエラ・ラクタリスとはかねてより魔法技術研究所と騎士団の権力を引き剥がす為に協力を取り付けてきたわけですから、我々としては彼女に力を貸す必要があるでしょうな」
「引き続き国教会は見殺しにせよ、ということか?」
「はい、今回の騒動を引き起こした首謀者はゼントディール・サンデルス・タルガマリアとして処理をせざるを得ません。タルガマリア領の領民の惨殺、他伯爵家の子息の誘拐。未だに燻る教皇派による穏健派に対する不法行為の数々……裏で操る奴等の痕跡を十分に得る事はでいませんでした。しかし、今回はノエラ・ラクタリスに対してアストラルド・ローデウスが直接的に聖戦の宣言を行ったことで、召喚魔法術式が奴等が用いた者である事は明白であれば、我々としては引き続きノエラ・ラクタリスに力添えすることが肝要かと」
裏で暗躍する者達が自ら表に顔を出したこのタイミングを逃がす手はない。とは言え物理的な武力を持ちだされた際に手痛い消耗を強いられることが必須であれば、我々の手によらず可能な限り奴等の戦力を削る必要がある。
「ふむ……『魔翼』を持つ人造の獣はどうする?」
カルサルド国王もその点について思い至ったようで、ノエラ・ラクタリスと共に行動をする人造の獣を如何に篭絡するのか、そして如何にして奴らに相対させるかを考えなければならなかった。
「シルヴィアが何等か動きを見せているようです。それもノエラ・ラクタリスと関りを持っているとの事ですから、その線を利用して完全にこちらに引き込むことが出来れば、当初の目的は果たせるかと。出奔したとはいえ、ベルディナンドの人間であれば、その点は抜かりなく対応が出来るものかと」
「ふむ、実に十年か……。雌伏の時を過ごすにしては長かったな」
「マリアンヌが我々と思いを同じにしていれば、事は滞りなく進んでいたのでしょう」
マリアンヌ・ラーントルク、その名は私にとって呪縛となった愛しき女の名であった。
それは嘗て愛した女の名であった。彼女はノエラ・ラクタリスをも超え得る人材として注目を受けた、奇跡的な存在と言えた。
未だに鮮明に思い浮かべることが出来る程に、マリアンヌ・ラーントルクは美しく、儚さを兼ね備えた女性だった。
彼女を一目見た時に私は恋に落ちてしまった。ラーントルク家の娘と言う事だけで、私に嫁ぎ先が決まった女性であったが、意志と矜持と才能と全てを兼ね備えた魔術師であった。
愛、という言葉で表すにはあまりにも言葉が足らなすぎる。それほどまでに彼女は私の全てであり、人生の糧であり、妻であった。
けれど、私は彼女を失った。
それは、定められた魂の軛を穿つ為に、人類を背負った選択によるものであったと言っても過言では無い。
人が人として人を超える事で得られる未来が提示されて四百年。人は未だ、世界の隅に追いやられ自らを強く律しなければ滅びる運命を背負っていた。ノエラ・ラクタリスの元で、人の世を繁栄に導く為に心血を注いだ誓いを果たす為に集まった三人が描いた夢物語。
未だに彼女の言葉が脳裏に生々しく、鮮やかに蘇りその都度、私を苛む記憶という名の罪がそこにはあった。
あの時のことを思い出す度に、塞がらない傷が疼きだす。
『ジファンデル。そんな難しい顔をしないで? 私達の子供であれば、きっと成し遂げてくれるはず。信じましょう?』
私は彼女を失う事を恐れていた。
『そうです。その為に我々は全ての力を注ぎ込み、研究を完成させたのではないですか?』
それに気づくまでが遅すぎた。
『英雄の魂を継ぐ者達の魂には逆らえないという事か……』
七英雄の血、魂の誓約を超えた、魂の盟約によって決められた鳥籠の世界から羽ばたく事を人は諦めなかった。
『魔族との従属による共生か、それとも力で以てその権利を勝ち取るか。連綿と紡がれた役割を私達は積み上げてきた。魔族にとって数千年は大した時間ではないかもしれませんが、人間が滅ぶには十分な時間です。翼を持つ器さえ出来れば、人を救う者となるでしょう』
アーラとラーントルクの者にしかない絆がそこには存在していることを知った。
『ノクタス、ありがとう。後は私がジフと話をするわ……。貴方には迷惑をかけるわね』
『最終的には魔法技術研究所の妨害があるでしょうから、アストラルドは私の方で何とかします。その点は元々話していた通りですよ。私は私としての役割を後は果たすだけです。ジファンデル。貴方もカルサルドを国王にするという仕事が残っています。くれぐれも頼みますよ』
灰色に染まった髪を束ねたいけ好かない眼鏡男は私に悲しむ暇等無いと、案に伝えていた。この身を割かれるかのような悲痛を、魂の慟哭を、ノクタス・アーラは赦さない。奴もまた、その魂に刻まれた役割に身を焦がし、愚直なまでに全てを投げ打って力を求めた故にこの座まで辿り着いた人間であった。
そして奴はそれ故に、私に止まる事を赦さなかった。
あの時に私は確かに決めたのだ、この世界の全てを――人の世を糺す為に全てを捧げるのだと。
「カルサルド国王陛下、それでも我々がやるべきことに変わりはありませぬ」
これは私自身の矜持であり、意地であった。ここまで積み上げた物、無くした物、その全てを決して忘れない為に、そして新たな世界を知る為に、先を見据えなければならない。