敵は近く、そして遠い その2
「足元の問題としては、魔法技術研究所の連中だ。現物の魔法術式を見て確信したが、あの召喚魔法術式は不味いな」
私の言葉にカーリタースも「だろうな」と同意を見せる。
『冥府の門を開く召喚魔法術式……確かに厄介な代物だが、あいつらは本当に莫大な魔力リソースを魔力炉から持ってくるつもりなのか? 幾ら無尽蔵にマナを精製するとは言え、呼び出すものによっては諸刃の剣だろうに』
確かに召喚術式は魔力を大量に消費する、実際にタルガマリア領においても魔力炉を一機用いて術式を発動させた以上は奴らの本気の度合が窺える。王都の魔力炉を連結させ、大出力の魔法術式を発動させた際に冥府と呼ばれる場所から一体何が現れるのか、考えたくもない。
「構造解析で読み取れたのはあれが異相を繋ぐ魔法術式であるという事だ。奴らはなんらかの確信があるようだが、発動後に一体何が出てくるか想像も付かない」
『……奴ら曰く『天族』の召喚魔法術式なんだろう? 少なくとも冥府の守護者よりも厄介な連中が呼び出されるのは間違いねえだろうよ、いずれにせよ楽な相手じゃあねえわな』
カーリタースは少し愉しげな声音で思考を巡らせるように嘯いた。
「天族……ガイゼルダナンで片割れが対峙した相手がそれに該当すると考えるのが適切か?」
『本当のところは分からねえが、可能性はあるだろうよ。少なくともそこでラクロアは『魔翼』を其時初めて使用した。少なくとも人間で手こずるような手合いではないのは確かだからな』
「お前は天族を嫌っていたな。実際に目にしたことが有るのか?」
『ああ、まだ俺が本体と同化していた頃ではあるがな。人魔大戦時にノエラ・ラクタリスによって魂の回廊を越えて現れ、七英雄に付き従った亡者共だ。人の世の摂理を曲げた存在とだけ覚えておくんだな』
「……そこにもノエラ・ラクタリスが現れるのか。いや、だからこそ七英雄と同じく人の世の管理者を担ってきたという事か」
『まあ分かりきった事ではあるが、召喚魔法術式は少なくとも俺達にとって有益にはならねえだろうよ、厄介な敵が増えるだけだぜ』
「魔法技術研究所が更なる力を得る事で、国王側としてはより苦しい状況に追いやられるか……」
ベルディナンド家として王の側に立つと考えると悪戯に魔法技術研究所の戦力が増強されるというのは決して喜ばしい事態では無い。一方で彼等に協力をせずに袖に振ると言う選択肢は多くの貴族にとって有り得ない選択であるのも事実。力を持つ者に対して媚を売らざるを得ない世知辛さが今の貴族制社会の状況であった。政体の末期と言っても差し支えないのかもしれない。
そうした中でジファルデンが魔翼という力を備えた人造の獣を求め、母マリアンヌを犠牲にしてでも力を求めたのは致し方無い出来事であったとでも言うべきだろうか。
「しかし、どう対処すべきかな……」
私が構造解析の魔眼によって術式を解析し確かに理解は進んだが、それだけに違和感も同時に覚えていた。
魔法技術研究所で開発を進めていた召喚術式は膨大な魔力と引き換えに高次元に存在する魔力生命体を呼び寄せる為の魔法術式であった。そこに住う存在を奴らは『天族』と呼称していたが、本当にそれが正しいのかどうか……。私にはそれ以上に恐ろしい何かを呼び出す破滅装置にしか思えなかった。
魔法技術研究所は過去から現在までその権威を保持し続ける機関であった。人魔大戦以降、幾度と無く王の治世が変わったとしてもその力を失うことは無かった。それどころか今では都市機能を維持する為の魔法技術を一手に担い王の権力すらも袖にする始末である。
それを可能にするのは国王の全兵力に匹敵するだけの魔術師という特殊な戦力を揃えているからでもあった。騎士団も同様の立ち回りを見せる最中、国王の権勢は明らかに衰えて行くのが目に見えている。それでも尚、彼らは自ら表に出る事は無く国王を隠蓑にする様にして暗躍を続けてきた。その目的が本当は何処にあるのか……ノエラ・ラクタリスを目の仇にする彼らの在り方は異様と言うしかない。
「何れにせよ魔法術式の完成は間近だ、此方としては現状はその完成に手を貸さざるを得まい。ノエラ・ラクタリスとラクロアの策謀にも手を貸す形でな」
『その判断が裏目にでなければ良いがなあ、アッヒャッヒャッヒャッヒャ』
「何れにせよ重要なのは潮目を見極める事さ。我らが親父殿は魔法技術研究所との繋がりを好ましくは思っていないが、場合によっては立場を改める必要もある」
『はっ、お前らの遊びは数百年間変わってねえな』
カーリタースはつまらないものを見るように私を嘲る。それを気にせず「そういう事もある」と言葉を続ける。
「連綿と続く人族の営みとは得てして権力の奪い合いにあると言えるのかもな。合議制では無く専制政治を続ける以上はその定めから逃れるのは難しいだろう。しかも騎士団も魔法技術研究所も互いに武力を蓄え続けている。この均衡を崩さない限り私達の状況が一向に好転しないのも事実だ」
状況の変化が無く数世紀が経ってしまっている最中、一方で人族の戦力は拡大の一途を辿っている。王侯貴族、数多の国が勃興し、併合され、統一王国としてシュタインズクラードが出来上がった歴史の中で、今が最も権勢を誇っていると言って間違いは無いだろう。それにも関わらず、外敵の無い平和な世の中で何故か国王という役割が空転し続けている様は極めて奇妙であった。まるでそれ以上の変化を嫌うかの様ですらある。
「敵……なるほど敵か……」
人魔大戦以降、魔族の存在は外敵の最もたる存在であった筈が数百年の歴史の中で風化し、今では物語の中で語られるばかりの神話の存在に等しい。此方から手出しをしなければ魔族は何もしてこない世界、その中で魔族を敵として論じる事にどれ程の意味があると言うのだろうか。
「カーリタース、お前はどう思う?」
どう、とは騎士団と魔法技術研究所が求めるものが、本当に魔大陸への侵攻にあるのかどうか、という点であった。人の世を護る、ということと魔族を滅ぼすという事は単純に並べられるものではないはずであった。単純に人の世を管理する事が目的であれば、今の政治形態を続け、裏の権力者として君臨し続ければいい。
彼等はひょっとすると、己の力を試したいだけなのではないだろうか?
『……四百年前、こと戦闘に特化したエキドナ種と呼ばれる魔族がいた。奴は僅かな人数で人間の侵攻を押し留め、人族の中でも英雄と呼ばれる者達と渡り合った。その意味はお前にもわかるだろう。魔族と人族の力の差はそれ程までに大きい。高々四百年で埋められるほど、その差は小さくねえよ』
「……」
カーリタースの妙に落ち着いた説明が全てを物語っているのでは無いかと私は少しぞわりとする寒気を覚えた。騎士団や魔術師達が何を考えているのか、想像するだけで頭が痛かった。
「まあいいさ。俺達に今出来ることをやるだけさ。まあ、願わくば俺が死ぬまで平穏が続かん事を祈るとするかね」
『アッヒャッヒャッヒャッヒャ、そりゃ無理ってもんだぜシルヴィア、既に俺達は地獄に片足を突っ込んでいるんだぜ?』
暫くの間、カーリタースの笑い声が止む事は無かった。窓から見上げた空がやけに快晴であったのが、やけに腹立たしかった。
(抜け出せない地獄への道か……)