敵は近く、そして遠い その1
王都シュタインズグラードの貴族用区画の一角にはベルディナンド家専用の邸宅が設けられている。私は領地を出て、魔法技術研究所に協力する傍ら、この場所を根城として幾つかの政務を行っていた。
(ノエラ・ラクタリス、そして白銀の魔術師か……我々にとっては追い風と見るべきか)
そんな中、スコットがノエラ・ラクタリスとラクロアに捕捉され、こちらの意図とは違う状況下でラクロアと接触を持ったことが今後にどれだけ響くのか、今は何とも言えない状況であった。
『魔翼の動きを感知してから数ヶ月余り。ラクロアの野郎、魔獣討伐だけでなく、召喚魔法術式で呼び出された冥府の守護者どもも一捻りとはな』
カーリタースのぼやきには私も賛同するところであった。
正直なところ、まさかスコットが直接的に接点を持つとは思っていなかったが、片割れの行動目的が予想を超えたところにある以上、今はこちらで推察するだけ無駄であるということなのだろう。
『奴の力は俺達の想像を超えている。ただの人間が一個人で魔翼を制御できているってなら驚きだな。さてさて、血の繋がりでどうに御しきれるもんかねえ?』
カーリタースの疑問は最もであり、私もその点については首を捻らざるを得なかった。何ら足枷の無い状況で、片割れであるラクロアを我々に従わせるには何等かの搦め手が必要となるのは明白に思えた。
「さあな…… だが、それでも会わない事には始まらないのも事実。今となっては奴がベルディナンド家にとって必要な駒となるのは明白だからな」
そう、ラクロアの力が想定以上であったとしても、今のベルディナンド家の状況を鑑みれば、どうにかこちらに引き込む算段を付ける必要があると言えた。
ベルディナンド家の状況は決して芳しく無い。国王への忠誠だけで平和が無条件に落ちてくるわけではない。少なくとも騎士団や魔術師達も十分に警戒する必要がある。
「しかし問題は山積みな訳だが、どうするべきかね」
権力分散こそがこのシュタインズグラード王国における政治体制においての欠点であり、悩みの種であった。
国王を擁立し専制政治を地で行くにも関わらず、その国王が居なくとも十分に王国として機能発揮をする状況が支配体制と実態がそぐわない空虚な王位を創り出していた。
それは最早、専制政治が形骸化した末期の状態を示しており、吹けば飛ぶという言葉がにつかわしい状況とも言えた。
そんな虚弱な政治体制が二百五十年は優に続いている。
いっそのこと民主制に変革した方がよっぽど健全ではないか。そう幾度となく思い浮かぶ最中、この状況を良しとする者が裏で暗躍していることに気がつくまでには大した時間は必要なかったのも事実であった。
その状態を良しとする騎士団と魔法技術研究所。一方で、砂上の楼閣を建て直そうと足掻くのは、前国王を弑逆したカルサルド国王その人である。
手始めに国王は教皇権の奪取と国教会の脆弱化を狙ったのだろうが、現状は彼方此方で煙が燻っている。
しかし、人造の獣である片割れが手に入れば状況は大きく傾く芽は十分に有ると言えた。
『だがよお、片割れの目的も些か度が過ぎるってもんだぜ。性急に事を為せば相当数の人死にがでるってのが、お前にとっては物種になるな。そして何より、管理者の存在は厄介だぜ』
魔力炉の解放、それも頭の痛い問題であった。王都の中枢を担う魔力機構であるはずの動力が無くなるとなれば、二百万都市を支える生活基盤が根底から覆されることになる。
そして、単純に資源的損失だけではなく、人的資源の損失を誘発する人物がジファルデンと繋がりを持っていることは厄介とも言えた。
「ノエラ・ラクタリスか」
国立魔法技術研究所の元魔導士であり、人造の獣に関連する基礎研究を完成させた当代最高峰の魔術師、その仰々しい呼び名は伊達では無い。
彼女からラクロアに対して余計な入れ知恵がされていたとすると極めて厄介ではあった。最初から我々の言葉に対して聞く耳持たずでは交渉にはならない。
『流石のお前も心中は複雑か? 現実問題、ノエラ・ラクタリスはお前達の生みの親と言っても過言では無い存在だからな』
私とラクロアを生んだ母、マリアンヌ・ラーントルクが完成させた人体実験の技術体系を創り上げたのがノエラ・ラクタリスであり、確かに生みの親と言われればそうなのかもしれないが、正直なところピンとこない。
「いやそれよりも問題は片割れの動向の方だ。こちらの全貌は知らないとは言え、他の貴族と接触を図り、今ではルーネリア・サンデルス並びにその庇護者となったガイゼルダナン家とは手を組んでいる筈だ。この状況下でこちらに与する利点が、王都の破壊に有ると言うのは問題があるだろう」
そう、人造の獣の解放を謳い、魔力炉を破壊した時に何が起きるのか。ラクロアが『魔翼』を持つが故に、感じ入ってしまう人間なのだろうことは理解出来たが、それを後押しすることで王国が崩壊するる可能性が有る中で、易々と協力しても良いものかは考えなければならない。
仮にガイゼルダナン家が漁夫の利を得ようと画策しているのであれば、ラクロアとノエラ・ラクタリスが王都で騒動を起こし、騎士団並びに魔法技術研究所の戦力が削がれるのであればシャルマ公爵はそれを好機と捉えるやもしれない。魔力炉という魔力資源を無くした時に、魔石鉱山を抑えているガイゼルダナン家にとって風向きは極めて優位と言える。
そしてまた、ラクロアがベルディナンド家に連なる者であることを公爵が知っているとするのであれば、そこを急所として我々に要求を突き付けてくることも目に見えている。
いずれにせよ王都が滅ぶ可能性があることをノエラ・ラクタリスは示唆していたが、始祖の獣なる者が王国を滅ぼすことと、身内が王国を滅ぼすことでは因果関係に天と地ほどの差があるではないか。
「私達にどういった選択肢があるか、このままでは召喚魔法術式に仕掛けを施す協力者以上の関係性は築けないか」
『俺達と組む利点か……そうだな、それこそ積年の恨みとばかりにジファンデルをぶっ殺せるぐらいじゃねえか?』
ラクロアがジファンデルをどう思っているか……案外なんとも思っていないのではないか、私は何となくではあるがそのように感じていた。眼中にない、という言い方が正しいのかもしれない。ラクロアが王都を目指すのは、あくまでも己の目的を果たす為に思えた。
「はは、それで協力を得られるのであれば助かるけどな…… しかし、そもそもの目的が人造の獣の解放だけとは到底思えないのも事実。実際には着々とスペリオーラ大陸における地盤を築き上げている点も気になる……ラクロアの裏に何等かの意志が働いていそうなものだがな」
そもそも今になってラクロアが姿を見せた理由はなんだったのか。魔翼を十全に操ることが出来るという事はそれなりの訓練を積んできたに違いない。ラクロアをスペリオーラ大陸に送り込んだ人物が存在しているとすれば筋道は通る。
(魔大陸か……とすると、その裏にいるのは魔族と考えるのが妥当か。魔族は一体何を考えている?)
『案外、冒険者業を気ままに楽しんでいるだけかもしれねえぜ?』
「はっ、お前にしては冗談が上手いじゃないか」
私が一笑に付すと、カーリタースは面白くなさそうに軽口を叩く。
『ったく、可愛くねえ餓鬼だぜお前は』
「はは、餓鬼と言われるほど幼くはないさ。一旦そこはラクロアと会うまで想像するしか出来ないな……それであれば、今は、現実的な話に一度立ち戻るとしようか」
私は、机に並べた召喚魔法術式に用いられる構造式並びに魔力文字の写しを行った紙を並べ、カーリタースに意見を求める事とした。
『門の創造と、魂の回路への接続か……いいぜ、こちらはこちらで一泡吹かせる手立てをかんがえなけりゃならねえからなあ」
カーリタースは面白くなさそうな声音で魔法術式を眺めながら、そう嘯いた。