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魔族的宥和政策が人族の目から如何に映るのか僕達は未だ何も知らない  作者: 緑青ケンジ
第四章 停滞した世界は如何にして動きを止めたのか
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旅立ちの前に その3『ラクタリスが知る者』


 私達が気づかぬうちに、セトラーナの一部では中級冒険者の『白銀』が龍殺しをやってのけた事が噂となり、街角で私達を見かけた人からは羨望と、どことなしか緊張を持った好奇の目を向けられていた。


 ロシュタルトの時もそうであったが、人は強大な存在を打ち倒すことに憧れを抱き、それを実行した者を賞賛し、そして畏怖を抱くもののようであった。そしてそれは、私とて同様であった。


「あの、これ、よろしければ……」


 突如、私に声を掛けてきたのは、一人の女性であった。未だ幼さを残す容姿から察するに私よりも年下であるようで、その緊張で震える手に視線が奪われる。


 目の前に差し出された物を思わず受け取り感謝を述べた。


「え、あ、ありがとうございます」


 しどろもどろになりながら応える私に、彼女も同様に少しどもりながら照れた様子を見せる。


「そ、それでは、また」


 彼女の赤毛がかった髪に、私を見上げる灰色と黄色掛かった瞳。彼女は気恥ずかしそうに紙袋を私に渡し、足早に走り去り、通りの角にある店の中に姿を消した。


 彼女はどうやらセトラーナにある、パン屋の娘のようであった。逗留するサンデルス家の別邸からセトラーナの中心街にくる度に寄っていたお店の一つであり、バターをたっぷりと使ったパンが非常に美味なお店であった。 


 紙袋の中には彼女が焼いたのであろう幾つかのパンと、可愛らしい封筒にしたためられた手紙が入れられており、その内容は私を賞賛する言葉と、年頃相応に彼女の恋心が綴られていた。


 要約すると雄々しく戦う様を想像すると身が焦がれ、街で見かける度に胸が高鳴り、胸の内に秘めきれない思いを言葉に綴ったとの事であった。


「冒険者として賞賛されるとは、いまいちピンと来ませんね」


 私達は未だ途上に居る、それで満足する事は許されない。近づけば近づく程に遠ざかる、強者の存在が脳裏をよぎる。白髪に藍色の瞳をした幼げな少年の顔、それと裏腹に狂暴な魔力を内在する彼に対し忸怩たる思いを抱いていると言わざるを得ないでいる。


 一時の栄光も彼の前では霞んで見えるのはどうしようもない事実であり、彼女の手紙に記された言葉に胸躍る事は無かった。


 脳裏に浮かぶのはラクロア様との訓練の記憶であった。


『いいよ。三人で掛かってくるといい。僕も試したい事が幾つかあってね』


 龍殺しの威勢をそのままにラクロア様に私たちは三人で挑んだ日の事だった。


 力の使い方を覚え、今では龍すらも殺す事が出来るようになった私達は驕っていたのかもしれない。どうして、私達が成長する間に彼が成長をしないと言えるのか。潜在魔力量の桁が増えたわけではない。十全に魔力を操作できるようになった今だからこそ理解が出来る。その膨大な魔力だけでは無く、正確無比な魔力操作こそ、ラクロア様を強者、そうたらしめているという事に。


 今にて思えば安易に『化物』という言葉が脳裏をちらつくのも無理が無い程の戦力差であった。だが、私達はそれぞれ、それを決して口にしてはならない言葉と理解していた。その言葉を吐いた途端に私達はラクロア様の横には立てなくなる。


『僕の中には二種類の魔力が存在している。人族が生来持ち得る魔力をオドと呼び、外部からエーテルを取り込み発生させる魔力をマナと呼ぶ。この二つを僕は全く同様の物だと考えていたが、実際はどうやら違うらしい。この二つにはそれぞれ異なった性質がある。人族の持つ魔法術式構築ではオドこそが最大効率を発揮するのに対し、マナには未だ適した魔法術式構築方法が確立されてはいない。この二つを明確に分けて操作する事で、飛躍的に私の魔力操作速度は向上させる事が可能となった』


 涼しい顔で解説を加えながら、我々三人の猛攻を魔法障壁すら使用せずに防ぎ切る。ザイの放つ矢を目視すらせずに切り落とし、同時に斬撃を加えたはずのミチクサと私の斬撃を完全に防ぎ切り更に同時二連撃を放つその速度、そこから繰り出される死の剣線を全力で私達が受け流すのをラクロア様は目を細めて見つめていた。


 ラクロア様が放った同時連撃、それはガイゼルダナンで受けた焦燥を思い起こさせる物であった。ラクロア様が実践してみせた、攻撃はアルヴィダルド・ノクティスが用いた身体操作と斬撃速度、それを間違いなく体現していた。


 それは我々が越えなければならない剣戟の深奥であり、同時に魔力操作の深奥であった。


 たたらを踏み、押し返される度に幾度と無く折れそうになる心、燃え尽きそうになる闘志、その度にラクロア様は我々に言葉を投げかける。折れる事なく進めと、容赦なく、彼自身の清廉さを叩きつけるように。


『出来る筈だよ、この程度。でなければ奴を超えられない。それを君たちは思い知ったはずだろう? 騎士の力、人族の頂きに近い暴力をその身でまざまざとね。タオウラカルでは得る事の出来なかった力の存在を知り、それでも君たちは目の前にして膝を折る事無くここまで来た。それは君たちが集落に戻った時に大きな力となる。壁は常に超える為にある。僕に、その姿を見せてくれ』


ラクロア様は嬉しそうに、そしてどこか寂しそうにそう私達に激励を飛ばした。それは、アルヴィダルドの事だけを言っているわけではない。私達が壁として捉えているラクロア様自身をも指している。彼は孤独なのだ。力を持つことで彼は孤独を感じている。それを知って、どうして引き下がれるというのだろうか。


「おお、確かお主はラクロアの仲間であったな」


 私が回顧の中で思考を巡らせる途中、不意に声を掛けられ、振り返るとそこにはセトラーナでは知らぬ者がいない、ノエラ・ラクタリスと呼ばれている大魔術師がいた。金髪に似合う美しい髪飾り、そして全てを灰に帰すような赤色に燃える瞳には一体何が映るのか……彼女の相貌はガラス細工のようにきめ細かく作り込まれたようで美しく、それでいてどこか儚げに見えた。


「ええ。そうですが何か御用でしょうか?」


 ラクロア様とこのノエラ・ラクタリスが懇意にしていることは当然知ってはいたが、直接私達が彼女と関りを持つことはこれまでなく、偶然出会ったにせよわざわざ声を掛け合う様な仲ではない。


「何、少し茶でもどうじゃ。幾つか聞きたい事もあるのでな」


 言葉遣いからは想像もつかない静謐さを伺わせる声音、私は訝し気に彼女の真意を探ろうとしたが、その瞳が放つ圧力は有無を言わさぬ迫力を持っており、断る事はできなさそうだと観念した。


 中心街は幾つもの店が立ち並び、春を迎え、聖堂国教会の騒動がひと段落した今は多くの人々が往来している。多くの人々がノエラ・ラクタリスへと視線を送るが、それを彼女は気にすることはなく、また彼女に声を掛けようとする者もいない。彼女がどのような人物であるのか、ここにきて改めてその事実に気づかされていた。


 彼女に付き従うと、街中に一際目立つ、洒落た二階建ての飲食店まで連れていかれ私は一瞬立ち尽くしてしまった。冒険者をして、小汚い恰好に違いない私が足を踏み入れるには躊躇われるような場所であった。


 そこはカフェとして経営され、一階は茶葉の売り買いと、奥には飲食可能な席が用意されている。給仕係が彼女を見ると丁寧なお辞儀を見せ、そのまま二階のテラス席へと案内をされた。


 席に着くなり、その給仕が慣れた様子で注文せずとも、お茶を運んできた。それを目で追いながら私は店内に視線を走らせる。


「ここは儂が資金提供して出している店でな。古今東西様々な茶葉を提供しておる、研究の合間の息抜きという訳じゃ」


 私の警戒は無用と言わんばかりに、ノエラ・ラクタリスは早速とばかりにティーカップに注がれた茶の匂いを嗅ぐと、愉しそうに頬を緩ませた。暫く香りを楽しんだ後、金で縁取られたカップに口を付けると共にゆっくりと喉を潤していた。


「それでご用件は?」


「なんじゃ、この美人を捕まえておいて茶を楽しむ余裕もなしか。ふむ、あの小僧に付き従うだけは有るのう。どいつもこいつも小僧に似て、張り詰めた余裕の無い顔をしている」


 彼女の言葉は全くと言っていいほどに私の中に上手く入ってこなかった。ラクロア様の何を見てそんな言葉が出てくるのか。少なくとも常に泰然自若としたラクロア様の姿は我々にとって目指すべき頂の姿であった。


「……ラクロア様を侮辱なさるおつもりですか? 他に用が無いのであれば、失礼致します」


 ノエラ・ラクタリスは「短気者め」と軽く笑うとそれを否定した。


「ふふ、それはお前の勘違いと言うもの。ラクロアは一見すれば確かに強い力、聡い頭、人として幾つもの優れた力を備えた人間のように映るが、所詮は個人でしかない。奴は人間にとっては異物そのもの、敵は多いが味方は少ないのが事実じゃろう」


 強くはあるが所詮は個人としてであると、ノエラ・ラクタリスはラクロア様をそう評した。


「……それを私に話す理由は何故ですか?」


 優雅に茶を嗜む淑女の言葉は何故か私の耳を傾けさせた。魔大陸に住む人間がスペリオーラ大陸に住む人間にとって疎むべき存在である事に間違いは無い。そうした意味で、ラクロア様が孤立した存在であるという事は確かに事実であった。そしてそれは以前に私がラクロア様との訓練を通して感じた感想に似たものであった。


「さて、何故じゃろうなあ。お節介に過ぎないという事はよく分かっているが……儂はあの小僧を気に入っているという事かもしれん。ルーネリアも同様に奴を気に入っている様でもある。このままセトラーナに留まるのであれば、それなりの生活もできるじゃろう、それをお主はどう思う? 奴の意思が変わらんという事は分かっているつもりではあるがな」


 ラクロア様は物事を初志貫徹やり通すだけの力と気概が備わっている。そうであれば、いかなる魅力的な条件があったとしても彼は今一度、このスペリオーラ大陸ですべきことを済ませれば魔大陸へと戻る事になるだろう。


 今のラクロア様は、ご自身と同じ境遇である人造の獣の解放を目的とし、それを実行することに何ら躊躇いを持たないでいる。それを止める事は私には出来ない。


「それを私に言って何になるのです? それに、そもそもラクロア様は私が何を言ったとしても靡かれるような方ではありません。あの方の生き方を決められるのはラクロア様自身のみです」


 そう伝えると、そうじゃろうなあ、とノエラ・ラクタリスはぼやくように呟いた。


「奴は頑なに自らの役割を演じる事を是とするのだろう。その生まれが故にか、若しくは、奴の生来の性分がそうさせるのかは分らんが……しかし、周りが導いてやらねば、いつか道を踏み外す事になる。どこまで行っても奴は未だ子供さ。この世に生を受けてたかが十年と数ヶ月余り。見守る人間が必要だと思うのは過保護すぎるかな?」


 ノエラ・ラクタリスはまるで我が子を想うかのように遠い目をしながらカップの中に揺蕩う浅黄色の液体を眺めている。


「……ラクロア様は間違いませんよ。彼にはそれだけの器量がある。それでは、そろそろ失礼します。訓練に戻らねばならないので」


 ふむ、とノエラ・ラクタリスは少し待てと、私を引き留めた。


 それは脈絡のない、極めて唐突な話であった。


「お主は己自身の出自を知っているのか?」


 席を立とうとした時に思わぬ言葉が彼女から発され、思わず彼女の顔を見るとニタリとした笑顔でその美貌を歪ませていた。


「……それはどういう意味です?」


「お主等が使う剣術、弓術、それに見覚えが会ってのう。今は失われた者達の面影を見たとでも言えばいいか」


 ノエラ・ラクタリスは私の顔をじっと見つめながらに何か、表情を読む以上に奥底を覗くかのような視線で私を射抜いていた。


「私達は狩猟の民です、それ以上でも以下でもない。それが何だと言うのですか?」


 私がそう言うと、ノエラ・ラクタリスはその美貌にそぐわない、爆笑と表現しても良い程の笑い声を上げた。苦しそうに声を漏らしながら、どう説明したものかと笑いによって思わず零れた目頭をぬぐった。


「くっくっく。なるほど、狩猟民族とは、またあいつらしいとでも言えばいいのか。魔力操作の力を持ち得なかった事に疑問を持っていたが……しかし、その戦闘技術のみは確りと継承した当たり、あいつらしいと言えばそうかもしれないな。すまんな、お主の先祖を儂は知っていると言えば良いのか。お前の魂の輝きが、記憶が、儂にそれを告げておるよ。七英雄の一人、ガイエウス・アルゴニストの末裔がお主の一族という訳さね」


「……私にはよく理解が出来ませんね」


 彼女の言う、七英雄の話はラクロア様から聞かされていた。ロシュタルトで情報を得る際に過去、人魔大戦と呼ばれる戦いの中で活躍をした英雄がいるとの事であった。


「儂としても驚いている。失われた七英雄の血筋の生き残りが生き永らえているとはな……スペリオーラ大陸全土を探しても見つからなかった魂が、魔翼を持った者と共に突然に現れた。それが何を示しているのか……恐らくじゃが、お主等は魔大陸、それもロシュタルトにそう遠くないクライムモア連峰との境に居を構えているのだろう? それも魔族の加護を得る形で、と言ったところじゃろう」


 アルゴニスト、その家名に憶えは無かった。そもそも、私達に家名は存在していない。それはあの集落を建てた先祖が家名を捨てたからであり、私達は本当の家名を知る事なく、狩猟民族としての生き方を選んできた。それが唯一の選択肢であると教え込まれていた。英雄の血筋? そんなものを容易く信じるほど御目出度い頭ではない。魔族との盟約、そして冥王に対する土着の信仰がタオウラカルには存在したが、魔族の加護等という何か施しめいた物は存在していなかったし、私もまた実際に魔族を目にしたことが私には無かった。


 そしてノエラ・ラクタリスの推論は正しい。ラクロア様が幾つかのヒントを晒したとは言え、具体的な情報を完全に開示したわけではない。それにも関わらず、そこにまで至る仮説を立てる当たり、彼女の深さを垣間見た気がした。


「……何故そのような事を私に?」


「お主、そしてもう二人……ミチクサとザイと言ったかのう。お主等三人が持つ魂は確かに英雄の末裔であることを示している、その男達がどうして魔族に連なる男と共にいるのか儂は不思議でならん。何故に奴に付き従う?」


「魔族ですか……。確かにラクロア様は魔翼をお持ちのお方。だからと言って魔族に与しているわけではありません」


「はは、なるほど。そういう捉え方もあるが……少なくとも奴はお前達人族には届く事の無い領域に存在する化物だぞ、それに対する恐怖はないのか?」


 ラクロア様に対する恐怖心、その圧倒的な力が自分自身に向けられるとしたらそれは確かに恐怖として映るかもしれない。しかし、ラクロア様がそのような行いをするとは到底思えなかった。


「それは人の諦観です。ラクロア様は、私達の集落をお救い頂きました。そしてその圧倒的な力に私たちは魅せられた事は事実。ですが、憧れこそあれど、恐怖に身を竦ませる事はありません。そして我々は、あのお方の横に立ち続けると誓ったのです」


 ノエラ・ラクタリスは意外そうな顔で私の言葉を聞いていた。それをお前が言うのか、とでも言いたげな表情であった。


「……諦観とお主は評するのか、そして横に立つと。不思議な事だな、ガイエウスではなく、確かバルトハルトがそのような事を言っていたかな……。ふふ、人でありながらその限界を極めた英雄たちの末裔が、人族の遠く及ばない者達と寄り添う意志を見せるのか」


「お話は以上でしょうか?」


「ああ、良い息抜きになったよ。そうさな、ラクロアと共に歩む事は極めて困難な道を行く事になるじゃろう。しかし、お主等が支えてやるといい、それが奴にとっても救いになるじゃろうからな」


「……私達はそのつもりです。誰に言われるわけでもなく、自らの意志でそれを選びます」


 私の茶は既に冷めていたが、一気に飲み干すと仄かに甘い香りが鼻腔を満たした。思わぬ嗜好品に出会ったと関心をしながら私は席を後にした。



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