雪溶けは流るるがままに その4『黒騎士』
黒騎士が一つの意識で繋がっているかのように統率の取れた動きをしながら、三千にも及ぶ軍勢へと突貫する様は、少数が多数を圧倒する光景として映ったが、敵として受けて立つ立場として見れば悪夢であった。
ノエラ・ラクタリスの一撃に端を発し、私含め多くの魔術師が魔法術式を放つも、そのほとんどが黒騎士の剣技によっていなされ、躱されていた。
私の爆発魔法術式が炸裂し、数名の黒騎士を巻き込んで吹き飛ばしたものの、すぐさまその身を魔力にいよって修復し、戦列へと何事も無かったかのように戻り始める様は見る者によっては、恐怖そのものでしかないだろう。
『強力な魔力供給によって、損傷が即時に回復している。厄介だな……完全に核を潰さない限り、足止めは出来るがジリ貧になりそうだ』
私からノエラ・ラクタリスへと念話を通して状況報告を行うと、彼女もその点については既に看過しているようであった。
『これだけの魔力をどこから捻出しているのか魔力感知によって探れ。恐らくは起点となる魔力機構がどこぞに存在しているはずじゃ』
ノエラ・ラクタリスは息もつかせぬ連続魔法術式の発動を行いながらも状況の理解と共に方策を導きだし続ける。
『ふむ、この黒騎士を呼び寄せた魔法術式にも関係がありそうだな』
『然り、この黒騎士は冥府より呼び寄せられた守り人共よ。魂の回廊を超えさせる為に生み出された常時発動型の召喚魔法術式と言ったところだろうが……城のどこかに魔力機構と併せて魔法術式陣が存在している筈。それを破壊する必要があるのう』
黒騎士を呼び寄せる為の召喚魔法術式、私の魔力感知がタルガマリア城全体を覆い尽くすと共にその場所を特定してみせる。
『城の中央居住区のエントランスにご丁寧に設置されているようだな。いかにも気づいてくださいと言っているような無防備さだ』
『ほう……、それはこちらに見せつける為に敢えて設置しているようにも思えるのう……、それであれば、呼び寄せているのは、やはり儂かのう』
ノエラ・ラクタリスのぼやきに近い見解を耳にしつつ、私はより詳しい状況を説明する。
『人影も殆ど見られない。エントランスに待機する者が一名、それ以外は居住区画では無く、城下を見渡せる監視塔に三名のみ残されているようだ。恐らくはこちらにゼントディール伯爵がいるのだろうよ』
『ふむ、アイゼンヒル達にはそちらを任せるとして、魔法術式の方はお前か私のどちらかが解除する必要があるのう。ここから遠隔狙撃をするにせよ、如何せん黒騎士が邪魔か』
ノエラの洞察は正しい、この数の黒騎士を押し留めつつ魔法術式陣を破壊する為の魔法術式構築は物理的に間に合わないだろう。現に、この状況ですらガイゼルダナン家の兵士に甚大な被害が出始めている。
『ふむん、それであれば、こちらの対処は私がやろう。『魔翼』を用いれば足止めぐらいは十分に出来る。この黒騎士を呼び出した魔法術式に覚えがあるのであれば、あんたならば止めることも可能だろう?』
私の提案に対してノエラは驚いたような声を上げた。恐らく私が『魔翼』を用いることは選択肢として除外していたのだろう。言い出した私でさえ、そのリスクを考えれば普段であれば取り得ない選択肢でることを理解していた。
味方の犠牲を厭わず、ノエラと私が陣頭指揮を執り、魔術師と冒険者へと指示を飛ばすことが出来れば、時間は掛かったとしてもこの黒騎士を確実に止めることも可能であるとそのように判断していた。『白銀』の三人も未だこちらには呼ばずに兵士達の護衛を任せている状況であり、アイゼンヒルもルーネリアの護衛の為に前線に出ずに後方で待機している。騎士同等の実力を持つ黒騎士であったとしても、そうした戦力分散が行われている状況さえ解消すれば負ける道理は無かった。
『護る為に『魔翼』を使うか……そうじゃな、それであれば今はお前に甘えるとするか』
ノエラ・ラクタリスは念話でアイゼンヒルに合図を送り、黒騎士を押し留めつつ、城へ向けての道を開き、アイゼンヒルを先行させ自らは殿として迫る黒騎士を可能な限り撃退して見せる。
(今は何故か無性に人が死ぬことに躊躇いを覚えているな……これは感傷なのだろうか?)
自分自身の分析、明確な答えが出ないその合間にも、私は一切の淀みなく、封じていた『魔翼』を開帳する。
私は自分が不合理な行動をしていることに何か説明を付けるのであれば、どういった理由が適切なのだろうか。
犠牲を加味しないただの撃退であれば、『魔翼』を使う必要は無い。しかし、どう足掻いても誰かを護る戦いは難易度が上がるのも事実。
『白銀』の三人であれば最早私の手を借りずともこの場を切り抜け逃げ切ることもできるのだろうが、ガイゼルダナン家の兵士達はそうもいかない。彼らの犠牲は今後のサンデルス家とガイゼルダナン家の関係性にも影響を及ぼす可能性が有る。それであれば、出し惜しみをすることで受ける被害を考えればここでの『魔翼』の使用は決して無駄にはならない。
(後付けもいいところだな……私はただ単純に――)
周囲のエーテルを急速に取り込み際限無く魔力精製を始める翡翠色の魔力結晶体の数々が中空に姿を現し、六十体の結晶体がそれぞれ、黒騎士に対して戦闘の為に魔力を漲らせ始める。
周囲を威圧するかのように飛翔を開始する結晶体が放つ魔力の余波を受け、その場にいる黒騎士達の動きが一瞬停止する。
それは、明確に優先的な敵を私に定めたが故の停滞であり、彼らの虚ろな気配に明らかな色が浮かび上がるのが見える。
それは、戦いを心から望んでいる者が見せる喜悦であり、声にならない声であった。黒騎士達の身体から発せられる魔力に乗って明確な感情が私の下へと届く。魔力に乗せられた感情は、喜びと私を敵として見定めた殺意の二つであった。
黒騎士達は再び騎士の礼を取り、己の剣を構え、その身にありったけの魔力を滾らせながら、私へと向かって殺到し始める。
「誰かを、ただ、護りたいと思ったんだろうよ」
しかし、黒騎士達の全力の突貫は、魔力を十全に纏った私の魔力障壁によって完全に押し留められる。目にもとまらない連続攻撃の衝撃を以ても私の障壁にはひび一つ入る事は無い。
『魔翼』を展開させた今、この身に届く攻撃等、最早存在し得えない。
「少しばかり、場を乱させてもらう」
魔法障壁に張り付くように剣戟を加える黒騎士達に対し、魔法障壁を物理的な盾として、魔力を更に込めると共に黒騎士達に対してぶち当て、一気に後方へと押し返してみせた。
『流石の胆力と言ったところか……それでは、儂も先に行かせてもらうとするかのう』
私の魔法障壁による阻害を好機と見たノエラはその間隙を縫うようにして黒騎士達を突破し、城内へと歩を進めて見せた。
一方で、たたらを踏みながら後方へと吹き飛ばされた黒騎士達に一切の動揺は無く、最早ノエラ・ラクタリスも眼中には無いと言った様子で、騎士として全力で目の前の敵を屠らんと、その身に魔力を漲らせ、握り込んだ長剣を構えると共に、全霊を以て攻撃の為に再び突撃を開始する。
「なるほど、より強力な魔力に対して……いや、マナに対して反応するように命令されていると言ったところかな?」
喜色満面の笑み、そのように視える感情が黒騎士の魔力から滲み出ており、突撃に失敗し、剣を再び構え直した黒騎士達は声なき声で幾度と無く歓喜を吠える。私は彼らから発される魔力の強まりを感じつつも、その合間に魔力感知を辿り、精密に黒騎士達の状況を解析し終えていた。
(安定した魔力供給は黒騎士自身が行っているのではなく、召喚魔法術式陣から常時魔力が供給されることで成り立っているわけか……黒騎士の身体に流れるのはオドではなく、マナ……それはつまり、このタルガマリア城下の領民を殺し尽したのは、魔力供給の側面もあるということか)
気付いた事実は、この術式を発動した者の悪辣さをより一層際立たせるものであった。黒騎士の存在を維持する為の養分として、領民は殺され、魔力へと変換された事になる。我々に対する執拗な嫌がらせにのみならず魔力維持の為に無関係な者達を道具として利用する様は、私の想像以上に教皇派を率いる者がどのような思想、考えを以て動いているかをまざまざと想起させる。
目的の為であればどのような手段を用いても目的を遂行させる、そしてその上で今現在の状況で最も効果が高い方策を練り、実行する。そのやり口は忌避感というような感情論には一切流されず、ただただ、効率と結果を追い求める愚直な迄の効率主義が為せる業であった。
(異常者、そう呼んで差し支えあるまい……ノエラ・ラクタリスの様子を見るに何等か因縁もありそうなものだが……)
まあいい、と私は意識を切り替え『魔翼』に指令を送る。それは単純明快なものであり、この戦いを終わらせる為の一手であった。
六十体の『魔翼』はそれぞれ個別に超高速で飛翔し、己の獲物を見定め、次の瞬間には黒騎士の身体へ寸分たがわず喰らいつき、その身に宿る魔力をも寸断するように荒れ狂い始める。
黒騎士達は『魔翼』の一撃に反応は見せるものの、同時複数の『魔翼』による乱撃を完全に回避することは出来ず、次第にその身が削られてゆく。
「終わりだな」
一切の容赦を見せること無く、翡翠の閃光が宙を舞うに併せて黒騎士の身を引き裂き、細切れに変え、修復も間に合わぬ速度で切り刻み続ける。
腕が落とされ、胴体が飛ばされ、剣を振るう間もなく『魔翼』が全てを奪い去る。そして、露出した魔力核を容赦無く貫き、絶命させる。
総勢百名に及ぶ黒騎士達はものの二十秒程度で完全に地に伏し、魔力核が破壊された者から、闇に溶けるようにして人間大の形を徐々に失い、仄暗い靄と化して暫く滞留した後に、完全に消失した。
(召喚魔法術式に第二波があるのであれば、術式の完全破壊まではここを動けないか……後はノエラに任せるとするか)
『三人とも聞こえるかな?』
『はい、言われた通り待機してましたぜ』
いの一番にミチクサが反応を見せ、私に状況の確認を求めた。
『どうやら、僕は暫くここから動けそうにない。三人はアイゼンヒル達を追ってゼントディール伯爵の下へ向かってくれ。伯爵は監視塔の上にいる』
私の意図に気が付いたのか、スオウが私に確認を求めた。
『……アイゼンヒルを止めるのは、少しばかり骨が折れそうですね?』
『苦労を掛けるね。だが、伯爵が死んでからでは遅い。やれるだけの事をやろう』
私は、城下町からタルガマリア城の監視塔を見上げながら、次の一手に頭を巡らせていた。