雪溶けは流るるがままに その3『局地戦』
黒騎士は恐怖を覚える程に静かに、流麗に、剣を振るい続ける。
その卓越した技量は間違いなく俺達騎士団が培ってきた技術そのものであり、敵を制圧する為の者ではなく、確実に殺傷する事を目的とした技術であった。
それは護る為の剣戟ではなく、ただ純粋に戦う為の剣戟であり、その地の底から這いでた軍勢は破竹の勢いでこちらの兵士達を撫で斬りにして見せる。
『魔術師は魔法障壁で行動阻害をしつつ、兵士の退避を優先しろ。無暗に前に出れば死ぬぞ!』
『クソッ! 魔法術式も物理的な攻撃もお構いなしにこいつら突っ込んできやがる! 絶対に隊列を崩すな、隙を見せれば突破されるぞ!』
『ノエラ様と『白銀』の足止め以外は絶対に俺達が止めるぞ、冒険者を前面に押し出し援護を絶やすな!』
魔法術式の念話によって戦場に幾つもの情報が駆け巡る。陣形を崩さず、実力差がありすぎる兵士を後方へと後退させながら、どうにか黒騎士と対峙し続ける魔術協会の魔術師や冒険者達は苦悶の表情を浮かべ、その身に手痛い傷を負いながらも戦意を維持し続けているのは賞賛に値する。
しかしノエラ・ラクタリスとラクロアの魔法術式による足止め、釘付けをものともせずに突貫を続ける四十名余りの黒騎士達は、一切の容赦、呵責なく、魔術協会の辺境魔術師、ガイゼルダナン家の子飼いの冒険者、兵士達を容赦なく責め立て、その綻びが見えるや否や、突き崩す。
(止まらねえな、これは)
黒騎士の動きは騎士として申し分のないものであった。その動きに体軸のぶれは無く、効率的に、無駄が排除された剣線が圧倒的な膂力と速度を以て放たれ続ける。疲労などは存在しないと言わんばかりに、その身体に満ちる魔力は強度を増して行くようにすら感じられ、その直進を止める事が容易ではない事を見る者に植付けさせる。
彼等が魔術師と冒険者の防衛陣を突き破ると、その背後に控える、重装に身を包む兵士達の首が易々と宙を飛ぶ。魔力が籠った黒剣は確実にこちらの戦力を削ぎ落しに掛かっており、頑として歩みを緩める様子は無い。
(分かり切ったことではあるが、実力差、練度不足、烏合の軍勢でこの数の騎士を相手にするのは無理があるか)
たった百人によって三千という軍勢が押し留められているどころか、押し込まれている事実、それこそがこの黒騎士が持つ力量が嘘偽りではない事を示していた。
(雑兵は多いにせよ、魔術協会、『白銀』その他準上級冒険者達、なによりもノエラ・ラクタリスという存在……戦力としても十分に戦える数は揃っている。その上で、こうして押し負けている現状、黒騎士達の能力が高いことを認めざるをえない…… 教皇派の隠し玉にしても、悪足掻きにしちゃあタチが悪いぜ)
黒騎士は全体で百人、その半数をノエラとラクロアが抑えつつ、現状自由に行動するたった四十人の黒騎士によってこちらの戦線は今にも崩れそうな状況に陥っている。最終的に未だその崩壊が起こっていないのは偏に辺境魔術師と冒険者達の奮闘によるものだけでなく、黒騎士の目的が単純な殲滅ではないことも相まって、絶妙な均衡を作り出しているように見えた。
黒騎士は明らかに、陣容の中心にいるノエラそしてラクロアを目掛けて血道を切り拓いている。この二人の抑止が止まれば均衡は崩れ、死体の山が再び築かれる事になるのは必定であり、それについては既にノエラもラクロア、二人とも気が付いているようであった。
本来であれば、率先して俺が前線を押し上げる役割を担う必要があったが、お嬢が側にいる状況下でそれは出来ない。とは言え、均衡が崩れる前に手を打つ必要が有る事は明白であり、槍を握る手に僅かに力が入る。
(ったく、ままならねえもんだな)
『アイゼンヒル。ルーネリアをキリシアと共に護るがいい。余りにも密集した軍勢の中では魔法術式が有用にならんのでな。ラクロアと共に入り込んだ黒騎士共を一度押し返すとする。そして儂等の足止めが為ったのであれば、ゼントディールの下へと向かうがよい』
俺の胸中を見透かす様に、ノエラが念話によって指示を飛ばしてきた。連続した魔法術式の発動にも関わらず、十全に指揮官としての機能も担う様は後衛の要としての魔術師の理想的な姿であるように感じられる程であった。
ラクロアですら、ノエラの指示に対してすんなりと従い、黒騎士の押さえ込みに尽力しており、ところどころで発動される爆発魔法術式がラクロアの健在と、ノエラの指示の的確さを目に見える形で表していた。
『二人であれを止めるつもりか? まあ、できるかどうか聞くのは、野暮ってもんか?』
俺の言葉にノエラは笑い声を上げた。
『魔法術式による近接戦闘の基礎をノクタス・アーラに授けたのはこの私さね。舐めるでない』
それだけ言うと、ノエラは目の前から姿を消した。予備動作の無い転移魔法術式の発動と共に、一名の黒騎士の背後を取り、その甲冑に指を掛けると膂力を以て強引に投げ飛ばして見せた。
(術式による肉体強化だけでは無いな……黒騎士の動きが完全に止まったところを見るに、以前ラクロアが俺に使った、震動系魔法術式の応用といったところか……)
精密な魔力操作にその応用、どれをとっても一流であることは理解できたが、それ故に、護るべき者が多いという事がノエラ・ラクタリスにとっては足枷でしかないのかもしれない。そのように考えた矢先、黒騎士達は集団を抜け出し、黒騎士達の中に躍り出たノエラへとその切先を向ける。
(やはり、奴らの狙いはノエラとラクロアか……)
「お嬢、キリシア。ノエラとラクロアが黒騎士の押さえ込みに成功次第、俺達も動くぞ。ゼントディール様へ刃を向けるのは俺達の役割だ。お嬢、それでいいんだな?」
「はい、それがゼントディール・サンデルスを父に持つ、この私の役割です」
気丈に振る舞うお嬢の顔色は明らかに悪い。タルガマリア領の民がこうして虐殺の憂き目に遭うことの重責だけでは無く、未来の視えぬ中で戦地に身を置くことで受ける緊張感がありありと浮かんでいた。
「ルーネリア様、私も御供致します。これからも、そしてこの先も」
キリシアは既に覚悟の決まった表情を浮かべていた。俺達は本来はゼントディール様に忠義を尽くすべき立場でありながらも、お嬢を支える事を許された身である。それでありながら、刃を向ける事になるのは不義理か、それともゼントディール様の掌の上か……いずれにせよ、今はルーネリアの騎士としての役割を全うする。それ以外に俺がすべきことは無い。
(姉さん、すまねえ。これがサンデルス家の為になるのか、貴女の弔いになるのかも分からねえ。だが、お嬢は護って見せる。そして、このくだらねえ内紛にも蹴りを付けてみせる)
ゼントディール・サンデルスの妻として迎えられた姉の顔を思い出す。ルーネリアによく似た目元と、まなざし。そして金色の髪……想起される幼き日の思い出。その全てが今の自分に残された原動力である事を理解していた。
近衛騎士としてではなく、辺境騎士として、そして国にではなく、人に対して忠義を捧げた一人の人間として槍を振るう事を決め、そしてそれは今後変わることのない事実である。
「腹は決まったみてえだな……合図があり次第、出るぞ!」
俺の一声に二人は確かな闘志を漲らせ、頷いて見せた。