ノエラ・ラクタリス その4
ノクタス・アーラ、それはアーラ家が輩出した最高傑作と言って過言ではないだろう。それはつまり、マリアンヌ・ラーントルクと共に人族の魔術師として双頭並び立つ不世出の天才だった。
ノクタスは、十年前の政変時に姿を眩ませた。あの天才坊やが『魔翼』を持つ者と関りを持つ……その意味が分からない程私も馬鹿ではない。しかし、私が知りたい情報をラクロアから得ることは難しいのだろう。
「どちらかと言えば元気でしょうね。今は何をしているかは分かりませんが」
ラクロアはマリアンヌによく似た目で私を見ながらそう言い放つ。不思議な感覚が私を満たしていた。血の繋がりだけでなく、人の縁という繋がり、そしてそれを成す為に必要な時間の連なりの数々。私は既に役割を終えた身ではあったが、それでも尚感慨はひとしおであり、長い年月を過ごさなければこの奇妙な時間を超えた邂逅を得る事もなかった。
「お前は何処でノクタスと出会ったのかね? 奴に師事していたのか?」
「言えません」
ノクタスがラクロアを私の下に送ったのであれば、それは確認するまでもない事実だろう。現に、ラクロアの魔力操作技術は『魔翼』を用いずとも熟練の領域に到達している。誰に師事する訳でもなく獲得できる程の技量ではない。そして、其れだけの技術を授ける事が出来る人間は決して多くは無い。特に、スペリオーラ大陸において『魔翼』を持つ者に技術を授けようとする者はいない。
そして何よりも、ラクロアの魔法術式の運用方法、魔力制御のやり方には見覚えがあった。間違いなく私が生み出した魔力操作方法を基礎にしており、言葉よりも如実に、雄弁にその経歴を物語っている。
「魔族との関わりについては?」
「言えません」
『魔翼』を持つ以上、魔族がラクロアを泳がす事は有り得ないだろう。マリアンヌがラクロアを逃がしたのであれば、それは尚更であろう。これは私であるから理解できる逆算であり、ラクロアからしてみれば隠すべき情報であるのは確かであろうことも理解が及んだ。
「お前の目的は?」
「言えません」
「なるほど、出自に関する事柄については全て言えないという事か」
ラクロアは自らに纏わる情報は一切明かせぬという構えを見せた。それはある意味で答えに近く、凡その予想はついていたものの、やはり彼はロシュタルトよりも先、魔大陸と関連があるのは間違いない。ノクタスと魔族との関係性については情報を得たいところであるが、これ以上ラクロアから情報を得ることは極めて難しいと考えられる。
「その通りです。ノクタスの名前を出したのはあくまでも彼が貴方を頼る様に私に言ったから、としか言えません。この情報すら、これまで誰に対しても開示して来なかったものです。残念ながらこの国において彼はお尋ね者でしょう?」
私はラクロアから少しばかりの落胆を感じ取っていた。それはノクタスという人物がこのスペリオーラ大陸においては受け入れられないことを理解してのものであった。
「そうさなあ……それは一部正しく、一部正しくは無い。奴は何処まで行ってもアーラ家の人間だからな。再び姿を現したとしても奴がそう簡単に殺される事はあるまい。利用はされるのだろうが、な」
「それはどういう?」
何故、ノクタスは私にラクロアを引き合わせたのか。その意味を考えている。始めたのが私であるのであれば、その責任を取らせようとしているとでも言うのだろう。終わった物事を最後まで見送る、創造主の一人としてか、それとも守護者としての責務とでも表せばいいのだろうか。
「王都に行けば分かるだろうよ。人類の敵意とその研鑽が今の人族を支えているという姿が見える筈だろうて。それまでは私が責任を以てお主を鍛えてやろう。人族が四百年に渡って延々と紡ぎ続けた魔法技術の神髄をお前にくれてやる」
ラクロアは訝し気に私を見ていた。私が態々そうする理由を見出せずにいるのだろう。私としても掛け値なしの善意、という訳では無いが、責任を語るのであれば後始末は付けなければなるまい。
「貴方にとって何のメリットがある?」
「ふふ、私はお前の母であるマリアンヌ・ラーントルク、そしてお前の師匠であるノクタス・アーラのその師匠であれば私がお前を弟子に取るのは当然であろう。師匠が弟子に技術を託すのはいつの時代も延々と繰り返されてきた人の営みよ。私はノエル・ラクタリス、当代最高峰の魔術師にして知識の伝道師であれば、力ある原石を磨くのは私の役割であり、義務である。これでは不満かな?」
少年はあきれ顔でこちらを見ると肩を竦めてため息を吐いた。そう、これは唯の方便でしかない。私には実行が出来なかったことを『魔翼』を持つ少年に託そうとしているだけなのだから。
「……まあいいさ、オドにおける魔法術式構築技術の研鑽は私にとって目下の課題であることは間違い無い。精々利用されるとしよう」
少年はきっぱりとそう言うと、私に手を差し出した。
「まあよろしく頼むよ、師匠」
白髪と碧眼、マリアンヌによく似た瞳を見て私は改めてどこか懐かしさを覚えていた。
「ああ、そうさな宜しくされてやろう」
握り返したラクロアの手は、未だ小さく少年の物であった。