シルヴィア・ベルディナンド
私は大公爵家ジファルデン・ベルディナンド・フォン・シュラウフェンバルトの嫡男として生まれ、シルヴィアという名を付けられていた。
三歳の頃に突如として自我が芽生え、過去の記憶が覚醒した。それと同時に私に語りかけるカーリタースにも気が付き、様々な情報をこの獣から入手することで歳にそぐわない知識を保有する事が出来ている。
今では父親のジファルデンの見習いとして政治、宗教、戦争、魔法技術、様々な分野に携わることで情報に対してのアクセス権を有するようになり始めていた。
生まれた当初、ジファルデンは魔力的な素質を彼の期待以下――魔翼を持たずに生まれて来た――でしか発現しなかった私に失望していた様だが、今では十歳にしては稀有な事務能力を買って、領主代行として、彼が王都へ赴く合間、私に領地を任せる様にすらなり始めている。
『てめえの親父は極悪人だぜ、なんせ自分の家族すら犠牲にして力を欲する執着心だからな。その罪の深さたるや……碌な死に方はしねえだろうさ。なんせ、分を弁えない生物が滅びを迎えるのは世の常だからよお』
かつてカーリタースが私の父親を評価するのを見ていたが、実際に父は力と言うものに対して酷く執着している様であった。それが親族をかつての王に皆殺しにされた故であると聞くと、人の業と積み重ねをまざまざと思い知らされる気がしていた。
私と兄を産んだ時に母親は死んだとされているが、父親はそれについて私に何一つ話そうとしない。ジファルデンへの武器として生まれた双子、その片割れがその場に居た複数の魔術師を惨殺し、母と共に姿を消したと聞いた時、ジファルデンは激怒の末に力を持たぬ私をその手で殺そうとした、そんな話を私は乳母から伝えられ、人の妄執や執着の帰結というものを感じたものだった。
(激情は時として人の本性を覆い隠すとは言ったものだが、今となってはだいぶ落ち着いたようにも思えるがな)
とは言え、それ以外で言えばジファルデンという人物は極めて合理的で有り、優秀と言えた。王の右腕として辣腕を振い、前王の側近含め彼の手練手管により殆どが現在の政権から排斥され、場合によっては家を断絶させる事すら厭わない徹底ぶりであった。
私はジファルデンの優秀さに舌を巻く一方で、その容赦の無さと理知的な優秀さがない混ぜとなる専制政治の危うさを感じられもしたが、新王政が勃興する中の痛みと割り切ることが出来るかどうか、膿を出し切る事で後顧の憂を断つと言う話も分からくはなかった為に、そうしたやり方も呑み込むしかないと割り切る事としていた。
そうしたやり方を理解できる私もまた、貴族的思考に陥った非情な人間なのかも知れない。
『シルヴィア様、お待たせ致しました』
魔力振動を検知して私のブレスレットが揺れると耳元のイヤリングを通して従者であるスコットの声が響いた。貴族同士の通信網として敷かれた魔石を通じて任意の者へと長距離においても連絡が取れるセントワードの汎用技術の一つで有り、かなりの精度を誇る魔法技術であった。
「早かったな、それでどうだ。何か分かったか?」
『シルヴィア様がお探しになられている者達は『白銀』と名乗る中級冒険者の四人組パーティーの様です。ロシュタルト界隈で活躍している『西方不抜』という中級冒険者のギルドから話を聴取したのですが、冒険者登録をしてから三日程でA級に近い龍種を討伐し、昇格を遂げたとの事で、現地ではかなりの噂になっていましたね』
「ロシュタルト……魔大陸との境界線付近だな。その『白銀』の団員は全員その周辺の出身なのかな?」
四百年前に起こった人魔大戦以前はクライムモア魔石鉱山のお膝下として栄えていたが、今では魔大陸に巣食う魔獣の防衛拠点として機能している城塞都市であり、多くの冒険者が魔大陸入りを夢見て集う場所、そのような認識が確かにある。
『はい。冒険者管理組合にはハンナバハルという漁村出身として登録が為されているようですが、『西方不抜』の調べではそれは偽りの様です。売名行為も含め、敢えて辺境を選んだというのが専らの噂ですね』
辺境で名を上げた冒険者が王都へと向かう道すがら様々な冒険を行う……龍種の討伐を以て売名、と言うのはありきたりではあったが確かに民衆受けしそうなやり方ではあり、私もその噂に頷いた。
『ふむん。それで彼等は今は何を?』
『ゼントディール・サンデルス伯爵の娘であるルーネリア様の護衛として現在はガイゼルダナンに逗留しているようです。ロシュタルトに駐在する辺境魔術師からの情報ですので間違いは無いかと思われます』
ロシュタルトにサンデルス家の娘が何故逗留を? という疑問が真っ先に浮かぶが、護衛を伴いガイゼルダナンを経由するのであれば、行き着く先はタルガマリア領に変わりはないのだろう。
『とすると、この後はタルガマリア領へと向かうわけか……。ガイゼルダナンで何か彼等に纏わる不審な点などは報告されていなかったか?』
『いえ、私の小飼の業者連中にも話を聞いていますが、今のところ目立った点はない様です。白銀の魔術師と呼ばれる少年の、その白髪の姿が若干悪目立ちしているようですけれど』
何もない、そんな訳はないはずである。ガイゼルダナンで何らかの魔力発揮を私が感知したという事は紛れもない事実。それであれば、ガイゼルダナン家が情報統制を行っている可能性が示唆される。
わざわざ、あのシャルマ・フォン・ガイゼルダナンが情報を統制する理由等、一つしかない。既にルーネリア嬢含め、自分で囲い込みを行っているに違いない。魔法技術の開発に精を出す公爵であれば強ち有り得ない話ではない。
「ふむ、大凡は理解出来た。ルーネリア嬢か……とすると彼女が、と言うよりはサンデルス伯爵の方が狙いと見える」
サンデルス家周りで何かあるとすれば、当然ながら聖堂国教会の内紛が関係しているのは明白だろう。教皇派に対する対応を国王陛下とジファルデンが協議を行っているようだが、私としても可能な限り情報が欲しいところではある。
「ルーネリア一行がガイゼルダナン近郊で何らか小競り合いを起こしている筈だ。可能であれば探りを入れてくれないか?」
『とすると……なるほど、国教会周りですね。分かりました。サンデルス伯爵に恨みを持つ連中無いしはルーネリア様を襲う事で利益を得る者達も含め、という事ですね? 念のため、タルガマリア領にも人を送ります』
スコットはすんなりと状況を飲み込み、手早く方針を策定し私に進言する。彼の理解能力と要領の良さはこうした諜報活動においては非情に有用と言える。
「理解が早くて助かるよ。可能な限り彼等の動向を追ってくれ」
サンデルス伯爵は王の側近の一人であるが、一方で国教会とも近い人物であった。魔法技術についても造詣が深く、彼の領地であるタルガマリア内のセトラーナには魔術協会の統括代行者であるノエラ・ラクタリスが存在する事も注目を集めるものであった。ノエラ・ラクタリスは当代における最高峰と名高い力を持った魔術師であり、元々は魔法技術研究所の最高位である、『魔導士』を務めた人物でもあった。ノエラ・ラクタリスを慕う者は多く、影響力も未だに健在となれば、その動向を気にする者も多い。
それ故にゼントディール伯爵、もしくはサンデルス家を手中に納めることで利益を供する人物は多いとも言えた。但し、それは立ち回りを誤れば幾らでも引火する火薬庫の様な物で、厄介な物種であるとも言える。
一方、娘のルーネリアには一度だけ会ったことがあったが、特に才能を感じる類の女性では無かったように思えた。それ故に彼女を拐かすのは容易と考えるのが本筋だろうか……。しかし、そんな彼女が何故ロシュタルト等という辺境を訪れたのだろうかという疑問が過る。
「もう一つ、ルーネリア嬢が何故ロシュタルトへ赴いたのか、その理由も念のため確認してくれ」
『承知致しました。また進捗あり次第ご報告を申し上げます』
会話、実際には念話であるが、それが終わった頃合いを見計らって、側に控えていた使用人のファルブが私に取り次ぎの旨を伝えてきた。
「シルヴィア様、旦那様がお帰りになられております。客間まで御通しする様にとの事ですが如何致しましょうか?」
ファルブは使用人の中でも古株であり、私が乳飲み子の頃から私の身の回りの世話を行っていた。私とジファルデンの間にある確執を彼は知っている事もあり、可能な限り私の意見を尊重してくれている。しかし家長であるジファルデンの呼び出しに応えない訳にもいかない。
「行くよ。それで、客人はどちら様かな?」
「それが……」
言い淀むファルブの表情を見て私は客人が何者かを察した。
「ああ、魔法技術研究所か。確かにそれであれば、お前もそんな顔になるな」
「そんなに顔に出ていましたでしょうか?」
ファルブは慌てたように自らの頬に手を当て努めて平静な表情に戻そうとしていた。
「ははは、出てる、出てる。しっかし、親父の前ではそんな表情見せないだけ偉いもんだよ」
ファルブルは私が魔法技術研究所に対して敵意を抱いていることを知っており、彼自身もかつて冒険者時代に手痛い目に遭わされたとを死ぬまで忘れないと、三十年以上前の出来事を未だに根深く恨んでいるようであった。
「坊ちゃんには適いませんね、全く」
「はは、お互い様だよ。私も親父の前ではそんな顔になるからね」
「それこそどうかお控えくださいませ。旦那様は以前よりはだいぶ落ち着かれたのですから」
「ふふ、分かったよ。今はファルブの顔に免じてそうしておくとするか」
私が笑うと、ファルブもまた僅かに笑みを見せた。