遠方の監視者曰く
遥か遠く、エーテルを乱す強烈な魔力の波動がシュラウフェンバルト領の私の下にまで届き、私は眠りの底から無理矢理に意識を覚醒させられることとなった。
『おい、シルヴィア気がついたかよ』
「ああ……」
魔力の波動に気づいたのは私だけではなく、同様に私を眠りから呼び覚ます声が脳内に響く。鷹揚に対応しながらも私は、待ちわびた時が来たと内心の喜びを隠せずにいた。
『はっはっは、漸くだぜ。これで退屈にもおさらばってわけだ』
私の中の潜む人ではない、カーリタースと呼ばれる魔を孕む獣もまた、喜びを隠さずに蠢くように笑い声を上げていた。
「発生した場所はどうやらガイゼルダナンの近くの様だが、どうしてこれまで気づけなかった?」
『封印処置……何等かの魔法術式によって、俺の魔力を完全に掌握していやがるのさ。その封印が何等かの理由でガイゼルダナンにおいて一時的に解放されたみてえだな……。しっかし、この俺の魔力を自力で封じ込めていた訳だ……手前味噌だが、お前の片割れはかなりのやり手だぜ』
片割れ、という言葉に違和感は無い。しかし、自分の血を分けた兄弟が本当に存在するのかどうかという点はかれこれ十年間に渡って疑問であったのは事実であった。しかし、カーリタースがこれまで私にその存在について言及し続けていた通り、片割れと呼ばれた『魔翼』を持つ私の兄が確かに存在したその事実を、カーリタースが真実を言っていたという驚きと共に私は認めなければならなかった。
「ふむ……。それだけの魔力解放を行うとすれば……やはり何らかの戦闘に巻き込まれたと考えるのが正しいだろうな。ガイゼルダナンに使者を送り、早急に情報を集めるべきか」
今まで『魔翼』を封印していた片割れの行動は極めて強かであると言えた。魔力を抑える事で自らの存在を隠匿していたとするのであれば、『魔翼』を持つ者を狙う者達に対してかなりの警戒感を抱いていると言える。
『あれだけの魔力放出だ、そりゃあ先ず間違いねえだろうよ……だが気を付けろよ? 何せ『魔翼』を持つ以上、片割れの背後には魔族がいる可能性が十分に有り得る。それこそ仮にバザルジードの目として動いているとするなら、片割れの扱い方を間違えれば、それこそ都市一つが吹っ飛ぶぜ』
ニタリと獣が狂おしそうに笑った。
その意味に気付き、私は薄ら寒さを覚える。都市が滅びれば、それだけ人が死ぬ。それはカーリタースと言う魔族にとってしてみれば自身の餌となるエーテルが世界に満ちることを意味しており、生物の本能としては正しい反応ではある。彼はどこまでも自分の本能に従う魔族であり、人間とは相いれない別次元の存在であることを改めて思い知らされていた。
「バザルジード、御伽噺に出る魔王の名前か……。お前の生みの親と言うべきか、それともお前自身と言うべきか、私には判断が付かないが――お前がその一部ということに間違いは無いのだろう?」
カーリタースは『まあそんなところだ』と肯定を見せる。
『はは、まあな。元々持っていた俺と言う存在を切り離したとするのが正しいが……しかし人間ってのは面白い生き物だぜ。人ならざる力を産まれたばかりの赤児に宿すってのは、施しと偽って人間を謀る天族の性悪さ以上にタチが悪い』
そうした我欲が人間の本質であると、カーリタースは事あるごとに楽しそうに語る。彼が自分自身を生粋の人間好きであると公言して憚らないのは、そうした人間の営みを愛おしいとすら思っているからだと言う。正直なところ、カーリタースが何を考えているかは私には理解できないが、『愛憎の獣』等と揶揄されるだけの事はあるように思えた。
「まあ否定は出来ないか…… 私とて、生まれた時にはお前のような獣が身体の中に住み付いていたわけだからな。施される側となった者の気持ちも考えて欲しいものだな」
カーリタースは、その力の恩恵と力を巡る戦いを引き起こした根源として『愛憎の獣』と呼ばれ、彼の存在を知る者達からは畏怖を以て呼称されている。カーリタース曰く今でもその本体は厳重に封印され管理下に置かれているとのことではあるが、実態として封印された肉体から精神が分離し、その意識の一部が私の身に宿っているという状況下にある。人の業の形であるとカーリタースは笑うが、私は今のこの状況を笑う気にはなれずにいた。
「何れにせよ、私は奴と早急に会う必要があるな。奴が仮に王都を目指していると言うのであれば好都合、それ以外が目的でもガイゼルダナンであればある程度こちらも顔が利く。少なくとも、騎士団や魔法技術研究所の奴等よりも早く接触を図る必要があるのは間違いないだろうよ」
魔翼を持つ者に対して明確な敵意を抱くであろう、近衛騎士や近衛魔術師よりも先にその身柄を確保する、その上でこちらとしても準備を整える必要があった。
『お前の大好きな情報取得と精査、予測を活かして頑張ってくれや。仮に敵として相対した時は俺が、前の身体を奪ってでも手伝うからよ』
カーリタースは上機嫌に笑いながら恐ろしい事を言ってのける。人の身体を何だと思っているのか……等と言ったとこころで、この獣は毛ほども感情が揺さぶられることは無いのだろう。片割れが『魔翼』という火種を抱えているように、私もまたこの厄介な獣という爆弾を抱え込んでいる。外にこの事が洩れればいつ導火線に火が付くともしれない日々を過ごしてきた以上、殊更用心深く事を進める必要がある。
「……一筋縄で行けば良いのだけれどな」
それは無理だろう、というニュアンスを含めて嘯くと、カーリタースは先ほどまでと同様に笑い声を立てる。
『はっはっは、道中まあ楽しめや』
カーリタースはそれだけ言うと私に中で再び眠りに付いた。
(しかし、また国内に不穏当な空気が流れている時に姿を見せるとは、全く困った奴だな……いや、だからこそ、彼も自身の力を見せざるを得なかったという事かもしれない)
ラクロア、そう母が名付けたという私の双子の兄が、一体何を思い、どのように生きてきたのか――彼の実在を認識して初めて思い至る片割れのこれまでの人生については些か興味が湧いてくるのも事実であった。
ジファルデンはラクロアが生きていたと知った時にはどんな顔をするのか、見ものだな。
私は、かつて妻と共に『魔翼』を持つ息子を失ったことで発狂寸前まで荒れ狂った父親の顔を浮かべつつ苦笑する。
「我欲か……往々にしてそうした者で人は身を滅ぼすものだが、ラクロアはこれを知ってどう思うのか……楽しみではあるな」
まだ見ぬ兄の顔を思い浮かべつつ、私はこの世界において味方となり得る存在に、僅かではあるが希望を見出していた。