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間違っている!

 

「くっ!」

「さて……」


 着物姿の男は、刀を目の前でかざすと、


「待っていてくれ、今からこいつに責任を取らせるから」


 と、まるでここには居ない誰かに宣言するかの様に小さく呟く。


「お父様!」


 もう我慢出来ないと、アカリが着物姿の男に斬りかかる。

 その隙に、宰相さんの傷を診ようと、成瀬さんが庇っている宰相さんの元に向かう。


「アカリ!」


 お殿様の悲鳴に近い声。それは、この着物姿の男がアカリよりも強い存在だと知らせる警鐘。

 着物姿の男もそれを分かっているのか、余裕を持ってアカリの対処をしようとするが、


「むっ!?」


 それが自分の予想を越えた事による驚愕。

 陣幕の出口からお殿様の所までは距離にして、三十メートルほど。それをほぼ一瞬で詰めていくアカリの疾走。


「このっ!」


 突進の勢いを乗せたアカリの、頭を狙った一撃。

 それを受けずに、ひらりとかわす着物姿の男。

 しかし、完全にはかわしきれなかった様で、足の部分の着物にスッと裂け目が入る。


「———小娘が」


 着物姿の男の目から、余裕の色が消え去る。代わりに浮かぶのは殺意の色。

 その目は、宰相さんの元に辿り付いた僕を全く映していない。


「目の前で己が娘が切り捨てられるのも、また復仇か」


 スッとアカリの正面に立つと、着物姿の男はアカリから顔を逸らさずに、


「おい、そこの役立たず。弟と会いたくば、橘を斬れ」

「———!!」

「それが出来ぬなら、生きて会える事は無いと思えよ」

「くっ……!」


 成瀬さんの顔が歪む。

 この着物姿の男と何の約束があるのかは分からないが、成瀬さんのその顔は、自分の大切な何かを、掛けたくもない天秤に無理やり載せている、そんな類いの苦しみ。どちらにも傾いて欲しくない、どちらにも傾けられない、そんな苦痛。


「この腰抜けが!」


 中々行動に移せない成瀬さんに、着物姿の男が吐き捨てる様に言うと、少しだけ声色を変えて、


「では手始めにそこのじじぃから始末しろ。そうすれば自ずと腹を括れるだろう?」


 そして、さらに優しく諭すかの様に、


「それまでお前の邪魔にならん様、こいつらの相手をしといてやる」

「……」


 成瀬さんは後ろに庇う宰相さんに振り向く。腕に傷を負っている宰相さんは、痛む素振りも見せずに、ただ成瀬さんと目を合わせた。

 そして、


「……タカノリ、良いぞ」

「———一条様!?」

「義理とはいえ、お主の大事な弟の命が懸かっておるのだろう? なら、何を迷うか」

「ですが!」

「なに、どうせ城に戻れば腹を切るのだ。早いか遅いかでしかないわい。ならばこの命、最後に意味を持たせてはくれまいか?」

「一条様……」

「こら、タカノリ!何を泣いておる!お前は今や天下に名高い西夷将軍であろう!……それにな、ただくれてやるだけでは無いわ!」


 そこで、傷を負っていない方の腕を伸ばし、成瀬さんの胸ぐらを掴むとグイっと引き寄せ、着物姿の男に聞かれない様、小さな声で、


「この首で殿を、アカリ様たちを逃がす算段をつけろ! そしてここで約束しろ、タカノリ。決して殿に逆心を抱くな! 殿と弟を天秤に掛ける事さえ許さん!お前ならあやつを苦も無く倒せるのだろうが、今は我慢じゃ。何とか殿とアカリ様たちをお逃がししろ。その後で(いとま)を貰って、気の済むまで幾らでも探すとよい。義理とは言えお前の弟なら、そう簡単に殺されはせん」

「……はい」

「うむ、絶対だぞ。侍とは義に生き、義に死ぬ者だ。己の義を間違えてはならんぞ」


 そうして成瀬さんを離すと、今度はお殿様に向けて、


「殿、そういった訳でございまして、このじぃ、不肖な(せがれ)の責任を取ることが出来なくなりました。申し訳御座いません」

「……そうか」

「かくなる上はこのじぃ、あの世でしっかりと自省致しますゆえ、御許し下され」


 そう言い切り、頭を下げる。


「……うむ、長い間、余を支えた事、誠に大義であった」

「殿!?」

「——黙れ、タカノリ。じぃの忠義、この橘フミヒコ、しかと心に刻み込むぞ」

「……有り難き幸せ」


 嗚咽混じりの宰相さんの声。そして頭を下げ、微かに震えている成瀬さんに向かって、


「ではな、タカノリ。後は頼むぞ。シンイチと二人で殿を、そして日之出を支えてくれ」

「……はい、この成瀬タカノリ、この命を賭して殿を御守りし、一条様の恩義に一生を掛けて報いて参ります」

「うむ。では、一思いにやってくれ」


 徐に着ている着物をはだけさせ、首を露わにする宰相さん。


「腹を切っても良いのだが、あやつが欲しいのは首じゃろうからな」


 そう言って、自分の襟首をポンポン叩く。


「……良く解っているでは無いか。もっともお前の首だけでなく、橘とその娘の首も貰うがな」

「貴様!」

「———やれ」


 着物姿の男が、成瀬さんに指示を出す。と、成瀬さんは立ち上がり、腰に差していた刀を抜く。

 その刀は今まで見た太刀の中でも群を抜いて長かった。僕では抜く事さえ出来ないかも知れない。

 抜いた長大な刀を軽く振るうと、宰相さんの首にそっと当てる。


「成瀬さん!」


 成瀬さんの蛮行を止めようと宰相さんの前に割って入ろうとしたが、


「——良いのだよ、ユウ殿。この老いぼれの命一つで、殿を、そして日乃出の平和を守る事が出来るのだからの。それほどこのタカノリという男は殿に取っても、日乃出に取っても必要な漢というわけじゃ」

「それなら、宰相さんだって必要な人ですよ!」

「カカッ! これは嬉しい事を言ってくれるのぅ。だがな、ユウ殿。侍は己の死に場所を求める生き物。その死に様に己の生涯が映ると言っても過言では無い。殿を、成瀬を、そして日乃出を護る為の死なら、それは侍にとって、とても誇らしいものなんじゃよ」

「宰相さん……。じゃ、皆であいつをやっつければ良いじゃないですか! 成瀬さんなら、あんなやつすぐに倒せるんでしょ!? 僕も手伝いますから! そうしましょう!」


 アカリが対面している着物姿の男を指差す。あいつを倒せば、万事解決なのに何故それをしないのか、不思議でしょうがなかった。

 だが、


「ユウ殿、先程の話を聞いていたのだな。 確かにユウ殿の言う通り、彼奴を斬ればこの場は凌げよう。タカノリならば、彼奴なぞ苦も無く斬れる」

「じゃあ!」

「だが、それだとタカノリの弟は殺されてしまうだろう」

「何故です!? あいつを倒してから、探せば良いでしょう!? 何故それが出来ないんですか!?」


 すると、宰相さんは僕の肩に手を置いて、


「それはな、彼奴には保険が有ると推測したからじゃ」

「……保険?」

「そうじゃ。恐らくじゃが、自分が戻らなかった場合は、他の者がタカノリの弟を……」

「そんな!?」


 愕然とする。

 宰相さんがそこまで考慮していた事にもだけど、そこまで画策していた相手に対して。

 戦争という物をあまりにも簡単に考えていた自分に対して。


「さて、これ以上は野暮というものじゃ。お主にはこれからもアカリ様の側に居て支えてあげて欲しい。じぃからのお願いじゃ」

「……はい、分かりました」

「うむ、では、アカリ様を頼むぞ」


 もう行きなさいと、宰相さんは僕の肩をそっと押す。

 それに従う形で立ち上がると、着物姿の男と相対していたアカリの元に向かう。


「一条様、暫しのお別れでございます。が、このタカノリ、本懐を成した後は必ずやそちらにお詫びに参りますので、何卒ご容赦を」

「うむ、弟殿に宜しくな」

「———はっ!」


 涙で顔を濡らすタカノリさんが、意を決した様にその長い太刀を振り上げる。


(お互いが了承しているとはいえ、やはりこれは間違っている!)


 どうしても納得が行かない僕は、アカリの元へと行き着くとアカリに訴え掛ける。

 お殿様が認めてしまった今、あの二人を止められるとしたらアカリしか居ない。


「アカリ! あの二人を止めてくれ! 成瀬さんが宰相さんの命を奪うなんて、やっぱり間違っているよ!」


 間違った事が嫌いなアカリなら、僕と同意見のはず。幾ら宰相さんに西夷将軍の成瀬さんでも、アカリに頼まれれば考えを変えてくれると思う。


 アカリが、今まさに斬り掛かりそうな成瀬さんと宰相さんに制止の言葉を掛けてくれると見込んでいた。


「……いえ、間違っていないわ。宰相様は自らの命を掛けて、お父様や私達を助けようとしている。それは人としても、武士としても正しいものよ」


 だが、アカリが口にしたのは、僕の期待を見事に裏切るものだった。


「そんな! アカリは宰相さんがこのまま成瀬さんに殺されても良いのかよ!」

「——良いわけないじゃない!」


 アカリが吐き捨てる様に叫ぶ。


「ユウなんかより、私の方が付き合い長いのよ。それこそ、小さい時から色々良くして貰っているわ。そんな、とてもお世話になった人が居なくなるなんて絶対嫌よ!」

「だったら!」

「でも! 宰相様の言う事も理解出来るわ。私も侍に憧れているから。だから痛いほど解るの。自分の命を賭して、仕える主を救う。それは侍にとってこの上ない本望だもの」

「そんな……」


 失望した。

 アカリなら解ってくれると思っていたから。この世界では、この国では、僕の考えの方が間違っていると突き付けられたから。大切な人を助けたいと、無くしたくないという思いを否定されたから。


 成瀬さんと宰相さんを止める事の出来るお殿様とアカリが認めてしまった事で、宰相さんの死が確定してしまう。

 そんなに付き合いが有ったわけでは無いが、それでも宰相さんには居なくなって欲しくはない。

 だが、今の僕ではどうする事も出来ない。

 目を見開き、僕は想いをぶちまける。


「なんで、生きてさらにお殿様に貢献しようと思わないんだよ! なんで仲間の命を奪おうとするんだよ! 宰相さんも成瀬さんも日之出にとって必要なんだろ!? ならばなぜ両方を生かそうと思わないんだよ! こんなの間違っているよ! 侍がどうとかじゃない! 人として間違っているよ!」

「——ウルサイ黙れ!!」


 何故か激高する着物姿の男。


「お前に侍の何が解る!? 主の為にも死ねず、己が大切な者の為にも死ねない侍に、一体何の価値があるというのだ!!」

「……お主、一体?」 


 お殿様が訝しむ。

 だが、着物姿の男はそれには答えず、成瀬さんを睨んだ。


「さっさと殺せ! せめてもの情けだ。侍の本懐を為させてやれ!」

「———では、御免!!」

「皆が幸せな国が日之出国じゃないのかよ~!!」


 成瀬さんが、その長大な刀が宰相さんのうなじに吸い込まれ———。


「———俺もそう思うぜ、ユウ殿」


 キィィン!!


 成瀬さんの長刀が吸い込まれる寸前、赤く煌めく刀がそれを弾く。

 そこに立つのは、赤い陣羽織を羽織った偉丈夫。

 ボサボサで短めの黒い髪を天に突き立てるその姿に、僕は思わず泣きそうになってしまった。


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