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西夷将軍

 

 △ タカノリ視点  △



「待て、それ以上深追いするな」


 部下が丘の向こうに消えていく敵兵を追おうとしていたので、止める。

 馬上から周囲を眺めると、対戦していた敵兵はすでに退却を始めているようだった。


 開戦してすぐに敵先鋒の備と交戦、先鋒とはいえ、敵の軍勢はこちらを遥かに上回っていたが、相手の備大将を討ち取り先鋒戦に勝利した後は、軍議での作戦通りに敵の右翼陣に攻勢を掛け、開戦から二刻ほどが過ぎた頃には、敵陣形の右手側に配置されていた三つの備の内、二つを打ち破っていた。逆の左翼陣は、諸大名の連合軍が仕掛けていて、伝令の話では、こちらも上手くいっているようであった。


「隊を再編成して、残りの備に攻撃をしかける。伝令、本陣に作戦通りに相手本陣に攻撃を仕掛けると伝えよ。木村と大橋には作戦通りに動けとな」


 馬上から近くの伝令達に指示を出していると、侍が乗った馬が一騎、こちらにやってくる

 そして、自分の少し前で馬を降り、こちらに向かってくる侍は、自分の前までやってくるとかぶっている兜を脱いで脇に抱え、その場で跪いた。


「タカノリ様」

「岩坂か、どうした?」


 岩坂は自分の部下で、西夷軍の一番隊隊長を任せている侍だ。

 女だが槍術に長け、技の鋭さなどは侍隊長の中でも一、二を争う程の女傑。

 彼女は、俺の鎧と同じ群青の鎧を身に付け、同じ色の兜を脱いで現れた濃い柿色のその短髪は、自分で切っているらしく中々に個性的で、一見少年の様な容貌の彼女には良く似合っていた。


「はっ、敵右翼は全て退却したようですので、作戦通りにこのまま敵の右翼陣を叩くのか、ご判断をお聞きしに参りました」

「——そうか」


 岩坂が率いる一番隊は自分の後方担当だ。

 俺自身が好む作戦が、自分が単騎で相手の備に強襲を仕掛け、敵兵が自分に集中している所を、岩坂率いる一番隊が後方から一気に叩く作戦だからである。

 その方が、味方の兵の損耗は少なくて済む。部下には不評な作戦ではあるのだが。


「取り敢えずは作戦通りに敵の右翼陣を叩く。隊の再編を頼む。木村と大橋には作戦通りに動けと伝えてある」


 木村は二番隊、大橋は三番隊を任せている侍隊長で、この二つの隊には当初の作戦通りに、敗走した敵の掃討戦に当たる予定だ。


「はっ! 部隊の再編を急ぎます」

「……岩坂」

「何でしょう?」

「部隊の再編が終了し次第、私は一旦本陣に戻る」

「え? そうなのですか?」

「ああ。幾らなんでも相手が引き過ぎる。何か罠でもあるのではないかと勘繰ってしまう程にな。まぁ、私の勘ではあるのだが」

「確かに。手応えが無さすぎると思っておりました」

「その事を殿に進言しに行こうと思うのだ。だから岩坂、部隊の再編が終了次第、残りの敵陣への対応はそなたに任せる」

「!? はっ! この岩坂、命に代えましても」

「気負うな。お主なら特に問題無かろう。作戦通りに事が進んだら木村と大橋と合流し、私が戻るまで開戦時に陣を敷いた山で待機しろ」

「はっ!」


 頷くと岩坂は立ち上がり、部隊の再編を急ぐ為、周りに居た部下の侍や兵に指示を出す。


(もう少し、休んでも構わないのだがな)


 任せられたのが嬉しかったのだろう、きびきびと指示を出す岩坂をみると、つい口元が綻んでしまった。


(……さて)


 気を取り直す様に目を瞑る。すると、いつもの様に光に満ちた笑顔が出迎えてくれた。


(シズエ、もうすぐだ……)


 俺はそっと兜を被ると、木の傍で草を食んでいた愛馬の元へと歩き出した。



 △  ユウ視点  △



 この戦争が始まる前に行われた会議で、敵の左翼陣を大名による連合軍、先鋒と右翼陣を西夷将軍の成瀬タカノリさんが率いる西夷軍が担当する事になった。そして新山さん率いる僕たちの隊は、遊撃隊として戦場を転戦し相手を攪乱するのが目的だ。

 遊撃隊という事で、必然的に戦闘回数が多くなるとアカリには言われていたのだが・・・。


「どうなっているんだよ~!?」


 野原に生えている丈の長い草に足を取られながら、敵の矢を躱す。


 谷合での戦闘を終え休憩を終えた僕たちは、敵の本陣に向かう途中の平原で、3回目となる戦闘を行っていた。


(幾らなんでも多すぎだ!)


 出陣して4ジカン経らずで3回目の戦闘に、僕は辟易する。

 背の高い草の向こうから、敵の軍旗が見えた時は冗談かと思ったほどだ。

 確かに敵の本陣に近付いているのだから、敵と遭遇する確率は高くなる。

 でも、あまりにも連戦が続いている気がしてならない。


(こっちの戦争ってこんなもんなのか!?)


 戦争初体験の僕がおかしいだけで、これが常識なのかも知れない。

 杖で、近くにいた敵兵の頭をポカリと叩いて気絶させた僕は、近くで戦っているアカリを探す。

 すると、そう遠く無い距離に、赤い甲冑姿を見掛ける。アカリだ。

 アカリは黒鉄色の兜鎧を着た侍と打ち合っていた。相手の侍の兜には金で出来た角の様な物が付いている。どうやらこの部隊の隊長らしい。

 相手の侍隊長は僕より大きいその体を利用して、アカリの間合いの外に位置取る様に動き、アカリに一方的に攻撃を行っていた。

 対するアカリも、相手の攻撃を避け、剣筋を逸らし、あるいは返し技を繰り出したりと様々に対処しているが、中々自分の間合いに入れないでいる様だ。


「おらおらどうしたー? 日之出のお姫さんよぉー?」

「くっ!?」


 相手の侍隊長の辻風の様な攻撃に、防戦一方のアカリ。相手の攻撃に刀を流されない様に歯を食いしばり、必死に耐えている。


(マズい!?)


 アカリの助けに入るべく、魔力を集中する。

 そして、タイミングを見計らうべく、アカリ達の動きを注視した。

 だが、二人とも動き回っていて、援護する機会が中々掴めない。

 その間にも敵から矢の攻撃が飛んでくるが、近くに居た〔足軽〕と呼ばれる仲間の人が木製の盾で防いでくれた。


「助かります!」

「良いって事よ! それより気を付けろ!」

「はいっ!」


 僕のお礼を背に受け、別の仲間を守る為に移動していく足軽の人を目で見送ると、再びアカリ達を見る。


「おらっ! これで終いだ!」

「くっ!?」


 相手の侍隊長が振るった刀を、自分の愛刀で受け止めたアカリ。

 しかし、やはり相手の力の方が強いのか、両手で刀を支えているにも関わらず、徐々に押し込まれて体をくの字に曲がっていく。

 だが、動きが止まった今が絶好の機会だ。魔法を唱えながらアカリ達の前まで走る。


(〈世界に命ずる〉)

「何だぁ!?このガキ!」

「ユウ!?」


 敵の侍の側面に立つと、杖先を相手の侍隊長に向けて魔法を放つ。


「〈風よ吹け! ウインド!!〉」


 途端、杖の先に風の渦が生まれ、それを相手の顔目掛けて飛ばす。


「うわっ!?」

「今だ、アカリ!」

「! はぁっ!!」


 突然、風の渦に視界を奪われた相手の侍隊長は、咄嗟に手で顔を庇う。

 その隙をアカリが見逃さず、相手の刀を逸らし、そのまま懐に入ると刀を相手の脇腹に突き刺した。


「うぐっ!?」


 相手の侍隊長は膝を折る様にして前向きに跪くと、そのまま倒れ込む。


「……こ、殺せ……」


 だが、まだ意識は有るようで、アカリに対し、止めを刺す様に訴える。

 それを受けアカリは刀を垂直に構えると、侍隊長に向けて真っ直ぐ下ろした。

 が、


「……何故、止めを刺さん……?」


 息も絶え絶えに問う、侍隊長。

 アカリはそれに答えず、刀を腰の鞘に仕舞うと近くに居た味方の兵に、その侍隊長の対応を指示する。


「じゃあ、後はお願いします」

「了解しました!」

「……アカリ?」


 アカリに近付き、声を掛ける。

 すると、アカリは照れた様に頬を膨らませながら、


「誰かさんの甘っちょろい考えが移っちゃったのかしらね?」

「アカリ……」

「ま、それは良いわ。援護ありがと」


 そういってアカリは僕を見上げ笑う。

 戦場とは思えない良い笑顔に、僕は見惚れてしまった。


「……コホン、さてと——」


 照れを隠す為なのか、咳払いをしたアカリは周囲に目を向ける。

 そこには、東夷軍の証である赤銅色と、西宮の兵たちの鈍色が命のやり取りを繰り広げていた。


「まだまだ、いっぱい居るわね」

「そうだね」


 アカリの言う様に、味方の数も多いが辺りにはまだまだ敵がたくさん居る。


「私が倒した相手が敵の侍隊長だと思う。でも、まだ敵の士気が落ちないわ」

「そうだね……」


 普通なら、自分の隊長がやられたら、逃走するか降伏するかの筈だと思う。

 なのに、今戦っている相手の部隊は全く戦いを止める素振りを見せずにいた。


「何かおかしいわね」

「アカリもそう思う?」

「えぇ、幾らなんでも連戦が続きすぎるわ」

「やっぱりそうだよな?」


 僕の考えは正しかった様で、やはり何かが変であるみたいだ。

 すると、ちょうどそこへ石塚さんがやって来る。


「アカリ様、ユウ殿。先ほどの戦い、見事っす! いやー、お二人はほんと良い息の合った良い連携を」

「石塚さん、ちょっと良いですか?」

「ん、何すか?」

「いくら何でも敵に出会うの多くないですか?」

「んー、やはりユウ殿もそう思っていましたか」

「はい。アカリも同じ意見だったみたいで、石塚さんに聞いてみようかと」

「えぇ。それに、敵隊長が倒されたというのに、敵の士気が下がらないのもなんだか不気味で」

「うーん、そうっすねぇ……」


 そういう石塚さんは、顎に手を当てて呻く。呻く。呻く……。


「石塚さん?」


 訝しんだアカリが石塚さんに声を掛ける。

 すると、その声にビクッと体を震わせたかと思うと、アワアワを両手を顔の前で振るう。


「いや、考えている振りなんかしてないっす! 何も考えて無いなんて事はないっす!」

「「……」」

「いやー、私は色々考えるのが苦手でして。そういうのは大体、藤田殿が担当だったっすから……」


 申し訳ないっすと後頭部を掻きながら、苦笑する石塚さん。

 すると、伝令役の兵が一人、駆け込んできた。


「石塚様、敵正面より味方の馬が一騎、こちらにやって参ります!」

「馬? 誰か乗っているのか?」

「はっ! 旗印から、恐らくではありますが、西夷将軍の成瀬様かと!」

「!? 成瀬様が?」


 石塚さんが驚くのも無理は無い。

 僕も参加した昨晩の作戦会議では、西夷将軍である成瀬さんは自らが率いる西夷軍と共に、開戦と同時に敵の先鋒、及び向かって右側の敵陣を担当している筈である。

 その成瀬さんが、単騎で現れた。

 これは明らかに異常だ。何か緊急の事態でも起きたのだろうか。


「石塚様、どうなされますか?」


 伝令が対応を求める。


「うーん、どうするかって言われても……」

「石塚さん?」

「困ったっすねー。成瀬様は単騎に於いてもさして問題が無い程にお強い方。師匠とサシで勝負出来るほどのお方っすから。問題は西夷軍に何かあったのかって事なんすが、あの岩坂の槍バカはさておき、残りの木村、大橋の両殿も簡単にはやられない程の武人。何かあったとは考えられないっす」

「それでは」

「かと言って、成瀬様をお止めしてまでってのは……。うーん難しいっすー」


 先程とは違い、真剣に悩む石塚さん。しかし、中々答えが出ない様だ。


「石塚様。お早くしないと、成瀬将軍が過ぎてしまいます」

「とは言ってもっすね~」

「……あのー、良いですか?」

「ん、どうしたっすか、ユウ殿?」

「成瀬さんの対応ですけど、僕たちが成瀬さんの後を追うってのはどうですか?」

「ちょっと、ユウ?」

「まって、アカリ。 石塚さん、石塚さんはこの部隊を率いて、任務を続けなくてはいけないでしょう?」

「そうっすね」

「でも、成瀬さんの動向も気になりますよね? なら、もともとこの部隊に、東夷軍の三番隊に居ない僕たちが、成瀬さんの動きを追った方が都合が良いかなって思いまして」

「……確かにそうっすが、危ない目に遭わせるのも」

「その点は大丈夫かと思います。成瀬さんは敵陣からこっちに向かってくる訳ですよね? だとすると敵から離れている、という事になります。ならば、安全かと思うのですが」

「うーん、そうは言ってもっすねー……」

「石塚様」

「ん? どうしましたか、アカリ様?」

「私もユウの意見に賛成です」

「アカリ様」

「大丈夫、私とユウなら。それにいざとなったら……」

「【忌み子】……っすか?」

「……はい」


 アカリはこの部隊に配属する際に、アカリと一緒に石塚さん達に挨拶したが、その際アカリは色々と石塚さんに話したのだろう。


「うーん……」


 石塚さんがまた顎に手を当て考え込む。その豊かな胸が、寄せられた腕に押され形を変える。


「石塚さん」

「……分かったっす」


 石塚さんは、成瀬さんの事を伝えてきた伝令に、


「成瀬様をそのまま通り抜けさせろ! くれぐれも邪魔をしない様に!」

「はっ!」


 そして、僕たちの方へ向くと、


「お二人とも、済まないっすが、一つお願いするっす。あと、決して無茶だけはしない様にっす」


 もしもの事があったら、この首、撥ね飛ばされるっすからと石塚さんはお道化てみせた。


「石塚さん」


 僕たちは石塚さんに礼を述べると、早速成瀬さんの後を追う為、くるりと背を向ける。


「頼んだっすよー!」


 その背に石塚さんの声を受けながら、僕たちは遊撃隊を後にするのであった。



 △ フミヒコ・橘 視点  △



(——ふむ。何とか勝てる、か)


 陣卓子の上に置かれた合戦図を見て、安堵する。


 開戦から間もなく二刻半が過ぎようとしていた。

 本陣には伝令によって各戦局の情報が届けられ、机上の合戦図に反映されていく。

 それを見て、じぃや陣奉行の大名達が議論していた。


 当初有った一万の戦力差。それが今では逆にこちらの方が二千ほど多くなっている。


(これもひとえに、タカノリの活躍あっての事じゃな)


 まさに獅子奮迅の活躍と言っていいほどの働きぶりだった。それに他の西夷軍の働きぶりも素晴らしい。

 当初有った、西宮の先鋒と右翼側の陣をほぼ壊滅に追い込んでいたタカノリと西夷軍は、開戦前の軍議ではそのまま敵の本陣へと攻勢を掛ける手筈になっている。

 そんな中、一人の伝令が陣幕内に入ってきた。そして、じぃの前で跪くと、


「伝令! 西夷将軍である成瀬様がご来陣になられました!」

「なに、成瀬殿が? ——殿」

「うむ、何かあったのかも知れぬの。 よし、通せ」

「はっ」


 伝令が陣幕から消えて間もなく、群青の鎧を着たタカノリが姿を現す。

 そして床几に座るワシの前まで歩いてくると、跪いた。


「——殿」

「タカノリ、お主の活躍、しかとこの余に届いておるぞ。まさに一騎当千の働きぶり。真に大義である」

「はっ、勿体ないお言葉」

「それにしてもタカノリよ。お主の言っていた東雲と西宮の同盟だが、やはりその公算が高そうだな」

「……はい」

「お主の進言に沿って、シンイチを東雲の偵察に向かわせたから、その報告を聞くまでは判断するのは早計かとも思っておったが、穏健派のタカミチ殿がこうして攻め込んできた事が、何よりその事を如実に証明しておる。きっと、東雲との同盟に見通しが付いたのじゃろう」

「……」

「して、タカノリ。余になんぞ要件かの?」


 ワシの問い掛けにタカノリは面を上げる。


「はっ。実は――――」


 それからタカノリは、西宮の兵の動きが妙であり、何か罠が仕掛けられているかもしれないと語る。


「では、敵の兵数はこちらが把握しているよりも多いという事か?」

「はい。敵将は討ち取っておりますゆえ、敵備(てきそなえ)自体の動きは阻害しているとは思いますが、敵はそこまで損耗してはいないかと」


 大名軍が対峙している敵左翼は判りませんがと付け加え、タカノリはその端正な顔を伏せる。


「……そうか、じぃ!」

「はっ」

「今の聞いておったな? 今すぐ斥候を出し相手の動向を探れ」

「はっ!」


 じぃは、すぐさま伝令を集め、指示を伝える。

 陣卓子にいた陣奉行の者たちも対応の協議を始め、陣幕内は慌ただしくなる。


 そんな中、


「殿……」

「ん? どうした、タカノリ」


 タカノリが俯いたまま、ワシに声を掛けてくる。

 が、タカノリは反応しない。良く見ると、微かに体を震わせていた。


「タカノリ?」


 再度声を掛けると、タカノリはピクリと体を動かした。来ていた群青の鎧がカシャンと音を立てる。

 そして、絞り出す様に言葉を口にした。


「……殿、相馬シズエという名前に覚えはありませんか?」

「相馬シズエ……?」


 はて?と、ワシは視線を彷徨わせる。日之出には、市井の民がおよそ百五十万人暮らしていると言われている。それらの民一人一人の名前を把握するのは不可能だ。

 しかしそんな事は判り切っているタカノリが、敢えて口にした名前。何か特別な意味が必ずある。


(さて……。 ん? シズエ……?)


 タカノリの口にした名前、その姓には何も引っ掛からなかったが、名前の方には覚えがあった。


「……タカノリ、相馬という姓には特別な覚えがないが、シズエというのはたしかお主の女房殿の名と同じじゃな」


 こちらを見つめるタカノリの目を真っ直ぐに見つめ返し、そう答える。

 すると、タカノリはやや落胆した様な、それでいて少し嬉しそうな微妙な顔をする。


「はい。殿の仰る様に、シズエは我が妻の名前。旧姓が相馬でした」

「……そうか」


 ふと、陣幕内の音が耳に入る。

 相変わらず、陣羽織姿のじぃが、各伝令と陣奉行にあれこれと指示を出している。


「……タカノリ、確かお主の女房殿は病弱だと聞いていたが、その後はどうだ? 息災か?」


 タカノリの妻であるシズエ殿は体が弱く、ワシ自身も五年前の二人の婚礼の儀でしか会った事が無い。その婚礼の儀で挨拶に来てくれた時のシズエ殿は色がとても白く、細身であったという印象だ。

 病弱ゆえ、あまり表舞台に出てくる事も無い為、シズエ殿の体調などは良く知らない。

 仮にワシの妻であったコトハが存命ならば、奥方同士の交流を持って耳に入って来る事もあったと思うが。


 ワシの問いに、タカノリはその端正な顔を歪める。それは男が悲しみを耐え忍ぶ顔。ワシ自身にも経験のある面持ち。

 それだけで、ワシは悟った。


「そうか……」


 ほぼ面識が無いとはいえ、最も信の置ける部下の一人であるタカノリの妻である。亡くなったと聞けばやはり心痛いものがある。


「……いつだ?」

「……半年前で御座います」

「……そうか」


 目を瞑り、故人の冥福を祈る。

 日之出国には国の定める国教は無い。神道も仏教もそれぞれ数多く存在している。

 ワシ自身は太陽をご神体とする陽道宗なる教えを受けているが、それを誰かに、ましてや国民に強いるつもりは毛頭無い。太陽もあれば月もある。星もあれば、大地もある。人それぞれ、色々な物に感謝し生きて居れば、一つの教えだけで生きていけるとは思えないのだ。色々な教えが有る方が健全であると、そう思っているからなのかもしれない。


「知らなかった事とはいえ、見舞いも弔いも出来んかった。許せ」

「……いえ」

「……して、タカノリ。シズエ殿の事は誠に残念であるが、その事を今、この戦時に余に言う理由はなんじゃ?」


 率直にタカノリに問う。



「……はい、私が亡き妻と出会った経緯については、婚礼の時に申し上げた事と思います」

「うむ。たしか、タカノリが見初めたのであったか。町の娘だったと聞いたが?」

「はい。あの時は殿にも宰相殿たちにも、そう申しました」

「……違うのか?」


 自然、声が低くなる。

 それは、部下に嘘を吐かれたからではない。嘘を吐かなければならない何かがあった。その事を訝しんだからである。


 タカノリはワシに目を向けたくないのか、それともワシを見たくないのか、俯きながら話始める。


「……殿、東雲で飢饉が有った事はご記憶の事と思いますが、その年に私は妻と出会いました」

「そうなのか」

「はい、あの日はいつもの様に、西宮に動きが無いかを調査する為、西宮と国を接する町に単身向かっていた時の事でした。暫く馬を走らせ、休憩の為途中の村に寄ろうとした時、道の木陰で一人の女が倒れているのを見つけたのです」

「……」

「普通の町娘の様な身なりのその女は、だいぶ憔悴しており、近くの村も近かった事から、私は村の娘が拐かされ、そして逃げ出したのだろうと考えました。そこで馬に乗せ、近くの村に連れて行ったのですが、村の者は誰一人として、その者の事を知りませんでした」

「……」

「村の者は余所者であるその女を疎ましく思っておりましたが、私の身分と任務中である事、任務の帰りにその女を引き取りに来る事を約束し、少しばかりの金子(きんす)を村の村長に渡し、その村を後にしました」

「……」

「それから二日後、無事に任務を終えた私は、約束通りに女の居る村へと寄りました。村長の家に行くと、女は目を覚ましてはいましたが、まだ起き上がれない様で、床に臥せっておりました。私は女にどこの出身か、どうしてあそこに倒れていたのかを尋ねましたが、顔を伏せるばかりで何も答えません。そんな中、村長が私を呼び、ある物を手渡してきました。」

「……それは何だったのだ?」

「はい。それは西宮が日之出に、殿に向けて出した親書で御座いました」


 タカノリはそこまで言うと、懐から書状を取り出す。それは黄み掛かり所々が破けていた。

 ワシはタカノリからそれを受け取ると、丁寧に開き、目を通す。

 そこには、西宮が飢饉に襲われ、民が飢餓に苦しんでいる事、恥を忍んで我が日之出に援助を頼みたい事が掛かれていた。

 差し出し人は―――、西宮を統べる西ノ宮家当主、タチミチ殿。


「―――何故、その女がこれを?」

「その書状を女に見せると、観念したのか重い口を開きました。その女は西ノ宮家に仕える女中の一人で、西ノ宮家当主とは幼友達と言っておりました。当時、我が日之出は西宮とはイザコザが絶えず関係が悪化しており、宮中や市井の間でも我が日之出国と戦やむなしという雰囲気であったと。ですが、そんな西宮を飢饉が襲い、多くの人が飢えに苦しんでいた。それを重く受け止めた西ノ宮家当主が宮中の誰にも相談せず、独断でその親書を(したた)め、幼友達であったその女に託しました。女は町娘の恰好に変装すると、急ぎ我が国を目指した、と」

「なぜ、町娘の恰好を?」

「はい、誰にも相談せずに認めた殿への親書なのですが、何処からかその存在が発覚、我が国との戦を推進する勢力がそれを破棄しようとその女を探索した結果、変装しなければ市中すら出られなかったと、女はそう申しておりました」

「……そうか」


 確かに、当時東雲は元より、西宮とも小競り合いが絶えず、まだ若かったタカノリやシンイチがたびたび出征していた事を思い出す。結果、我が国でも当時は戦を推す者が多かった。そしてそれは、他の国でも同じだったという事だ。


「その女は休む事も無く、ただひたすらに日之出を目指し走ったとの事でした。そして三日三晩掛けて、やっと日之出に着いた女は、早速日之出城へと赴き、城門の門番に、城の誰かに取り次ぎを頼んだのですが、三日三晩、休む事も無く走った女の身なりはとても汚く、門番に全く相手にされなかったとの事でした。困った女は、取り合えず用意された路銀で旅籠に泊まると体を休める事に。しかし、女の体で三日三晩は酷という物、案の定体調を崩し、その旅籠で安静にしていたそうです」

「うむ、それで?」

「暫くして体調が戻った女は再び城へ赴こうと支度を整えている際に、不意に外が騒がしい事に気が付きました。宿から出て騒ぎの元へと向かうと、そこでは何かの祭りなのかという程の人が大通りを埋め尽くし、何かを今か今かと待ちわびていたそうです。そこで女が近くの人に聞くと、こう答えたそうです。『東雲のお姫様が殿の後添いとして来た』、と」

「……」

「女は(まつりごと)に関してはずぶの素人。しかし、宮中に仕える者として最低限の知識はあった。その知識が女を再び、西宮へと走らせる事になったのです」

「・・・なるほど、日之出と東雲が手を組んだ」

「はい。女は東雲も飢饉に苦しんでいると知らなかった。そして我が国が東雲に援助を行い、その恩に報いる形でコトハ様が日之出にいらした事も。女は単純に日之出と東雲の同盟軍が、西宮に攻め入るという考えしか浮かばなかったのです」

「状況だけを見るだけなら、その判断は()もあらんのう」

「はい。ですが、病み上がりの女が再び奔走するのは無理だったのか、その無理が祟り女は倒れてしまった。そこを私が見つけ救護した」


 意識を再び外へ向ける。

 いつの間にかじぃも陣奉行の姿も無く、陣幕内にはワシとタカノリの二人だけとなっていた。

 周囲は戦の最中だというのに不思議なほど、ひっそりとしていて、ピーヒョロロと、いつの間にか上空を(とんび)が飛んでいた。

 何やら西宮に動きがあったのか、それともやはりこちらの有利は変わらないのか。

 それすらも分からないまま、ワシはタカノリに話の続きを促す。


「——その女はその後?」

「はい、体調も多少良くなり、動けるまでに回復した女は、再び西宮を目指し走り出す勢いでした。その時には女に多少の情が沸いていた私は、身分を隠して馬で女を西宮まで送っていく事になったのです」

「……覚えがある。確かじぃがタカノリが偵察任務から中々戻ってこないと騒いでいた時があったわ」


 それが原因とはのう、とワシは苦笑いする。タカノリもつられる様に苦笑するが、すぐに笑みを消す。


「その節は大変ご迷惑をお掛けしました」

「よい。過ぎた事だし、じぃにこっ酷く叱られたんじゃろ? それで?」

「はい。途中の村で鎧を脱ぎ、旅の商人の恰好をした私は無事に西宮まで女を届けました。ですが……」

「何じゃ?」

「西宮の城下町に有った広場に、信じられない光景が広がっておりました」

「……」

「そこには、首が晒されていたのです。その数はおよそ二十。そしてその中に女の家族の者もありました」


 思い出しているのか、タカノリの体がフルフルと小刻みに震える。それは怒りのせいか、悲しみのせいか、それとも別の何かか。


「……制裁か」

「……」


 良くある話、という程では無いが、聞いても特段驚く事は無い。そういった類のものである。

 恐らくは、他の首もその女の協力者であろう。


「……おそらくは、その女が見つからずに焦った開戦派が女の家族や協力者を拘束し、期間までに現れなければ処刑するといった感じかの。で、現れなかったことで……」

「……はい」


 いつの間にかタカノリの震えは止まっていた。


「女は発狂しました。が、(すんで)(ところ)で女の口を塞ぎ、その場を後にしようとした時、不意に一つの首に目が留まったのです。そしてその首から目が離せなかった」


 そこでタカノリは唾を飲み込む。まるで今でも信じられないという様に。


「……誰じゃ?」


 ワシの問いに、顔を震えさせながらもはっきりとワシの顔を見てタカノリは言った。



「——西ノ宮家当主、タチミチ殿です」



 △ ユウ視点  △



 石塚さん率いる遊撃隊から抜けて、成瀬さんを追うことになった僕とアカリは、戦場を駆けていた。

 途中、折れた矢や旗、刀などの武器、そして体の一部や死体が転がっており、さきほどまで激しい戦いがあった名残がそこかしこに点在していた。


 だが、感覚が麻痺しているのか、体が強制的に忌避しているのか分からないが、それらが視界に入ってもすでに何も感じなくなっていた。それどころか、


「馬を相手に追いかけごっこなんて、無理すぎる……」


 なんて悪態を付ける位だ。

 始めは何とか追えていた成瀬さんの背中は途中から完全に見えなくなっており、今は草地や泥地に残る馬の足跡を頼りに、何とか追い掛けている状況だった。


 息も絶え絶えに、何とか歩くより少し速いかな程度の歩調で、アカリの後を必死に追う。

 そのアカリはと言うと、そこかしこに残る他の馬の足跡と、成瀬さんの乗る馬の足跡の区別がすぐに付くらしく、普通に走る時と変わらない速度で僕のかなり前を走っている。

 なんで区別が付くのか聞いたら、馬の足跡の大きさが明らかに違うらしい。

 僕からしてみれば、言われてみれば何となく程度の差しか判らない。そんな細かな違いを瞬時に見分けられるアカリの新たな一面を垣間見た気がする。


「ほんとにだらしないわねー。走るのが速くなる魔法は無いのかしら?」


 僕の走る速度が遅い為に、走って止まってを繰り返すアカリが、小馬鹿にした様な、怒った様な声で抗議する。


「そんな、都合の良い、魔法な、んて無いよ」


 ハァハァと肩で息をしながら、アカリに答える。

 身体能力が上がるスキルはあるけれど、あれは戦士やら剣士やらのジョブだけが使えるもので、召喚士やら魔法使いにはその類いの魔法は無い。一時的に魔力が上がるといった物ならあるのだが。


「ふーん、魔法も万能じゃないのね」


 つまらなそうに呟くアカリにやっと追い付いた僕は、膝に手を突き息を整える。


「はぁ、はぁ、んで、成瀬さんはどこに向かってそう?」

「んー、この方角だとお父様が居る本陣だと思うわ」


 真っ直ぐに向かっているみたい、とアカリは付け加える。


「そう。なら、ゆっくり行こうよ。本陣ってあれでしょ?」


 と、荒かった呼吸がやっと落ち着いてきた僕は顔を上げると、ある丘を指差す。

 指を差す方には周囲を木々に覆われた高い丘の上に、橘家の家紋が描かれた大きな軍旗がいくつも見える。だけど、だいぶ距離はあるけれど。


「ダメよ、成瀬様はとっくに本陣に着いているわ。すでにお父様か宰相様とお話してるかもしれないじゃない。ゆっくり行ったら終わっちゃってるわよ」


 ほら、急ぐわよ!と、僕の手を握ると、アカリは本陣に向けて走り出す。


「わわっ!? ちょっと、待って!」

「良いから早く!」


 アカリに急かされ強く手を引かれながら、僕たちは成瀬さんが向かったであろう遠くにある丘の上の本陣を目指す。

 そこで何があるのか、何を話し合っているのかを知るために。




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