忌み子
アカリが走って行った方へと歩き続ける。
進む街道には、僕を導くように点々と地面が抉られた形跡が残っており、アカリと追っ手が争いながら移動している事を示していた。
(アカリの奴、大丈夫か!?)
幾ら剣の腕が立つと言っても女の子だ。それに、逃げる途中で【忌み子】の力も限界まで使っている。
(早く合流しないと!)
追っ手にやられて傷だらけではあるが、少しは魔力も回復している。目くらましの〈ライティング〉なら、一回くらいは使えそうだ。
そうして走って行くと、鼻にツンッとした刺激を感じた。
最初はあの追っ手達が使った毒か何かだと思った。
しかし、すぐに違うと判る。——それは、あの日嗅いだ臭いと同じ——。
村が襲われたあの日、村人が、そして大切な人が流したアレと同じ臭い……。
「アカリっ!?」
臭いの強い方へと走る事、数分。開けた場所に出る。
そこには異常な光景が広がっていた。
草地には追っ手だったモノが転がっている。その中心には、紅い髪の女の子が液体が光る刀を手に下げ、項垂れていた。
周辺に漂う、鉄の、圧倒的な死の臭いが空間を支配していた。
その支配を恐れてか、虫の音一つ聞こえず、辺りは静まり返っていた。
「——アカリ!?」
アカリに声を掛けるも反応が無い。
(明らかに様子がおかしい。まさか、また毒か!?)
僕は急いでアカリへと駆け寄る。
下は草地なのに靴に何かが張り付き、ヌチャリと嫌な音を立てる。
それが、そこらで倒れている追っ手から流れた血だと解った途端、僕は吐き気を催す。
だが、近付く僕に何の反応を示さないアカリが心配で、何とか我慢してアカリにさらに近づいた。
ピクッ。
すると、アカリの肩が僅かに揺れたかと思うと、項垂れたまま体をこちらに向ける。
「アカリ?」
歩みを止めて、アカリを見る。
呼んでも返事が無いので、もしかすると意識が無いのかも知れない。
(意識が無い!?)
ならば、何故立っていられる?
ならば、何故こちらに体を向けられる?
ならば、何故髪の色が紅い?!
(もしかして!?)
『私が深く【忌み子】となったら、意識が無くなっちゃうのよ』
前にアカリは僕にそう言っていた。
それは、今回の作戦について話していた時。アカリの【忌み子】化を作戦に取り入れたいと言った僕に、アカリが言った言葉だった。
『深く?』
『うん。ちょっとの時間とかなら大丈夫なんだけど、ずっと【忌み子】の状態で居ると、意識が持っていかれちゃうのよ。そうなると……』
『——そうなると?』
『……多分、誰が誰だか分からないまま、攻撃するんだと思う。私自身意識が無いから何をしているか解らないんだけど』
そう言うアカリは俯き、微かに肩を震わした。
きっと怖いのだ。
知らず知らず誰かを傷付けている事が。
たとえそれがカズヤの様な奴でも。
そして、自分の大切な人にも刃を向けているかもしれないという事が。
『そうか。……じゃあ——』
『大丈夫よ! あなたの考えた作戦を実行しましょう! 少しの間だけですもの。 合図を送るだけなんでしょう?』
作戦の変更を言う前に、アカリがそれを遮る。
『大丈夫なのか?』
正直、これ以上の作戦を僕は考えられない。それに、他の人に作戦を委ねると言うことは、僕が魔法を使えることを知らせる事になる。それは避けたかった。
『ええ! それに、もし私が【忌み子】になって意識を無くしても、相棒が何とかしてくれるでしょ?』
そう言って、アカリはニコッと微笑んだ。
そこに含まれているのは信頼。そして、少しの照れ隠し。
『そうだね』
その寄せる気持ちがこそばゆくて、それ以上に嬉しくて……。
『じゃ、行きましょう。さっさとカズヤを止めるわよ!』
『ああ!』
だから、アカリが完全に【忌み子】になったら、それを止めるのは使命なんだと心に決めた。それがアカリの信頼に応える事だと、そう思ったから。
「待ってろ、今止めてやる!」
覚悟を決め、持っている杖を両手で構える。
(まだ、アカリとは距離がある。今の内に少しでも魔力を練ろう)
回復したとはいえ、微々たる魔力しかないが、何もしないよりマシだろう。
そう思い、魔力を練る為に集中したその時、
チャリッ。
アカリがまるで獣の様に姿勢を低くし、持っていた刀を顔の横で水平にする。
顔を見たいが、長い髪が顔を覆っていて窺い知れない。
否や、
ドンッ!
そんな音を置き去りに、アカリがこちらに突っ込んでくる。そこそこの距離があったにも関わらず、すでにそれは無いに等しい程だ。
そして、勢いそのままに、刀を僕の喉元目掛け鋭い突きを繰り出す。
「くっ!!」
僕は魔力集中を止め、その馬鹿げた速度で繰り出された突きを杖で防ごうとした。
キィィン!
シュッ!
「ウクッ!?」
何とか杖が間に合ったが勢いを殺すことは出来ず、首に浅い傷を負う。
何とかアカリから距離を取ろうと、僕は切られた首を押さえながら、全速力で駆け出す。
(何だ、あの速さは!?)
前に庭で手合わせした時とは比べられない程の速さと力に、僕は驚愕した。
あの時位の強さなら、何とか対応できると思っていた僕が馬鹿だった。見通しが甘かった。
(これが【忌み子】!?)
走りながら後ろを向くと、突きの姿勢のまま相変わらず項垂れているアカリが立ち尽くしていた。
そして、
チャリ。
同じ様に姿勢を低くして、刀を水平に構える。
(また来る!)
僕は走るのを止め、アカリの方を向く。
ドンッ!
先程と同じ様な音が鳴り、アカリが文字通り飛んでくる。
「くそっ!」
すんでのところを横っ飛びで何とか躱す。
「いでっ!」
受け身を取る余裕なんて無く、無様に顔から着地した僕は、すぐさま飛び起き再びアカリと距離を取る為、走り出す。
(どうする?! 明らかにカールより強いぞ!)
カールと比べるのもどうかと思うが、【忌み子】化したアカリの強さは僕が今まで戦った中でも断トツである。
それに、今の僕は追っ手にやられて傷だらけだ。走れる位だから幸いそこまで深い傷では無さそうだが、今も少しずつ血が流れていて、血が足りなくなってきているのか少しフラフラする。
このままではいずれアカリの攻撃を躱せなくなってしまう。時間が無い。
(何とかしてアカリの意識を取り戻さないと! でも、どうやって!?)
再びアカリとの距離を取った僕は、アカリの様子を窺いながら、頭をフル回転させる。しかし、焦りの為かなかなかいい考えが出てこない。
そうこうしている内に、アカリがまた同じ姿勢を取る。
ドンッ!
そして、同じ様に僕に向かって飛んできた。
「うわっ!」
充分な距離だったのが幸いしたのか、紙一重で何とか躱す事が出来た。
(こう何度も同じ事を繰り返されたら、いつかやられてしまう。しかし、何をしたら? ……ん、同じ事?)
アカリと距離を取る為にまた走る。
だが、僕の中で何かが引っ掛かった。
(さっきからアカリは同じ攻撃を繰り返すばかりだ。……もしかして、【忌み子】になると思考が停止するのか?)
そう、【忌み子】のアカリは僕に対して同じ攻撃を繰り返しているだけなのだ。
普通なら、一度躱されてしまったならば、次は躱されない様に何らかの対策をするはず。しかし、あの状態のアカリは何も対策をせず、ただ同じ事を繰り返すだけ。
それは、何も考えていないからなのでは無いだろうか? 本能のままにただ目の前で動いている物を攻撃しているだけでは無いだろうか?
(……考えている暇は無いな。試してみるか!)
僕は再び魔力を集中させる。
その魔力に反応してか、アカリが体をこちらに向け、項垂れていた頭を上げる。
深く【忌み子】化したアカリの顔を初めて見たが、その目は虚ろだった。
(あの目、やっぱり意識が無いな)
虚ろな目で僕を捕らえたアカリは、今までと同じ様に姿勢を低くしたかと思うと、同じく変わらない速度で僕に突きを放つ。
転がるようにして突きを躱すと、起き上がり様に近くに有った小石を拾い上げる。
(——よし、これで!)
今度はアカリから距離を取らず、そのまま魔力を練り上げる。
回復した魔力の量が少なかったので、魔力が練り上がるまでそんなに時間は掛からなった。
突きを繰り出したままの姿勢で止まっているアカリとの距離はおよそ十歩程。何とか避けられてた、さっきまでの距離の半分以下だ。
(失敗したら、確実に死ぬな……)
ふと、近くに転がっている追っ手の一部が視界に入った。一歩間違えば自分もああなるのだと思うと、恐怖で怖じ気づきそうになる。
(——でも、やるしかない!)
震えそうになる膝を叩き己に活を入れる。
アカリを見ると、体の向きを変えながら姿勢を低くしている所だった。
(よし、いまだ!)
僕は持っていた小石を、アカリの傍の草むらに投げる。
ガササッ。
投げた小石が草や枝に当たり、思っていた以上の音を出した。
「!?」
その音に狙い通りアカリが反応し、こちらに向けかけていた体を草むらの方へと向ける。
(っ!)
チャンスとばかりにアカリに向けて走り出す。
走りながら頭の中で魔法を唱える。
(〈世界に命ずる!〉)
急に近付いてきた僕への対応が遅れたアカリは、持っていた太刀を無理矢理横に振るう。
「——遅い!」
無理な体勢だった為か横薙ぎの速度は遅く、身を低くして難無く躱す。
そしてアカリに接近し、左の手の平をアカリの顔に向ける。
「〈明かりをともせ。ライティング〉!!」
すっと何かが抜けていくのと同時に、手の平に生まれた光。それが瞬時に爆ぜる。
「?!」
目の前が光った事に驚いたアカリは、咄嗟に腕で顔を覆う。その隙に僕はアカリに飛びつき、勢いそのままに押し倒す。
「アカリっ!」
アカリの意識を戻す為に名前を呼ぶが、変化が無い。
押し倒され、もがくアカリの両腕をなんとか掴み、刀を振らせない様にする。
しかし力の差は歴然で、腕を押さえているにも関わらず簡単に腕が上げられてしまう。
このままではいずれ力負けして、腕を離してしまう。そうなるとアカリは今よりも自由に刀が振るえる様になり、やがては……。
その先の事が簡単に想像出来てしまい、僕はブルリと体を震わせる。
「アカリ! おい、しっかりしろっ!」
力を籠め、両腕を押さえながらアカリに叫ぶ。だが、アカリの目は相変わらず空虚だ。
(どうする!? 何をすればアカリの意識を戻せる!?)
ただ叫んでいるだけじゃ、何も変わらない。だけど、どうすれば良いのか分からない。
必死に抑え込んでいた腕も力が入らなくなってきた。そろそろ限界だ。
何かアカリの心に問い掛ける様な……、そうだ!
「アカリ! 国を、この国の人々を助けるんだろ!? あれは嘘だったのかよ!」
ピクッ
それは今日の朝、アカリが屋敷の庭で言った言葉。
さっきまで何の反応を示さなかったアカリが、僕の言葉にほんの僅かに反応する。
「このままじゃ、カズヤを止める事なんて出来ないぞ! それでも良いのか!?」
「……ぅぁ……」
アカリの口から発せられた、呻くような掠れ声。さっきまでとは違い、明らかに僕の声に反応する。
だが、アカリの腕を押さえる腕に限界が来たのか、力が全く入らなくなってしまった。
腕の拘束が解かれ、押し倒されているにも関わらず刀を振り始めるアカリ。
「このままカズヤを、謀反を止められなければ、この国の人々が困るんだぞ!」
チャリ
僕の耳に不吉な音が聞こえた。
それは恐らく、僕を背中から突き刺そうとアカリが刀を持ちかえた音。
ブルリと体が震えた。でもここでアカリを離してしまったら、もう二度とアカリを捕まえる事なんて出来ない。
「お前の大切な人達だって困るんだぞ! ユキネさんもシンイチさんも、そしてお前自身も!」
「;」
アカリの腕に力が込められているのが分かる。だが、刀が振り下ろされない。
戻りつつある意識が、【忌み子】と戦っているのだろう。アカリの腕が震え、刀がチャリチャリ音を鳴らす。
「アカリ、しっかりしろ! 自分に負けるな! そんな君は見たくない!」
「……ぅぁ。——っく!?」
「君は僕の相棒なんだろ!? だったらそんな物僕に向けないで、己の敵に向けろ!」
「——うぅ……!?」
「頼むアカリ! 戻って来い!」
言ってアカリを強く抱き締める。
元の世界に戻れるかどうか分からない。もしかするとこのままこの世界で年老いていくのかも知れないし、何かの拍子で元の世界に戻れるかもしれない。
でも、どちらにせよ僕はアカリに出会えて僕はとても救われた。それは紛れも無い事実で。
そんな恩人がこんなにも苦しんでいる姿はこれ以上見たくない。
「僕は相棒として出来る事全てを使って君の力になる。だから戻って来いよ、アカリー!!」
「————っ!」
心から叫んだ。これで駄目ならもう、どうしようも無い。
ふと、抱き締めていたアカリの体から力が抜けた。
そして……、
「……ふ、ふん! そんな事言われても、あなたの事なんて頼らないわよっ」
——がばっ
体を起こして、アカリを見る。
逸らされてはいるが、その目は先ほどの空虚さは無く、意思の強い輝きが見られる。
頬がやけに赤いが、いつものアカリがそこにいた。
「アカリ、意識が!」
「ってか、いつまで乗ってるのよっ!」
「いでっ!?」
下から突き飛ばされ、仰向けに倒れる。
「って、何するんだよ!?」
「それはこっちの台詞よ! 年頃の女の子に抱き着くなんて!」
「しょうがないだろ! 誰かさんが【忌み子】に負けちゃうんだからさ!」
「だからって抱き着く事は無いでしょ! 何考えているのよっ!」
そして何やらブツブツ言い始めるアカリ。良く聞こえないが、責任がどうとか言っている。
そんな事よりも、
「そんな事より、アカリ。 その髪……」
そう、アカリの髪は普段の黒では無く、紅くなっている。
追っ手に追われている時、【忌み子】の力は限界まで使ったと言っていた。だから【忌み子】にはなれないはずだが?
「あぁ、これ? 私もよく分からないんだけど、深く【忌み子】化した後は、大概こうなるのよね」
ま、じきに納まるわよとあっけらかんと言うアカリ。
そして何かを思い出したのか、
「そんな事よりも、大変なのよ!?」
倒れている僕の顔に自分の顔を近付ける。鼻と鼻がぶつかる勢いに僕の方がたじろいでしまう。
「な、なにが大変なんだよっ?!」
カズヤとの会話は〈レコーディング〉で録音してここにその【珠】もあるし、追っ手も全員追っ払った。
……もしかして、僕の方にきた追っ手を引き受けてくれた人の事か?
結局、あの人が誰かは判っていない。僕を助けてくれた事から敵では無いと思うが、もし敵だとすると、〈レコーディング〉を見られてしまった可能性もあるかも知れない。もしそうなら大変な事だ。
「あいつが、カズヤが私と話している時最後に言ったの。『あいつらを利用している』って」
「あいつら?」
大変な事という奴が僕の心配事では無かったが、アカリの言う事が本当ならそれは問題だ。
なぜなら、
「カズヤに協力者が居る?」
「そういう事よ!」
「でも、もしかすると屋敷の人間かもしれないじゃないか。本条家に仕える他の武家とか」
「本条家に仕える人達の事を利用してやるなんて言う? それもあの高慢なカズヤが」
「……たしかに」
カズヤの様な高慢な人間は、人に尽くされるのが当たり前だと思っている節がある。
そんな人間が、もとより本条家に仕えている人達を利用するなんて当たり前の事、わざわざ言うだろうか。……いや、言わないだろう。
「カズヤの背後にもっと大きな存在が居るってことか・・・」
「ええ。そんな存在は国家転覆を狙っているカズヤと手を組んでいるという事は……?」
「——!? 他の国!?」
「!? まさか、そんな……!?」
アカリの顔が青ざめる。
無理も無い。先ほどまではたかが一個人の謀反計画だったのが、ここにきてよもや戦争になるかもしれない状況になっているかもしれないのだから。
「こうしちゃいられないわ! 早く屋敷に戻りましょう!」
「ああ。それで今日の朝一番にお殿様にこの証拠を聞いてもらって、カズヤを止めなくちゃ!」
屋敷に向けて走り出そうとした時、体が急に重くなった。
「あれ?」
「ちょっと何しているのよ!?」
「いや、体に力が入ら、な、い?」
「——!? ユウ!?」
僕はそのまま倒れてしまう。
無理も無い。もともと僕はそんなに体力は高くない。そんな僕が魔力を限界まで使い果たし、追っ手やアカリの攻撃を凌いできたのだから。
「もう! さっきは恰好良い事言っていたのに!」
「すまん」
アカリにあれこれ言っていた自分がとても恥ずかしい。
「良いから、ほら!」
そう言ってアカリはしゃがみ込み、手を差し伸べてくる。
その手に何とか捕まると、アカリは腕を引っ張り、そのままヒョイっと僕を背中に乗せる。
「な、ななっ!?」
「いいから、行くわよ!」
そして、僕を背負ったまま走り出すアカリ。【忌み子】化しているアカリなら、僕を背負って走る位造作も無い事なのだろう。
「恥ずかしい! 降ろして!」
「うるさい! 喋っていると舌を噛むわよっ!」
そして、僕達はボロ雑巾の様な体を引き摺る様にして、屋敷へと戻るのであった。